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神様のやきもち

 文子は悟った。ここは隠し神の場所だ。そんな雰囲気だ。


 斜陽は赤い光を社に投じ、ヤグルマギクの花と青草は、風そよぐ水面のようにきらきらと、燃えるばかりに輝いている。


 凍りつく文子の隣で、ぼそりと清作がひとりごつ。


「……いけね。神様、やきもちやいたな」


 それから「ふみちゃん」と呼び掛ける。応えようとした文子の口唇に、清作は人指し指をあてた。


「声、出しちゃダメだ。絶対に声、出しちゃダメだかんね」


 清作がそう言った、次の瞬間。文子は突風に吹き飛ばされた。


 文子の視界の端で、それは夕陽を浴びぬらぬらと光を反射させながら、大きくその形を露あらわにしてゆく。白蛇のような「何か」だった。「何か」はお社から飛び出した。胴体は途方もなく長く、お社からのびている。


「何か」は、蓬髪を振り乱しながら清作に掴みかかる。グネグネと曲がる長い五指が清作の腕に食い込む。「何か」はもがく清作を抱き寄せる。「何か」に抱擁された清作の姿は、黒々とした蓬髪に覆い隠されて見えなくなった。そして。


 バキ、ボキ、バキバキ、グシャ。


 身の毛もよだつような音が鳴り響いた。


 --さっくん!


 文子は叫んだ。しかし、叫びは喉につかえ、声にならない。


「何か」は文子の目から清作を隠すようにして抱え込み、ズルズルと這いずり、お社へ引っ込んで行く。


 文子の意識はそこで途絶えた。


 文子は、母の腕のなかで目を覚ました。


 母は目覚めた文子を抱きしめて号泣した。鈴生りの人集りをかきわけて、駆け寄ってきた父も泣いていて、妻子を抱きしめた。


 月の隠れた空は真っ黒で、深紅の警告灯が明減し、不穏なけたたましいサイレンの音が鳴り響く。救急隊員がやって来て、診察を受けて、擦過傷の手当てを受けた。救急隊員は


「大きな怪我はなく衰弱もありませんね。念の為に、最寄りの診療所を受診してください。診療所には此方から連絡しておきます」


 と両親に伝えると、慌ただしく立ち去った。


 文子は両親にもみくちゃにされながら、こんがらがる記憶を解きほぐそうと躍起になっていた。


 --なに!? なにがどうなってるの!? ふみ、どうしちゃったの!? 身体中、痛くて、泥だらけで、まるで高いところから転がり落ちちゃったみたい! なにこれ、怖い! さっくん、助けて!


 清作に助けを求めたとき。混乱が解けて、記憶のもやが晴れる。


 帰り道、咲き乱れるヤグルマギクの花、神様の場所。

 吹き荒れる突風、お社から飛び出した「何か」。「何か」に囚われた清作。清作がへし折られて、押し潰される、おぞましい音。それらを思い出すと、文子の胸は激しく動悸した。


「さっくん!!」


 文子は力を込めて両親を振り払い、人集りを掻き分ける。警告灯の不穏な深紅に、心乱される。


 人集りを抜けると、担架にのせられた清作が、救急車に運び込まれるところだった。傍らには清作の母が寄り添い、清作の耳許に唇を寄せて、しきりに呼び掛けている。


 目立つ外傷はない。けれど、生気もない。目蓋を閉ざした白面は、名匠が丹精込めて作り上げた蝋人形のようだ。文子はぞっとした。「何か」に抱擁された清作と、鳴り響くあの音が目眩のように、耳鳴りのように、文子を苛む。


 動悸の消えないうちに、またあわただしい胸騒ぎを重ねた。


 清作の母が、立ち竦む文子に気が付いた。清作の母は、泣き腫らし、ひきつる目許にあるかなしかの微笑を浮かべた。


「文ちゃん、気が付いたの。良かったねぇ。清作も、すぐ良くなっから。したっけ、お見舞いしてやってね。清作、きっと、すんごく喜ぶよ」


 文子は押し黙っていた。体の底から這いのぼる恐怖が、総身を震わせる。胸にいっぱい、もやもやと思っていることがあるのに、どれも言葉にできない。口にだしたら、取り返しのつかないことになってしまいそうで。


 文子の両親がやって来て、母は文子を後から抱きしめる。父は清作の母に会釈した。


 清作の母は、文子の両親に会釈すると、救急車に乗り込んだ。


 回転灯とサイレンが遠ざかって行く。文子は、それらが聞こえなくなっても、見えなくなっても、その場に立ち尽くしていた。


 両親は、それ以上増しようのない茫然自失に陥った文子を抱えるようにして、車に乗り込む。最寄りの診療所を受診したけれど、念の為に、と点滴治療を受けて、帰宅することになった。


 車中で、母は今すぐ、この村を出なければいけないと主張した。


 突然のことに父は戸惑い、興奮する母を宥めようとしたけれど、焼け石に水だった。


「嫌よ! もう嫌! あなただけじゃなくて、文子まで失踪するなんて! あなたがいなくなった一ヶ月半も、文子が帰って来なかった今日も、私、生きた心地がしなかった! この村に関わってから、こんなことばかり、もうたくさん! もう二度と、こんな思いをしたくない! あなたにはわからないのよ! 私がどんなに苦しんだのか……!」


 文子は、ものすごい剣幕で怒鳴り散らす母が恐ろしくて、後部座席で縮こまっていた。父はちらちらと、ルームミラーにうつる文子の様子を窺っているようだった。しかし、母の金切り声を聞いているうちに、文子を気にかける余裕は無くなってゆく。


 父は屹然と溜め息をつき、延々と続く母の言葉を遮った。


「わかった、わかったよ。きみの言う通りにしよう。なるべく早く、次の住むところを探して、この村を出れるようにするから」

「それじゃ遅いわ! 今すぐよ、今すぐこの村を出たいの! こうしてる間にも、また、おかしなことに巻き込まれるかもしれないのよ! わかってるの!?」

「わかってる、わかってるよ。でも、今日はもう遅いだろう。それに、清作くんのこと、心配じゃないか。清作くんは文子の一番のお友達だし、僕ら夫婦も夢見内さんにはお世話になった。せめて、あの子の意識が戻るまで待とう」

「嫌よ、そんなに待てない! だいたい、私は、文子があの子と仲良くするのは嫌なの! あの子、おかしなことばかり言って、気味が悪いんだもの!」


 これは聞き捨てならない。文子は身を乗り出して、母に抗議した。


「やだ! お母さん、さっくんの悪口、言っちゃやだ! 」

「ちょっと、文子、静かにしていて! 今、お父さんとお母さんは大切なお話をしてるの! 」

「でも、でも! さっくん、お父さんを神様から取り返してくれたんだよ! ふみのことも、守ってくれたんだよ!」

「あなた、聞いたでしょ!? あの子、文子におかしなこと、ふきこんでいるの! このままじゃ、文子もあの子みたいに、おかしくなっちゃうわ!」

「さっくん、おかしくないもん! ふみの一番のお友達だもん! それに、ふみ、さっくんのお見舞いに行くって、さっくんのお母さんと約束したもん!」


 叫んだとき、鋭い恐怖の記憶が脳裏を過り、文子はハッとした。


 文子は思い出す。


 あそこは神様の場所だった。清作は「神様、やきもちやいたな」と呟いていた。お社から現れた「何か」は、清作を付け狙う隠し神なのだろう。


 清作は隠し神に捕まって、抱き締められた。きっと、骨をへし折られて、肉を捻り潰された。


 あんなことをされたのに、清作は生きているのだろうか?


 文子は言葉を失い、青ざめていった。


 父はハンドルに拳を叩きつけて、大声を出した。


「わかった、わかったよ! 今日は村を出て、最寄りのホテルに泊まろう。だから、もう、ぎゃあぎゃあ喚くのは止めてくれ!」

「なによそれ!? そもそも、あなたがいけないのよ! あなたがこんな村にこだわるから! 」

「わかった、僕が悪かった! だからもう、勘弁してくれ!」


 父は叫び、急ブレーキをかけた。母の非難の声を黙殺し、即座にUターンする。


 車はぐんぐん速度を上げて、真っ暗な道を駆け抜けてゆく。車内にあるのは重苦しい沈黙だった。


 文子は心のなかで、さっくんが早く元気になりますように、と祈った。さっくんのお見舞いにいけますように。また、さっくんと一緒に遊べますように。文子は祈り続けた。


 清作は文子の恩人だ。一番の友達だ。文子は清作が大好きだ。清作が無事でいてくれることを、心から祈っていた。


 しかし、文子の目の前で、清作は隠し神に抱き締められて、連れ去られた。救急車に搬送される清作は、傷一つ負っていなかったけれど、魂の無い、脱け殻のようだった。


 清作は、このまま、元に戻らないかもしれない。元に戻ったとしても、嫉妬に狂った隠し神は、また清作に魔の手を伸ばすだろう。清作の祖母の守りでも、守りきれないだろう。


 ーー神様、やきもちやいたって、さっくん言ってた。ふみのせい? さっくんがふみと一緒にいたから、神様、やきもちやいたの?


 それに、このまま村に留まれば、文子の家族は壊れてしまうかもしれない。


 ーーでも、ふみ、さっくんと約束したもん。ずっと、一番のお友達でいるって。ずっと仲良しでいるって。ずっと一緒にいるって。


 文子は、清作との約束と隠し神の恐怖を、天秤にかけた。天秤は少しだけ迷って揺れて、傾いた。


 本当は、清作の傍に寄り添ってあげたい。けれど、文子が清作にしてあげられることは何もない。それどころか、文子が一緒にいたら、隠し神が嫉妬に狂う。それに、母は怒り、父も怒る。喧嘩して、ギスギスして、家族はバラバラになってしまう。


 文子は心のなかで、清作に別れを告げた。


 --そんなのやだ。だから……さっくん、ごめんね。バイバイ


 文子はウインドウシールドに目を向けた。短い間だったけれど、慣れ親しんだ風景を目に焼き付けておきたかった。


 ウインドウシールドの向こうには、蒼白の顔があった。

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