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再会

「伊藤さん? どうしました?」


「差し入れくれたんですよ! ……これ、絶対九条さんに好意を持ってるですよ! 言ったでしょう! やっぱりモテますねー」


「私にではなく伊藤さんに作ったのでは」


「違いますって~もう、鈍いんだから」


 伊藤は鍋を見せながら笑う。だが、当の本人はちらりと見ただけで、興味なさそうに部屋へと戻ってしまった。伊藤は慌ててそのあとを追う。


「え、普通男なら喜びません? お隣の可愛い女の子から手料理を貰うって、漫画の王道設定っていうか」


「気持ちだけ受け取っておきます」


「食べないんですか?」


 きょとんとする伊藤に対し、九条は床に座り込んで頷いた。


「結構です。知らない人が作った料理は食べられません」


「そ、そういうものですか……」


 伊藤は複雑な気持ちになった。せっかく作ってくれたのに食べてもらえない戸谷の気持ちを思うと切なくなったからだ。とはいえ、九条の言い分も分かる気がした。これほど男前なら、今までもこういう経験が多くあったに違いない。


 伊藤は鍋を一旦テーブルに置いた。


「もしかして、こうやってあまり知らない女性からプレゼントされたりして、嫌な気持ちになったことがあるんですか?」


「そうですね……まあそういうこともありますが、基本的に私、親しくない人間を信じてないんです。人は裏で何を考えてるか分かりませんからね」


 過去に何かあったのかな、と伊藤は思ったが、親しくない自分がこれ以上詮索するのはだめだと思い、追及はしなかった。顔がいいと、いいこともあるがきっと大変なこともあるのだ。


 かくいう伊藤も、一般的に見れば圧倒的にモテる部類の人間なのだが。


「じゃ、九条さんってどんな人と付き合うんですか?」


「はあ……まあ一緒にいて苦痛を感じない人ですね。居心地のよさは重要かと」


「おお! なんか、まともっぽい答えだ!」


「まともな答えが返ってこないと思ってたんですね」


「だって九条さんならポッキーを美味しそうに食べる人、とか言いそうで。他は? こういう顔がいいとか、ここは譲れないとか」


「常識を持っていればそれでいいです」


 常識を持っていない男が何か言っている。事務所の戸締りをしっかりしないし、ポッキーばかり食べているくせに。


 そう思ったが伊藤は口に出すのはやめておいた。目の前の鍋の蓋を少し開けてみると、中は美味しそうなカレーが入っていた。その香りを吸い込んで、また蓋をする。


「まあ、でも知らない人を信頼できないっていうのは分からなくないです。じゃあこれは僕がいただきます」


「あなた食べるんですか?」


「だって僕からしたら知らない人じゃないですよ、何度も会って話したりしてるし」


「はあ……凄いですね。私ならその程度の知り合いでは無理です」


「ラインが厳しいなあ。とはいえ、今日は夕飯食べちゃってお腹いっぱいだから、朝ごはんにします。せっかく作ってくれたんだし」


 そう言って、彼はガスコンロの上に鍋を運んだ。九条は感心するように伊藤を見る。


「優しいですね。私をモテるだとか言いましたが、普通に見て圧倒的にあなたのような男性の方がモテると思いますよ」


「えー僕そんなにモテないですよ! 結構友達止まりですよ。女の子より幽霊に好かれるっぽいし……」


「それは否定できませんね」


「悲しい」


 残ったチューハイを飲みながら伊藤は呟いた。霊に好かれやすい体質だなんて、変な付加を神様もくれたものだ。


 だがふと、シルエットとはいえ霊の姿を見て、声が聞こえるという九条は自分と同じか、それ以上に大変なのだろうと思う。


 ちらりと隣の男前を見たが、彼は何も考えてなさそうにぼうっとしていた。変わった人だと思っているが、人と違う人生を歩んできたに違いないので、もしかするとこうならざるを得なかったんだろうか。


 九条という人は、未だに不思議だ。






 果たして眠れるだろうか、と伊藤は心配していたが、アルコールの力と疲れもあり、ベッドに入って少ししたところですんなりと夢の世界へと入った。近くに九条がいてくれる安心感もあるからかもしれない。昨日使用したシーツやタオルケットは、もちろん全て交換してある。

 

 その九条は、カメラの録画状態を確かめた後、壁によりかかって座っていた。昨晩より、少し眠そうな目をしている。彼は昼間に数時間睡眠を取ったとはいえ、二日連続の徹夜はさすがに体力的に厳しいのだろう。


 それでも、うとうとすることはなくしっかり目を開けているのはさすがとも言える。


 部屋は常夜灯のみついており、九条の目にはぼんやり伊藤の姿が映る程度の明かりだった。今のところ規則的な寝息が聞こえており、おかしなところは何もない。


 丁度零時を回ったころ、眠気で少しぼうっとしていた九条の耳に、微かな音が届く。彼はすぐに目を開き、すっかり冴えた頭で集中した。


 伊藤の寝息と共に聞こえる、何かがきしむような音。例えば、立て付けの悪い扉を開けた時の蝶番が出す音に似ている。


 九条は伊藤を見たが、今は彼のそばに何かいるようなことはなく、ぐっすり眠っているのが分かった。掛けているタオルケットも不自然なふくらみはない。


(聞こえる……)


 キイ、キイ


 高くて耳障りな音は定期的に聞こえてくる。じっと耳を澄まして音源がどこなのか考える。立ち上がり、足音立てないようにしてそろそろと部屋の中央に移動した。


 そこで、音がすぐ近くにあるクローゼットから聞こえることに気付く。


 部屋の隅にある白い両開きのクローゼットは、中々大きい。伊藤がそこから着替えやタオルなどを取り出すのを九条は見ていた。こんな夜中におかしな音を立てるものが入っているとは思えない。


 そっと足を踏み出し、クローゼットの前に移動する。やはり、中からはまだ音がしている。


 九条は取っ手を掴むと、躊躇なくそれを思い切り引っ張った。


 ガタンと音を立てて開いたその向こうに、黒髪がある。長い髪が垂れ下がり揺れていた。


 いや、揺れているのは髪だけではない。体全体がゆらゆらと揺れながら、少しずつ回転している。喉元には一本のロープがあり、それがクローゼットに備え付けてある銀色のハンガーパイプに繋がっていた。キイ、キイと音が響く。パイプがぶら下がる女の体重に悲鳴を上げている音だった。


 黒髪は顔全体を覆っており、目元は隠れているものの、隙間からだらりと伸びた赤い舌があった。


 見せているようだ、と九条は感じた。わざわざこんな場所で自分が死んだ姿を再現し、楽しんでいるように見える。悪趣味さに少し眉を顰めた。


「ここで何をしているんですか」


 九条がそう声を掛けると同時に、ふっと目の前の女が消える。だが、不穏な空気感は残ったままなので、すぐさま九条は振り返って部屋中を見回した。


 伊藤の近くにはいない。ではどこか? 視線を動かし、その姿を探す。


 ふと、すぐそばにある廊下へ通じる扉が気になった。向こうから何やら物音が聞こえる気がしたのだ。九条はドアノブを握り、その扉を開けた。


 キイイと音がして開いたと同時に、女の姿が見えたので足を止める。だが先ほどとはやや画が違う。女の横顔は生前の姿のまま、微笑みながら料理をしているようだった。


 キッチンは明らかに伊藤の部屋のままなのだが、明るくまるで昼間のような爽やかさを感じられた。


 とんとんとリズムよく包丁が物を刻む。それを今度は鍋に入れ、じゅうっと炒める音が響く。九条の鼻に美味しそうな匂いが届いた。気持ちよさそうな鼻歌が聞こえてくる。


 綾子は火加減を見ながら、独り言のように九条に話しかけた。


「カレー、好きだったわよね。私、得意だからたくさん食べて。あなたのために作ったの、あなたのためだけに作ってるの」


 九条はじっと綾子の横顔を見つめ、彼女が生前義雄のために作ったりしたのだろうか、と想像した。それを義雄に食べてもらえたのだろうか? 少なくとも、ストーカー行為をしていた頃は断れていたに違いない。


 綾子は手を止めずに続ける。


「私がいくらでも作ってあげる。だから、他の人のものは食べないでね。私の手料理だけを一生食べててね。絶対に他の物を食べたりしてはだめ。特に女が作った物なんて駄目よ。みんなあなたに色目を使っているんだから」


「私、カレーはあまり好きではないです」


 九条がきっぱりとそう言うと、綾子の手が止まった。同時に、ずっと聞こえていた炒める音も、いい匂いも消え去った。九条はなおも言う。


「それに、私は義雄さんではありません。あなたは義雄さんへの想いを未だに抱いているのですか」


 女が初めて九条の方を向いた。先ほどまでの穏やかな顔ではなく、瞳孔が開ききった黒い目で無表情のまま彼を見ている。


 九条がさらに続けようとすると、それより前に綾子が口を開く。そこから真っ赤な舌がだらりと垂れ、金切り声が飛び出した。耳を塞ぎたくなるような甲高い、嫌な音だ。怒りと拒否が入り混じった声だ、と九条は感じた。酷い声につい顔を歪める。


 すると再び、目の前から綾子が消えてしまう。今先ほどまであった昼の穏やかなキッチンではなく、しんとした夜中の真っ暗なキッチンに戻ってしまっている。


 イマイチ会話が成立しないことに、九条は顔を顰めた。一言でも向こうの意思を聞いてみたいのだが……。



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