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高校生活1

 文子は高校入学の祝いに、両親に買って貰った自転車に乗って、風を切って通学していた。


通学路の途中にある土手下に、萩や薄の咲き乱れる、二年目の秋のこと。


 窓側から二列目、一番前の席が文子の席だ。昼休み時間は、同じクラスの友達、千恵と由美が文子の席に集まり、一緒に昼食をとり、雑談を交わす。アニメを観ること、漫画を読むことが三人の共通の趣味で、いつもは自然にそれらの話題に熱中する。


 昼休みは残り十分。次の授業に備えて、早めに解散してそれぞれの席に戻る。


 文子が空っぽの弁当箱を鞄にしまっていると、ひょうきんものの千恵が、軽やかな足取りで、文子の正面に回り込んだ。


「文子、ねー、文子! 見てコレ! 見て! コレ!」

「えっ? なに、なに?」


 千恵の顔には、何かもったいぶったような表情と、興奮があらわれている。きょとんとする文子の目の前に、水色の紙片を三枚を差し出し、ひらひらと揺らした。


「じゃじゃーん! 今話題の『パンダ撮影会』のチケット!」


 紙片を目で追いながら、文子は首を傾げる。


「パンダ撮影会?」


 文子が右手をのばして紙片を掴もうとすると、千恵はひょいと紙片を頭上に掲げる。千恵の身長は一七〇センチある。身長一五五センチの文子では、立ち上がってもつま先立ちしても、チケットに手が届かない。


 文子が「あーっ!」と声を上げると、騒ぎを聞き付けた由美がやって来た。眼鏡のブリッジを中指で押して、眼鏡をかけ直してから、チケットを指差す。


「猫じゃらしならぬ、文子じゃらし?」

「由美ちゃん! 千恵ちゃんが意地悪するよ!」


 文子が上目遣いに由美を見上げて窮状を訴えると、由美はやれやれと肩を竦める。満足そうににやにやする千恵の肩を小突き、間延びした口調で千恵を叱る。


「こらー、千恵。猫ちゃんをいじめるなー」

「えー? 猫じゃらしで猫をじゃらすのは、猫いじめですかー? 違いますよねー?」

「由美ちゃん、わたし猫じゃにゃい! ……あっ」

「猫ちゃん、ニャーニャーうるさいよ」

「ちがうの! 噛んだの! わざとじゃないの!」


 顔を真っ赤にして頭を振る文子を、千恵が「わざとじゃないのに語尾にニャを付けちゃう、天然の猫ちゃん」と囃し立てる。


 文子は慌てて話の穂を継ぎ変えた。


「パンダ撮影会って? 動物園のパンダと撮影会ってこと?」


 由美と千恵は顔を見合わせる。先に口を開いたのは由美だった。


「ほらね、やっぱり。文子は知らないと思った」

「いいの、いいの! むしろ、知らない方がドキドキ、ワクワクするから、いいの!」

「なーにー? なんにもわかんないと、ドキドキもワクワクもできないー」


 文子が口を尖らすと、千恵がにやにやする。由美は千恵の肩を小突くと、文子に向き直った。


「KY大祭よ。漫研のイベント」

「おっとっと! 由美、それ以上はネタバレだよ! ネタバレ、ダメ、絶対!」

「はいはい」

「KY大祭? あっ、そっか。千恵ちゃんのお姉さん、KY大生だったね」


 国立KY大学は、日本屈指の難関大学である。文子が通う高校の最寄駅から電車で二十分、徒歩で十五分程のところにある。千恵の姉は自宅から通学しているそうだ。千恵はことあるごとに


「あーあ! ねーちゃんがKY大受験、落ちてくれてたら、あたしは今頃、部屋をひとりで使えてたのになー」


 と憎まれ口を叩いて姉にとっちめられているらしい。


 文子の言葉に、千恵は何度も頷いた。


「そーそー! しかも漫研所属! ねーちゃんにお願いして、三人分のチケット、取り置きして貰ったんだぁ! すごい、貴重なんだよ、コレ。ホームページで告知した途端、問い合わせが殺到して、予約販売のチケット百枚があっと言う間に売り切れたんだって!」


 千恵は三枚のチケットを文子の机の上に丁寧に並べた。


 チケットには「美しすぎる!? 客寄せパンダ撮影会!」と可愛らしいレタリング文字で書いてある。右端には、八十年代の少女漫画の登場人物のように、キラキラと星が瞬く大きな目をしたパンダのイラストが描かれている。パンダは一輪の薔薇を咥えて、こちらに秋波を送っている。


「撮影会は今週の日曜日、午後2時から。もちろん、文子も一緒に行くよね!?」

「えっ、良いの?」


 文子は千恵の顔とチケットに描かれたパンダを交互に見て、目をぱちくりさせる。千恵はこっくり頷いて、文子の肩をバシバシと叩いた。


「良いの、良いの! 三人で撮影会を楽しみたくて、ねーちゃんに下げたくない頭を下げたんだから! 楽しみにしててね。文子の好みど真ん中のパンダだから! 絶対だよ!」


 文子はパンダをまじまじと見つめる。


 ーーこのパンダがわたしの好みのど真ん中?


 文子が大好きなのは、小さな頃から今でもずっと、黒い装束に身を包み、冠を飾った、床近くまである長い黒髪を毛先近くで束ねた、美しい神官である。そのことは、千恵も由美も承知している。


 ーーこんな気障ったらしいパンダとは、似ても似つかないんだけどなぁ


 チケットを凝視する文子の眉間の皺を、由美が人差し指でちょんと突く。


「イラストはイメージです。実物とは異なる場合があります」


 千恵はけらけらと笑う。それからハッとして


「あっ、次、体育だった! トイレ行ってくるから、待っててー!」


 と言いながら、教室を飛び出した。由美は「いちいち騒がしい子だねぇ」と肩を竦める。チケットに描かれたパンダを指先でぴんと弾いた。


「千恵って何でも大袈裟に騒ぐけど、今回のは本当にすごいよ」

「そんなにすごいの? 美しすぎるパンダ」

「うん」

「ほうほう、由美ちゃんが言うなら本物だね」

「まぁね。三次元の美形は、二次元の美形に遠く及ばない。文子もそう思うでしょ? ところがどっこい、二次元の美形に勝るとも劣らない美形なのよ、これが」

「そんなに!?」

「信じられないでしょ? 私も信じられなかった。KY大漫研のホームページでパンダの人の写真を見たときは、加工してると思った。でもね、千恵に写真見せられて、もうびっくり。そのまんまなのよ。何の加工もしなくても、二次元級の美形。有り得ないくらい美形。もしかしたら、写真うつりがめちゃくちゃ良いだけなのかもしれないけどね。それでも、一見の価値はあると思うのよ。少なくとも、目の保養になる」


 パンダの人、と由美は言った。


 ーー美しすぎるパンダって、着ぐるみのことじゃないんだ。つまり、すっごく綺麗な人の撮影会ってこと? なんか、緊張してきた


 引っ込み思案の文子が、美しすぎるKY大生の撮影会に想いを馳せ冷や汗をかいていると、千恵が小走りで教室に戻ってきた。


「そこー! ネタバレ厳禁だって言ってるでしょーが!」

「うるさいのが戻ってきた。トイレは?」

「まだ! チケットしまうの忘れてた!」


 千恵はチケットを手に取ると、生徒手帳に挟んで胸ポケットに入れて「トイレ、トイレ」と言いながら踵を返す。由美は掛け時計を見上げ、時刻を確認した。


「私もトイレ行こうかな。文子は?」

「わたしは大丈夫」

「そう。じゃあ、行ってくるね」

「うん、行ってらっしゃい」

「由美、はやくはやくー!」

「うわ、急かされた。待っててなんて言ってないんですけどー?」


 二人はじゃれ合いながら教室を出て行く。文子はジャージの入ったナイロンバックを机の上に置く。二人を待っていると、背後から声をかけられた。


「青鳥さん、KY大祭、行くの?」


 文子はギクリとした。錆び付いたような首をめぐらすと、化粧の匂いが鼻を突く。


 濃厚に化粧をした、似たような顔が三つ並んで、文子を見下ろしている。どの顔にも、化粧では隠しきれない軽侮の心が透けて見えた。


 文子は息を呑む。文子が苦手とする女子達だった。彼女達は文子を毛嫌いしており、何度か、聞こえよがしに文子の悪口を言っていた。何故こんなに嫌われているのか、文子にはわからない。たぶん「生理的に受け付けない」のだろう。


 千恵と由美と仲良くなってからは、社交的な千恵がいればうまく注意を逸らしてくれるし、物怖じしない由美がいれば追い払ってくれるから、嫌な思いをすることはめっきり減った。


 だから、文子はすっかり油断していた。彼女達は人目を憚り、人目につくところで嫌がらせをすることは無いだろうと、高を括っていた。それがそもそもの間違いだった。


 女子たちは短いスカートの裾を翻してどかりと席につく。鼠をいたぶる鼬のような、嗜虐的な薄ら笑いに囲まれている。こうなってしまったら、逃げられない。


 由美と千恵が戻るまでの辛抱だ。文子は覚悟を決める。彼女達の逆鱗に触れませんように、と祈りながら質問に答えた。


「う、うん……ちょっと覗いてみようかな……なんて」


 文子の消え入りそうな声は、弾けるような笑声にかきけされる。


「うっそ、マジで!? ウケる!」

「ねーねー! 聞いて聞いて! 青鳥さんも、KY大祭、行くんだって! しかも、あの撮影会やるんだって!」


 彼女達が呼び寄せたのは、彼女達と親しい男子達だ。文子はぐるりと取り囲まれた。首を絞められているかのように、呼吸が苦しい。


 男子達は珍妙な虫を観察するような目で文子を見て、けらけらと笑う。


「えっ、青鳥さん? 青鳥さん、マジで? えっ、イケメンと写真、撮るの? 青鳥さんが? マジかよ、それ、見たいんだけど! 絶対ヤバいって!」

「へー、マジ? 意外。青鳥さん、そういうの興味無さそう」

「青鳥さんって、アレでしょ? 漫画とかアニメとか好きなんでしょ? 三次元に興味ないでしょ?」

「なにそれ、オタク? キモッ! ……あっ、ごめんごめん! 別に、悪い意味じゃないから! 良い意味! ウケるって意味だから!」


 嘲笑の渦中で、文子はへらりと笑った。笑わなければ。俯いたり泣いたりしたら、余計に惨めになる。


 彼女達は文子と談笑している。そう見せかけている。もし教師に見咎められたとしても、冗談だと言い張れば切り抜けられるのだ。聞こえよがしに悪口を言うより、賢いやり方に違いない。


 悪意と敵意に満ちた談笑は続く。


「おいおい、それ、フォローになってないだろ!」

「でもでもぉ。ごめんだけど、確かに青鳥さんってオタクっぽいよね! なんか暗い感じ……じゃなくて! 大人しい感じ!」

「あれ? もしかして真に受けてる? やだなー、冗談だって冗談!」


 バシッと背中を強く叩かれて、息が詰まる。悪意を込めて打たれると痛みが鋭くなる。


「冗談だって、フツーわかるでしょ。真に受けるとか無いわ。キモッ」

「キモい言うなって。泣いたらどーするよ」

「泣くとか、それこそ、キモいんだけど」


 ーー泣くもんか


 と文子は膝の上で拳を握った。頬は強ばり、口元はひきつり、瞼はぴくぴくと痙攣する。愛想笑いはつるりと滑り落ちてしまった。


 押し黙る文子の肩を、一人の女子が掴む。可愛らしいピンク色に塗られた爪が、猛禽の鉤爪のように、文子の肩に食い込んだ。


「あのさー、黙ってないで、なんとか言えば?」


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