中編『夢見心地の日常』
メアとの出会いから、1年が経過した。
結局、彼女の記憶は戻ることはなく、それどころかこの世界のことを何一つ知らなかった。
「多分、私って異世界から来たんだと思うんだ」
「唐突に何? 馬鹿なこと言ってないで手を動かす」
「むー。最近シア、私の扱い雑じゃない?」
「君が手伝いたいって言ったんじゃないか」
「だって何もしないで食べてばかりなの申し訳ないし」
無駄口を叩きながら、不慣れな手つきで山菜や果実を切るメア。
僕が隣で、捕らえた獲物に刃物を入れると、溢れてくる血や飛び出る臓物に「うわぁ」と気分を悪そうにしていた。
苦手なら見なければいいと思うが。
「もう慣れたけどさ、やっぱり味付け欲しいよねー」
「文句言わない。命を頂いてるのに味の好き嫌いを言うなんて贅沢だよ」
「でもさー、毎日ほとんど同じ料理で飽きたりしないの?」
「もう何年もこんな生活だからね」
おじさんが生きていた頃は、たまに山を下ったところにある街で調味料やこの山にはない食材を買ってきてくれたものだが、一人になってからは山にあるものだけで生きている。
メアは好奇心旺盛なので、街の存在は伏せている。
それどころか、彼女は自分が眠れない体質であることを知らない。
たまに「昼寝しようとしたのに眠れなかったー」と不機嫌そうに報告するので、何度か昼間から眠らせてあげている。
……いつまで僕はこんな生活を続けるつもりなんだ。
「あー……美味しかったぁ! やっぱり自分で作った料理だと百割増で美味しく感じるね!」
「君はほとんど見ていただけだけどね」
「……もう。そんなこと言わなくていいじゃん。それに″君″じゃなくて、″メア″って名前があるですけど?」
「……別にいいじゃん」
「あれ、もしかして照れてるの? 思春期?」
何故かニヤケ面で指を指してくるメア。
「……思春期って何?」
「え? 思春期ってのは、その……異性に興味を持つお年頃って感じかな?」
「異性に? なんで?」
「…………シアってすごく純粋だよね」
キョトンとした表情を向けられる。
こちらは大真面目なので見つめ返すと、メアが何故か目線を逸らせて髪の毛を弄り始めた。
「し、シアには無いの? ほら、例えば女の子にドキドキしちゃうなーっとかさ?」
「ないよ。というか、おじさんとメア以外の人との関わりなんてないし」
「そ、そうなんだ。……ふ、ふーんだ! 別にいいもん! 私だってシアにドキドキすることとか全然これっぽっちもないしぃ?」
「ごめん。何に怒ってるのか全く分からないんだけど」
この一年間で何度も同じようなことがあった。
いつも目まぐるしく変化するメアの感情に振り回される。
「いいよ別に! シアには何も期待してないし! おやすみ!」
メアは言いたいことだけ早口で言うと、勢いよくベッドに潜り込んだ。
どれだけ怒っていても「おやすみ」だけは欠かさず言ってくる。
それが僕には「眠りたいから能力使って」のように聞こえるのは、きっと悲しいことなんだろう。
……ごめん。僕には君の気持ちが理解できないし、そもそも僕には他人の心が分からない。
お詫びと言ってはなんだが、せめて今夜は良い夢を見せてあげよう。
幸せな夢を見せれば、代償として僕は悪夢を見るだろうが、君のためならたまには良いと思える。
――その夜。案の定、また悪夢に魘された。
でも、今回はいつもより苦しくはなかった。
迫り来る鬼たちから、誰かが僕の手を引いて逃げてくれたからだ。
シルエットしか思い出せないけど、その手はとても温かかった。
次の日の朝、顔を真っ赤にしたメアが飛び起きた。
そして僕の顔を見ると、『ごめん! 今、顔見れないかも!』と顔を覆い隠して叫んでいた。
夢の中の僕は、何か悪いことをしてしまったのだろうか。
~~~
更に半年が経過した。
相も変わらず、何も変わらない平坦な毎日だ。
「ねえ、シア! 今夜は一段と星が綺麗だよ! 一緒に眺めない!?」
外で小鳥と戯れていたメアが勢いよく扉を開ける。
「よくもまあ、星にそこまで興奮できるね。毎日見てるでしょ」
「今日はホントに綺麗なんだって! グチグチ言わずにほら!」
メアは僕の手を引っ張って小屋から連れ出した。
娯楽のないこの生活は、本当に毎日が代わり映えしない。
でも、君が来てくれてから、天真爛漫な君に振り回されてばかりで退屈はしない。
「ほら、綺麗じゃない?」
「……そうかな。やっぱりいつもと同じように見えるけど」
「でも、こうして寝転んでゆっくりと星空を眺めるのも悪くないでしょ」
「……そうだね。それはそうかも」
正直、ずっと星が嫌いだった。
この世界から眠りを奪ったのは、星の砂と呼ばれる夜空から降り注いだものが原因だからだ。
そのせいでこの世界は狂った。
狂った世界に僕は生まれ、そして同じく世界に狂わされた。
ずっと、眠るのが怖かった。
「実は最近、夢の中に君が出てくるんだ」
「へ、へえ。そ、そうなんだ……」
だから今は眠るのがちっとも怖くない。
「メアがこの世界に来てくれて良かった」
ふと、そんな言葉が漏れていた。
茶化されるかと思ったが、暫く沈黙が続いた。
「……ねえ、シア。手、握ってもいい?」
「え、うん」
メアは視線を星空を向けたまま、僕の手を握ってきた。
心臓の鼓動が早くなって、顔が暑くなった。
こんな感覚初めてで、この気持ちが何なのか分からなかった。
「本当はさ、思っちゃうんだよね。私って、ずっとこの世界にいていいのかなって」
「え?」
「言ったでしょ。私はきっと別の世界から来たんだって。ちょっとずつ、思い出してきたんだ。前の世界のこと」
「…………」
「……ごめん。シアと過ごすのはとても楽しいんだけど、私……パパとママに会いたい。学校にも行きたいよ」
メアの手は震えていた。
いや、手を繋がずとも声を聞けばわかった。
泣い顔は、初めて見た。
「私、ずっとこのままなのかな」
「…………」
泣きじゃくるメアに、なんて声をかければいいか分からなかった。
僕はメアと暮らせて幸せだった。
でも、彼女のことなんて考えたこともなかった。
分かっていた、はずなのに。
知らない土地で、記憶もないまま、死ぬまでこの変わらない毎日を過ごすんじゃないかって……ずっと不安だっただろう。
それでもメアが笑顔を絶やさなかったのは、僕を心配させないためでもあったのかもしれない。
「……今夜は、もう寝よう。きっと、幸せな夢が見れるから」
君のためなら、僕は永遠の悪夢に囚われても構わない。
僕が君のためにできることなんて、それくらいしかないから。
~~~
~~~
また、恐ろしく残酷な夢を見た。
迫り来る鬼から、僕はメアに手を引かれ逃げていた。
だけど鬼の手がメアに絡みついて……上手く逃げられたのか、覚えていない。
「おはよ、シア……ってうわっ!?」
汗だくで飛び起きて、隣にメアがいるのを見ると安心して抱きついてしまった。
「ど、どうしたの、シア?」
「……ごめん。今だけはこうしていたいんだ」
「…………っ。ま、まあ、許可する」
僕は震えが治まるまでずっとメアに抱きついていた。
昔、お母さんがそうしてくれたように。
でも、メアに対する「落ち着く」とか「側にいたい」は、きっとおお母さんに対するそれとは同じじゃないんだって最近分かってきた。
結局、次の日からは何事も無かったかのように接した。
ただ僕の中で何かが大きく変わった。
メアのことなんて同居人としか思っていなかったが、大切で幸せにするべき女の子だと思うようになった。
メアを元の世界に返す方法なんてきっとない。
だからせめて幸せだって思える人生にしてあげたい。
僕が、そう思わせられるような人になりたい。
――その日から、僕の人生は大きく動き始めた。
すべてはメアを幸せにするために。
僕にだってできるはずだ。
こんな能力なんてなくたって、一人の女の子を幸せにすることが。
この気持ちを何と呼ぶのか分からない。
ただ、この思いを大切にしたいと強く思う。
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何も変化のない日常が過ぎていく。
ひと月、半年、一年、二年、三年。
でも今は、この代わり映えのない日々の一分一秒を愛おしく思う。
君と出会ってから、何度目かの冬がやってくる。
冬は山暮らしにとって災厄だ。
幸い、秋のうちに蓄えた保存食はあるし、野ウサギやムササビといった小動物は変わらず動き回っている。
おじさんから教えてもらった知恵を惜しげなく発揮し、生きるために常に思考を休めず働き続ける。
一年の中で最もあらただしく、そして静かな季節でもある。
僕一人なら余裕で冬を超せるが、メアはそうはいかずに体調を崩したりもした。
毛皮のコートは二人分ある。おじさんが使っていたものを僕が、僕が使っていたものをメアが使っている。
何年経っても、このコートはサイズが大きい。
「ねえ、見てみて! 雪だるま作った!」
冬が近づくと無事に越せるか不安になる。
その感情はメアが来てから何倍にも膨れ上がった。
しかし、元気に雪の上を野ウサギと一緒に飛び回るメアを見て、そんな不安は一瞬で消し飛んだ。
「雪だるまって、もう子供じゃないんだから」
「だって毎日毎日することなくて暇なんだもん。それよりほら――ジャジャーン! 雪でお城作ってみました」
「これはまた、すごいクオリティだね」
「制作期間2週間の傑作ですから!」
僕はこの山暮らしに娯楽を求めてはいないが、メアはよほど毎日が暇らしい。
おじさんに教えて貰った遊びをいくつか教えると、半月はのめり込んで完璧に遊び尽くしてしまうほどに。
あやとりもお手玉も木登りも、今では僕より上達している。
僕は彼女を飽きさせないために、日々新しい遊びを考案している。
「じゃあ次は氷像づくりとかやってみる」
「氷像!? うんうん、やってみたい!」
「別に良いけどかなり難しいよ?」
「大丈夫大丈夫! 私手先とか器用だから」
氷像づくりはバケツに雪を積め、水を入れて凍らせたものを地道に削っていく。
目の前で実際に作ってみせると、「なんだ、以外と簡単そうじゃん」と豪語するメアだったが、氷像作りは僕ですらおじさんが眠るまで習得できなかった技術だ。
やってみると、意外と難しい。
僅かでも力の加減を間違うと、すぐに氷は欠けたり砕けたりする。
「あー! また割れちゃった!」
「ほら、思いのほか難しいでしょ」
「シア、なんかちょっと嬉しそう」
いつもそつなくこなされて悔し思いをしていたので、メアが苦戦しているのを見るのはなかなか気分が良かった。
それから、僕が黙って小屋に戻ろうとするのにも気づかないほどに熱中しているようだった。
ボン。背後で鈍い音が鳴った。
「…………っ」
「あー、雪だるまの頭落ちちゃった……力作だったのにな。――シア?」
ゆっくり振り返ると、頭のない雪だるまをメアが残念そうに見つめている。
『――いたぞ! メシアだ!』
『――バカ! メシアに当たったらどうするんだよ!』
やめろ。何も思い出すな。
大丈夫。ここには何も怖いものなんてないんだから。
「青ざめてどうかしたの? あー、本当はシアも気に入ってたんでしょー?」
「あ、うん……そうなんだよ。ちょっと悲しくなっちゃって」
「もう、シアは子供だなー。また作ってあげるから」
メアのからかいに、心ここにあらずといった愛想笑いを浮かべることしかできなかった。
結局、冬が終わる頃には氷像作りをプロレベルにまで仕上げていた。
小屋の窓辺には、氷でできたウサギが二体並んでいる。
メアが作ったものと、僕が作ったもの。
春の暖かな日差しを浴びて溶けてしまったが、何故かそのとき胸が苦しくなった。