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婚約破棄短編集

国母候補は、二度愛される

作者: 和泉鷹央

 はあ‥‥‥。

 朝食もそこそこに、アネットは重いため息を一つ、ついてしまった。

 家臣が集う場が一気に暗い雰囲気に包まれる。

 一同の視線を集めた彼女、ライリッヒ伯爵令嬢アネットはそれを感じると、慌てて居ずまいを正す。

 配膳を担当する侍女の一人が声をかけた。

「お嬢様?」

「はいっ? え、ああ‥‥‥なんでもないわ」

「さようでございますか。しかし、先ほどから同じような行為ばかりの気がしますが‥‥‥」

 侍女は不安そうな声を出す。

 アネットはなんでもないわ。それだけを告げまったく進んでいなかった、食事に手をつけた。

 そんな娘と家臣のやり取りをまのあたりにして、一人の人物がため息をつく。

 困ったものだ。

 その様を見て、場の長である伯爵は頭を抱えていた。

 長女の物憂げな態度がここ最近続いている。

 普段はあんなに明るくて場の雰囲気を壊すようなことはない子だったのに。

 そう思うも、食事はこの城の家臣を集めて行われる毎日の行為で、いわば共同事業だ。長の娘がこれでは、家長である自分の差配が疑われてしまう。

 伯爵は、食後に娘を書斎に呼び出して事情を問いただすことにした。



「お父様、呼ばれましたか?」

「ああ、来たか。お前に訊きたいことがあるのだ」

「それは――今朝の件についてでしょうか」

「分かっているなら、話が早い。そうだ、何があった、アネット」

「‥‥‥あまり、お伝えしたくありません」

 そう言い、アネットは青黒いブルネットの顔にかかる長髪を後ろへとやってしまう。

 長女のこの仕草は苛立ちを覚えている時の癖だ。

 伯爵はそろそろ白髪が混じりはじめた、アネットよりも濃い黒髪が更に白くならないで欲しいと願いながら、座りなさいと娘に促した。

「ソファーで話をしよう。ああ、お前。何か飲み物を用意しなさい」

 控えていた侍女に申しつけると、普段は家人が座ることを許されない来客用の応接セットで二人は対面していた。

「何度も訊くことはしない。今朝のため息の、ああいや。ここ数日のお前の態度がそれを物語っていたな。その原因は殿下か?」

「‥‥‥はい、お父様。殿下の心無い。いえ、そうは言えないのですが。でも、そんなお言葉があまりにも辛くて」

「なるほど。殿下が開明的で海外の新たな文化を取り入れようとされていることは、わたしも聞いている。そこに問題があるようだな。しかし、こんな場所でも言い方によっては批判と受け取られてしまう。そこは気を付けて話なさい」

「実は‥‥‥殿下はその、自由な恋愛を。真実の愛を知りたい。それを探したいと申されたのです」

「真実の愛と、自由な恋愛のつながりがよく分からないが。それは、正妻として迎え入れるとあちらから婚約を申し込んできた殿下のことだ。もちろん、側室を探すという意味になるのだろうね?」

 伯爵は娘の婚約者なら、そう考えたのだろうと思っていた。

 しかし、アネットが無言で首を振るのをみて、それが思い違いであったことを知る。

「始まりは王国の貴族子弟子女が通う、学び舎。王立学院のパーティーだったの、お父様」

「ふむ‥‥‥」

 娘が語り出す、三か月前の出来事に、伯爵はそっと耳を傾けるのだった。



 ☆



――三か月前。シドニア王国王立学院のとある夜。

 そこでは、来期で卒業を迎える上級生たちを送り出す前夜祭が開かれていた。

 シドニア王国王太子シャルマンはまだ若い十七歳。

 一歳年下のアネットに求婚を申し込み、周囲から見ても二人の仲はそれなりにうまくいってように見えた。

 そのパーティーの席で、上級生の一人。

 アルシャワ帝国からの留学生、レドン公子がもう少しこの国も自由になるべきだ、そんな趣旨のことを熱心にシャルマン王太子に説いていた。

「信じられるか、シャルマン。我が帝国では、貴族と平民の垣根を取り払おうという動きがある。まあ、それは感心しないが貴族にとってはいいこともある」

「レドン、それが気になるな。どう、いいことにつながるのだ。僕には、特権が失われていくように思えるが」

「そんなことはない。水は上から下に流れる。下からは来ないのさ。つまり、良い伴侶を求めるには下に行けば行くほど、その可能性が広がる。そんな意味だ」

「しかし‥‥‥家の格や身分が違うだろう。大体、街娘なんかを妻にしてみろ。周囲から嘲笑を買うぞ」

「それは当たり前だ。だが、考えてみろシャルマン。俺たちと同じ年齢だから問題なのだ。もっと幼いうちに見つけ出し、どこかの貴族令嬢として養女にすればどうだ? その多くの問題から解放されるだろう。ついでに」

 と、レドン公子は馬に鞭を入れるような仕草をして見せた。

「‥‥‥悪趣味だな、公子。それではまるで、仔犬から自分好みに育て上げるようなものだ」

「そうだとも。だが、何が悪い? 教養を与え、礼儀を教え込み、更には特権階級にまで入れる。当人にも、実家にも悪いことは何もない。なあ、アネット?」

「え、ああ‥‥‥そうね、レドン」

 悪いことは何もない?

 その当人の意思はどこにあるの?

 望まない、望めない、自分で決めることも判断もおぼつかないうちから、家族から切り離されて、男の好みにしつけられる。


 そんなの、まさしく家畜同然じゃない。


 アネットはそう思ったが、相手は男性だ。その言葉に異論を挟むことは、淑女の礼儀に反する。その場には、将来の夫も同席していたし、ここで恥をかかせるのは心苦しい。

 そう思ってあいづちを打っていた。

 まさか、正妻どうこうの話にまで発展するとは思わずに。

「なあ、シャルマン。どうだ、君も探してみては」

「僕がか? やめてくれよ、レドン。将来の奥様の目の前だぞ」

「気にすることはないさ。彼女の立場は正妻ときちんと約束されている。側室をどう考えようが、文句は言わないはずだ。なあ、アネット?」

「それは――殿下の御心のままに。わたしは従うだけですから」

「と、申されているがな? どうだシャルマン」

 レドンは何も問題はないようだぞ、と王太子を焚きつける。

「自由恋愛か。しかし、さっきの話だとその趣旨とは離れるな。自由ではなく、単に良い人材を確保して先行投資するだけに聞こえるぞ、レドン。矛盾している」

 いかに王太子といってもそんな勝手は、父上が許さないよ。

 シャルマンはそう言ってのけたから、アネットはそのときはほっと胸をなでおろしたものだ。しかし、レドン公子の誘い方は更に度を越したものだった。

「理解していないな、シャルマン。その為に良い狩場があるじゃないか。最年少は六歳から、上は十八まで。国内外の、身分を考えなくていい特権階級が集まるそんな場所が」

「何? それはまさか‥‥‥」

「そう、この学院だよ。俺はもう卒業だし、皇帝陛下はそんなことを許されない。だが、お前はここの王子で次期国王だ。せいぜい、頑張れよ」

 レドンは見ろよこの狩場。素晴らしき獲物がわんさといるぞ? そう言い、翌月には学院を去っていった。

 その時を前後してからだ。シャルマンが、アネットに申しつけるようになったのは。

 あの、忌まわしい命令を――



 ☆



「それで、殿下はなにをお前に申しつけたのだ?」

「‥‥‥資産があり、見目麗しく、将来には更に大輪の華になるような。そんな子供のような年齢の令嬢たちを、探せ、と」

「何という事を‥‥‥。それで、お前は従ったのか」

「いいえ、お父様。それは嫌だ、と。正妻の座すらも揺るがしかねない、国王陛下の怒りを買うのではありませんか、とお伝えしました。殿下は取り巻きの年下で可愛いらしい令嬢たちに命じて、それを探させました」

「それで、どうなった!」

「殿下はリストを作り、自分でお忍びのようにして確認に行き、寮に入っている令嬢には‥‥‥これ以上は、あまりにも鬼畜の所業で口にしたくもありません」

「何ということだ。それを諫める者は誰もいなかったのか? いや、いたとしても疎遠にされて遠ざけられたのだろうな。学院はある意味、治外法権だ。学院長がうなずけば、殿下の王国も変わらん。だからか、アネット。先週、いきなり体調が悪いといい、お前がこの家に戻ってきたのは」

「はい‥‥‥」

 ずっと耐えていたのだろう。

 さめざめと泣きだした娘を見て、伯爵はどうしたものかと頭を悩ませた。

 自分は王族以下の一般貴族で、それも高い位ではない。王に謁見を願い出られるのは年に数度で、今から申請を出しても早くて数週間先になるだろう。

 その間に殿下の心が悪い方向に動けば、さらに悪いことが起こる。

「お前の婚約破棄で済めばいいが、それよりも不服従などの汚名を着せられて断罪ということもありえる。我が家は伯爵家だが、それほどに有力な訳ではない。さて――どうしたものかな」

「お父様。わたし、その‥‥‥戻ろうと思います」

「戻る? どうしてだ? 辛いからこそ、戻ってきたのだろう」

「今ならまだ、体調が治ったという名目で戻れます。殿下の言う自由恋愛が許されるなら、わたしも‥‥‥家を守るために何かをしなくては」

 家を守る、か。

 しかし、我が娘はどうするつもりだろうか?

 伯爵は首を捻った、どうにもアネットの本意が掴めなかったからだ。

「お前は、どうするつもりなのだい、アネット」

「爵位を‥‥‥頂きたいです、お父様」

「爵位? つまり、我が家から独立すると、そういう意味か?」

「はい、それならわたしは長女。子爵位になりますから、女子爵として財産の相続権を持つことが出来ます。己の罪を、己の死で清算する権利も発生します」

「お前‥‥‥我が家のために死ぬつもりか? それは賢くないやり方だ」

「でも、女にも意地がありますわ、お父様。このまま好き勝手されて、捨てられるのなら、黙って待つのは嫌です」

 伯爵は嘆息する。幼いとばかり思っていた娘が、こんなに成長したのだから。

 いつの間にか、アネットは気高い貴族の誇りを身に着けたらしい。それも、騎士道に近いものを。伯爵は娘の成長ぶりに感心していた。

 同時に、こんなに魅力的なアネットを泣かせた王太子殿下を許せないとも思っていた。

「確かに、我が家はこの城だけで百人以上の家臣がいる。お前一人の問題であれらを路頭に迷わせるわけにはいかん。かといって、むざむざと死なせるかもしれない場に行かせる親もどうかと、わしは思う。爵位を与えるには貴族院と陛下の裁可も‥‥‥ああ、そういうことか。そこまでお前は考えていたのか、アネット?」

「はい、お父様。ついでに殿下がお手を付けた令嬢たちの実家も分かります。責任を取る気が無いのであれば――どうでしょうか?」

「ふん‥‥‥これは殿下にとっては大問題になりそうだな。ところで、学院に戻って誰を頼る気かな?」

「国王陛下の甥にあたる、ラッセル大公公子を‥‥‥彼を頼ろうかと思います。公子は王位継承権を持たない存在ですから、陰謀に加担したとはみなされないはず」

「なるほど。殿下が継承権を失うとしても、第二、第三王子がいらっしゃるからな。さて、これからどうするつもりなのかを話し合うことにしよう。丁度、飲み物が来たところだ」

「はい、お父様」

 こうして、その日は夕暮れ時になるまで親子は話し込んでいた。



 一週間後。

 アネットが乗る馬車を伯爵は書斎の窓から見送っていた。

「気を付けて行くのだぞ」

 伯爵は窓越しにそう声をかける。

 娘を送り出すことは、本当はしたくなかった。

 陛下と貴族院に娘に爵位を与える旨を申請したのはあれからすぐの事。

 早ければ、翌週内には王宮に招聘されるはずだった。

 そこまでに集めねばならんな。

 さて。心でそう呟くと、伯爵は書斎に居並ぶ家臣たち、その多くは騎士である者たちを見渡して言った。

「お前たち、仔細は理解しているな?」

「もちろんでございます、旦那様」

「我が家は隣国との国境を任された辺境伯様の家臣。どうやら殿下は田舎の貴族の子女を主に望まれたらしい。田舎の一般貴族がどれほど国の将来を考えているか‥‥‥殿下には改めて考えて頂かなければならん。田舎貴族の矜持、見て頂こう」

「では、各騎士団宛てにも――ですな」

「娘を汚されたことは誇りを汚されたも同じ。王国がだめなら、帝国もある。それを忘れて頂いては困るからな」

「そうですな。下級貴族の意地を見て頂かねばならん!」

 伯爵領から、アネットが伝えた貴族子女の実家へと馬が走ったのはそれからしばらくしてのことだった。



 数日後、王立学院。

 しばらくぶりに戻ったアネットに対して、シャルマンの態度は意外にも、優しいものだった。

「戻ったか、僕の愛しのアネット。身体は良くなったのか?」

「えっ、殿下? ええ、はい。ありがとうございます。ご心配をおかけ致しました」

「そうか。それは良かった。もう少しで決めてしまうところだった」

「あの、決めるとは――何をですか?」

 その問いに、決まっているだろうとシャルマンは微笑んでいた。

 傍らに可愛らしい金髪の少女を抱いて。

「正室候補に加えようと思っていな。その同意を得ようかと。しかし、よくよく考えればその必要はなかった」

「無かった‥‥‥です、か? どうして?」

「一候補に伺いを立てる必要など、無いだろう。そうは思わないか?」

「いち、こうほ‥‥‥? だって、殿下が婚約を、申し付けられたのですよ??」

「そうだな。だが、あれはそのままでいい。婚約は婚約。第一、第二の取り決めはまた考えるとしよう」

「そんなっ。そんな簡単にっ?」

「気にするな。父上には僕から話しておく。君は健康を維持するように努力するのだな。戻らなければ、不健康では婚約相手に相応しくないと破棄を申し付けるところだった」

「そう、ですか‥‥‥では、殿下、お許しを頂きたいことがございます。正室でなくなるのであれば、その‥‥‥」

「そうだが、何を願うのだ?」

 気まぐれな問いかけ。

 いまは相当、機嫌がいいらしい。いつからこんなに自分本位になったのか。

 アネットはシャルマンに幻滅しながら、希望を口にする。

「じゆう、恋愛、を。その、わたしにも良き相手を望む機会を与えて頂きたい、と。殿下の御寵愛を頂けないときには、実家に顔が立ちません」

「ああ、そういうことか。言われてみれば、確かにそうだな。誰か替えがいたほうが、あなたも気楽ではあるかもしれない。うん、良いだろう。口を利いてもいいぞ、あくまで候補としての話だが」

 それはアネットにとって願ってもない好機だった。

 この薄情な男から出た気まぐれの優しさ。大公公子との縁が、あちらからやって来たのだから。

「では‥‥‥ラッセル大公第一令息ルガー様を、お願いできますでしょうか。王位継承権はなくとも王族に連なる御方。例え、殿下の御寵愛から漏れて、相手と結婚できなくても――そこまでいけたという名目だけでもあれば、わたしは救われます」

「まあ、実家に話を持ち帰ったあとにどうするかは両家の相談だからな。形だけなら、良いだろう。話をしておいてやる。明日にでも訪ねるがいい」

「ありがとうございます、殿下――」



 そして、ルガーからの誘いがアネットの元にやってきた。

 同学年の彼の元を訪れたアネットは、銀髪の合間から見える青い瞳に幾分かの怒りを含んだ視線を受けて言葉が口から出なかった。

 ルガーは紳士らしく席をすすめると、自身が座る椅子のうえで組んだ足に肘をつき、従兄弟からいきなりやってきた自称、自由恋愛がしたいという変わり者の令嬢をじっと見定めるように見ていた。

 沈黙が続き、アネットがそれに耐えきれなくなった頃。

 公子はようやく口を開いたのだった。


「もう少し、何かを語るのかと思っていた」

「は‥‥‥?」

「利用しようとする輩は雄弁に物を語る。信頼が置けない。しかし、あなたはまるで懺悔でもするかのようにそこに座っている。本心が見えないな」

 お帰りはあちらだ。

 室外への扉を指差してそういう公子はどこまでも冷静な青年だった。

 いつかの殿下のよう。

 あの婚約を申し込まれた時、彼もこんなに寡黙で知的だったのに。

 アネットは追い出される前に、要件を伝えることにした。

「公子」

「何かな、伯爵令嬢殿」

「違います」

「は?」

「ですから、いまはその――国王陛下の裁可を頂ければ、女子爵になります」

「不思議だな。実家から独立なされる、と? だが、どこに領地を?」

「西の――フランケル山脈の裾にある国境付近に。我が家が与えられている土地がございます。丁度、大公家と我が家の主君筋である辺境伯領の合間にある飛び地です」

「ほう、それは面白い。つまり、その大公家の跡継ぎは俺になるわけだが。政治的にも大きな意義のある土地だ。つながれば、辺境伯は我が家になびくだろうな。あれよりも俺は優位になる。知っているのか、シャルマンは?」

「いいえ。何もお伝えしておりません」

「だが、あなたは正室になられる御方だろう? いずれの国母ではないか」

「捨てられました」

「冗談を‥‥‥そんな簡単に正室候補を下げられるはずがない」

「ですが、御調べ下さい。いえ、もうお知りではないのですか? わたしが、殿下の正室候補の一人に格下げされたことを」

 ルガー公子は冷ややかな笑みで答えると、足を組みなおす。

 それはまるで、話題に興味を示した。アネットにはそう見えていた。

「知らんな。だが、そんな噂は聞いたような気もしないではない。しかし、つまらないことだったから、忘れた。辺境伯殿と伯爵殿は何かな? 王国の領土を帝国に献上する気でもあるのか?」

「いいえ、公子。あるのはわたしの愚かな私怨だけですわ。女の浅はかな恨み言です」

「私怨、か。それもまた、恐ろしいな。確かに、つぼみを刈り取る様は道化にももとる。咲くはずの華が枯れた家は困るだろうな」

「かも、しれません。その華は意外に多く、根深い物かもしれません、公子‥‥‥」

「その為の布石、というよりは盾にされるのは面白くないものだな。アネット」

「違います、公子」

 違う? 何が違う?

 大公家を利用しようとしているようにしか見えないが。

 ルガーはそう言うと、また足を組みなおした。今度は不機嫌だ。

 そう言っているようにアネットには見えた。

「あくまで、大公家との縁が出来た。そう見えればいいだけなのです。旗をお借りするだけ。最後に、わたしが盗んだと言われても構いません」

「では、どう責任を取るつもりだ? あなたは単なる令嬢だぞ。いずれは女子爵にあるかもしれないが、いまはまだ、伯爵令嬢だ」

「もし、認められれば当主ですから。そうなればいかがですか?」

「はあ‥‥‥あなたは、何かな? ただ自分の恨みを晴らすためだけに、実家の領地と命まで賭けると。そういうのか」

「公子に不利なことはないはずですわ。どうですか、公子?」

「待ってくれ、アネット。あなたの気概は認めよう。だが、何をしたいのだ。あれを王太子の座から引き落とす気ではないのか? それは賛同しかねるな。こう見えても、俺も王族の端くれだ」

「わたしはただ、殿下に婚約を返上したいだけですわ。それは華を枯らされた方々が成されるかと」

 ルガーは参った、と呟く。

 伯爵令嬢と伯爵は家まで賭けて、報復に出る気だ。

 剣も持ちださない、別のやり方での報復。

 根回しは嫌というほどしているようだ。そうなると、敵は見えない王国の下級貴族。それも辺境周りの重要なようでそう見えない貴族たちらしい。

「断れば、どこから槍が出てくるかわからんということか。この場であなたを処断してもいいのだぞ」

 その脅しに、アネットは円満の笑みで返していた。

「あら、公子は最後に笑うことになると思いますよ? だって、何もしなくてもわたしの領土が手に入り、将来的には――大きな力になるのですから。これに賛同した貴族たちの信頼が集まるでしょうね。公子が大公になられた時、発言権は増すはず」

「大した提案だ、アネット。いや、女子爵殿」

「えっ? まだ、裁可は‥‥‥」

「下っているよ。その程度には調べはしたつもりだ。そうでなければ、会う気も無かった」

「まあ、意地悪ですね、公子‥‥‥」

 そう言うと、ルガーは席を立ちアネットの手を取っていた。

 戸惑う令嬢にそれでは、と優しく告げたのだった。


「どの程度の縁になるかはわからんが。自由恋愛、か。結構、丁度、俺には相手がいない。大きな魚を釣り上げるまでは、そういうことで宜しくな、我が女子爵殿」

「公子‥‥‥」

 彼はアネットの手を取ると優しく甲にキスをする。

 思いがけない行為に戸惑いつつも、アネットは一つ。有力な駒を手にしたことを悟るのだった。その場で、ルガーはアネットに告げる。どうやら狙い目は数日後の週末らしい、と。



 毎週の週末。

 学院では在校生が集まって一堂に会する催しがある。

 端的に翌週の行事などを伝えるものだが、そこは衆目が集まる場でもあった。

「では、俺はいいところで行くとしよう」

「来てくれないのね‥‥‥冷たい人」

「そんなに弱気で行けるのか? 最後の門は自分で開かなければ、人生は勝てないぞ」

「でも、公子。一人よりは二人の方が――扉を開ける確率は上がりますよ?」

 そう言い、アネットは片腕を添えるようにしてみせる。

 腕を組めと命じられているようで、ルガーは釈然としない顔をする。

 だが、まあいいかと顔を緩めたから、アネットは安心して腕を絡めることが出来た。

 しかし、それはルガーの気まぐれに近い画策だった。

「あっ‥‥‥!?」

「頑張れよ」

 腕を組むように見せかけて、アネットの背をそっと押し出していたのだった。

 酷いと少女は振り返るが見ているぞ。そんな仕草をされたら戻れなくなってしまう。仕方なくシェルマンのいる方向に歩いていく彼女の背を、ルガーはじっと見つめていた。

「俺が行ったら王族同士の張り合いになるからな。最後に行かせてもらおう」

 裁可は下っている。知らないのは当人のみだ。

 勝ち戦を静かに見守るルガーの視線は、シェルマンと揉めかけているアネットに黙って注がれる。

 アネットは自分から用件を切り出すしかなかった。


 王太子シャルマンはその言葉を聞いて、首を傾げた。

 おかしなことを言う、と頬をあげて笑い、それから聞き返す。

 そこにはいくばくかの怒りも含まれていた。

「アネット。もう一度聞いておこうか。なんと言った?」

「‥‥‥殿下。わたしは公子に恋をしました。あの御方に尽くしたいと思います」

「お前、それは僕が最優先。そんな条件だったのを忘れたか?」

「覚えておりますが、それは殿下が不貞を働かなければ、そんな話ですから」

「不貞? この自由な恋愛がか?」

 この前とは違う令嬢を側にはべらせて、シェルマンは馬鹿なことを言うなとぼやいている。その女子もまた、愚かなアネット様と侮蔑の視線を投げかけていた。

 アネットはどうにかそれにひるまずに、言葉を続ける。

 それは女として譲れない一線だった。

「殿下。多くの貴族子女が泣いておりますよ。ご存知でしょうか?」

「さて、な。証拠もなく憶測で語る愚かさを知るか? なあ、アネット」

「断罪、ですか? でも、それは真実があればですわ、殿下。それに、貴族子女ならばともかく、今のわたしはそうではありません」

「なにを言っている‥‥‥」

 意味を理解できないシャルマンは、連れている令嬢と顔を見合わせている。

 そろそろ、か。

 ルガーは静かに背後から彼らに歩み寄って行った。

「つまり、こういうことだよ。シャルマン」

「ルガー? お前、一体何をしている」

「何もないさ。俺は彼女を妻にする。そういうことだ」

「妻? え? どういうこと?」

 公子のいきなりの発言に、アネットは呆然とする。

 そんな話は打ち合わせになかったからだ。

 驚きはシャルマンも同じだったようで、彼は不機嫌をあらわにしていた。

「おい、ルガー。従兄弟とはいえ、やって良いことと悪いことがあるぞ?」

「悪いこと? それはお前だろう、シャルマン。貴族、それも家の当主を断罪できるのは陛下かその主家だけだ。彼女は伯爵家から独立された。今では、女子爵殿だぞ?」

「何だと? そんな話、誰が許可した?」

「決まっているだろう、陛下と貴族院だ。呆けたか、シャルマン」

「ルガー! 僕は王国の王太子だぞ? 呼び捨ては不敬だとは思わないのか?!」

「全く思わんな。お前、知らないのか? 陛下がお怒りだ。翌週より、帝国に使節として向かうようにとそろそろ、指示がくると思うぞ? 良かったな、戻れない使節だ。これで、帝国に監視される毎日だ。せいぜい、王国に恥をかかせないように勤めてくるのだな」

「馬鹿‥‥‥な。何故だ、そんなことがあるはずが」

 ここからはお前が言えよ。ルガーは無言でアネットを前に押し出す。その腕は、いつの間にかアネットの腰に回されていた。

「ルガー、でも‥‥‥っ」

「頑張れ、俺の女子爵殿。今が最後の門を押す時だ」

「‥‥‥はい」

 恨み? 怒り? それ以上に、女として馬鹿にされた苦しみもある。

 多くの同姓たちに下された無慈悲な暴力への義憤も。

 晴らすのは、今だった。

「何だ‥‥‥アネット、お前まで僕を責めるのか‥‥‥?」

「殿下。いいえ、元殿下。まだ、殿下ですが」

「このっ」

「申し上げます、殿下。まずは、素晴らしい出会いを用意頂いたことを感謝致します。ルガー公子との出会いは、殿下のお陰ですから。自由な恋愛、素晴らしいものでした。ですから――ですから‥‥‥婚約を破棄させていただきます」

「お前っ、それを望むのか!」

「はい望みます。幸せをこの手でつかみたいと思います。殿下のように悲しむ誰かを生み出さないように、静かに真実の愛を育みたいと思います。殿下」

 シャルマンは毅然とした態度で自分を見つめる元婚約者に何も言い返せなかった。

 ただ、何だ‥‥‥、とそう呟いただけだった。

「殿下、いいえ。シャルマン。ありがとう。それと、帝国に行かれてもどうかお元気で。枯らされた華の家が、殿下に健やかなる日々を送らせることでしょう」

 被害者の実家が刺客を送り付けるかもしれない。

 その恐怖に打ち震えて過ごせ。

 アネットは無慈悲にもそう伝えていた。

「では、行こうか。我がアネット」

「ええ、参りましょう。わたしのルガー」

 これから起こるだろう未来への恐怖に打ちのめされたシャルマンをその場において、二人の新しい恋人は腕を組み、幸せそうにその場を去るのだった。


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