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証言

「戸谷さん、おはようございます!」


 伊藤が挨拶をすると、戸谷はふわっと微笑んだ。


「伊藤さん、おはようございます」


「お出かけですか?」


「モーニングでも行こうかと思って。私、一人でモーニングに行くのが好きで」


「へえー! いいですね。おすすめのお店があったら教えてくださいね」


「はい、ぜひ。お友達ですか?」


 戸谷は九条を見上げてそう尋ねた。その視線は、どこか恥ずかしそうな、それでいて熱っぽい感じがした。伊藤はすぐにその気持ちを理解する。


(九条さん、イケメンだからなー)


 初めて会った時、男である自分ですら見惚れてしまったほどだ。女性なら、こんなかっこいい人物を放っておかないだろう。


 伊藤はニコッと笑い、話に乗る。


「はい、友達なんですよー! ちょっと事情があって、昨日からうちに泊まってもらってるんです。騒がしかったらすみません!」


「いえいえ、全然静かでしたから」


 戸谷は九条を見てにっこりと笑う。可愛らしい女性なので、ぱっと見は九条とお似合いの二人に見えるが、九条は愛想笑いすら返さなかった。そして、唐突に尋ねる。


「ここに住まれて長いんですか?」


 世間話もなしか、と伊藤は呆れたが、九条にそんな器用なことが出来そうにないのは想定内だった。戸谷は特に気分を害することもなく答える。


「私、ここが完成した時からずっと住んでるんですよ。なのでえーと、五年経ちますね。あの頃は学生でした」


「住み心地はいいんですか」


「ええ、住みやすいですよ。まあお金に余裕が出来たら、もっと広い所に越してもいいかもとは思いますが、でも十分満足してます」


「伊藤さんの前にはどんな人が住んでいたのか、ご存じですか?」


 九条の質問に、戸谷は一瞬不思議そうな顔を見せた。前の住民について質問されるなんて、怪訝に思うのが普通だ。


 それを見た伊藤はすかさずそれらしいフォローを入れる。


「ついさっきまで、夜通し二人でホラー映画見てたんですよー! ほら、事故物件扱うやつ。そしたらなんか僕ビビっちゃって、この家の前の人のことを気にしだして……知ってますか? 不審死とかじゃなければ、不動産屋に告知義務ってないんですって!」


 昨日九条から聞いた知識を、早速利用させてもらった。戸谷は驚いて目を丸くする。


「そうなんですか?」


「らしいですよ! 自然死なら告知されないらしいです。その点、戸谷さんは安心ですね。だって建った頃から住んでるから」


「確かにそうですね、私は一番安心ですね」


 戸谷はふふっと笑い、すぐに柔らかい声で答えた。


「でも安心してください。伊藤さんの前に住んでいた方で亡くなった人はいませんよ。前に住んでたのは社会人の男性でした」


 戸谷の話によると、隣に住んでいたのは荒巻和重という三十歳ぐらいの男性一人ぐらしだったようだ。


 何度かすれ違って挨拶をしたことがあるのだが、戸谷が知らぬ間にいつの間にかいなくなっていたそうだ。それに関しては、よくあることだ、と九条も伊藤も思った。現代では昔ほど近所付き合いをしなくなっているので、戸建てや購入したマンションならともかく、賃貸のマンションで伊藤のように引っ越しの挨拶に行く方が珍しい。


 そこまで言った戸谷は、思い出したように言う。


「でも、引っ越すの早かったんですよね。うーんと……二か月ぐらいでいなくなっちゃんだっけ」


「二か月、ですか?」


 九条の声が低くなる。戸谷は頷いた。


「確かそれくらいです。お仕事の都合だったんでしょうかね?」


「ちなみにですが、その荒巻さんの前にはどんな方が住んでいたか覚えていますか?」


「ああ、その前は女の人でしたよ! 私より少し年上の綺麗な人で……その人はずっと長く住んでいましたね。引っ越しする前は立ち話でですけど、結婚するからって聞いたことあります。あ……そういえば、さらにその前はまた男性だったんですけど、その人も結構早く引っ越していったなあ」


 伊藤と九条は顔を見合わせた。戸谷は記憶を探るように天井を見上げる。


「そうだそうだ、私と同じで建った直後に入ったんです。それも社会人の男性の一人暮らしで……でも、ほんの数か月でいなくなったんです。私は初めての一人暮らしでのお隣さんだったから、印象に残ってるんですよ」


「つまりは伊藤さんの前にここに入った人は合計三名で、なぜか早くにいなくなった方もいる、というわけですね」


「そうですね……あ、でも変な事件はないですし! たまたまだと思いますよ~だって、女の人は何年も住んでましたしね。ホラー映画とか見ると、確かに色々気にしちゃいますよね」


 戸谷は明るく笑ったが、伊藤は愛想笑いを作るのに必死だった。九条は表情を険しくさせ、じっと考え事をするように黙り込んでいる。


 戸谷の話を総括すると、『男はすぐにこの部屋からいなくなっている』ということになる。


 それは間違いなく、今訪ねてくるあの女が原因ではないか。女性に対しては執着しないのではないのだろうか。男性のみ、被害に遭う。そう考えればつじつまが合う。


 九条がさらに質問をした。


「あなたの反対側の隣人や、他の住民はどうですか? 出入れが激しいと感じたことは」


「私のお隣さんは同棲してるカップルみたいで、かなり長く住んでますよ。他の部屋では特に引っ越しが多いとか感じたことないです。だから伊藤さんの前の人も、何か事情があっただけで、おかしなこととかはなかったんだと思いますよ!」


 戸谷は励ますようにそう言ったが、伊藤たちはすっかり静かになってしまった。伊藤は完全にショックを受けているし、九条は考え事をしている。


 戸谷は気づかないのか、そのままのテンションで続けた。


「そういえば、私夜は暇してるので、また映画とかお二人で見るなら誘ってください! 飲んだりとかします? 混ぜてもらったら楽しそうだなーって」


「あ、ははは……そうですね、機会があれば……今夜は二人で仕事をしようかと思ってるので……」


「あ、そうですか~もし時間があれば、誘ってくださいね」


 戸谷は可愛らしく笑って二人に手を振り、その場からいなくなった。普段なら、その女性らしい仕草に伊藤は微笑んでいただろうが、あいにく今はそんな余裕はない。

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