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「ぷはぁー。生き返ったぁ」

 小さな食堂兼酒場の片隅で、勢いよくジョッキをあおったビビアが満足げに声を上げる。

「ビビアちゃん、まるで酒飲みのオヤジみたいだな」

 ダンはその様子を見て苦笑いだ。ビビアは年齢もあってまだ酒を飲んだことはないので、ジョッキの中身は果汁である。一方ダンはエールを同じくあおった。

 一見デートのように見えても、ビビアはダンに関しては同じような境遇ということもあって、頼りになる兄的な存在として慕っている感じだ。ダンもビビアの事は妹のような存在という領域を出ない。

「早く私も先輩みたいにお酒が飲みたいです。飲まなきゃやってられませんって」

「肉体労働じゃなくてもかなりキツイもんな、この仕事」

「まったくですよ。めちゃくちゃ神経が磨り減ります」

「でもまだ君には早いし、なにより酔っぱらって二日酔いで職場に行ったら主任に怒られるぞ」

 そのダンの言葉に、ビビアはテーブルに突っ伏した。

「私、主任……ちょっと苦手です……」

「なんで? 仕事に厳しい人ではあるけどさ、美男だし、紳士だし、優しいところもあって大概の女の子達は憧れの目で見てるぞ?」

 限りなく白銀に近いサラサラした長い髪、白い肌、深い湖を思わせる青い瞳。それぞれ最高のパーツを集めて絶妙位置に配置したような目鼻立ち。そんな美しい顔に細身の長身。所作も優雅で、確かにアーシェルの見た目は完璧と言えよう。それゆえに少々浮世離れしても見えるが。

 性格はどうだろう。常に無表情で、仕事に関しては厳しいものの、部下への気配りもできて優しい。

 あれ? 嫌うところ無くない? ビビアはそう思ったものの、なぜかアーシェルの前に出ると酷く緊張してしまうのだ。動悸がするというか、胸がドキドキいう。それがどういった感情から来るのか、自分でもわかっていないので『苦手』と表現するしかないのだろう。

「あ! あの無表情がダメなのかも。先輩くらいへらへらしてると大丈夫なんだけどなぁ」

 アーシェルとは方向性が違うものの、ダンもかなりの色男である。短めの明るい茶色の巻き毛に小麦色の肌、くっきりした目鼻立ち。程よく筋肉のついた逞しい長身。地上にいるときは非常に女性にモテた。表情が豊かでとっつきやすい感じは、少々遊び人的な印象を与えるものの、そこが魅力とも言えよう。

 とはいえ、アーシェルが無表情なのも、感情を表現するのが苦手で不器用なだけなのを、ビビアよりも少しだけ付き合いの長いダン達は知っている。

「……へらへらしてて悪かったな。ってか怖いぞ、主任がへらへらしてたら。想像できるか?」

「うっ!」

 想像の範疇を超えて非常に怖い絵が浮かんだので、ビビアは話題を変えることにした。

「瓶を数えて報告するだけの簡単な仕事だって聞いて引き受けたのに。まさかこんなに責任重大だとは」

 ぼやくビビアに、ダンもため息を吐きながら言う。

「その通りの仕事ではあるけどさ。瓶の中身が人の寿命だからな……」

 そう。ビビア達の職場は、人の寿命を管理する場所なのである。

 もちろん彼らは神では無いし、職場も神殿のように荘厳な雰囲気でも無く、無機質で飾り気など一切無い大きな倉庫のような建物。その内部には幾つもの棚が整然と起立しており、棚の各段には途方も無い数の瓶が並ぶ。棚ごとに担当者がいて、日々増減する瓶を数えるというのが仕事なのだ。

 瓶は人、そして中身はその人の寿命。

 中身が空になったら瓶は消滅する。それはすなわち、その人が死んだということ。新しい瓶が増える時は、赤子がこの世に生れ出た時。

 ここは天国でも地獄でも無い。人が住まう地上と神々が住まう天上との狭間の世界。ここは本来、生き物の寿命の置き場としてのみ存在する微妙な世界だった。

 ビビアがこの世界に来たのは一年前。彼女は瓶を管理されていた側の地上の住人で、つつましくはあってもそれなりに幸せに暮らす、ごく平凡な村娘だった。ある日家族と朝食を摂っていた最中に、気がつけばここにいたのだ。

 死んだわけではない。ビビアの瓶にはまだまだ充分な残量の寿命があった。だが時折、この狭間の世界で不測の事態が発生し、瓶が割れてしまうことがある。

 まだ残っていた寿命は行き場を失い、瓶の代わりに肉体がこの狭間の世界に飛ばされる。この際、地上では忽然と人が消えたようにしか見えない。所謂神隠しとでも言おうか、説明不可能な消え方をした者の多くは、ビビアと同じく寿命があるのに瓶が破損した者である。ビビアの目の前にいるダンもそうだ。

 このように、狭間の世界にも数多くの人や動物が地上から飛ばされて来てここに居着いた。やがて、やって来た者同士で子を成し、何代も営みを続けるうちに地上と遜色ない世界となっていったのだ。普通に町も家も畑も、今ビビア達が飲み食いしているような店だって沢山ある。

 かつてこの世界に先に居着いた者たちは考えた。これ以上、自分達のように寿命を終える前に瓶が破損し、飛ばされて来ることが無いように、きっちり管理したらどうだろうかと。

 こうして狭間の世界に瓶の管理官という職業が生まれた。

 管理官は地上の各大陸ごとに組織が分かれており、その中でさらに国や地方に細分化されている。ビビアやダンがいる職場で例えるなら、ルワナ大陸のドワンダ王国担当の現管理主任がアーシェルであり、王国内の各地方、村担当がビビアやダンである……というように。

 ついでのことを言うと、瓶の管理が必要なのは人だけでは無い。動物、植物、ありとあらゆるものの寿命にそれぞれ担当管理官がいる。数だけで言えばビビア達の仕事はまだ楽な方かもしれない―――。

 昔は、自然災害や獣が瓶を割ってしまう事が多かったが、管理官が生まれてからというもの、瓶は割れないよう建物の中で安全に管理されいる。よって、地上から飛ばされて来る者もほとんどいなくなった昨今。この狭間の住人は、ほぼここで生まれた子孫達である。ダンは例外としても、アーシェルをはじめとしてビビアと同じ職場の同僚達も大体がこの狭間の生まれだ。

「でも、こんなにしっかり管理しているのに、なぜ私の瓶は割れちゃったんでしょうか。それ以上に、主任がどうして私を人の管理官にしようと思ったのかが不思議なんですけど」

 ビビアが疑問に思うのも無理ない。余程の事が無い限り瓶が割れる事はほぼ無いのだ。そんな中、一番最近この世界に飛ばされて来た人間がビビアだから。

 突然日常からも家族からも引き離され、見知らぬ世界に放り出されたまだ十六の少女は、現実を受け止められずにただひたすらその身の上を嘆くばかりだった。

 そんなビビアに最初に手を差し伸べ、この世界の事を教え、管理官の仕事を勧めてくれたのがアーシェルその人だったのだ。

 仕事上では厳しくて怖いと思っているビビアも、実はアーシェルには感謝しているし、尊敬もしている。しかし、もっと他の仕事を勧めることもできたであろうに、新参者の小娘に、よりによって責任重大な人の寿命の管理を任せた事に関しては納得がいかない。

 ビビアの疑問に対するダンの答えは、かなり衝撃的なものだった。

「あれ? 聞いてなかったっけ? 管理棟の大掃除の時に、君の瓶をうっかり割ってしまったのが主任だったからだよ。君を自分の近くに置いて責任をとりたかったんだろうな」

「ええー?! ホントですかそれ?」

 なんと。生まれ育った地上から狭間に飛ばされた原因を作った犯人がアーシェルだったとは。一年目目にして初めて知った真実。

 ひょっとしなくても恨んでも憎んでもいい人なのでは? そうビビアは思ったものの、なぜか憎く思えないのが不思議だった。とりあえずダンの言葉の中に、気になりすぎることがあって。

 あの真面目が無表情の服を着て歩いてるような人がそんなミスを? いやそれより―――。

「大掃除って……あの主任が掃除をしていたんですか? 似合わない!」

 浮世離れした美男のアーシェルが、無表情のまま箒やはたきを持って掃除しているところを想像してしまったものだから、ビビアの思考は全てそちらへ持って行かれたのだ。

 ダメ。その美しい手にはペンと花くらいしか持っちゃ! ビビアは心の中で叫んだ。

「ま、まあ確かに似合わないけどさ。引っかかるのそこかよ? 掃除はしてない。あの人は最終確認をしてただけ。でもほら、主任管理官の制服の上着の袖、めちゃくちゃ邪魔だろ? 何かの拍子に引っかかったらしくてさ。他は倒れただけで無事だったけど、君のは運悪く割れてね」

 ……確かに、ビビアも誰がデザインしたのかと問いたくなるほど、管理官の制服の袖はヒラヒラしている。仕事の内容を考えれば、もう少し改善して欲しいと願うばかりだ。主任管理官ともなると、ビビア達の倍くらいには袖が大きい。

「つまり事故だったんですね」

「事故だな。俺も君と同じような事故が理由でここに来た。犯人は主任じゃないけど」

 朝食の最中に飛ばされて来たビビアはともかく、三年前にダンが飛ばされて来た時の事はあまり公にはできない状況だった。管理官の一人がうっかり棚にぶつかって、ダンの瓶を床に落とした時、ダンは女性と同衾中だったのだから。狭間に飛ばされて来た時の姿たるや、言わずもがなである。

 そんなわけで、これ以上ビビアに細かく聞かれる前に、ダンは空気を変えることにした。

「さあさあ。お腹空いてるだろ、ビビアちゃん。料理を食おう」

「そうですね。ここに来て一番良かったことは、美味しい物が食べられることです」

「だよな」

 二人の前には、豪華な料理がすでに運ばれて来ている。

 ビビアもダンも地上にいる時はどちらも平民でそう裕福では無かった。

 地上のすべての国がそうというわけでは無いが、二人の出身地であり担当であるドワンダ王国では、王族や一部の貴族階級が贅沢な生活をする一方、地方の農民や平民は重い税や高い物価に苦しめられ、毎日何か食べられれば御の字程度の質素な生活を強いられていた。

 正直、ビビアは今目の前にあるような、大きな肉の塊を焼いて凝ったソースがかけられた物や、固くない白くて柔らかいパン、甘いお菓子など狭間に来て初めて食べた。

 ずっと昔から動物も植物も『事故』で狭間に飛ばされて来て繁殖し、育てられているから潤沢に材料はあり物価も安定している。そして狭間では不当に搾取する支配者階級もいない。管理官の組織編成の例をとってもわかるように、非常に合理化され、秩序を持って社会が回っている。特別な権力を持つ者も、裕福な者もいない代わりに、皆がそこそこ水準の高い生活ができているのだ。

「お母さんや妹にも食べさせてあげたいなぁ……」

 絶対に無理とわかっていても、ビビアは思う。自分だけがこんなに贅沢をしていていいのかと。

 ダンもその気持ちはよくわかる。三年経った今でも思わない日は無いのだから、まだこの狭間に来て一年しか経っていないビビアなら尚そうだろうと理解できる。

「まあでも、自分の生まれ育った地域の管理官にしてくれた事に関しては、主任にものすごく感謝してる。もう会えなくても、こちらからは親や兄弟、友人達がどうしているのか確認する事もできるからな」

「そうですよね……」

 ダンもビビアも、それぞれ担当のキモリ地方、コノエ村の出身である。一見どの瓶も同じに見えても、近づくとどの人間の物かがわかるのが二人とも不思議だった。家族や知り合いの瓶の残量を確かめることで、彼らの寿命がまだあることを知り、健在だと安心することができるのだから。

「で、例のアレ、上手くいってるみたいじゃないか」

「そうでしょ? ウチ、もう二ヶ月も瓶が減って無いんですよ。どうしようもない奴でも、皆の役に立てるんですから素晴らしいじゃないですか。でもほどほどにしておかないと、主任がそろそろ気がつきそうで」

「大丈夫だって。さっきの続きになるけどさ、アレを上手くやれば、結果家族にだって楽をさせてやれるかもだぜ?」


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