真実
さらに翌日。その日も伊藤は仕事を休み、九条の睡眠を見守っていた。
前日同様、少しうなされた九条をすぐに起こすのが一度あったきりで、他に何も恐怖体験などはなかった。初めにあまりに強烈な思いをしすぎて、拍子抜けしてしまうぐらいだ。
その日、九条は昼に寝た後、『荷物を取りに行きたい』と言って、一旦自宅に帰宅することになった。伊藤は留守番して待っていると、一時間ほどして九条が戻ってきた。彼の手には、小包があった。
伊藤はちょうど小腹が空いたと思い、一人でポテトチップスを食べているところだった。
「それ、何ですか?」
ポテチに手を伸ばしつつ、伊藤は尋ねる。九条はどこか丁寧な動きでそっと小包を床に置くと、短く答えた。
「あなたが待っていたものです」
「……あ、もしかして」
ごくり、と唾を飲み込んで小包を見る。白い紙袋のような物にガムテープが巻かれており、ぱっと見普通の荷物だ。
一体何が入っているんだろう、と中身が気になったが、なんとなく聞いてはいけない気がした。
「えっと……それで、ついに決着、ですか!?」
「そうしたいのは山々なんですがね……」
興奮したように言った伊藤は、どうも歯切れが悪い九条を不思議に思った。準備が整えばきっとうまく行く、と自信を持っていたのは彼だというのに。
恐る恐る伊藤は尋ねる。
「何か、心配事でも……?」
「心配、と言いますか……少し状況が変わったので……言いましたが、私のやり方は浄霊です。その霊が持つ未練やしがらみを排除する。そして特技は霊と会話をすることです」
「はい、聞きました」
「円城寺綾子自身と、この二日間まるで会えてないんですよね。今回は特に、タイミングが重要なんです。綾子が現れた時に、瞬時に使いたかったのですが……さて、どう呼び出そうか……」
そうか、と伊藤は理解した。少し前までは、伊藤が寝ていると綾子は必ず九条の目の前に現れてくれた。九条はそのタイミングで何かをするつもりだったのだろう。
ところが、伊藤が標的から外れてしまったことで、彼が寝ていても綾子が現れることがなくなってしまった。九条が寝ている時に近くに来ているかもしれないが、伊藤には見えないし、九条が起きた時には姿が見当たらないらしい。
「呼び出す、とかは出来ないんですか?」
「残念ながら、私はそういう能力がないんですよね。例えば声がよく聞こえるタイプだとか、そういう相手なら呼びかけると来てくれることもありますが、綾子はそうじゃない。結局、私は一度も彼女の言葉を聞いてませんからね。私の言うことを素直に聞くタイプではないですし、困りましたね」
「うーん」
せっかく浄霊に必要な道具が手に入ったというのに、肝心の本人が現れなくなってしまった。これではいつまで経っても進めないではないか。
二人で考え込んでいる時だった。九条のポケットに入っているスマホに電話がかかってきたのだ。取り出して画面を見て、不思議そうにした。心当たりがない相手らしい。
「もしもし」
伊藤の耳に、相手の声が少し漏れてくる。一昨日の夜中に電話していた相手は若い女性だったと思うが、今回は違った。若い男性のようなのだ。仕事に関しての連絡だろうか。
しばらく電話が続きそうなので、伊藤が黙ってポテチを食べ続けた。すると、突然九条の声が普段より大きくなる。
「それはどういうことですか!」
聞いたことのない声に伊藤の手も止まった。九条は怖いほどの真剣な顔でスマホに耳を当てている。ただ事でない様子だけは感じ取れた。
(一体誰が、どうしたんだろう? 何かあったのかな)
お菓子を食べる手も止め、不安になりながら伊藤が待つこと十分。話が終わったのか九条の電話はようやく切れ、通話ボタンを押した彼は、やや呆然とした様子だった。スマホをしまうことなく握ったまま、一点のみを見つめている。
「く、九条さん、どうしました?」
伊藤が尋ねるも、彼は答えなかった。どこか思考が飛んでいるかのように、一人でぶつぶつと呟いている。
「もしや……それで憑いていた? でもなぜあの時急に……いや、そういえば……そう考えるとつじつまが合う?」
瞬きすらせずに一人で話している様子を見て、ただ事ではないと察し、伊藤は黙り込んだ。今は声を掛けてはいけない、そう感じたのだ。
しばらくし、九条は目を閉じて深い深いため息をついた。片手で目元を覆い、伊藤に言う。
「分かりました。これで恐らく全部」
「え……分かったって……綾子ですか? どうするんですか?」
九条は近くに置いた小包を手に取り、それを見つめる。
「恐らく、やはり当初から考えていた綾子の目的は合ってると思います。そして、これも多分有効です」
「それはよかったですけど、一体なにが」
言いかけた伊藤をそのままに九条は立ち上がる。ぽかんとしてついて行けていない伊藤に、九条は呼びかけた。
「伊藤さん、行きますよ。決着をつけに行きましょう」
「……へ」
そう言って九条は玄関へと向かって行ったので、伊藤も急いで後を追った。
一体誰から何の電話だったのか。綾子について何が分かったのか。これからどこへ行くのか。
一つも教えてもらっていない伊藤はまるで展開について行けてないものの、もはや九条についていくしか出来なかった。立ち上がるときにテーブルに派手に足をぶつけ、置いてあったポテトチップスが何枚か床に落ちてしまったが、それを拾う時間もなく、家から飛び出していった。
九条は長い人差し指を出し、インターホンを押した。反対側の手にはあの小包を抱えたままだ。隣には、伊藤がぽかんとした顔のままそれを見守っている。
在宅だったようで、しばらくして機械越しに返事があった。
『はい』
「突然申し訳ありません、九条です」
そう短く言うと、相手はすぐに駆け寄ったようで、こちらに向かってくる足音がパタパタと聞こえた。そしてガチャリと扉が開かれる。
「こんにちは、どうされましたか!?」
戸谷は驚きつつも、どこか嬉しそうな顔で出てきた。九条を見るなり、頬を少し赤らめたのが分かる。そんな可愛らしい仕草にも九条は全く顔色を変えなかった。
なぜ九条が戸谷の所へ来たのか、伊藤には全く見当がつかなかった。綾子について分かったことがある、と言って飛び出したのを追ってみれば、辿り着いたのはすぐ隣の部屋。綾子の被害にもあっていなそうな無関係の戸谷を、なぜ尋ねたのか。何か聞きたいことでもあるのだろうか。
「申し訳ありませんが、あなたにとても大事なお話があります」
「えっ、大事な……?」
「非常識とは分かっていますが、少し上がらせてください」
話がある、という言葉に、何かを期待したような顔をした戸谷だが、部屋に入りたいと言った九条の言葉を聞いて困ったように苦笑いした。
「突然ですね……すみません、散らかっていますから今はちょっと。どこか違う場所に行きますか? そうだ、近くにいいカフェが」
そう言いかけた戸谷を無視し、九条は半分開いていた扉を思い切り全開にさせた。そして、無言のまま戸谷を押しのけて中へ入っていってしまったのだ。
「く、九条さん! さすがにまずいです!」
伊藤が慌てて追う。何も状況を理解していないが、女性の家に無理やり上がり込む九条の行動が非常識であるということだけは分かった。彼を何とか止めようと無我夢中で短い廊下を抜ける。
「入らないで!!」
背後から戸谷の金切り声が聞こえ、その異様な様子に一瞬伊藤がたじろいだが、九条は気にも止めず、キッチンを抜け部屋へ続く扉をガチャリと開けた。
伊藤の部屋と同じ広さの十二畳。可愛らしい白を基調とした家具と小物。女性らしさがにじみ出る部屋には、一点普通ではない部分があった。
壁一面に無数の写真が貼られていたのだ。そしてその多くが伊藤の写真であることに気付き、伊藤はただ頭を真っ白にさせ唖然と部屋を見回した。カメラ目線の物はほぼなく、どう見ても隠し撮りされているアングルがほとんどだった。
伊藤以外にも、隅の方には他の男性と思しき写真もある。思しき、というのは、その男性の顔がマジックで塗りつぶされているからだ。怒りに任せたようにぐちゃぐちゃにされている写真の主が誰なのかは、九条にも伊藤にも分からなかった。
「え……なん、これ……」
伊藤は言葉にならず、パクパクと金魚のように口を開けているが、ある部分を見て一気に寒気が増した。部屋の隅の方に貼ってあった伊藤の写真も、いくつか顔が塗りつぶされていたからだ。彼女が自分にとんでもない憎しみを抱いていたのだと分かる。
伊藤はゆっくりと九条の方を見た。だが九条は驚いている様子はなく、むしろ納得したように一つ頷いた。
「やはり……これを見て確信しました」
「く、九条さん? これは、い、一体……」
「ずっと疑問に思っていたものがそれぞれ結びついた感じです」
そう言って彼は振り返ると、入り口付近に立っている戸谷を見た。彼女はさっきまでの可愛らしい女性とはまるで違い、恐ろしさを感じるほどの無表情で立っていた。まるで魂がここにはないようだ。
「と、戸谷さん……? 九条さん、どういうことですか」
「前から言っていましたよね。この土地に円城寺綾子が棲みついているとしたら、なぜ伊藤さんの部屋でだけ被害が出るのか……今は私にも被害が及んでいますし、関係性がよく分かりませんでした」
「は、はい、そうでしたね」
「円城寺綾子は伊藤さんの部屋に取り憑いているのではない。戸谷さんに憑いているんですよ」
伊藤は驚いて戸谷を見ると、まだ一歩も動かないままこちらを見つめている。




