神様のめんこ
清作は赤ん坊の頃から、誘拐やら神隠しやらを、数えきれないくらい経験したらしい。
神隠しを認知しない清作の両親にとっては、誘拐、誘拐、また誘拐、の連続である。何度も誘拐され、毎回、運良く両親の許に帰ることが出来た。けれど、これからもそうなるとは限らない。
困り果てた両親、二人が出会い、暮らした札幌を去る決心をした。母方の実家を頼って、この村に越して来たのは七年前のこと。
それでも、清作は浚われ続けた。
清作の身を案じた祖母は、清作の写真を持って、寺院や神社を近場から順々に訪ね回った。道東の山奥にひっそりと佇む神社を訪ねたとき、そこの神主にこう言われた。
「この子は神様のめんこだ」
清作の母は、故郷の村で出産した。神主によると、土着の隠し神が清作を見染め、清作を懐におさめようとしているのだと言う。
清作は幸運に恵まれる子であるから、これまでは、間一髪のところで逃がれてきたが、それも、そう長くは続かないだろう、と。
泣き崩れる祖母に、神主はいくつか知恵を授け、励ました。祖母は娘夫婦に神主の話を伝えたけれど、娘夫婦は戸惑うばかりだった。娘夫婦は今時の若者らしく、神も仏も信じない。孫を守れるのは自分だけ。祖母は奮い立ち、清作を守る為、手を尽くし、知恵を絞った。
祖母のお陰で、今もこうして、ふつうではないけれど、こちら側で生きていられるのだと、清作は言う。
清作いわく、神隠しの多くは、人を隠す「隠し神」によって引き起こされた事件のことである。
文子の父を隠した隠し神は、この土地の、土着の隠し神であり、美しいものを好む。清作に執心し、幾度となく清作を隠そうとした。隠し神は、まだ清作を諦めておらず、今でも、隙あらば隠そうとする。
「ふみちゃんのお父さん、ぼくのこと、描いたって言ったっしょ。ヤグルマギクの花の咲くとこで。あすこはねぇ、神様の場所なんだ。神様さ呼ばれねば、辿り着けねぇ。逢魔刻には、あちらこちらさ、神様の目が開く。ばあちゃん、そう言ってたっしょ? ふみちゃんのお父さん、神様の目さ入っちゃったんだろうね。絵ば上手に描けっから、神様さ目ぇつけられたんだ。したっけ、ふみちゃんのお父さん、隠されたのさ。そんで、神様さ命じられて、僕の姿ば描かされたってわけ」
清作、七歳の誕生日。文子の姿を一目見ようと、旅館の離れに忍び込んだ清作は、そこで文子と出会った。文子の話を聞いて事情を察し、一計を案じた。わざと神隠しにあって、神様の懐に潜り込み、文子の父を取り戻そうとしたのだ。具体的には、逢魔刻に神様の目が開くところをうろついたそうだ。
神様は清作の思惑通り、清作を召し寄せた。清作は、ついに清作を手中に収めたと狂喜乱舞する神様の目を盗み、父を連れて神様の懐から逃げ出した。
清作の話に聞き入っていると、お伽噺の世界に迷い込んだかのようだ。ここは現実の世界だけれど、現実の世界には所々、ぽっかりと穴が空いていて、その穴は不思議な世界に繋がっているらしい。
長口舌をふるう清作が、麦茶を飲んでいるうちに、文子は訊ねた。
「どうして、ふみのお父さん、清作くんのこと、忘れちゃったのかなぁ?」
清作は麦茶を飲み干すと、汗をかいたコップを頬に当てながら、文子の疑問に答えた。
「それはね、ふみちゃんのお父さんの記憶のなかのぼくと、ふみちゃんのお父さんの絵のなかのぼくば、神様さくれてやったからだよ」
「なにそれ? どういうこと?」
「えっとね、つまりね……ふみちゃんのお父さんの記憶のなかのぼくと、ふみちゃんのお父さんの絵のなかのぼくが、ぼくの身代わりさなってくれたってこと」
「ふぅん? それで、清作くんは大丈夫なの? 」
清作の話は謎めいていて、文子にはよくわからない。とにかく、清作のことが心配なので、そう訊ねると、清作はきょとんとして、それから、けらけらと笑った。
「大丈夫、大丈夫! ふみちゃんのお父さんのおかげで、ぼく、なんもとられてないし。こんなの、慣れっこだし。平気だよ」
「なれっこなんだぁ。「神様のめんこ」だから?」
「うん」
「なんで、清作くん、「神様のめんこ」になっちゃったのかなぁ?」
「そりゃ、ほら。ぼくってば、すんごい美少年だからね。神様はぼくさ一目惚れしちゃったのさ。神様だけじゃねくて、時々、知らねぇひとさも、浚われそうさなる。やきもちやきの神様が邪魔すっから、浚われたことはねぇけども。しょうがねんだ。父ちゃんは、モテル男は辛いな、美男子の宿命だな、って言ってる」
文子は感心して、何度も首肯いた。清作は、紛うことなき「すっごい美少年」である。何せ、隠し神に一目惚れされてしまう程の美少年なのだから。
文子は「善いものは美しい」と言う、父の言葉を思い出した。
類い希な美しさと善性は、ひとのみならず、ひとならざるものも惹き付けるのだろう。
それに、清作は人並み外れて美しいばかりではなく、人並み外れた幸運の持ち主であり、人並み外れて図太い神経の持ち主だ。そうでなければ、とっくの昔に、神様に連れ去られて、懐に納められていたに違いない。
文子の願いを叶えてくれたのは、神様ではなくて、神様みたいな男の子だった。
「すごぉい……清作くん、正義の味方だね。ヒーローだね!」
文子は心の底から感嘆した。
文子が、父をかえしてと清作にすがったのは、清作のことを、父を隠した隠し神だと思い込んでいたからだ。人間の男の子だと知っていたなら、見ず知らずの男の子に、こんな大変なことを頼んだりしなかった。
清作は、出会ったばかりの文子の願いを叶える為に、危険を冒してくれた。この、優しくて勇敢な男の子を、ヒーローと呼ばずして誰をヒーローと呼ぶのか。
尊敬の眼差しを向けられた清作は、すっとんきょうな声をあげてたじろいだ。
「えぇ? ヒーロー? 僕が? なしてぇ?」
「ヒーローだよ! だって、清作くん、ふみが困ってたら、たすけてくれたもん!」
文子は何度も首肯いた。
父をとりかえしてくれた見返りに、友達になる。なんて、おかしな約束をしたことを、文子は後悔していた。そんなことしなくたって、文子と清作は、きっと、一番の友達になれる。文子は、そうなりたいと思う。
「清作くんはすごい男の子なの! ふみ、清作くんのファンになっちゃいそう!」
「えぇ? なぁに、それぇ?」
清作はえへへと笑った。白い頬と耳殻は、熟したリンゴのように真っ赤になっていた。文子は清作の真っ赤な耳を指差して、囃し立てた。
「あれー? てれてる?」
「照れてねぇ! なしてぼくが照れねばなんねぇのさ!」
「えー? てれてるよ、ぜったい」
「照れてね! 本当だってば! 信じてー!」
「なんでぇ? えへへ、てれてるの。かわいいねぇ」
文子がかわいいと繰り返していると、清作は両手で耳を塞いで蹲った。清作の頭がちょうど良い高さにあるので、文子は清作の頭をよしよしと撫でてあげた。
清作は指の間から文子を見上げて「めんこいのは、ふみちゃんでしょや」と呟いた。
清作は、真っ赤になっても、とても綺麗だ。
それから、文子と清作は、一番の友達になった。願いを叶えてくれたお礼ではない。恩返しでもない。文子と清作は、なるべくして、一番の友達になったのだ。