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モテる男


 

 夜が訪れる。


 あれ以降、九条と伊藤は特におかしな経験をすることはなかった。九条はもう一度仮眠を取ったが、今回はうなされることなく目覚めた。


 すっかり気が滅入ってしまった伊藤をよそに、九条はポッキーを齧ってテレビを眺めたりと、信じられないぐらいリラックスした状態で過ごしていた。その様子に、伊藤も気が抜けたぐらいだ。


 とりあえず気を紛らわせるのと、夜に寝つきがよくなるように冷蔵庫からビールを取り出して飲み始めた。九条に勧めたが、彼はいらないと断った。


 伊藤はもはややけくそになりながら、どんどん酒を空けていく。


「あなた、意外と飲むんですね」


 ビール、それからレモンサワーの缶がいくつか空になったところで、九条が呆れたように言った。そんな彼の手には、やはりあの菓子がある。


「あーよく言われます。顔だけなら未成年なのにって」


「……」


「いいんですよ、正直に言ってください」


「まあ、初めて会った時は私も未成年かと」


 伊藤は少し笑う。


「そうなんですよ、どうも童顔なんですよねーまあ、慣れてるしいいんですけど。そういえば、九条さんって何歳なんですか?」


「二十六歳です」


「え!! 一つ上? 大人っぽいなー」


 伊藤はつまみのスナック菓子を食べながら目を丸くした。九条は顔も、それから慌てたりすることがない冷静さもあるので、自分とあまり年が変わらないということが驚きだったのだ。


「ずっとあそこで一人で仕事してるんですか?」


「はい。社会人になってからすぐに始めています。私にそのほかの仕事は無理だろう、と自覚していたので」


「あー……」


 伊藤はぼんやりと想像する。顔がいいし、多分頭の回転も速いので仕事は出来そうだが、いかんせん常識が欠如しすぎている。寝起きも悪いし、事務所の鍵は開けっ放しで危機管理はないし、コミュニケーション能力も高いとは言えない。


 確かに、普通の仕事が務まりそうにない。


「って! 僕明日仕事だ!」


 連続の恐怖体験ですっかり忘れていた事実を思い出す。この土日は心霊現象の調査で終わってしまった。


 九条はああ、と小さく声を出す。


「月曜日ですもんね。お仕事は何を?」


「H社で営業してます」


「それはまた大企業で……営業、という点は納得ですね。ぴったりです」


 九条は感心するように言ったので、伊藤はなんだか恥ずかしくなった。チューハイを煽りながらはにかむ。


「そうですかねえ?」


「今までいろんな人と出会ってきましたが、あなたほど適応力が高く、人と接するのが上手い人は見たことありません。霊に好かれやすい、というのも少し納得ですね」


 そう言って、九条は少しだけ微笑んだ。その柔らかな笑みに、伊藤は飲んだチューハイでむせ返りそうになる。彼が笑うのは珍しいことだし、何より男前の笑顔は破壊力がすさまじい。顔が綺麗だと、男同士でも見惚れてしまう。伊藤は必死に飲み込んだ。


 九条はぼんやりしながら言う。


「しかしそうですね、あなたはお仕事がありますね……調査はまずまず進んでいるので、伊藤さんは昼間はもうすべきことがないかもしれません。円城寺綾子を浄霊させる準備が出来たら、夜に実行することになると思います。あなたが寝ていると現れる可能性が高いので。準備には少し時間を下さい」


「じゃあ、その準備が出来るまでは一旦中断、ってことですか?」


 伊藤は不安な声を出した。


 ここ一か月、自分の住む部屋におぞましい女の霊がいるなどと知らずに暮らしてきたものの、いると知ってしまえば気味が悪い。今日は映像でそれを目の当たりにしてしまったからなおさらだ。自分は肉眼では見えないと分かっていても、ここで一人寝泊まりするのは辛いものがある。


 九条もその気持ちを察したのか、ポッキーを齧りながら考える。


「そうですね、あなたは友人の家に泊まるか実家に帰るか……ただ」


 一旦言葉を止め、少し眉間に皺を寄せる。


「果たして円城寺綾子は、この部屋から離れた人間についていくのかどうか、という点はまだ分からないんですよね。私まで憑かれているので」


「つまりは、友達の家に泊まりに行って、女がついてくる可能性もあるってことですか?」


「ないとは言い切れません。円城寺綾子については、まだ謎が多くあります」


 伊藤はがっくり項垂れる。深いため息をつき、九条に悲し気な声で言う。


「僕、いくら鈍感野郎だって言っても、あんな映像見た後に一人で夜を越えるのはいやですよ……」


「まあ、そうですよね。では、あなたが仕事を終えて帰るときには私に連絡をしてください。夜のみ、昨日のように撮影しながら見守るようにします」


「え! いいんですか!」


「ええ」


 ほっと胸を撫でおろした。九条がそばについててくれれば、こんなに頼もしいことはない。


「ありがとうございます。九条さんも大変ですね、調査が始まると休む間もないし」


「まあ慣れてるので」


「頼もしいなあ。モテるでしょう九条さん! これだけかっこいいし、頼りがいがあるし、僕が女の子だったら絶対惚れてます!」


「あいにく私、ノーマルで」


「だから女の子だったら、ですよ」


 伊藤は本気でそう言ったのだが、当の本人はあまりピンと来ていないようで、小さく首を傾げる。


「モテる……んですかね?」


「疑問形? この顔とスタイルってだけで女の子は惚れるでしょう」


「顔? そうなんですかね、自分ではよく分かりません」


 九条の言い方は、謙遜してるなどではなく、本気で分からないという顔だったので伊藤は驚く。このレベルのイケメンで、自覚がないとは一体どういうことだ。


「だって戸谷さんも、明らかに九条さんに見惚れてましたよ!」


「そうですか? 得体のしれない人間を不審がっていたのでは」


「いやまさか」


 そう言いかけたとき、部屋にインターホンの音が鳴り響いた。時刻は二十時過ぎ、一体誰だろうと伊藤が玄関に出て見ると、なんというタイミングか、隣人の戸谷が鍋を持ってそわそわしながら立っていた。


 彼女は手に小さな鍋を持っており、作りすぎたからぜひ九条と二人で食べてほしい、と言って伊藤に手渡した。その時の彼女の顔は恥ずかしそうに、でも勇気を振り絞ったような顔で、伊藤は即座に察した。ああ、やっぱり朝九条に会った時、一目ぼれをしたんだろうなあ、と。


 九条を呼ぼうかと思ったが、恥ずかしさからか戸谷はすぐに隣の部屋に戻ってしまう。その直後に、九条が部屋から顔を出してきた。


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