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鏡の中には



 昼食を食べて行けばいい、という小川氏の誘いを丁寧に断ると、二人は家を後にした。そのまま近くのコンビニまで歩き、切手を購入する。前住民の荒巻に手紙を出すためだ。ちなみに九条はポッキーも買った。


 無言のままマンションに戻り、部屋に入ると、二人ともぐったりした様子で床に座り込んだ。九条は買ってきたばかりのポッキーを袋から出し、早速齧りつく。一息つきながら彼は言う。


「やはり土地でしょうね」


「ここにいるのは円城寺綾子さん、ってことですか……」


「可能性としては高いかと思います。早速ですが手紙を書いて出しましょう」


 九条がそう言ったので伊藤が部屋にある引き出しから便箋と封筒を取り出した。ボールペンを持ち、テーブルに広げる。


「僕書きますね」


「お願いします」


「内容は九条さんが考えてくれますか」


 九条は手紙にする文章を口にし出した。一体どう切り出すのかと伊藤は疑問に思っていたが、彼は正直に『部屋で不可解な現象を体験しているが、あなたの時はどうだったか知りたい』と告げたので驚いた。


「え、そんな正直に書いちゃうんですか? 怪しまれません?」


「怪しいでしょうね。でも突然知らぬ人間から手紙が来る時点で怪しいでしょう。探るような文面より、正直に話した方がいいです。それに、荒巻さんも何か体験していた可能性が非常に高いので、伊藤さんの状況を記しておいた方が共感して返事をしたくなると思います」


「あ、なるほど……」


「まあ、関わりたくないと思うならスルーするでしょうね。ダメもとで出すだけです。あ、電話番号も書いておいてください」


「分かりました」


 伊藤は九条に言われた通りに文を書いていく。時折固すぎる九条の言い回しを分かりやすく訂正し、最後に忘れずに連絡先も記しておく。


 そして手紙を入れた封筒には、荒巻の名前をしっかり書いた。


「さ、完成です」


 伊藤が封をしてそう言うと、じっとそれを見つめる九条に気が付いた。何やら真剣な眼差しで、不思議そうな顔をしている。


「どうしましたか?」


「……いえ、なんでもありません。出しに行きましょうか」


「あ、僕出してきますよ。九条さん、少し寝てたらどうですか? 徹夜明けですし……休んだ方がいいですよ」


 夜通し伊藤を見守り、朝から情報収集をしてくれた九条の体力が心配だった。本人の顔からは、眠気も疲労も全く感じないが、普通の人間ならかなり辛いはずだ。


「そうですか……では任せてもいいですか。夜になってあなたが寝れば、また起きて観察しなくてはならないので」


「ぜひ今のうちに寝ておいてください! 抵抗がなければベッド使っていいですよ! あ、そうだ新しいシーツに変え」


「ではお言葉に甘えて」


 言いかけた伊藤を遮り、九条はあっさり頷いて伊藤のベッドに入ってしまったので驚いた。昨日会ったばかりの人間のベッド、しかも昨晩は得体のしれない女の霊が入り込んだベッドに寝るなんて、メンタルどうなっているんだ。伊藤は信じられない気持ちで九条を見るが、当の本人はすでに目を閉じている。


(まあ……慣れてるのかな、お化けに)


 自分とは生きてきた世界が違う人間だ、と改めて感じて納得させると、手紙を持って静かに部屋を後にした。





 手紙を送った後、近くの弁当屋で総菜を購入した。そろそろ昼食の時間だったからだ。九条は眠っているので、あとで食べてもらえばいいかと考えながら帰宅する。


 そうっと玄関を開けて中に入ると、九条が眠っている姿が目に入った。すっかり熟睡している。伊藤は買ってきた食料をテーブルに静かに置き、彼がおいたままのポッキーの箱を片付ける。


 いつ起きるか分からないので、先に食事を取った。購入してきた鶏肉と野菜の黒酢和え、それからおにぎり。一人でもぐもぐ咀嚼しながら、こんな時でも人間はお腹が減るんだなあ、なんてことを考えていた。


 そのあとは九条を起こさないようにスマホを見たりして時間を過ごしていく。一応、綾子の事件がどこかに書き込まれたりしていないか、SNSなどはないか調べてみたが、特に何も見つからなかった。


 時折他の住民の生活音が聞こえてくるぐらいで、部屋は静寂を保っている。


 しばらく経ったところで、小さな音が微かに聞こえた。


「う……ん」


 ふと横を見てみると、九条の口から漏れた声だったようだ。寝言だろうか、と気にせずにいたが、その声が繰り返し聞こえることが気になってそばに寄ってみると、九条が顔を顰めていることが分かった。苦しそうに眉間に皺を寄せ、唸っているのだ。


 額に少し汗が浮かんでいる。外は夏日とは言え、家の中はエアコンがつけっぱなしで適温だ。さらに九条は嫌がるように首をゆっくり横に振る。彼は酷くうなされているのだ。声を掛けた方がいいだろうか? でも九条は少し声を掛けたぐらいでは起きないので、いっそ氷でも持ってきた方がいいだろうか。


 少し迷った伊藤だが、次に九条が自身の首に手を置き、何かを取ろうとするように引っかいたのを見てハッとする。不快そうにがりがりと爪で皮膚を掻き、彼の首に赤い筋が出来る。


……まさか。


 伊藤はすぐに大声をあげた。


「九条さん! 九条さん!」


 呼びかけに、九条はカッと目を開けた。伊藤の方を見ることもなく、息を乱しながら、しばし呆然とした様子で天井を見つめている。案外すぐに目を覚ましたことに伊藤は少しほっとした。


「大丈夫ですか!? 凄くうなされてて」


 伊藤の声掛けに彼は答えず、ゆっくりと自信の掌で額の汗を拭った。そして上半身を起こすと、静かに自分の首に触れる。


 そして次の瞬間、何かを察したようにベッドから飛び降り、すぐさま洗面所へと駆け出した。尋常ではないその様子に、伊藤は後を追うしか出来ない。


 九条は洗面所で鏡に自分の姿を映し、愕然としていた。


「なぜ……」


 そう呟き、首に触れたのを見て、伊藤は状況を把握する。予想外のことに、震えた声を出した。


「え? ま、まさか九条さん……嘘でしょう!?」


 九条は目を見開いて鏡を凝視する。


 そこに映る自分の首に、一本の髪が巻き付いているのが見えた。






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