第一羽 恋愛ってなんだ
『恋愛。それは、お互いに恋をして愛を感じるようになることである』
辞書のとある1ページの片隅に記載された文章を細い目で小時間睨みつけ、俺はため息混じりに天井へと視線を移した。
「やっぱり、俺には縁のない話だな」
「えへへ、本当にそうかな〜!?」
というのも、話は数刻前に遡る。
「じゃあね〜雉島くん! また明日!」
「雉島くんばいばーい!」
終業を告げるチャイムが鳴り、部活やら帰宅やらで生徒たちは次々と教室を後にする。まだ入学してから日の浅い俺たちは、女子生徒たちの黄色い声を浴びながら鞄に用具を詰めていく。
無論、浴びているのは俺ではなく、隣で天使のような微笑みで手を振る赤毛なのだが。
「理火……毎日毎日大変そうだな」
「ん? そんなことないよ?」
雉島理火。俺の中学からの友人で、高身長赤髪マッシュの好青年。端正な顔立ちは勿論のこと、それを鼻にかけることもなく、誰にでも分け隔てなく接する最強人間。
羨望や嫉妬を通り越して恐ろしい。本当は妖怪の類なのではないかと疑うレベルの聖人の理火は、不貞腐れたような俺の睨みをものともしていないかのように柔和な視線を合わせてきた。
「挨拶はコミュニケーションの基本だしね。錬磨もやってみたらどうだい?」
「馬鹿言え。アイツらの目的はあくまでお前であって俺じゃねえよ。入学早々『勘違い野郎』としての異名が独り歩きするのはゴメンだ」
「そんなこと誰も思わないと思うけどなぁ」
「イケメンに理解は無理だぞ」
理火はやれやれと言った様子で後頭部に手をやり、俺に「早く帰ろう」と促す。俺……鷹取錬磨のネガティブ節に何年も付き合ってくれている分、本当に優しい奴なんだなぁと心で思う。ついでに、ゴメンとも。
「錬磨は天邪鬼だしね」
「は?」
「ううん、ほら先行くよ」
俺たちは自宅の方向が途中まで同じため、急かされるようにして俺は理火の後を追う。
理火と俺は互いに一人暮らしなのだが、生活水準が大きく異なる。理火の住むアパートは学校からはそう遠くない住宅街に位置し、俺の自宅は……その、色々あって曾祖父の遺した神社の横にある一軒家だ。住宅街を抜けた奥の林にひっそりと佇んでいるため、学校からは結構遠い方だと思う。少しだけ贅沢できている点では、俺の方が生活は楽だと言えるな。
夕焼けの下、肩を並べて岐路を行く俺と理火。今日もなんら変哲のない日常が流れていたはずだが、何故だか帰り際の女子生徒の表情が脳裏に焼き付いていた。
「なあ理火。さっきの奴ら……絶対お前に恋してたよな」
「えっ? そうかな?」
「どう見てもそうだろ。鈍感なモテ男は罪だぞ」
「そんなことないと思うけどなぁ」
ただの嫉妬。そんな話がしたい訳では無いのだが。理火は後頭部に手を当て、困ったように口を歪ませた。
「どうしたんだい。錬磨がそんな話を振るなんて珍しい」
「いや……別にどうって訳ではないんだけどな。ただ、恋愛って何なんだろうって」
「急に哲学的な。女の子と縁が無さすぎておかしくなっちゃった?」
「やめろイケメンからの煽りは普通に効く」
「ごめんごめん。うーん……僕は恋をしたことが無いから分からないけど、恋心を持ったり持たれたりすることが恋愛なんじゃないかな。だから錬磨の理論だと、僕はたくさん恋愛をしているのかも」
「罪な男だ」
「僕自身、誰かを好きになったらその子以外目に入らないけどね」
こっちは選択の余地すらないのによ。そんな言葉は飲み込んでおこう。だって、俺と理火に魅力の差があるのは仕方ないから。俺の前髪は目にかかるくらい伸ばしており、身長も平均より少し高い程度。何よりコンプレックスなのは一目で「犯罪者だ」と思われるような鋭い目。恋愛だなんだと吐かしてはいるが、俺にとって友人も死活問題ではあるため、理火は失いたくないからな。
「恋心を持ったり持たれたりが恋愛か……そうか……」
「何遠い目してるんだい。もしかして何かあった?」
「イヤナニモ」
「……まあ、一応辞書とか開いてみたらどうかな?」
ということで、俺は帰宅後に辞書を開いた。
結果、理火は恋愛についての見解を間違えていたらしい。とりあえず一安心だ。
何故安堵しているのかって? それは……。
「大好きっ錬磨っ!」
昨夜から勝手に住み着いている、割と可愛くてバカなアヤカシが求愛してきているからだ。
透き通るように綺麗な白髪を背中まで伸ばし、男子高校生の目には毒として映るような豊潤な丘を俺のぶかぶかなシャツの下に携えている、女の子。彼女はアヤカシと呼ばれる、この世ならざる存在であるが、名前は鷺ノ宮有栖と言うらしい。アヤカシにも名前はあるんだな。下着は……正直この角度では認識できない。立てばハレンチ座れば卑猥、歩く姿はみだれ髪。
……ん? 少し違うか?
部屋に入ってくるなり、両手を広げて飛び込んでくる有栖の顔を片手で押さえる。
「近寄るな」
「んむうぅっ!」
有栖はぱたぱたと行き場を失った両手を振るい、それでも近づこうとにじり寄ってくる。顔を押さえている俺の手には冷たい感覚が……コイツ、鼻水垂らしてやがるな。
「むむむむむむむぅうぇんまぁあ」
「誰が閻魔だ。わかったから一旦止まってくれゾンビ有栖」
「むぅぅ…………あい!」
「よろしい。じゃあそこでステイ」
「あいあいさー!」
さてこの可愛くてバカで従順なゾンビ犬……じゃなかったアヤカシについてだが。
俺たちが対面したのは昨夜。霧霞む満月の夜の出来事である。