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第1話「秋空と告白と、朱の氷柱」

「自分は人並みの能力を持っている。」

 そう言える人間は、あるいはそう思える人間は、非常に幸福で自信家なのだろう。


 狭山春樹(さやまはるき)は"人並み"というものに憧れていた。彼にとってその言葉は、異常なまでに、遠い目標であったからだ。

 自分が"人並み"にできることなど何一つない。"人並み"に誇れるものなど何一つとして持っていない。


 だが、ここ最近はその思いが薄れつつあった。

 彼女と出会ったからだろう。




☆☆☆




 ふと冷たい風が、物思いにふける狭山の頬を撫でた。

 紅葉が空を彩る11月上旬の空気は、どことなくひんやりとしていた。しかし天気は快晴。過ごしやすい陽気でもある。

 そんな気候に意識を持っていかれ、ふぅと息を吐きだした。

 心を落ち着けた次の瞬間、右手が強い力で引っ張られた。


「うぉおう!!?」


 狭山は素っ頓狂な声を上げた。危うくこけそうになったが、片手で持っていたリードを両手で掴み、腰を落として事なきを得る。

 安堵の息を吐くと、狭山の視線は目の前にいるジャーマン・シェパードに注がれる。リードに繋がれている大型犬の長い尻尾は、大きく横に振られている。空を見上げて上機嫌だ。

 シェパードはノリノリな歩調で前へ前へ行こうとする。


「ちょっと! 待ってくれ、ルイン!!」


 名を呼ぶと、彼女は返事をするように大きく吠えた。賢い犬であるのだが、行動の抑制は上手くできないらしい。毎日の散歩コースなのに、まるで今日初めて来たかのような反応を示している。

 そんな好奇心旺盛なルインに引きずられるように歩いていると、西洋風にデザインされた白い塀と大きな門が見えてきた。

 それを見るな否や、ルインは大きく吠えると門に向かって駆けだした。


「うぉあぁ!!?」


 狭山は再び変な声を上げた。

 さきほどよりも強い力だったため今度は踏みとどまれず、腕を引っ張られながら走り始める。気を抜いたらこけてしまいそうだった。ワタワタとした走りでルインについていく。

 門を抜け、ルインは豪邸の玄関へ続く石畳の道を走り続ける。


「ま、待って! 待ってくれ!」


 静止を促すが足を止めてくれない。聞く耳をもってくれなかった。体力のない狭山ははなんとか追従するので精一杯だった。これではどちらが主人なのかわからない。

 そんな風に思っていると、ルインは急に方向転換した。突然の進路変更に足がついていかず、もつれ、狭山は派手にすっ転んだ。


「ぶっ!!」


 間抜けな声を出しながら地面にキスをする。全身に痛みが駆け、同時にリードを離してしまった。

 ルインは倒れる狭山に目もくれず、どこかへ走っていった。


「いってぇ、くそ」


 全身がズキズキと痛む。

 狭山は痛みで顔をゆがませながら起き上がると、口を手の平で拭った。唇が裂けたのか、少し血が付着していた。

 血の味を感じながら立ち上がり、自分が着ている執事服に傷がないことを確認する。借り物であるため下手に扱いたくはなかった。

 汚れを払いながら傷がないことを確認すると、ルインの大きな吠え声が聞こえた。どうやら中庭にいるらしい。中庭には、ルインが敬愛する主人がいる。

 狭山は痛む体を引きずり、中庭に足を踏み入れる。


 秋色に彩られた、絵画のような庭に、コンサバトリーがあった。狭山の足はガラス張りの小さな建物へ向かう。入口の扉の前にはルインがお座りして待っていた。

 狭山がルインの隣に立つと同時に扉が開き、中から女性が姿を見せた。


 ため息をこぼすような、美しい女性だった。

 流れるような甘栗色(あまぐりいろ)のロングヘアを(なび)かせる、高身長の女性。身長は170cmを超えており、足が長く細身。顔全体のパーツが整っており、鼻筋が通っているのも相まって、精巧な人形のようだ。力強い切れ長の目元は、特に目立つ。


 美麗な大人の雰囲気を身に纏った「神白綾香(かみしろあやか)」。

 今日はブラウンのコーデュロイシャツにジーンズという出で立ちだ。彼女のスタイルの良さが強調されている服装に見惚れてしまう。

 これで自分と同じ高校2年生だというのだから、笑わせる。狭山はそう思った。


 神白はルインの飼い主であり、狭山にとっては――


「た、ただいま帰りました。お嬢様」


 ――自分が仕える、屋敷の令嬢である。

 神白は無表情で狭山を一瞥すると、視線をルインに向ける。

 キラキラとした瞳を向けるシェパードを確認すると、人差し指を向け、口を開く。


「悪い子だね、ルイン。私の執事を困らせて」


 冷ややかな声だった。一瞬で、体感温度が5度くらい下がったようである。

 ルインは弱々しく「くぅーん」と鳴き、体を地面につけた。


「いや、お嬢様。自分は特に困っていませんよ。ルインが好奇心旺盛なのは今に始まったことではないので」


 愛想笑いを浮かべて後頭部を掻くと、神白の冷たい眼差しが射貫いてくる。切れ長の目が細まった気がした。

 一瞬の緊張が走った直後、神白が眉をピクリと動かした。


「口元、どうしたの? 服も汚れているけど」

「その、散歩中に転んでしまいまして! 唇もその時に切ってしまい。ドジですよね」


 あはは、と言いながら慌てて服についた汚れを払う。神白の目がルインに向けられる。


「隠さなくても、なんとなくわかる」

「やっぱり、バレちゃいますか」

「あなたは相変わらず優しいね。この子を庇うなんて」

「いやぁ、そういうわけでは」


 神白は頭を振った。


「あなたのおかげでルインも毎日楽しそう。気に入ってるんだろうね」

「多分私のことを下に見ているだけかなぁって思います」

「下に見ていたら、この子は動かない」


 神白はもみあげを耳にかけると、ふわりと微笑んだ。


「ありがとう、狭山くん。本当に助かる」


 氷のような無表情は一瞬で溶け、太陽のような暖かい笑顔が狭山を照らした。見た目は美人でクールな女の子だが、笑顔になると可愛らしい。

 狭山の心に巣くう"とある感情が"、強さを増した。


「ありがとうございます」


 狭山は誤魔化すように頭を下げた。


「立派だよ、あなたは」


 狄山は疑問に思っていた。たかが犬の散歩でここまで褒めてくれる神白に対して。

 なぜ犬の散歩も満足にできない人並み以下の自分を褒めてくれるのか。ポンコツな執事の自分を褒めてくれるのか。それも仕事中や仕事終わりに、毎回。


 学校では"氷柱姫(つららひめ)"、屋敷では執事やメイドから"絶対零度お嬢様"と囁かれている彼女が、なぜ自分にだけ優しいのか。


「あの、お嬢様」

「なに?」

「……前にも聞きましたが、どうして私をそんなに褒めてくれるのですか?」


 狭山は真剣な表情を浮かべて聞いた。どうしても気になったのだ。

 給料もよく、数々の頼りになる先輩方の世話になり、神白のような美人に褒められる。こんな素晴らしい職場に、凡人以下の自分を置いてくれるのはなぜか。そういう意味も込められた質問だった。

 神白はそんな思いを知ってか知らずか、小首を傾げた。


「なんでだと思う?」

「……私が、扱いやすいから?」

「違うよ」


 神白は目尻を下げる。


「狭山くんに、ここにいてほしいから」


 狭山は目を見開いた。彼女の頬に朱が差し込んだのは、見間違いではない。

 紅葉の色が色白の肌を染め上げている。


 そうなのかな。きっと彼女は、自分と同じ気持ちなのだろうか。


「あの、お嬢様」


 自惚れ。

 自惚れだ。言わない方がいい。絶対に。

 後悔する。


「私……いや、俺。お嬢様のことが」


 けど、言わないで後悔したくはなかった。




「神白のことが、好きです」




 肌寒い秋空の下に、狭山の愛の言葉が木霊した。




 狭山がこの「執事アルバイト」を始めたのはなぜか。

 告白するまでに至ったのはなぜか。

 事の発端は、1ヶ月前のことである。




お読みいただき、ありがとうございました。

ちょっとでも面白そうだなと思いましたら、ブックマークや感想、評価(下の☆マークをクリック)していただければ幸いです。


続きも楽しんで見ていってください。


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フォローすると、なんかいいことあると思います→@narou_zinka

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― 新着の感想 ―
[良い点] 丁寧な状況説明でとても読みやすかったです。 [一言] 1話目にして告白するとは思わなかった。
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