第五話 徐々にでもいい、この世界のことを知ろう
あれから数時間が経過し、また部屋の扉が開いた。
すると、先程の母親(仮)と、また見覚えのない一人の女性が入って来た。
茶色の髪をルーズサイドテールにして、桜色の瞳をした女性。
多分、歳は二十代後半くらいだと思う。
この女性は白衣を着ていたので、恐らく医者かな?
そういえば、確かお医者さんに診てもらおうって言ってたな。
なら、この人がそのお医者さんで間違いなさそうだ。
だって白衣着てるし。
僕は咄嗟に上体を起こし、腰から上体を倒して頭を下げて、二分程たったら上体を起こした。
そう、皆さんご存知であろう。お辞儀だ。
これは相手が誰であろうとも行う儀式みたいなもので、挨拶という。
ただ、この世界のことはまだまだ知らないことだらけ。
だから、もしかしたらマナーも異なるかもしれない。
それに、本来であれば言葉にして気持ちを伝えたいけど、多分さっきみたいに四文字ぐらいしか言葉を発することしかできない。
恐らくこの体はまだ声帯が未発達の状態なのだろう。
なので、無理に言葉を出すのは極力避けたほうが良さそうだと思った。
だから、今僕が出来る最低限の形できちんと礼儀正しく接しよう。
なぜなら、第一印象はとても大事だからね。
最初の印象で相手に与えてしまうことはとても多い。
僕はそのことを痛いほど分かっている。
いや本当に。ほとんど後悔でしかないけど。
すると、僕の行動を見た医者も腰から上体を倒して頭を下げて、二分程たったら上体を起こした。
そう、僕と同じお辞儀だ。
良かったー。
どうやら、この世界でもお辞儀は通用するらしい。
僕は内心、間違っていたらどうしよう、という不安しかなかったので、合っていたことに少し安心した。
「あらあら〜。きちんと挨拶が出来て偉いわね。おばさん感心しちゃうわ」
医者は僕の近くに来て、置いてあった椅子に座りながらそう言った。
よし、どうやら医者には好印象のようだ。
けど、母親(仮)は何やら不思議そうな表情を浮かべていた。
しかも、右手を右頬に当てて首を傾げている。
どこか変だったのかな?
「え、ええ。でも変ですね。挨拶の仕方はまだ教えていないはずなのに。一体どこで知ったのかしら?」
あ、やばい。
確かによく考えてみれば、まだ何歳なのか分からないけど、こんな小さな子供が挨拶なんて知っているはずがない。
僕は焦った。しかもとんでもなく。
恐らくこの時の僕の顔には、動揺という文字が浮かび上がるほど、動揺を隠せてなかったと思う。
僕は何かないかと思い、周りを見渡した。
多分この行為すら不思議に思われていると思う。
けど、それを頭では分かっていても、気にする余裕はなかった。
そして、僕はついに右側に設置してある机の上の一冊の本を見つけて、咄嗟に指を差した。
その本には、『挨拶をきちんとしよう』と書いてあった。
二人は僕が指を差したその本を見て、笑みを浮かべた。
「あらあら、まあまあ。なるほど。この本で知ったのね。本当に偉い子ね〜」
医者は顔の前で両手を合わせ、少し右側に傾けていた。
「もう、浸夜ったら。ビックリしたじゃない」
母親(仮)は安心したらしく、胸を撫で下ろしていた。
よし、良かった。
どうやら僕が伝えたかったことは分かってもらえたらしい。
僕は安心して、吐息をついた。
まあ、よく考えてみたら、そもそもその本をどうやって読めるんだって話なんだけど、どうやら二人とも疑問に思ってないみたいだから良しとしよう。
医者は僕をひとしきり褒めた後、一度大きく深呼吸をして気持ちを落ち着かせた。
「おほん、改めまして。まず最初に自己紹介から始めるわね。初めまして、私は花守蕾咲。梅花病院で医者をやってます。よろしくね」
僕はその医者、いや花守さんに向かって頷いた。
けど、僕は少し疑問に思い、顔を顰めた。
『花守蕾咲』か。
この世界に転生して初めてフルネームを聞いたけど、名前からして明らかに日本人だよな。
そういえば、母親(仮)も僕のことを『浸夜』って呼んでたし、なら恐らく僕も日本人だ。
それに、今更だけど言葉も理解できている。
つまり、言語名は異なるかも知れないけど、この世界も前世と同じ『日本語』だ。
ということは、恐らくこの世界は限りなく前世に近い世界なのだろう。
「じゃあ、診断を始めましょうね」
花守さんはそう言って、右手に持っていた鞄から何やら器具のようなものを取り出した。
そして、ついに花守さんによる診断が始まった。
この世界の検診ってどうなことをするのか気になっていた僕は、内心ドキドキしていた。
けど、このドキドキは、決してワクワクではなく、ビクビクの方。
そして、花守さんは僕の口の中をライトで照らしたり、前世の世界でいうところの体温計のような物、というかまんま体温計で体温を測ったり、聴診器で心音を聞いたり、と僕が知っているごく普通の診断内容だった。
なんだ、前世と何も変わらないのか。
まあ、これで得体の知れない器具で体を隅々まで検診されるよりかは全然いいけど。
僕は安心しつつも、何か期待を裏切られたような気持ちになった。
一通り検診を終えた花守さんは、安心した表情を浮かべていた。
すると、母親(仮)に向かって、
「うん。特に体に異常はないみたいですね」
と報告。
「そうですか。何もなくてよかったです……。本当に」
「ただ、まだ何が起きるか分かりません。なので、無理がない程度なら問題ありませんが、なるべく安静にさせてくださいね」
「は、はい! 分かりました」
とにかく問題ないことが分かって、母親(仮)も安心した表情を浮かべていた。
そんな母親(仮)の表情を見て、僕も同じように安心した表情を浮かべた。
その後、花守さんは検診で使用した器具を専用の鞄にしまい、立ち上がった。
「では、私はこれで失礼しますね」
「先生、今日はありがとうございました」
「いえ、また何かあればご連絡ください」
そう言うと花守さんは扉に向かって歩いた。
「はい、分かりました」
だが、何故かドアノブに手を掛けて扉の前で立ち止まった。
「あ、そうだ。浸夜くんのお母さん。今日、試験闘技場で冒険者資格試験を実施するそうですよ。もしお時間があるようでしたら、お子さんの浸夜くんと一緒に見に行ってみてはいかがですか? 浸夜くんにとっても、きっといい刺激になると思いますよ」
「あー、もうそんな時期ですか……。そうですね、あとで一緒に見に行ってみます。ありがとうございます」
母親は何故か浮かない表情を浮かべていた。
「いえ、では失礼します」
花守は笑みを浮かべながら、最後に僕に向かって手を振ってきたので、僕も咄嗟に手を振り返した。
自分の中では笑顔のつもりだったが、恐らく無表情だと思う。
まあ、いっか。
多分行動から気持ちは伝わっているはずだ。
花守さんは部屋から出て行き、母親も花守さんに続いて部屋から出て行った。
僕は一人になって静かになった部屋で、今分かってることを整理した。
まず、この世界に住んでいる人は『日本人』で、使用言語は『日本語』だ。
まあ、今あった人はそうだったけど、もしかしたら他の人達は違うかもしれないけど。
そして、衣服は少し異なるけど、医者が白衣を着ているっていうのは前世と同じだ。
あと、診断内容も前世と同じ。
それに、花守さんの言葉ではっきりしたけど、やっぱりあの女性は僕の母親だったようだ。
うん、徐々にだけどこの世界のことが分かってきたぞ。
この調子で、僕が転生したこの『浸夜』っていう子供についても知っていこう。
とりあえず分かっているのは、恐らくこの子供は長い間眠っていて、僕が転生したと同時に覚醒したんだ。
あの母親の反応からそれだけは分かった。
てか、さっき花守さんが言っていた『冒険者資格試験』ってなんだろう?
まあ、あの様子だと母親も知ってるみたいだったし、結構有名なんだろうな。
とにかく早く見てみたいな。
どんな感じなのか気になるし。
とりあえず、それが現時点での第一の目的だ。
僕は心なしかワクワクしていた。




