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神様は怖い

 濡れ羽色の長い髪がうねうねと、その細面に纏わりついている。目を凝らすと、ぬらぬらとした肌には白い鱗が埋没していた。真紅の口唇は耳まで裂けており、低い鼻は後退して、口先より後ろについている。



 蛇のような、女のような。おぞましい顔が、ウインドウシールドの向こうにある。暗闇の中に浮き上がっている。


 それは隠し神だった。清作に執心し、清作を連れ去り、脱け殻のようにした。美しいものをこよなく愛する隠し神だった。


 それは、米神のあたりにある奇怪な目で文子を凝視していた。目蓋はなく、白目もない、蛇の目だった。それは大きな口を開き、揺らめく火のように、蛇舌をチロチロさせて、こう言った。


「恩知らず。きっと祟るぞ」


 文子は絶叫した。


 驚いた父は車を路肩に寄せて停車する。車が停車した時には、ウインドウシールドに張り付いていた隠し神は、煙のように消えていた。


 母は助手席を飛び出して、後部座席のドアを開けた。


「文子! どうしたの、大丈夫!?」


 母は、泣き叫ぶ文子を胸に抱いて、髪を撫でた。文子は母の胸に縋り、泣きじゃくりながら「窓の向こうに神様がいたの」と訴えた。


 文子と隣り合って後部座席に乗車した母は、文子をあやしながら「何もいないよ、大丈夫だよ」と言う。


 父は困惑しながら、ドアをロックして、車を発進させた。


 ホテルに到着するまで、文子は震えながら、母にしがみついていた。文子があまりにも怯えるからだろうか。父と母を隔てていた、険悪な雰囲気は消え失せて、ホテルにチェックインする頃には、すっかり蟠りがとけたようだった。


 両親は、引っ越しの段取りについて話し合った。母は膝に乗せた文子の顔を覗き込んだ。


「文子。お引っ越し、したくないかもしれないけど、聞き分けてね。清作君のお見舞いは、ちゃんと、連れて行ってあげるから。清作君の目が覚めたら、きちんとお別れしましょうね」

「ふみ、おみまい、行かない!」


 文子は震え上がるようにして頭を振る。母は目を丸くして、父と顔を見合わせた。文子は母の肩口に額をぐりぐりとおしつけた。


「いいの。ふみ、おひっこしするの。さっくんには、もう、会わないの!」


 目を瞑ると、ウインドウシールドの向こうに張り付いた隠し神の顔が瞼の裏に浮かぶ。じめじめするような、ねばねばするような声が、恩知らず、と文子を詰る。


 両親には、隠し神の姿は見えなかったし、呪詛も聞こえなかった。でも文子は、両親の言うように、硝子にうつる自分の顔を見間違えたり、風の音を聞き違えたりしていない。夢ではなく、幻でもない。


 あれは現実だった。


 隠し神は、美しく心優しい清作を気に入っていて。清作の一番の友達になった文子のことが気に入らなくて。


 清作の一番の友達になった文子が。清作に助けて貰ってばかりの文子が。清作を見捨てて、逃げ出した文子が、あまりにも醜いから。


 だから、隠し神は怒ったのだ。隠し神が文子を脅かすのは、当然のことだった。


 清作に合わせる顔がない。清作の為なんて、おためごかしを並べ立てながら、本心では神様の祟りを恐れていた。


 臆病な文子は、勇敢な清作を置き去りにして、すたこらさっさと逃げ出すのだ。


 その後、引っ越し作業やら、挨拶まわりやらで、両親はあの村を訪れた。


 文子は、同行しなかった。


 清作は真夜中に病院に担ぎ込まれて、三日間の昏睡を経て、目覚めたそうだ。


 衰弱が著しく、意識が回復した直後は目を開くことさえ儘ならなかったらしいけれど、順調に回復し、一週間後には立って歩けるようになったらしい。


「清作君、文子に会いたがってるよ」


 両親が清作を見舞うと、清作は不自由な身体に鞭うって上体を起こし


「ふみちゃんは大丈夫!?」


 と急き込んで訊ねてきた。


 母がたじろぎながら、大丈夫だと答えると、清作は目をしばたいた後「よかった」とぽつりと呟いて、ひっくり返った。


 戸惑う文子の両親に、清作の父は


「文子ちゃんのことが心配で心配で、こいつ、気が気じゃなかったんですよ。安心したら、気が抜けたみたいです」


 と笑って説明した。笑いながら清作の額を撫でていた清作の母は、遠慮がちに、文子の両親に訊ねた。


「文子ちゃんは、今日、一緒じゃないんですか?」


 父がもっともらしいことを言ってその場は切り抜けたが、心苦しいと母は言う。


「ねぇ、文子。今度、お母さんと一緒にお見舞いにいってあげない?」

「いや。いかない」


 文子が拒否すると、母は困り顔で頭を振った。


「でも、このままじゃ、清作君が可哀想。そうだ、会うのが嫌なら、清作君にお手紙を書いたら? お母さんが清作くんに届けてあげるから」


 やだ! と叫んで、文子は新居の押し入れにたてこもった。


 ーーお母さん、さっくんのこと嫌いなのに、なんで、さっくんのこと可哀想って言うの!? こんなの、おかしい! きっと、神様がふみを、村に誘き寄せようとしてるんだ! 村に誘き寄せて、ふみを祟るつもりなんだ!


 怖くて怖くて、堪らなかった。神様はもちろん、あんな目に遭ったのに、文子の身を案じる清作のことも。


 ーーもしかして、さっくん、ほんものの神様だったりする?


 勇敢で優しく美しい清作が、臆病で薄情で醜い文子と同じ人間だなんて、とても信じられない。


 そうこうしているうちに、両親は村の家を引き払った。それきり、青鳥一家があの村を訪れることはなかった。

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