第三話 陰キャを極めた男の勇気
僕はその女性を見て驚愕した。
それは、白色のフードを深く被った女性。
それだけなら特に問題はない。
ただ白色のフードを深く被った一人の女性が、朝早くから歩道を歩いているっていう普通の出来事。
けど、僕が注目したのは、その女性が着用していた制服。
なぜなら、その女性は僕が通っている中学校と同じ制服を着ていた。
一応言っておくが、決して僕が『陰キャ』すぎて驚愕している訳ではない。
流石にそこまで重症じゃないよ?
多分。
なにせ、この道を通る同じ中学校の生徒を初めて見かけたんだ。
なら驚愕して当然だろ?
幻聴か、うんっという声が聞こえた気がした。多分幻聴。
僕は咄嗟に歩幅を狭めて、歩く速度を落とした。
このままでは前方を歩いているその女性に追いついてしまうと直感したからだ。
もし、前にいる女性に追いついてしまったら、気持ち悪がられるかもしれない。
そう思っただけで胃を刀で刺されたみたいに痛くなった。
そして、僕はまた下方に目線を向けた。
けど、これはあれか?
もしかして、友達になれるチャンスなのでは?
そんな淡い期待が脳裏を過った。
というのも、僕はずっと考えていた。
自分から何もしなくても自然に友達ができて、自然に彼女ができて、きっと色彩やかな青春を送るのだと。
そう思っていた。
けど違った。
ついに僕は気がついたんだ。
このままでは駄目だってことに。
今まで思っていたことは、僕の身勝手な幻想にすぎないということに。
だから、もう幻想は辞めた。
そして、これからは変えていく。
変わりたいんだ。僕も。
色々考えて、経験して、やっと答えを導き出せた。
それは、『自分から何かを行動しないと、何も変わらない』ということ。
これが、今までの人生経験から導き出した答え、僕の決意だ。
もちろん、またあの時(十二歳の時)と同じように、誰かを、何かを失ってしまうかもしれない。
その考えは消えないし、それは今でも怖い。
けど、このまま自分から何もしないで、ただ平凡な日々を過ごし、今まで通り白色の、単色の日常を送り続けるはもっと怖い。
しかも、他には誰もいなくて、僕とその女性しかいない。
今しかない。そう思った。
「よしっ……!」
決意は固まった。
早速、僕は歩幅を広げて、歩く速度を少し速くした。
前の女性に追いついて、声をかけるためだ。
あわよくば、友達になりたい。
ちょうどその頃、女性は待っていた歩行者用信号機が赤色から青色に変わって、横断歩道を渡り始めたところだった。
今の歩く速度だと、多分女性が横断歩道を渡り終えたぐらいに追いつけると思う。
「……ん?」
僕はあることを疑問に思い、不意に声を漏らした。
それは、前方右側から一台のトラックが猛スピードで走っていたことについて。
さっき言ったように、今は歩行者用信号機が青色。
ということは、車両用信号機はもちろん赤色、つまり『停止』だ。
となれば、車の速度を落とすのが普通だろう。
これは車の免許を取得していない中学三年生の僕でも分かる。
ごく常識的なことだ。
しかも、トラックは徐々に左側に寄り始めた。
僕が今いる場所からではトラックの運転手の姿がはっきりと見えないため、運転手の身に何が起こっているのかは分からない。
けど、これだけは分かる。
これは異常事態だ。
しかも、このままでは前方にいる女性に間違いなく突っ込む。
女性はまだトラックに気づいてない。
おいおい、やばい。
このままだと、あの女性はトラックに轢かれてしまう……。
もし轢かれてしまったら、おそらく助からない。
死んでしまう。
そう思った。
と同時に、僕の脳裏に浮かんだ。
それは……。
――助けたい。
その瞬間、体が勝手に動いていた……。
無我夢中で走った。
自分でも驚くほど、必死に。
何故か走れた。
例え、足が捥げても、それでも走れって、そう自分に言い聞かせた。
僕がどうなろうと、絶対にあの女性を助けたい。
本気でそう思った。
なんで?
そんなの決まってる。
後悔したくないからだ。もう二度と。
あの時(十二歳の時)のことを、二度と繰り返したくないから、だから助けたい。
今助けなかったら、絶対に僕は後悔する。
そして、きっともう前を向けない。
向けたとしても、そこにはもう何も残っていない気がする。
だから僕は走る。
僕がどうなろうとも、必ずあの女性を助ける。
トラックと女性との距離が残り数センチまで迫っていた。
僕は女性を前に押し出そうと、左手を前に突き出した。
そして、女性の背中に触れた。
――その瞬間、目の前が真っ黒な影に包まれた……。
え、なんだ。なにが起こった。
何も見えない。真っ暗だ。
さっきまで眩いほどの陽光が射していたのに、その陽光さえも全くない。
誰かに助けを呼ぼうと久々に大声を出したつもりだったが、声が出ない。
もしかして、日頃から親としか会話しないから、声帯が老朽化したのか?
……いや、そんなことあるか。
ていうか、声帯って老朽化するの?
って、なに意味分からないこと考えてるんだろ。
それに、そんなわけないし。
とにかく、全く声が出ないのは明らかにおかしい。
しかも、気のせいかな?
なぜか全身の力が抜けていく感覚がする。
いったい何が起こっているのか訳が分からない。
まさか死んでいるわけでもあるまいし。
……。
……もしかして、僕はもう、死んでいるのか。
僕の脳裏に最悪が過った。
死の予感だ。
正確には死ぬ一歩手前ってところかな。多分。
それを裏付けるのには十分すぎる。
昔、なにかの本で見たことがある。
確か、人間が死ぬときは言葉が話せなくなったり、目が見えなくなったりするんだとか。
うん。今僕に起きている症状に全て当てはまる。
なるほど。そうか。これが死ぬっていう感覚。
もうどうでもいいと諦めていた人生だけど、いざ終わると思ったらなんだか悲しいな。
あ、やばい。とうとう意識が朦朧としてきた。
そんな中、僕は最後にある二人の人物のことを考えた。
まず一人目は、あの女性のことだ。
僕はあの女性を助けることができたのか。
今はそれが気がかりでならない。
顔も名前もわからないけど、もし助けることができなかったとしたら、悔やんでも悔やみきれない。
それに、僕が唯一度だけ勇気を出した行動で、誰も救えなかったとしたら、きっと僕には『絶望』しか残らない。
それが一つの心残りだ。
僕は死んでしまうけど、それでも、最後に憧れの存在に一歩近づいた気がする。
この感覚だけは一生忘れない。例え命尽きようとも。絶対に。
そして二人目は、僕の父親だ。
脳内で父親の姿を想像しながら、僕は語りかけた。
なあ、父さん。
あの時(二歳の時)父さんが言ってたことがようやく分かった気がする。なんとなくだけど。
たとえ失敗しても前を向いて、勇気を出して前に進もうとした行為。例えば、なにかを成そうと、誰かを助けようとしたした行為は必ず次に繋がる、自分にとってもその誰かにとっても。そういうことでしょ?
もっと早くに理解できていれば、僕の人生も変わっていたのかもしれないな。
……。
いや、そんなはずはない。
絶対に変わらないに決まってる。
こんなのただの言い訳だ。
例え理解できていたとしても、人間の本質はそう簡単には変わることがない。
僕はそのことを痛いほど分かっている。
てか、どう考えても二歳児には難しすぎるでしょ。
理解するのに約十三年かかったよ。
それでも理解できた僕って凄くない?
けど、自分でいうのもなんだけど、そんなに頭がいい訳ではない。
となると、理解できたのは、やっぱり親子だからかな。
そう考えると、血の繋がりって凄いね、本当に。
終わるのが分かっていてもつい考えてしまう。
こんな僕でも、努力したら父さんのような人間になれたのかなって。
僕も父さんのようなかっこいい人間に、そう、『英雄』みたいな、そんな人間になりたかったな。
これがもう一つの心残りであり、最初で最後の僕の憧れだ。
淡い期待かもしれないけど、もし次の人生があるとしたら、その時は必ずなるよ。
その世界でみんなが認める、最強の『英雄』に。
――それを最後に、僕は完全に意識を失った……。




