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ふつうの世界へ(2022/9/14加筆修正)

 青鳥一家は、住み慣れた家屋とアトリエを買い戻し、そこに移り住んだ。


 隠し神に祟ると脅されて、清作を裏切って。文子はどん底まで落ち込んだ。


 転校して新しい友達が出来れば、気持ちが明るくなって、立ち直れるのではないか。そう考えた両親は、新しい小学校を探した。一時は国際学校なども候補に挙がったが、条件やタイミングが合わず、いずれも断念することになった。


 結局、文子は自宅を通学区域に指定する小学校に就学した。けれど、隠し神のこと、清作のこと。恐怖と罪悪感。それらは暗いイメージとなって文子につきまとう。文子は人が変わったかのように、引っ込みがちに内気なふうになってしまった。


 同じ小学校には、同じ幼稚園に通っていた子供たちも通っていた。その中には、文子と仲良く遊んでいた女の子達もいた。


 彼女たちは思いがけない再会をとても喜んでくれた。けれど、文子がどんよりと塞ぎ込んでいると、戸惑い訝しみ、だんだん文子を避けるようになった。


 友達の輪に入れない文子は、学校ではひとりぼっちだった。ぼうっとしている変な子だとか。無口で陰気でおばけみたいだとか。散々に悪口を言われた。


 ーーかなしい。でも、これで良いの


 文子はそう自分自身にこんこんと言い聞かせる。


 ーーだって、ふみ、ひどい子だもん。だから、これで良いの


 担任の先生はクラスの中で孤立する文子を気に掛けてくれた。中休みの時間になると文子のところへやって来て、心を閉ざす文子に根気よく話しかけた。


 転校から半年あまりの月日がたち、孤独に耐えかねた文子は、先生と言葉を交わすようになった。


「文子ちゃんは、お友達と一緒に遊びたくない? ひとりが好き?」

「ふみ、ひとりぼっち、好きじゃない。でも、ふみ、ひとりぼっちでいる」

「どうして、ひとりぼっちは好きじゃないのに、ひとりぼっちでいるのかな?」

「ふみ、ひどい子なの。おともだちにひどいことしちゃうの。ふみのおともだちになったら、きっとその子も、ひどい目にあっちゃう」


 担任の先生はあらかじめ、文子の両親から文子の事情について、聞いていたのだろう。ごにょごにょと、要領を得ない説明にも関わらず、先生は委細承知とばかりに頷いた。


「先生は、そんなことないと思うな。文子ちゃんは、お友達にひどいことをしちゃったって、反省してるし、後悔してるでしょ?」

「うん……でも」

「本当にひどい子は、お友達にひどいことをしても、へっちゃらだよ。文子ちゃんみたいに、反省したり後悔したり出来ないよ。文子ちゃんは、ひどい子なんかじゃない。だから、ひとりぼっちで、寂しい思いをしなくて良いの」

「でも……ふみ、さっくんに、ひどいことしたのに……」

「誰だって、間違ってしまうし、失敗してしまうものだよ。大切なのは、それを反省して、後悔して、これからはもっと良くなるように努力すること」

「でも……」

「もしも、文子ちゃんがやりきれないなら、そのお友達に、文子ちゃんの気持ちを伝えてみたら? 会うのは難しいかもしれないから、お手紙を書いて。お返事は貰えないかもしれないし、赦して貰えないかもしれない。それでも、ちゃんと謝ってけじめをつければ、前に進めるようになるんじゃないかな」

「さっくんに、あやまる……」

「そう。大丈夫だよ、文子ちゃんは優しい子。お友達を大切に出来る子だよ」


 先生は文子を慰め、頭を撫でてくれた。優しい先生の助言は、文子の心臓にずっしりとのしかかった。


 文子が謝れば、清作は赦してくれる。隠し神の祟りの心配だって、文子が泣きつけば、清作はなんとかしてくれる。きっと、そうなる。そうなれば、どんなに楽になれるだろう。


 だからこそ、清作の優しさにつけこむようなことをしてはいけない。文子は清作を見捨てたのだから。


 帰宅した文子が自室に籠って悶々としていると、母が文子の部屋のドアをノックした。


 ベッドに俯せになった文子が、枕に顔を埋めたまま返事をすると、母は部屋のドアを開いた。入室した母が文子の肩を指先でとんとんと叩く。文子が顔をあげると、母は文子の鼻先に、一葉のハガキを差し出した。


「これ、清作くんから。お引っ越しして、すぐに届いたの。文子が嫌がると思って、今まで、渡せなくて……でも、やっぱり、文子はこれ、読んだ方が良いと思って」


 担任の先生が、文子と話した内容を母に報告したのだろう。文子は恐る恐るハガキを受け取った。


 たおやかで、それでいて力強い字は、清作の字だ。児童の手習いをみていた先生が舌を巻いていた。


「世が世なら、君は祐筆として城勤めをしたかもしれん」


 先生が絶賛する美しい字は、文子にも見間違えようがない。



 ハガキの裏面には、テープでペタペタと写真が貼り付けてあった。


 清作が笑っている。


 でかでかと「本日の主役」と手書きされたタスキを右肩に掛けて、ハッピーバースデーサングラスを頭の上にのせて、笑っている。


 カメラのレンズに向けてクラッカーを破裂させて、笑っている。


 舞い踊る紙吹雪の中、虹を描くように両目を細めて、白い歯を見せて、笑っている。

 

 ハガキの余白には清作の字で、こうしたためてあった。


「ふみちゃん へ

 おげんき ですか?

 ぼく は もう すっかり げんき に なり ました。

 また あえる ひ を たのしみ に して います。

 とびきり めんこい ふみちゃん は とびきり げんき で いて ください。

 ふみちゃん の いちばん の おともだち

 きよさく より」


 文子でも読めるように、ひらがなで書かれている。それを構成する、端整な字のひとつひとつが踊り出して、文子の目に飛び込んで、心に焼き付く。


 弾ける笑顔、弾む笑い声。目に浮かぶようだ。まるで、今でも清作が、文子の傍にいるかのように。いつも一緒にいるかのように。


 文子は清作を見捨てた。一番の友達を裏切ったのだ。それなのに、清作は怒っていない。悲しんでいない。恨んでいない。清作にとって、文子は今でも一番の友達だと、清作は言う。


 一点のくもりもない、無邪気な笑顔は、溢れる涙に滲んで、おぼろげにかすんで、見えなくなった。


 ーーやっぱり、だめ。あやまっちゃ、だめ


 文子が卑怯者でも薄情者でも、清作は文子のことを嫌いになれない。文子が謝ったら、清作はきっとこう言う。


「なして、ふみちゃんが謝んのさ?」


 不思議そうに小首を傾げて、それから、花咲くように笑って、文子に手を差し伸べる。その手をとれば、たとえどんなに遠く離れても、これからもずっと、一番の友達でいられるだろう。その手に縋れば、神様の祟りに怯えずにいられるだろう。清作は文子を守ってくれる。自己犠牲も厭わず。


 きっと最後まで、清作は文子に笑いかけてくれるのだ。


 まるで、何事もなかったかのように。


 清作は美しい。善いものは美しい。美しいものは善い。きっと清作は、汚れも咎もなく生きて、死ぬのだろう。


 清作が村の子たちに「取り替え子」だと噂されていた理由が、今ならわかる。真実の美は、人にはなしえない。全く神業だ。清作はきっと、美しい神の子なのだ。


「ぼくには、ふつうにする才能がないんだ」と清作は言っていたらしい。その通りだった。清作はふつうではない。特別なのだ。文子とは違う。


 ーー怖い


 文子は清作に謝らなかった。ハガキに返信もしなかった。


 なすべきことは、わかっている。忘れることだ。清作のことも、隠し神のことも、忘れてしまうのだ。神様の世界にふつうの人間が首を突っ込んだことが、そもそもの間違いだったのだから。


 それから、紆余曲折を経て、文子は空手道、バトミントン、ピアノの稽古にあけくれた。文子が望んだことである。忘れるために、何かに没頭したかった。


 バトミントンとピアノは長続きしなかったけれど、空手道は文子の性に合ってきて、めきめき上達した。小学校三年生女子、組手の部において、地区大会で優勝、全日本少年少女選手権大会に出場することが出来た。両親は手放しで喜んでくれて、文子は誇らしかった。


 志を同じくする仲間と稽古に励み、新しい友達も出来た。学校では相変わらず引っ込み思案だったけれど、似た者同士が寄り集まって、小さな仲良しグループが出来上がり、文子はその一員として迎え入れられた。


 文子は平穏無事に暮らした。小学校を卒業して。中学校に入学して、卒業して。全国大会の常連となった文子は、空手道のスポーツ推薦で志望高校に入学して。


 悲喜こもごも、色々あって。


 あの村のことも、隠し神のことも、清作のことも。きれいさっぱり忘れてしまった。すくなくとも、忘れたつもりでいた。

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