第2話「課金とビンタ」
◇◇◇◇◇◇◇◇「1ヶ月前」◇◇◇◇◇◇◇◇
「いや、やっぱ無理だろ。いや、でもなぁ」
自分の席に座っていた狭山は横向きにしたスマートフォンの画像を凝視していた。
昼休みの騒がしい教室内。狭山の双眸は室内ではなく、画面に映る、扇情的な衣装に身を包む可憐な女性キャラクターに注がれていた。
桃色のツインテールをした小柄な少女でありながら、大胆な谷間が目を引く。巨大な剣を持っており、この細腕では振れないだろう、という無粋な指摘が脳内の隅に浮かぶ。
正直言ってとても可愛い。性能もいいときている。喉から手が出るほど欲しい。
しかし無料で引ける権利を今は持っていない。
となればリアルマネー使用。いわゆる課金をするしかない。
しかしながら、ソーシャルゲームに課金するのは馬鹿のすることだ。金をドブに捨てる畜生の行いである。
狭山の胸中にいる天使が警報を鳴らしていた。
「けどなぁ」
欲しいなぁ。
その欲望は悪魔となって天使を殴り飛ばした。
邪な意思に敗北した哀れな高校2年生は、通学中のコンビニで買った電子マネーをチャージした。そして流れるようにガチャを引くためのアイテムを購入した。
悩むふりをしていただけであり、実際腹は決まっていたのだ。天使も浮かばれない。
狭山は5000円という大金を失うと、眉根を寄せて画面を見た。
「勝負っ」
画面をタップ。指を滑らせる。派手な演出が流れ、面面が光り輝く。
数秒後、狭山の口が開いた。
下唇を噛みながら画面をタップ。指を滑らせる。演出が流れ、画面が光り輝く。
数秒後、狭山の口が大きく開いた。
「俺の、ばかぁ」
狭山はスマートフォンを掲げるように持ち上げ、机に突っ伏した。
画面には、見るも無残な結果だけが虚しく表示され続けていた。
☆☆☆
「ていうわけでさ、金欠になったからアルバイトをしようと思う」
昼休みはまだ続いている。狭山は正面にいる人物に対し、決意表明した。
「人としてどうかと思いますよ、本当」
椅子にまたがるように座っている鹿島武彦は、呆れた表情で挟山を見つめた。
「課金するためにアルバイトするなんて、お金もそうですけど時間も無駄にしていると思います。バイト代はもっと別のことに使った方がいいのでは?」
「別のことって?」
「服を買ったり、髪を染めたり、受験用の教材を買うとか。美味しい物を食べるとか」
「興味ないなぁ」
「興味を持った方がいいですよ。特に勉強。将来大金を稼げるようになったら好きなだけ課金すればいいじゃないですか。今は我慢の時だと思います」
狭山は口角を上げ肩を揺らした。
「お前、ほんっとうに見た目と喋り方が釣り合ってねぇな」
「うるさいなぁ。いいじゃないですか」
鹿島はしかめっ面になると視線を切った。
鹿島は一見、不真面目なヤンキー風の見た目をしている。明るめの茶髪に右耳のピアス。目つきの悪さや細長い眉に額を出している髪型。おまけに浅黒い肌も特徴的だ。
身長が高くガッチリとした体型のせいで、いかつい印象を与えるが、本人はいたって真面目な性格をしている。学校では優秀な成績を収めており、制服だって着崩していない。
いわゆる「なんちゃって不良」だ。
口調は丁寧で物腰も柔らか。少し女子に人気がある男子生徒である。
「とりあえず、狭山くんは勉強を疎かにしない方がいいですよ」
「う」
狭山は一瞬言葉に詰まった。
狭山が通う高校は偏差値が高い学校であり、非常に校則が緩いことで有名である。死に物狂いで受験勉強をした狭山は筆記試験で見事に合格。その甲斐あって最初の半月は比較的有意義な学校生活を送っていた。
しかし受験勉強で力尽きた狭山の成績は悪くなる一方だった。勉強にはついていけず、テストの順位は最下位近辺を右往左往している。総合的な成績は中の下といったところだ。
頭の代わりに運動が得意、というわけでもない。むしろ、運動音痴といっても過言ではない。
おまけに顔がいいわけでもない。狭山はスマートフォンの黒い画面に映る自分の顔を見つめる。
ぺったりとした短い黒髪、お世辞にも整っているとは言えない地味な顔。ゲームとパソコンのやりすぎで疲れ切ったトロンとした目がなんとも情けない。体格も中肉中背だ。同級生のように髪を染めたりピアスを開けたりしていない。
普通の、いや、普通以下の男子高校生。どこにも強みがない、並み以下の人間だということを、あらためて認識した気分だった。
「ほっとけよ。お前は俺の母ちゃんか」
苦し紛れに言い放った狭山は、手を払って唇を尖らせる。
鹿島がすまし顔になる。
「そうですか。そういう態度なら今度から宿題も見せませんし、テスト勉強も手伝いませんよ」
「ごめんなさい許してください調子こいてました!!」
光を上回る速度で頭を下げた。ただでさえ友人がいないのに、ここで鹿島に見捨てられたらスクールカースト最下層は目と鼻の先だ。
「変わり身はや」
鹿島は苦笑いを浮かべ、スマートフォンを手に取った。
「いやマジで。今度のテストで悪い成績取ったら留年だ」
「高校生の段階で留年している人なんて都市伝説ですよ。えっと、アルバイト情報は」
画面に指を這わせながら、鹿島の瞳が上下に動く。
「なに? 探してくれてんの?」
「俺も興味ありますから」
「……あのさ、その口調で"俺"はどうかと思うよ」
「かといって"私"、はちょっと恥ずかしいです」
「だったらその口調やめろよ。で、なんかいいのあった?」
「ん〜、コンビニ、引っ越しの荷持つ運び、ガソリンスタンド。居酒屋とか回転寿司のキッチンは時給高めですね」
「パッと稼げるものねぇかなぁ」
「そんなものあるわけ」
言いかけて、鹿島が止まった。一瞬の静寂。だが明らかな違和感だった。
「鹿島?」
呼びかけるが反応はない。苦虫を噛み潰したような表情で画面を見つめているだけだった。
怪訝そうな目はやがて狭山に向けられる。
「ふざけたバイトもあるものですね」
「ん?」
小首を傾げるとスマートフォンの画面を突きつけられた。
「"執事アルバイト?"」
訴しげに画面に映っている文字を読み上げる。
次の隣間、狭山は目を見開いた。
「時給1万円!?」
思わず大声を出してしまい、周囲の視線が狭山に向けられた。狭山は口元を隠して鹿島に詰め寄る。
「おいおいなんだよこれ。めっちゃ魅力的なバイトじゃん」
興奮している狭山とは対照的に、鹿島は片眉を上げていた。
「ダメですね、このバイトは」
「なんで? めっちゃ稼げるじゃん」
「アホですか狭山くん。高校生は103万円以上稼いじゃダメなんです」
「どうして」
「簡単に言うと税金が発生します。所得税を払わないといけなくなって、おまけに両親の税金も増えます」
「マジかよ。やべぇじゃん」
「もしこのバイトを行ったとして、時給1万円、1日8時間働いて、出勤日数を土日限定と仮定した場合……だいたい8日か」
空中に文字を書きながら計算を行うと、鹿島は頷いた。
「まぁ2ヶ月で130万弱稼げます」
「いやダメじゃん!! やべぇじゃん!!」
「やべぇんですよ」
二人は食い入るようにスマートフォンの画面を見つめる。
『未経験者大歓迎。人並みのコミュニケーションを取れることができる方を募集。基本作業「屋敷内掃除・庭掃除・コーヒーの淹れ方……etc」。先輩使用人が優しく手ほどきいたします。出勤希望など詳しくは面接の際に――』
狭山は面面に映された内容を見て眉根を寄せた。
「うっさんくせぇ~」
「同感です」
「これ、もしかしたら危ない仕事かも」
「それをアルバイトサイトで募集しますかね。CMをお茶の間に流している大手サイトですよ? これ」
「たしかに。問題になるな」
二人が笑っていると、教室の扉が勢いよく開いた。同時に、近場で話していた女子集団がキャアキャアと黄色い声を上げた。
やがて教室内にいる全員の瞳が、入ってきた女子生徒、神白綾香に注がれる。相変わらずの美人で、無表情。校内一の美女として囁かれる彼女は、氷のような冷気を体から発生させているかのようだ。
「おい、待てよ!!!」
その後を追うように、細身の男子生徒が入ってきた。アッシュゴールドに近い色をした、金髪のツーブロックが目立っている。
中々整った顔立ちをしている金髪は背を向ける神白の肩を掴む。
「ちょっといくらなんでも、あんな言葉はないでしょ。俺の気持ちはどう」
瞬間。
「パァン」
という乾いた音が金髪の言葉を遮った。
それは神白が金髪の頬を、平手で叩いた音だった。
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