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はじめまして、かみさま

 文子と目が合うと、こどもは目をまるくして、すぐに身を翻す。文子は跳ね起きて、こどもを呼びとめた。


「まって!」


 ぱたぱたと軽快な足音がぴたりと止む。ややあって、透き通るような声が応えた。


「……なしてぇ?」


 父の描いたこどもの声だ。想像した通りの声だった。この地域独特のこもるような訛りは、その声にのると、人魚の歌のような蠱惑的な響きを孕む。


 文子はこどもの影法師に目を落とす。こどもの足元から伸びて、襖に浮かぶ影さえ、均整がとれている。


 ――さっき、おばあちゃん、神様の目が開く、って言ってた。神様、起きたんだ! 起きて、ふみに会いに来たんだ! おねがいしなきゃ。お父さんをかえしてください、って!


 神社参拝の作法に則って、神様にお願いしようと思い付く。作法は初詣のとき父に教わった。


 文子はすっくと立ち上がる。姿勢を正し、二回、深くお辞儀をする。二回、胸の高さで手を打ち合せる。手をきちんと合わせて、心を込めて願いを唱える。


「かみさま、おねがいします。どうか、お父さんをかえしてくださいっ!」


 深々とお辞儀をする。こうして心を込めてお願いすれば、神様は願いを聞き届けてくれると、父は言っていた。


 ところが、父の描いた神様は、小鳥のように、首を傾げるばかりだった。


「きみのお父さん、 神様さ隠されちゃったの? なしてぇ?」

「お父さん、かみさまの絵を描いてたの。お父さん、神様に見惚れて、ついてっちゃったんでしょ? 」

「神様の絵ば描いてたって? もしかして、ヤグルマギクの花の咲くとこ?」

「うん」

「ふーん、やっぱりねぇ」


 ――アレ? おねがい、叶えてくれないの? ……もしかして、おさいせん、あげてないから? そうだ! お父さん、おまいりのときは、ちゃんとおさいせんを用意しなさいって言ってた!


 しかし、文子はお金をもっていない。どうしたものか考えあぐねていると、お賽銭について説明してくれた父の言葉を思い出した。


『お賽銭というのは、お願い事を叶えて貰ったお礼として、神様に奉納するお金のことなんだ。元々はお金じゃなくて、海の幸、山の幸、お米などを供えたそうだよ』


 文子は部屋を飛び出した。廊下に佇む神様は、父が描いた通り、暗闇から浮き上がって見える。夜空に架かる、明るい満月のように。


 よく見ると、でかでかと「本日の主役」と手書きされたタスキを右肩に掛けて、ハッピーバースデーサングラスを頭の上にのせている。


 五歳の文子には、漢字が読めないし、英単語もわからない。わからないけれど、神様はきっと、ついさっきまで、これ以上ないくらい、浮かれ騒いでいたのだろうと思った。


 文子は、きょとんしている神様の一歩手前で、つんのめって立ち止まる。


 --おさいせんは、お金じゃなくてもいい。だったら!


「ねぇ、かみさま! ふみがあげられるもので、なにか欲しいものある!?」

「えぇ? 神様って、ぼくのこと?」

「そう!」

「うーん?」


 神様は首を捻っている。文子は焦った。文子は、大切にしている宝物を思い浮かべて、言い連ねる。


 お父さんにねだって買って貰った玩具、抱きしめると安心出来る大きなイルカのぬいぐるみ、お母さんと一緒に海辺で拾い集めたシーグラス。


 どれも大切なものだけれど、お父さんが帰ってくるなら、全部あげても良い。ちっとも惜しくない。


 神様は難しい顔をして、うーんと唸っている。文子がじりじりしながら、神様の結論を待っていると、神様はあっけらかんとして「どれもいらね」と言った。


 文子はぎょっとした。


 --とっておきの宝物をあげるって言っても、ダメなの!?


 途方に暮れて、涙ぐむ文子に、神様はこんな提案をした。


「そのかわり、きみ、ぼくのお友達さなってよ」


 文子は目をぱちくりさせた。涙はひっこんでいた。


「え? なんで? なんで、ふみとお友達になりたいの?」

「母ちゃんがさ、言ってたんだ。君のこと、ぼくが好きになりそうな女の子だって。そう言われたら、気になるじゃん? だから、ばあちゃんの目ば盗んで、こっそり見に来た。したっけ、ほんとにそうなった! 母ちゃんすごいよね、すごくない?」


 神様は早口に捲し立てた。神様が何を言っているのか、よくわからなくてへどもどしていると、神様は口を両手で覆った。


「ぼく、喋りすぎてた? いけねっ! えっと、つまり、ぼくは君と仲良くなりたいってことなんだけど、どう? いや? だめ?」


 神様は身を屈めて文子の顔を覗きこむ。上目遣いに見詰められて、文子は綾取られる人形のように答えた。


「だめじゃない。いいよ、いいけど…… おともだちになってあげたら、お父さんをかえしてくれるの?」

「うん」

「ほんと!? 」

「ほんと」

「わかった! ふみ、かみさまの一番のおともだちになってあげる!」

「一番のおともだち?」

「うん!」

「それって……ずっと、仲良しってこと? ずっと、一緒ってこと?」

「うん!」

「……わぁ! いいね、それ!」


 神様はにっこり微笑む。その微笑の美しさは文子の心をうつ。人を虜にする笑顔だった。甘美な酩酊とおぞましい戦慄を糾うような、奇妙な感動に襲われ、文子は身震いする。


 神様は胸を張って、こう言った。


「したっけ、きみのお父さん、ぼくが見つけたげるよ。 だいたい、わかってる。神隠しっしょ。すぐ見っかるさ。ぼく、詳しいんだ。なんべんもなんべんも、神隠しさあってっからね」


 神様は文子に歩み寄ると、白い手を差し出す。文子がその手を握ると、くすぐったそうに笑った。


「ぼく、お友達できたの、はじめてだ。仲良くしてね、ふみちゃん」


 文子の意識は、そこで、ふつりと途切れた。気が付くと、布団に入っていた。



 鴉がカアカア鳴いている。日が沈もうとしていた。枕元には、おぼんにのせられた湯呑みがひとつ、冷たい水を湛えている。


「こぉら、清作! 逢魔刻さなったら、出歩いちゃなんねぇと、なんべん言ったらわかるんじゃ! ……チョット待ちな、清作。おめぇ、神様の目さ入ったな? なして、そげな、おっかねぇ真似ばした!? まぁた隠されたら、どげするだ! 次は、見逃して貰えねかもしんねど!」


 老婆の怒声が聞こえる。


 --きよさくって、だれだろ? ここの、おじいちゃんかな? 怒られてる。なんで?


 夕陽の残滓を受けて、きらきら光る水面をぼうっと眺めていると、ばたばたと忙しい足音が近づいてくる。水面に漣がたち、襖が開け放たれる。


 部屋に飛び込んできた母は、寝ぼけ眼の文子をかき抱くと、感極まって叫んだ。


「文子! お父さん、帰ってきたよ!」

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