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君は、  作者: 千草色
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四月 side.陽仁 [1]

 保護室から閉鎖病棟の四人部屋に移って二週間と少し、二度目の自殺未遂——厳密には自傷行為——からは三週間が経ったある日、診察に来た藤木先生が言った。

「浜名と会ってみる気はありますか」

 さらりと言われた言葉にあまり考えないまま「はい」と頷きかけ、──耳を疑った。

「良いんですか?当分の間は面会謝絶って…」

「もう二週間以上経ちますし、段々と慣らしていかなければならないので。もちろん、負荷のかからない程度に、ですが」 

 これまでは遠目に見たことがあるかないかくらいの徹底ぶりだったのに、いきなり面会とは。

「普通は家族の面会から許可を出していくものですが、これまでのお話を総合すると浜名と会う方が精神的な負担が少ないような気がするので。どちらがいいですか」

 桧凪が良いです、と答えようとして脳裏に母の顔がよぎった。

 ──母である私を差し置いてそんな女を選ぶなんて。あんたは騙されてるのよ。母親以上に子供のことを考えている人なんかいないの。

 母はまだ、僕が桧凪と再会したこともこの病院で桧凪が働いていることも知らない。しかし、いつか絶対に気付かれる、という確信がどこかにあった。母がこの手のことに気付かなかったことなど、これまで一度もなかったから。

 ただでさえ母は桧凪が嫌いなのに、母より先に桧凪と会ったなどと知られたら何と言われるか分からない。

 口ごもった僕の思考を読んだかのように、藤木先生は言った。

「実は数日前、お母様が、浜名がこの病院で勤務していることをどこかでお聞きになったようで、事情を尋ねるために病院まで来られました」

「え…?」

 初耳だった。事情を話すだけでは済まなかっただろう。桧凪を糾弾する母の姿が容易に思い浮かび、罪悪感と羞恥心で先生の顔が見れなかった。

「すみません、母がご迷惑を」

「とんでもない。謝る必要はありません。納得いただけるまで説明するのは、医療従事者として当然のことです」

 頭を横に振る藤木医師に、すみません、ともう一度頭を下げる。

「気に病む必要はありませんよ。むしろ、納得していただくことはできなかったので、私たちの力不足をお詫びしなければなりません」

 いえ、そんな、と今度は僕が頭を横に振る番だった。母が無茶を言ったのは想像に(かた)くない。

 話を戻しますね、と先生が続けた。

「話し合いの中で、お母様は浜名さんに今後廣中さんに近づかないよう求めました。それに対して浜名は、自分から距離を取ることはしません、ときっぱりと言い切っていました」

 藤木先生が何を言いたいのか分からなくて、曖昧に頷いた。

「残念ながら、どんな選択肢を選んでも浜名がお母様に責められるのは変えられないんじゃないでしょうか。浜名側にも苦手意識があるようですし、お互いに意識を変えることは難しいと思います」

 その通りだ。何も言えず、俯く。

「どちらにせよ結果が変わらないのであれば、自分の好きな方を選んでも良いのではないでしょうか。私は、こっちを選ばないと面倒なことになるから、といった理由からの希望ではなく、この人に会いたい、という純粋な望みを教えていただきたいです」

 先生が口を閉じると、病室内は静けさに包まれた。もう一人の入院患者はいつ部屋を出て行ったのか、居なくなっていた。

「長話をしてしまってすみません。返事を急ぐことではないので、決まり次第、私か笹木に教えてください」

 それでは失礼します、といつものように一礼して、先生は去っていった。

 どっちと会いたいか、なんて決まっている。母と会ったところで、嘆かれ責められるのを聞き続けなければいけなくなるのは分かり切っている。何より、桧凪の悪口を聞かなければならないのはだいぶ気が重い。

 それにしても息子の友人に対して、近づくな、なんて、何故言えるのか。普通は、仲良くしてくれてありがとうね、とかじゃないのだろうか。

 僕が知っている中で、母が桧凪に、僕に近づくなと言うのはこれで二度目だ。一度目は、中学の頃。

 何の話をしていたときだったか。母が友人関係について尋ねてきたときか塾について尋ねてきたときだったか忘れたが、僕が話の中で桧凪の名前を出した。それまで機嫌の良かった母が、いきなり顔を顰めたものだから、焦ったのを覚えている。

 母は顔を顰めたまま、桧凪さんとはまだ交流があるの、と尋ねた。僕は恐る恐る頷いた。

 すると母は、溜息を一つ吐いて、桧凪さんと関わるのはもうやめなさい、と言った。なんで、と問うと、母はあっさり桧凪と会ったことを明かした。

 ──実は先日、偶然学校の校門のところで会ってね。そのときに、陽仁とは距離を取るようにお願いしたのよ。

 は?と不機嫌な声を出した僕に構わず、母は続けた。

「随分と弁が立つ勝気なお嬢さんだったわね。陽仁とは合わないと思うわ」

 そのときは余計なことをしたいでくれと冷たく言い捨てて部屋に籠り、数日間口をきかなかった、と思う。桧凪は何事も無かったかのように接してくれたから、そのことについて話した覚えはない。

 あの頃は、母にこう、と言われたことのうち、九割は言われた通りにしなければならなかった。

 だけどもう僕は決定権と責任を持ついい歳の大人だ。

 藤木先生に言われた通り、母はどちらにせよ文句を言うだろうし、それなら母の希望を考慮する必要なんて、ないんじゃないか。

 桧凪と話したい。心配させたことを謝りたい。なんで自傷行為をしてしまったのか、自分で説明したい。

 桧凪と会いたいとちゃんと言おう、と固く決意し、本に手を伸ばした。

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