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チグハグな共同戦線

 衝撃発言の所為で思考がショートしてしまった直志は、抱き付かれたままフリーズしている。女性に対して良い感情など無かった。気持ち悪い、近づくな、常に嫌悪の対象として見られてきた。間違っても好意を寄せる事などあり得ない。そんな存在が「結婚して」と抱き付いてる。感情云々の前に、自分に何が起きているのか理解出来ていない。


「直志、大丈夫……か?」


 異変を察した浩司が駆けつけた。

 抱き付くサラの姿を見ても、特に驚きは無い。予想できていた。それに、アニメのファンであって、サラ自身のファンと言う訳ではない。


「サラ、一旦離れろ。直志は……」

「…あっ、そうか。慣れていないんだよね?」


 事情を察し、サラは離れる。


「どうして知っている?」

「豊子に聞いていたの。ずっと嫌われていたから、告白したら頭が真っ白になっちゃうって」


 サラは、豊子の携帯番号も聞いていた。直志に知られないように暇を見ては情報を収集し、一週間かけて自分の心への回答を出していた。


「……覚悟は十分か?」

「うん!」


 浩司は、直志の背中を摩る。


「直志は、とにかく優しい。優しいから、自分の所為で誰かが不幸になるのが嫌だ。説得するのは骨が折れるぞ!」


 頷くサラを見て、直志の背中を叩く。

 直志は徐々に覚醒。キョロキョロ辺りを見渡しながら、自分に起きた事を再確認。記憶が状況に追いつくと、途端に赤面。目の前のサラを直視できなくなる。


「さ、サラ……急に何を! けっ、結婚⁉」


 ダメージが抜けきっておらず、背中を支える浩司にまだ気付いていない。


「…してくれる?」

「だ、ダメに決まっているだろ! 俺は、40歳無職。社会に馴染めない最悪の人間なんだぞ!」

「そんなの関係ないよ。愛さえあれば」


 迷いを微塵も感じない。だが、直志には信じられない。今まで経験してきた事とあまりに乖離している。


「その感情は、男性拒絶症が感じさせている幻想だ。本心とは違う」

「これでもじっくり考えたんだよ。もしも、ひょっとしたら、考えられる最悪を並べて、その時に直志の事をどう思うかって。勿論、男性拒絶症の対象だった時も考えた。最初は、辛さが強かった。手も繋げないし、真面に顔も見れない。いっそ別れたい。でも、いざ別れると、直ぐに会いたいと思っていた。拒絶症の辛さは、その気になれば我慢できる。だけど、直志が居ない生活は我慢できなかった」


 直志は、鼻先が触れる程の距離に顔を近づける。


「これが夫婦の距離だ。どうだ? 色々見えるだろ? 濃くなっていく皺、臭くなっていく体臭、もしかしたらハゲるかも。耐えられるのか? これから先ずっとだぞ?」


 現実を突きつければ諦めてくれると思った。

 しかし、サラの瞳に揺るぎは無い。


「違うよ。夫婦の距離は…」


 突如、顔を近づけ唇を重ねる。

 サラの行動に、直志は完全に思考停止。石像のように動かなくなる。呼吸も止まっている。


「このくらい」


 息を止めるのも限界がある。自ずと思考は回復。今度は、異常な動機で胸が苦しい。


「ど、どどど、どうして…こ、こんな」

「言ったでしょ? これでもじっくり考えたって。なんなら、この先も……」

「わ、分かった! 覚悟は十分伝わった!」


 迫って来る未知の世界に、直志はただただ困惑するばかり。40年間彼女無しには、夫婦の距離を理解出来ていなかった。


「だったら結婚してくれる?」

「も、もう一度考えてみろ。俺と結婚すれば、アイドルを続けられなくなるぞ」

「どうして?」

「恋愛禁止じゃないのか?」

「その事ね。別に関係ないよ。好きな気持ちは偽れない、無理やり気持ちを抑えつけるルールなんて無視無視」

「そうも言ってられないだろ? 事務所をクビになったら、無職の俺と一緒に路頭に迷うのか?」

「その時は別の仕事をするよ。アイドルじゃないといけない理由無いし」

「…未練は無いのか? 戻りたくても戻れないぞ」

「無い事も無いけど、直志の方が大事」


 直志には疑問だった。出会ってからたった2週間。会話時間は数分程度。そんな相手を本気で愛する事が出来るのか? 大事な仕事を犠牲に出来るのか? 幾ら考えても答えはノー。短絡的としか思えない。


「……同情か?」

「豊子の言う通りだね。辛い事を経験し過ぎた所為で、人の事を信じられなくなったって」


 サラは、豊子から電話番号を聞いていた。メモに書かれていたのは、自宅ではなく豊子の携帯電話。直志に知られないように、過去の話を事細かく情報収集している。子どもの頃から今に至るまで。


「高校3年卒業間近、両親が交通事故で死んだ。豊子はまだ10歳。決まっていた大学進学を諦め、近所の工場で働く事にした。不慣れな仕事に慣れるべく夜遅くまで働く毎日。慣れて来たのは良いが、代償として豊子に寂しい想いをさせてしまった。会社に無理を言って定時に帰れるようにしてもらう。お陰で、久しぶりに豊子の笑顔を見られた。家事は難しいが、豊子の為なら頑張れる。約束していた定時が問題になっている。半人前のくせに、と、上司と先輩から虐められるように…。豊子に気付かれないようにしないと、心配で笑顔が曇るのは嫌だ。虐めは酷くなっていく。成果は奪われ、失敗は押し付けられる。食堂は使えず、弁当の持ち込みは不可。空腹で眩暈がする。最近暴行が多い、殴られる為に出社しているのか? こんな会社辞めたい。ダメだ。死んでしまった二人の代わりに豊子を幸せにしないと…」


 サラが語ったのは、直志が綴った日記の一部。記憶している部分を朗読した。


「どうして……それを?」

「直志の事を知りたいって言ったら、豊子が日記を」


 豊子は知っていた。どんな想いで頑張っていたのか、どんな辛い日々を送っていたのか。知っていて笑顔を見せていた。自分の為に一生懸命頑張っている直志を心配させない為に。


「書くんじゃなかった…」

「豊子、知れて良かったって言っていたよ。何も知らずに居たら、自分が許せなかったって…」


 サラは、直志をそっと抱きしめる。


「もう我慢しないで良い。これからは私も一緒に頑張るから」


 優しい言葉が、胸に突き刺さる。秘めていた感情の(たが)が外れ、涙が止めどなく溢れてくる。サラへの気持ちがより確かなモノへ変わる。しかし、だからこそ、同じ闇に引きずり込みたくない。


「俺には、サラを背負える力が無い。荷が重い…」

「古いな~。今は多様性の時代だよ。男が主夫になっても良い、女が大黒柱になっても良い。「お嬢さんを僕に下さい!」じゃなくて、「息子さんを私に下さい!」でも良い。私が、直志を守っていく。だから、お願い! 結婚してください!」


 一般的とは言い難い女性からのプロポーズ。40歳の古臭い脳みそには馴染みが無い。だがそれが、何とも言えない心地良さ。普通とは違うから、一般的ではないから、社会から外れた直志にも触れられる気がする。もはや、直志にはサラを止める事が出来ない。


「………分かった」


 しかし、諦めた訳じゃない。


「お世話になった人達に認めてもらったら、結婚する」


 自分で説得出来ないなら、サラをよく知る者達に説得してもらう。直志には、サラを拒む言葉は言えない。卑怯なのを承知で他力本願。もうこれしかない。


「真面目な奴だな。二人の気持ちが一致しているなら、もう結婚してしまえよ」


 直志は、浩司に声に驚き振り向く。今更ながら、ようやく存在に気付いた。


「うおっ! 居たのか?」

「おいおい、ずっと支えていたんだぜ。まぁ、その事は良い。それより、さっさと結婚しろ!」

「そうは行かない。あまりにも身勝手だろ」

「でも、大変だぜ。40歳無職を歓迎するってのは……考え辛い」


 サラも苦い表情。ただ、落胆していると言うより、戦略を練っている雰囲気。敵を想定して、どのように立ち回るか。既に思考の中では、結婚へ向けた戦線が構築されつつある。


「大丈夫、絶対勝って見せる! ふっふっふ、腕が鳴るよ」

「ず、随分、やる気だな……」

「迫り来る強敵に挑む感覚、何だか燃える! ねぇねぇ、結婚はまだでも、付き合っている状態だよね?」

「まぁ……そうなる、かな?」


 急に雰囲気が変わり、少し恥ずかしそうに。


「お姫様抱っこしてくれる?」

「え?」

「昔からの夢だったの。ねぇ、良い? もし腰が痛いなら…無理しないでね」


 浩司が笑いながら代わりに返事。


「そんなのお安い御用だ。なぁ?」

「ああ、まぁな…」


 浩司にお姫様抱っこのレクチャーを受け、満を持して実行。優しく、ゆっくり、されど力強く。一切の揺らぎなく安定感抜群。


「凄い! これがお姫様抱っこなんだ」


 頬を赤らめ、幸せそうに身を委ねる。叶わないと諦めていた、我慢して忘れようとしていた、普通の女の子として生きられる日々。サラには、直志が王子様に見える。




 存分にお姫様抱っこを味わった後、居間で直志が作った夜食を貪りながら今後の計画を立てる。計画立案は、サラと浩司が中心。直志は、洗い物を済ませている。


「最初に攻めるのは、お父さんとお母さんかな?」

「門前払いが関の山じゃねぇか?」

「お父さんは分からないけど、お母さんは賛成してくれると思う。私が苦しんでいる姿知っているから」

「父親か……「娘はやらん!」ってなりそうだな」

「……うん」


 難敵の存在に頭を悩ませる二人。後回しにすれば良さそうだが、何故か両親攻略以外の案が出てこない。


「直志、何か作戦無い?」


 直志は、茶碗を拭きながら考える。


「誠心誠意ぐらいしか思いつかないな………もしくは、好物作戦? 料理だったら何でも作れるけど」

「ほとんど何でも美味しそうに食べる。飛び抜けて好きなのは、無いかも…」

「だったら、頼み込むしかないだろうな」


 サラの事が嫌いではない。結婚出来れば良いと思っている反面もある。だがやはり、40歳無職にはアイドルと一緒に居る資格は無いとも思っている。許されたからと言って、今の自分を簡単に肯定できない。多様性に馴染み切れない。だから、説得に関してやや消極的。

 ところが、サラは本気。


「こうなったら特攻あるのみだね!」

「おいおい、そんなんで良いのか?」

「お父さん相手で苦戦していたら、他の強敵には勝てないよ!」


 浩司の突っ込みを華麗に躱す。気分は、まるで勇者。結婚の(平和な)未来へ向かって突き進むのみ。さながら、直志はお姫様? サラにとっては、そうなのかもしれない。


「直志、一緒に頑張ろう♪」

「あ、ああ、そうだな…」


 消極的でも、否定は出来ない。後は野となれ山となれ、優秀なボス敵の奮戦に期待するばかり。そんな直志の複雑な気持ちに、サラは気付いている。言葉や表情には出さない。心の中で只管に訴える。「絶対に幸せにしてあげるから」と。




 一週間後、直志はサラの実家前に居た。

 いよいよ始まる最初の試練。緊張で胸が張り裂けそうだが、格好はいつものおじさん臭漂う茶色。サラを止めてもらうつもりで居るので、気に入られる必要は無い。

 振るえる指で玄関のチャイムを鳴らすと、中から軽快なサラの声が聞こえ扉が開かれる。


「いらっしゃい。待ってたよ」


 奥では、仁王立ちする父親の姿。否応なしに緊張が高まる。

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