世界平和のため聖女の私が魔王と結婚することになりました
平和には犠牲がつきものだ。
戦乱を納めるために多くの命が失われ、街や自然もえぐられ朽ちる。
争いなんてものを始めた時点で、無傷のまま終われるなんてありえない。
誰だってわかるはずだ。
それでも戦うのは何のために?
土地のため?
権力のため?
財力のため?
それとも……愛ゆえに?
どんな理由があったとしても、肯定されることはない。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「魔王軍が攻めてきたぞー!」
一人の兵士が叫んだ。
のどかだった草原は戦場と化し、たくさんの死体が積み重なっている。
彼らの屍を踏みしめ進むは、魔族の王にして大悪魔。
魔王サタンである。
「退け。お前たちなどに用はない」
彼は一人、部下たちに待機を命令して突き進む。
圧倒的な力と威厳をもって、人間どころか味方の魔族にすら畏れられる存在。
何人も彼に逆らうことは出来ない。
人々の希望であった勇者ですら、彼には及ばず何度も破れている。
もはや勝ち目はなく、人々は絶望のどん底へ落ちかけていた。
しかし――
「聖女様! どうか我々に希望を……最後の救いを」
「わかりました」
人々にはまだ、縋るべき対象が残されていた。
それこそが聖女ユリア・フェールト。
天より遣わされた神の代行者にして、人々を癒し導いてきた。
この世で最も美しく清らかな乙女。
その言葉であれば、荒んだ魂を持つ魔王にも届くのでは、と期待を向けられている。
魔王は人類最大国家の都に攻め入っている。
軍は壊滅状態にあり、戦う術は残されていない。
聖女である私は、王城の最上部から語りかける。
「偉大なる魔族の王よ。私は聖女ユリア・フェールトです」
声は王都を超え、魔王の耳にも届いていた。
そういう特別な魔道具を使って、私の声を響かせている。
私の声を聞いた魔王はピタリと歩みを止めた。
「ほう、ついに出てきたか」
魔王はニヤリと笑う。
こちらの声が届いているように、彼の声もこちらに聞こえている。
映像を映す鏡のような魔道具のお陰で、魔王の表情やしぐさも見える。
対する魔王も、私のことが見えている様子だ。
「どうか矛をおさめてください。主は……私たちは争いを望んでいません」
「ふっ、我とて望んでいるわけではない」
「ならばなぜ奪うのです? なぜ争うしか道を選べないのです?」
「目的を果たすため。我が真に欲するものを手に入れるために、ここまで来たのだ」
「真に欲するもの?」
魔王は恐ろしい存在だ。
そんな彼が望むものなど、ろくでもないことに違いない。
例え知ったとしても、簡単に明け渡すなんて不可能だと思っていた。
そもそも会話が成立している時点で奇跡に近い。
「それは一体なんですか?」
「ふっ」
魔王は笑い、右腕をあげる。
ゆっくりと、確かに上げて、人差し指を伸ばす。
そうして一言――
「お前だ。聖女ユリア」
「私?」
「そう! 我はお前を欲している!」
えっ……?
「戦いを止めてほしいのだろう? ならば我が妻となれ!」
「……い、今なんとおっしゃいましたか?」
「聞こえなかったか? ならば何度だって言おう! 我の妻になれ! お前こそが我の真に欲した者だ!」
ものは、「物」じゃなくて「者」だった。
私は唖然として、言葉すらおぼつかないまま彼を見つめる。
「我が戦う理由はそこのみにある! お前が我の元に来ると言うなら、このバカげた争いも終わるぞ?」
「そ、それは……」
「どうだ? お前たちにとっては悪くない話のはずだ。もちろん、お前にとってもな」
「えっ?」
魔王は私を真っすぐに見つめている。
人でない瞳を、生まれて初めてじっと見つめた。
何でだろう?
怖いと思ったこともある瞳が、今はそんなに怖くない。
真剣に、真摯に、私だけを見つめている。
形容しがたい胸の高鳴りが、私の心を揺らし急かしてくる。
「さぁどうする?」
「そ、そんなことを急に……」
「それもそうだな。では我はここで待とう! お前の答えが出るまでな!」
え、ええぇ……
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
私が聖女に選ばれたのは、五歳の誕生日だった。
ただの村娘でしかなかった私の元に、天から白い光が降り注いで、神様の声が聞こえたんだ。
地味な茶色だった髪も、今では太陽のように明るい黄色になっている。
瞳の色もグレーからエメラルドグリーンに変わり、肌も日に焼けない白になった。
その日の三日後。
王都から兵士がやってきて、私を聖女として迎え入れると言った。
私は嫌だったけど、大人たちは喜んでいた。
両親も嬉しそうにしていたから、嫌なんて言えず、私は兵士につれられ王都へ出てきた。
それからは大変だった。
聖女としての立ち振る舞い、言葉使いを教え込まれて、華やかな暮らしなんて夢のまた夢。
私に自由はなく、決められたレールの上を歩いているだけ。
だから、何となく察していた。
「聖女様! どうか我々のためにご決断を!」
「もはや我々人類の希望はあなた様だけです」
「神のご加護を!」
国の偉い人たちが集まる会議で、全員の視線が私に刺さる。
彼らは直接口にしない。
それでも、何を願っているのかはわかる。
王様も私を見つめて、目を伏せる。
ああ、やっぱりそうか。
私に自由はない。
結婚することさえ、自分の意思では決められないんだ。
「わかりました。魔王の誘いを受けます」
「ほ、本当ですか?」
「はい。それで争いが終わるなら」
違う。
本心では望んでいない。
私は世界を平和にしたいとか、人々を救いたいなんて思わない。
ただ……夢に思う。
普通に暮らして、普通に恋をして、普通に幸せを掴みたい。
そんな願いすら、叶えられないのか。
「お待たせしました」
「答えは出たか?」
「はい……結婚しましょう。魔王サタン様」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
世界は大きく二つに分かれている。
大陸の西半分を占める魔界と、東半分を占める人間界。
侵略され続けて四分の一まで減っていた人間界の領土も、魔王が侵攻をやめたことで戻った。
こうして世界は再び平和を迎えたのだ。
私と言う一人の犠牲によって。
「はぁ……もう嫌」
魔王城アルバロト。
用意された寝室のベッドに座り、自分の置かれた状況に嘆く。
人々を守るために魔王と結婚した私だったが、今になってから後悔が押し寄せてくる。
逃げてしまえばよかった。
どうして平和のために、自分が犠牲にならなければいけないのか?
そんなことを思っても、やっぱり口には出来ない。
だって、多くの人が命を落としている。
私だけが辛いわけじゃない。
いろんなものを失って、ようやく手に入れた平和なんだ。
だから……
「ぅ……」
泣いちゃダメだ。
笑って、誇らしく生きないと。
そう思っても、溢れる涙は止まってくれない。
「何を泣いている?」
「えっ……」
不意に後ろから声をかけられた。
優しい声だったから気付けなかったけど、立っていたのは魔王サタン。
私の夫になった大悪魔で、人類の敵だった存在。
その威圧感に、私の涙がすっとかれる。
「す、すみません」
「なぜ謝る?」
「いえ、その……」
ハッキリ言って怖い。
突然の求婚には驚かされたが、彼の意図はまるでよめない。
少なくとも彼は魔王だ。
きっとよからぬ思惑があるに違いない。
私……何されるんだろう?
嫌な想像だけが膨らむ。
女としての幸せも、私には望めない。
そう思ったら、また涙が出そうになった。
ポンっと、彼が私の頭を撫でる。
「え?」
「まったく、酷い顔をしているな」
そう言っている彼の表情は、悪魔とは思えない程やさしくて、慈愛に満ちていた。
恐怖が薄れて、戸惑いが色濃くなる。
訳の分からないまま、私は彼を見つめる。
「安心しろ。お前が思っているような酷いことなど一切しない」
「魔王……様?」
「様もいらん。勘違いをしているようだから、先にそれを正しておこう」
勘違い?
彼はそう言って、私に微笑みかける。
「我がお前を欲した理由はただ一つ。お前に惚れているからだ」
「……へっ?」
思わず変な声が出てしまった。
惚れているなんて言葉が、あの魔王の口から出るなんて。
違和感以上におかしくて、何と返せばいいのかわからない。
それでも彼は続けて言う。
「故に誓おう。我はお前を生涯幸せにすると。ほしい物、したいことがあるなら言え。我に出来ることであれば、何だってしよう」
彼は優しく、似合わない笑顔を見せている。
言葉の意味はわかっても、その真意は未だ見えない。
だけど、私にとってその言葉は救いにも似ていた。
「聖女の役割、人類の存続など……そんな下らぬ他人事は忘れよ。これからはお前が、お前自身の幸せを掴む番だ」
涙がこぼれおちる。
恐怖ではない。
悲しみでもない。
ただ、嬉しくて流れた涙は……とても暖かい。
こうして私は魔王の妻となった。
意図せず、望まぬ形の始まりだったけど。
少しずつ確実に、私はこれから――幸せを掴んでいく。