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 二年ばかり前のこと。

 終業後、たまたま見回りに来ていた管理官の一人が、丁度棚に瓶が増える瞬間に出くわした。

日々瓶の増減を数えている管理官でも、なかなか見られない希少な瞬間である。

 しかし狭間に生まれた瓶はほとんど空。露ほどの寿命しか入っていない。すぐに消えてしまう運命だとわかり、管理官は悲しい気持ちで慈しむように瓶に触れた。

 その瞬間、この狭間で知りようはずも無い、この瓶の生まれる経緯が伝わって来た。それはこの今生まれた瓶の両親の記憶。

 地上、ドワンダ王国の北、キモリ地方のとある村。

 そう豊かとは言えないものの、穏やかな気候に恵まれて平和なその村に、若い夫婦がいた。

 二人ともとても働き者で、周囲が羨むほどの仲の良い夫婦だった。しかし、長らく子供に恵まれず、その事だけが二人の悩みであった。

 そんな二人が、やっと子供を授かることができたのだ。

 日々妻の腹の中で育つ愛の結晶に喜び、明るい未来を想像していたのも束の間。

 難産の末に生まれた子は産声を上げず、かろうじて動いている心臓もすぐに止まりそうだ。

 この残量ではもう数分も持つまい。両親は待望の我が子を得たのになんと不憫な。そして子も愛されて生まれて来たのに親の顔も見ぬまま……管理官はなんともやり切れない気分だ。

 地上では動かない我が子を抱きしめた両親が神に祈る。

「ああ、神様。私達の命を全てこの子にやってくださって結構です。どうかこの子を助けてください!」

 血の滲むようなその祈りは、天上の神には届かない。

 しかし触れた瓶を通じて管理官には届いた。

 確かに、両親の寿命を子の瓶に注げば、子はすぐには死なないだろうが……。

 地上の生き物の寿命を操作するのは禁忌。一度例外を作ってしまうと、歯止めが利かなくなり生まれ持った本来の寿命が損なわれるからだ。

 しかし、瓶を管理する側にも情はある。誰も見ていない間に起きたなら仕方ないが、管理官はほぼ空の新しい瓶が生まれる瞬間を見た。そして悲痛な祈りも聞いてしまった。

 最後の一滴ももう間もなく無くなり、消えそうな瓶。考える時間は無い。

 辺りに他の者がいないか確認した後、管理官はこっそり両親の寿命を少しずつ子の瓶に分け与えた。丁度三つの瓶が同じ量になるように。

 子の寿命は決して長いとは言えないだろうし、両親の寿命もかなり縮んだ。それでもこの後、たとえ丈夫で無くとも子は生きて成長し、愛され、多くの人と出会い、両親と同じ時を生きる事はできる。

 管理官は禁忌を犯してしまったことに罪の意識を抱いたものの、地上ではやっと産声を上げ始めた我が子に、両親が歓喜の涙を浮かべて神に感謝の言葉を呟いていた。

 神では無くとも、感謝の言葉は管理官に届いた。

 罪悪感よりも、達成感が上回った瞬間、管理官の口元に笑みが浮かんだ。

 この禁忌を犯した管理官こそが、アーシェルだったのだ。

 誰も見ていないだろうとその棚を後にしたアーシェルだったが、実は忘れ物を取りに戻ったダンが、途中からこっそりその様子を見ていたのである。


「あの主任が……ですか?」

 ビビアは信じられないという表情だ。

「俺は本人に問い質すこともしなかったし、当然他の管理官にも言ってない。でも実際この目で見ちまったからさ。確認のために次の日その瓶に触れてみて事情はわかった」

 ダンの話を疑うわけではない。しかしこれがダンがやったというのならビビアも納得がいくし、自分ももし同じ場面に遭遇したら同じことをしただろう。

 でもあのアーシェルが……と思うと、まだ少し実感が湧かないビビアである。

「先輩を疑うわけじゃないんですけど、なんかこう、私の持ってる主任の印象と違うというか」

 そんなビビアの様子を見て、ダンはもう一押し。

「君がどういう印象を抱いてるのかは知らないけど、ああ見えてかなり情が深い人だよ。見た目で冷たく見えるだけかな。無愛想なのも感情表現が苦手なだけで」

「そうなんですか? 確かにいい人なのはわかりますけど……」

 そろそろダンは『バレても叱られないかもしれない』の本題に入りたい。

「で、だ。俺が思うに、主任が君を人の瓶の管理官にしたのも、出身地の担当にしたのも、事故の責任を取りたいというのはもちろんだろうけど、ひょとして君に地上の問題を何とかする機会を与えるつもりもあったのかなと」

「どうしてそう思うんですか?」

「先任者が辞めて君が空席を埋めるまで、一時期でコノエ地方の管理をしていたのが主任だったからだ。おそらく地上の事情をよく知ってたはずだから。」

「おお! なるほど」 

 先輩へらへらしてるのに頭いいじゃない! と、ビビアは感動しきりだ。今まで頭の中でモヤモヤしていたものが、ぱぁっと晴れた気さえする。

「じゃあ、コノエのクズ子爵の件って、ほぼ公認だと思ってもいいかも?」

 これは本当にバレても叱られないかもしれない。そう安心すると、この狭間に飛ばされてしまったことも管理官になったのも案外良かったのかもしれないとビビアは思う。

 地上ではできなかった父や領民の敵を打つことができるのだから。管理官にしてくれたアーシェルにもっと感謝しなければいけない。

「かと言って、バレ無いに越したことはないからちょっと気をつけようか」

「そうですね。ほどほどにしておきます」

 そしてダンは、ニヤリと少し意地悪に笑う。

「もし咎められても、いざとなれば主任に自分もやったじゃないかと脅すこともできる切り札も持ってるしな」

「……先輩、地味に酷く無いですか、それ」

 その後も二人は食事をつつきながら雑談していて、いつしか内容はアーシェルの話になって行った。

「そういえば、さっき主任が無愛想なのは感情表現が苦手だからって言ってましたよね」

「ああ。俺も最初はわからなかったんだけど、なんというか、不器用なんだろうな。あの見た目だろ? 君もそうだったように、皆が冷たそうだとか、完璧だけど怖いとかいう印象を持つじゃないか。でもよくよく観察してみたら本当はちょっとドジなところとかあって。でも無表情で誤魔化してるあたり可愛い人だよ」

「か、可愛い……? あ、でも確かに服の袖に瓶を引っ掛けて割っちゃったくらいのドジっ子さんなんですよね。私もよく観察してみようかな」

 失敗を無表情で誤魔化しているところが想像が出来て、失礼かと思いつつもビビアは笑いを堪えるのに必死だった。

 さらにダンが続ける。元々饒舌だが、そろそろエールも回って来て舌が滑らかなようだ。

「面白いのがさ、女の子達が話しかけてくれないのは、自分はモテないからだと本気で思ってるみたいで。ただあれだけの美形だから、憧れの目では見ても何となく近寄り難いというか、女の子が引け目を感じるんだってわかってないんだ」

「ええー?」

 女の子達の気持は非常によくわかるビビアである。確かに近づき難い。それにああも美しいと余程の自信のある女性じゃないと釣り合わないと思ってしまうだろうとも。

 しかしどうやったら自分がモテないと本気で思えるのだろうか。それはちょっと理解できない。

「俺、どうやったらそんなに簡単に女の子と仲良くなれるのかって、主任に相談されたことがあるぞ。真顔で」

「……わぁ。やっぱり真顔なんだ」

 それ以前に、相談をする相手がダンだということは、アーシェルにすらダンはモテモテの遊び人だと認定されているんだなと少々呆れたビビアである。

「それで、先輩はなんて教えてあげたんですか?」

「普通に、まず食事にでも誘ってみるとかでいいんじゃないかって」

 至極まっとうな答えが返って来た。

 そこで、ビビアはハッと気がついた。

「私、今日、食事でもどうかって誘われたんですけど断っちゃいましたね」

「おぅ……可哀想な主任。多分、めちゃくちゃ思い切って誘ったんだと思うぞ」

「明日からはちょっと優しくしてあげようと思います」

 ビビアとダンが顔を合わせて笑ったその時。

「お前達……人のことを好き勝手言っているな」

 後ろのテーブルから、ひっそりと声が聞こえた。

 この声は―――。

 そーっと声の方を振り返ったビビアとダンは、そこに無愛想に座っている人物を見て飛び上がりそうになった。

「主任?!」

 無表情のままだが、よく見ると耳朶が少し赤くなっているアーシェルがそこにいた。


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