第10話「ご主人様、散歩行こうよ~」
「それじゃあ行ってくるね」
「はい。お嬢様、狭山さん。お気をつけて行ってらっしゃぃませ」
頭を下げる義徳に背を向け、狭山と神白、ルインは門を出た。
二人に会話はなく、しばらく無言であった。聞こえてくるのはルインの息遣いのみ。神白は何も言わないため、本当にこの散歩の仕方が正しいのかどうかすらわからない。
しかし狭山にそれを聞く勇気はなかった。緊張で全身がガチガチだったからだ。
短時間とはいえ、義徳に叩き込まれた歩き方はそれなりに綺麗だったが、表情はこわばっていた。額には脂汗が浮かび始めている。リードを握る手が汗で滑りそうだった。
何で黙っているんだろう。横目でチラと神白を見る。
綺麗だった。白い肌に汚れは一切なく、艶のある黒く長い睫毛が、目元に微かな影を落としていた。隙のない整った顔立ちは、もはや華やかですらある。
「なに?」
神白が顔を向けた。目が合い、狭山はバッと顔を背けた。
「あ、えっと、散歩ルートってこれでいいんですか?」
一歩先で尻尾を振りながら歩くシェパードを見ながら、誤魔化すように質問を口走った。
「うん。基本的にこの子に任せておけばいいよ。ルートも覚えているから」
「へ、へぇ」
「一応、あとでコースが描かれた地図も渡す」
「か、かしこまりました」
返事をして、再び沈黙が流れる。緊張で心臓が口から飛び出しそうだった。狭山は眉間に皺を寄せ、なんとか平常心を保とうとした。
ゆっくりと息を吐き出す。一定間隔で聞こえてくる足音を背景に、散歩に集中しようとする。義徳から救わった不動心。それを実践しようとした。
「狭山くん?」
「は、はぃい!!?」
不動心、一瞬で瓦解。
いつでも余裕を持つことなど、狭山にはまだ早かった。
慌てて隣を見ると、無表情の神白が見つめていた。この状況を役得と取るか、罰ゲームと取るか。
狭山にとっては後者だった。
「大丈夫? 顔色悪いよ」
狭山は愛想笑いを浮かべ、手の甲で額の汗を拭う。
「あはは、なんでだろ……でしょうか」
「嫌だった?」
「え?」
神白は目を細めて正面に視線を向けた。
「私と話すのとか、一緒に歩くの」
「い、嫌じゃない!!」
無意識に、叫ぶように、その言葉は出ていた。突然出た一言に、狭山は自分自身で驚いてしまった。神白も同様に目を開いて狭山を捉えていた。
無表情がデフォルトだった氷柱姫の表情が変化したのを、初めて見た気がする。
両者の足が止まる。舌を出したルインが、一度狭山と神白を見ると、空気を読んだようにその場でお座りをした。
最初に口を開いたのは、神白だった。
「びっくりした」
「あ、えっと、すいません。嫌じゃないです……」
「でも、顔色も悪いし、学校にいる時より、口数少ないから」
「それは、アルバイトとはいえ、今は執事ですし……それに」
視線を地面に向ける。何を言っていいのかわからなくなっていた。
「それに?」
どうするべきか。失礼のないように気を付けて、何かを言わなければ。
「別にいいよ。言いたくなければ言わなくて」
どこか寂しげな声だった。視線を前に向けると彼女の顔が映る。
声だけではない。その表情は、明らかに悲しんでいた。
「緊張、しているんです」
気づいたら心から言葉が漏れ出していた。
「お金欲しさでバイトしてたら、まさか神白さんの家だったなんて。それで神白さんと一緒に犬の散歩をしているなんて、普通に緊張しますよ」
「どうして?」
「どうしてって……神白さんは学校で一番人気の女子です。成績優秀だし、友達もいっぱいいて先生の信頼も厚い。凄い人なんだなってずっと思ってました」
狭山は自嘲気味に笑う。
「それに比べて俺は、人並み以下の欠点だらけの人間なので。俺みたいな人間とはレベルが違う人だから、話すのもおこがましいというか」
「そんなことないよ」
言葉が遮られた。食い気味に言った神白の瞳は、力強く狭山を射抜いている。
「そんなことない。狭山くんは立派だよ。こんな変なバイトに応募してくれたし、真剣に仕事に取り組んで、私なんかと話してくれている」
「私なんかって」
「私だって、変なところ、いっぱい持ってる」
だから、と言葉を紡ぐ。
「自分を卑下しないで。狭山くんも凄いところ、いっぱいあるよ。庭掃除、とっても丁寧だった」
「見てたんですか?」
「うん。部屋から」
狭山は唇を結んだ。
惨めだった。こんな気を遣わせて励まされて、褒められて。
これなら嘲笑された方がマシだと思った。
「……ごめん」
狭山が頭を下げると、神白は頭を振った。
「謝らないで。勝手に言ってるだけだから」
「……ああ」
「ひとつ、狭山くんの凄いところ教えてあげる」
「え?」
神白は後ろ手を組むと、上体を若干前に倒し、狭山を見上げる。
「凄い私に、顔と名前を憶えられている……っていうのは、ダメ?」
小首を傾げて、神白は聞いた。その顔には小さな笑みが浮かんでいた。
悪戯っぽいようで冗談を言っているようで、少し真剣でもあった。そんな表情と言葉に、
「……いいかもしれない」
狭山は薄い笑顔を浮かべて答えた。
その瞬間、神白の顔に華が咲いた。
「よかった」
両手を顔の前で合わせ、姿勢を正す。氷のような冷たさなど微塵も感じない、暖かな笑顔だった。
狭山は見惚れてしまい、次いで胸の奥が高鳴るのを感じた。
今まで異性なんて微塵も興味が沸かない存在だったのに、ちょっと関わるだけですぐこれだ。我ながら現金なやつだと思ってしまう。
「ねぇ、狭山くん。昨日ソーシャルゲームに課金したい、って言ってたよね?」
しかし神白は顔をパッと明るくした。
「それって、このゲーム?」
神白は自身のスマートフォンを取り出し画面を見せる。画面には狭山がいつもやっているゲーム画面が映っていた。
「あ、あぁ! そうそう!! これこれ!」
「私もやってる」
「マジかよ。つうかこのキャラ今回の当たりキャラじゃん!」
神白が持つスマートフォンの画面には、ライブ2Dで動くキャラが存在していた。
「当たった」
「すげぇ。マジかよ神白さん。やるなぁ。いいなぁ、欲しいなぁ」
「あげられないけど、フレンドになれたらかせるよ」
「あ、じゃあフレンド交換しようぜ、神白さん!」
「うん」
スマートフォンを取り出そうとしたところで、狭山はハッとする。仕事中だということを思い出し、喉奥を鳴らす。
「ごめ、違う。すいません。仕事中でした」
「そうだね」
「えっと、じゃあその、仕事終わったら、フレンド交換しても、よろしいでしょうか? 神白さん」
神白は何も答えなかった。疑問に思い、しかしすぐに答えは見つかった。
「お嬢様」
そう呼ぶと、神白は頬を緩めた。
「よろしいです」
おかしなやり取りを行った二人は、静かに笑いあった。
お座りから伏せへと姿勢を変更していたルインは、そんな和やかな二人を静かに見つめていた。
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