第7話「凍りつくような暖かい声」
狭山の頭は困惑していた。たった一言で、目の前が白黒になった感覚に襲われる。
この声は、神代綾香だ。凛と響くような声。冷気をまとったような氷のような声。いわゆるクール系の声だ。
風体と相まってクールビューティーという言葉がピッタリと合う、神白の姿が脳裏に浮かんでくる。
聞き惚れそうになっていた狭山は何とか己を取り戻そうと、思考を巡らす。
なぜ自分の携帯の電話番号を知っているのか。なぜかけてきたのか。電話番号を渡した覚えもないし、特別な用事など思いつくはずもない。
『もしもし』
頭の中に、氷嚢が叩き込まれたようだった。
「ひゃ、はい!」
誰が見ているわけでもないのに背筋を正した。おまけに変な返事までしてしまった。狭山は自分の顔に血が上るの感じた。
沈黙が、流れる。相手の言葉を待っていたが、自分から切り出した方がいいのだろうか。
狭山は、なぜかベッドの上で正座をしながら、震える唇を動かす。
「え、う、あ、あの。神白、さん? ですか? よね?」
どういう聞き方だよと脳内でツッコミを入れる。
『うん。神白綾香』
マジで神白じゃん。生声の神白じゃん。生神白じゃん。電話であるため生で見ているわけではないが。
頭がクラクラした。狭山の手が額に当てられる。落ち着けと念じながらスマートフォンを握りしめる。
「あのぉ、なして俺の携帯番号を、お知りになられているのでしょうかね? おかけになられた電話番号が正しいのでしょうか?」
『変な喋り方』
「すいません」
めっちゃ混乱しているんです、と声を大にして言いたかった。クラスの中ではボッチ陰キャ、口を開けばコミュ障の人間が、突然の美少女からのご連絡に上手く対応ができると思うか。いやできない。
というかこんな状況現実であってたまるものか。なんだ、漫画か。ラノベか。ギャルゲーか。
脳内で興奮するように声を荒げると、通話先から吐息が聞こえた。
『今日、面接に来たでしょ』
「面、接……」
『執事アルバイト。あれ、私の家』
狭山は目を見開いた。
「ま、マジで!? え、いやだってあれ朱雀院って」
『お母さんの旧姓が、そのまま家の名前になってるの』
「へ、へ~……そうなんだ。それはわからなかったです」
『ごめんね、紛らわしくて』
「い、いやいや!! 全然! むしろこっちがごめんなさい! その、挨拶もしなくて」
『気づいてなかったんだから当然だよ。何言ってるの』
ぐっと押し黙る。何の感情もわからない、無に近い声色だった。
しかし、なぜか聞いていて心地がいい声なのだ。狭山の頭の中に、雪が降るしんと冷えた夜の空間が浮かぶようだった。
『突然電話してごめん。用件言うね』
「お、あ、はい」
『……なんで敬語なの?』
「気にしないでください」
馬鹿言え。タメロで話せるか。普通の女子との会話も怪しいのに神白相手などハードルが高すぎるわい。
膝の上に置いた片方の手が拳を作る。
『まぁ、いいけど。これは私からの合否連絡』
「し、執事の?」
『うん。とりあえず合格だから、明日家に来て。午前11時に門前』
「……合格?」
『うん』
狭山の片眉が上がる。
「いやちょっと待って。三和さんはこのこと……」
『知ってるよ。許可は取った』
「で、でもさ、あれでいいわけ!? 神白さん俺の志望動機聞いた?」
『……なんて答えたの?』
「あう、そのえっと……金欠で、ソシャゲに課金したいからバイトするって、いう、理由」
言っていて恥ずかしくなった。きっと神白は呆れたような表情を浮かべているに違いない。
『……狭山くんらしいね』
しかし聞こえてきたのか、どこか楽しげな声だった。
「へ?」
『正直に言わないで、適当に濁してもよかったのに』
「あ、そう、だね」
『素直なところも、狭山くんらしい』
なんでちょっと楽しそうなんだよ、とは聞けなかった。いや、きっと志望動機がくだらなすぎて笑っているだけかもしれない。それなら嬉しいのだが。
狭山は自分の額を拭う。
「本当にいいの? あれ、いやこれドッキリとかじゃ」
『それじゃあ、明日ね』
「えぇ!!? いやちょっとわかったけど待って神白さん!」
狭山は慌てた声を出した。
その時、微かに通話先から、クスリと笑う声が聞こえた気がした。
『おやすみなさい。狭山、くん』
そこで、通話が切れた。虚しく一定の間隔で鳴り響く不通音をしばらく聞いてから、狭山は通話を切った。
直後スマートフォンが震えた。画面に鹿島からのメッセージが表示される。
『どうしました? 寝落ちですか』
困惑する目でそれを見ると、震える指でメッセージを入力した。
『かしま』
『はい』
『俺死ぬかもしれん』
そう返信して、狭山は息を吐き出した。
「本当か? 神白の執事になるのか俺。学校のアイドルの執事になるのか!?」
こんなの学校に知られたら死ぬしかないだろ。
とりあえず、明日素直に豪邸へ向かうか、それともバックレるか。
とんでもない展開と今後どう行動するかで、狭山は頭を抱えるしかなかった。
お読みいただきありがとうございます。
次回もよろしくお願いします~!