第12話「名前が漢らしすぎる」
休日明け、月曜日。登校中の狭山の顔色は悪かった。
電車内ではずっと低い声で唸り声を発しながら揺られていたため、乗客からは怪訝な目で見られる始末だった。
――憂鬱だ。
狭山の心は不安でいっぱいだった。別に今日の授業内容がどうというわけでも、学校でいじめられているというわけでもない。
気掛かりなのは神白と自分の関係がバレないかどうか、という点だった。
神白の家で――アルバイトではあるが――執事として働き始めた狭山。言い換えれば、学校のセンターアイドルとも言える女子の自宅で、執事として働いている陰キャ。
こんなことが校内でバレたらいったいどうなるのだろう。神白を狙う連中、髪を染めたチャラい連中や不良たち、密かに設立されている「神白綾香ファンクラブ」の女子その他諸々がこぞって押し寄せてくることは、自明の理だった。
「はぁ〜〜~」
大きなため息を吐いて首をガックシ落とした時には、校門を潜り抜けていた。
☆☆☆
「おはようございます、狭山君」
自分の席に向かう途中で、席に座りイヤホンをしていた鹿島が狭山に言葉を投げた。
「……ういっす」
挨拶に応えると視線を鹿島の机の上に向けた。ノートを広げ、スマートフォンを見ている。
「顔色、悪いですよ?」
鹿島はネックバンド型のブルートゥースイヤホンを取りながら、心配そうな目を向けた。
「やっぱり?」
「お疲れですか?」
「う〜ん、どうだろ……」
「初めてのアルバイトで疲れたんでしょう。突然の慣れない仕事も多そうですしね。何と言っても執事」
狭山は慌てて腕を伸ばし、鹿島の口を塞いだ。
「ひふひひょうふ、へふほんふぇ〜」
口を塞がれても喋り続けていた。目元が笑っている。
「お前頼むよ。ここでそんなバイトやってるなんてバレたらさ、やばいってわかるだろ」
不安心を隠さずコソコソと言いながら狭山は手を離した。
その様子を見て、鹿島は疑問符を頭に浮かべる。
「意識しすぎでは?別にそこまで変なバイトでもないと思いますが」
「いや、普通に変だわ」
神白のこともそうだが執事のアルバイトをやっているなど、声に出すと中々に恥ずかしい。
素早くツッコミを入れると、鹿島が「確かに」と言ってクスクスと笑った。
「キャラじゃないですよね。スーツを着て業務を行ったんでしたっけ?」
「そうだけど」
鹿島の笑い声が上がった。
「失礼。凄く笑えます」
バカにしやがって。と思いながら拳を握る。しかし言い返せない。中肉中背である自分のスーツ姿は、頑張って背伸びしている子供にしか見えないということを、狭山は理解していたからだ。
それに比べて身長が高くスタイルもいい鹿島がスーツを着たら、素晴らしい絵になるだろう。
「いいよな、鹿島は高身長イケメンで」
「ありがとうございます」
「けっ」
狭山は自分の席に行き、鞄を置いた。それから再び鹿島のところに向かうと、彼はノートに何かを書き込んでいた。
「宿題?」
「違いますよ。これ部活動で使うんです」
「空手の?」
「そう」
鹿島は空手部に所属している。週に3回しか活動しない部員数の少ない部だが、鹿島はそこのエースとして活躍している。中学時代、県大会で優勝したほどの実力者である鹿島はここでも猛威を振るっているらしい。見た目不良で武道もできるという鹿島は、ある意味この学校内で一番強いかもしれない。
いや、一番強いだろう。鹿島の強さを身をもって体験している狭山は、そう信じていた。
「今度大会に出場するので、対戦相手のデータを集めて分析しているんですよ。昨日先生が、他校の試合映像が入った動画データをくれたので」
そう言いながら鹿島はスマートフォンを見せた。画面には空手の試合映像が流れている。
「参加するのは個人戦です。うちの部からは6人中3人が出場します。強豪も2校しか出場しない小さな大会ですけど負けませんよ」
楽しそうに喋りながら、力こぶを見せつけるような動作をした。
鹿島の爽やかな笑顔が羨ましいと思ってしまう。
「やっぱ笑顔だよなぁ……重要なのは」
「な、どうしたんですか。そんな情熱的な目で見ないでください。気色悪い」
「お前のその笑顔が欲しいわぁ」
「ドキッ……」
鹿鳥は両手で作った一つの拳を、自分の胸元に当て、恥じらうような動作をした。
そんな馬連なやり取りをしていると黄色い声が耳をつんざいた。それだけで誰が入ってきたかわかる。
視線を向けると、スクールバッグを肩からかけた神白が女子たちに囲まれていた。長い甘栗色の髪の毛は、後ろ手一本に束ねられている。
「おはよう、神白さん!」
「おはよう」
「神白さん~! 今日の英語の授業当てられそうなの! やばくなったら助けて!」
「自分でどうにかして」
「今日の朝も誰かに告白されたの?」
「そうかも……相手の顔も声も覚えてないから、多分だけど」
相変わらずの冷ややかかつ淡々とした喋り方だった。最後の言葉はもはや背筋が凍る思いだ。
屋敷にいる時よりも数段冷たいじゃないかと思っていると、視線が合った。
狭山は反射的に口を開いたが、何も言わず、小さく手を挙げた。と言っても、顔の横に手
の平を並べた程度だ。挨拶には到底見えないものである。
そのためか、神白は視線を切った。
「やべぇ、今のは心に来た」
「そうですね。俺たちには関係ないのに、告白を断られた気分です」
鹿島は違う意味で狭山の言葉を捉えた。直後、予冷が鳴り響き、生徒たちが着席し始めた。
また下らない今日が始まるのか、と変に達観した狭山は、自分の席に戻るや否や机に突っ伏した。
そんな狭山の背中を見つめていた神白は小さく息を吐く。
思い出すのは、さきほどの狭山の動作。
――挨拶、されたのかな。狭山くんから? おはようって、意味で?
小さな動作だった。けれどそれが心地いいとも感じていた。
神白は顔がにやけるのを誤魔化すために、視線を下に向けた。
☆☆☆
早いものでもう昼になっていた。
狭山は授業終了のチャイムが鳴ると同時に大きく伸びをする。
――何ひっとつ授業聞いてねぇわ。
自嘲気味に笑うしかなかった。授業中はずっと机の中に忍ばせていたスマートフォンで、執事に関してのことを調べていたからだ。授業をぶっ潰していたかいあって、中々有益な情報を手に入れることができた。特に「白手袋が重要だ」というのはよく見かけるワードだった。
そう言えば、義徳さんもしていたなと思っていると、目の前の椅子に鹿島が座った。
「ご飯食べましょう」
「いいぜ。今日は学食じゃねぇのか?」
「コンビニ飯です」
「あ、それ今日発売のサンドイッチじゃん」
狭山の手が鞄の中に伸び、ビニール袋を取り出す。中にはまったく一緒のサンドイッチが入っていた。
「被りますか~!?」
「お前パクッてんじゃねぇよ鹿島ぁ!」
「はぁ? 絶対そっちがパクりましたわ」
言い合いながらも二人は机の上に食材を広げていた。
その時だった。
教室の扉が勢い良く開かれた。
「氷柱姫さぁ〜ん、い〜るっかなぁ?」
室内に入り込んできた人物を見て、全員が顔を引きつらせた。
今時めずらしいほど金に染めた髪を、サイドラールに縛った女子生徒。どこか猫を思わせる可要らしい顔に小柄な体躯。制服を雑に着こなしており、これでもかというほどスカートが短い。ニーソックスを履いているため、いわゆる「絶対領域」が眩しかった。
男子生徒の目線は一瞬そこに集中したが、女子が何者か理解するとすぐに視線を切っていた。
「神白~! いるんだろ? 返事しろや」
校内一有名な、さまざまな伝説を持つ不良少女、寅丸大牙だったからだ。
名を呼ばれた神白はゆっくりと立ち上がる。
「お、いるじゃん」
「声が大きい」
「うるせぇよ。ちょっと面かせ」
女子なのに一人称が「オレ」の不良少女は、鋭い目つきを向けながら言った。口元に笑みを浮かべているが、目元は笑っていない。せっかくの可愛らしい顔が台無しな表情と言動だ。
神白はため息を吐くと鞄を持ち、寅丸に近づく。
「食堂でいい?」
「いいわけねぇだろ。 前に食堂で喧嘩したせいで、オレあそこ出禁食らってんだよ」
「バカだね」
「言ったなお前、喧嘩かコラ」
高身長のクールお嬢様と低身長の不良少女。なんとも珍妙な組み合わせの二人は、教室中の視線を浴びながら廊下へと出て行った。
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