大丈夫
気まずい雰囲気であたしたちはマンションのエレベーターで4階まで上がった。
『ねえ……』美織はエレベーターを降りたところで足を止めてあたしを呼び止めた。
『何?』
自分の口から発した自分の声がこわばっているのがよく分かる。
付き添いできた他人のあたしですら緊張しているのだ。
当の本人である美織は怖いのだろう。
よく分かる。
あたしも怖かったから。
『赤ちゃんに罪はない』などと知ったようなことを言ったが、それは少し時間が経って場の空気に慣れてきたときに頭に浮かんだことだ。一番最初に両親に話した時には怖くて言葉が出なかった。消え入るような声を絞り出してようやく『子供ができた……』と言ったのを昨日のように覚えている。
地獄があるのかどうかは分からないけど……
本当に地獄のような時間だった。
『あの……』
『大丈夫……』
『……』
美織は下を向いた。
あたしはもう一度言った。
『大丈夫だから』
『……うん』
意を決したかのように美織は歩き出した。
玄関を開けてご両親に会って話しだすまでの間のことは、あたしも緊張しすぎて何が何だか覚えていない。
『……そうか……』
長い沈黙のあと……美織のお父さんは言った。
お母さんは泣いていた。
どこの家族も同じような反応をするんだなあ……とやけに冷静に状況を見つめていたのを覚えている。
『美織はどうしたいんだ……』
『……どうしたらいいんだろ……』
『うん。分からないというのは自然だろうな。お父さんの意見を言う前に……浦野さんだっけ?』
『あ……は、はい。』
あたしは自分に話が振られると思っていなかったのでビックリして返事した。
リビングで話をしたのだが、部屋の様子がやたら頭に残っている。ついていないテレビが大きく見えたし、テーブルの木目調がやたら気になったのも鮮明に覚えている。
『浦野さんはどう思う?』
相談に乗った経緯も何も話していない状態だったから、こんなことを聞かれるとは思ってもいなかった。
お父さんはあたしがここになんでいるのか分かっていたのだろうか。
『あたし……ですか……』
美織のお父さんはあたしの目をじっと見てうなづいた。
あたしは意を決して話をはじめた。
『あたしは……1年前に今の美織さんと同じ経験をしました。美織さんもそれを知っていたからあたしに相談してきたんだと思います』
お父さんはじっと話を聞いている。
お母さんの鼻をすする声がする。
『このことに関してはここ以外では話をしていません。あたしは美織さんから相談を受けたときにご両親にまず相談するように言いました。というのもあたしの時も一番力になってくれたのは、あたしの両親だったからです。一人では怖いと思ったので……それで今日はあたしも同席させていただきました』
喉がカラカラだった。
もう何を言っているかよく分からない。とにかく夢中だったのを覚えている。
『そうか……。それは気を使ってくれてありがとう』
『あたしは……まずはお相手の方としっかり話しあうべきだと思います。と言ってもあたしたちは身体は大きくなりましたけど、社会的な判断に関してはきちんとできない子供です。ご両親に力になってもらいながら話を進めていく方が良いと思います』
『うん……わたしもそう思う。もう一つ聞いて言いかな?』
『はい』
『浦野さんはその……』
聞きにくい質問なのはすぐにわかった。
子供をどうしたのか聞きたいのだ。
この選択に関しては胸を張って『間違っていない』と言える。
だからはっきりと言った。
『あたしは産みました』
『…………』
『両親は大反対でした。でも悪いことをしたのはあたしであり相手の男性です。赤ちゃんじゃありません。だから反対を押し切って産みました。一人で子供を育てることは本当に大変です。周りが力を貸してくれないと絶対に無理です。でもやっぱり産んでよかったと思っています』
『そうか……ありがとう。浦野さんが苦労してきたのは話し方でよく分かるよ』
『……そ……そうですか……』
『うん。あとは娘と家族だけで話したいのだけど……』
『分かりました。よろしくお願いします』
あたしは頭を下げて美織のお父さんとお母さんに頭を下げると、美織にだけ聞こえるような小さな声で言った。
『きっと大丈夫だから』
美織にはいいお父さんがいる。頭ごなしに怒るような人だったらどうしようかと思ったけど、ちゃんと話を聞いてくれる。
きっと大丈夫。




