もう一度、大切な人のために
『ふううう……』
あたしは深呼吸をした。
緊張する。
美織の住んでいるマンションのエントランスにあたしたちは二人はいた。
あまり付き合いがなかったので彼女の家に行くのは初めてだし、当然、ご両親に会うのも初めてである。オートロックの少し小ぎれいなマンション。あたしもそうだったのだけど、美織も同じように両親に愛され、何不自由なく今まで育ってきたのだろう。
夕凪は両親に預けてきた。当たり前の話だが赤ちゃんを連れて、のほほんと来れるような話をするわけではないからだ。
あれからあたしは自分の父親にもこの件を相談した。
『春海のそういう気遣いは偉いと思う』
開口一番、父親はまず褒めてくれた。
今まで何気なく父親と暮らしていたが、あたしの父親にはそういうところがある。
つまり、まずは良いところを褒めてくれるのだ。いつもそういう態度だから、学生であった時は何も感じなかった。それが当たり前になると本当はすごくありがたいことでも何も感じなくなるものである。
しかしこれはすごくありがたいことだ。
頭ごなしにすべてを否定されたりするとこちらも話をする気がなくなるからだ。
考えてみれば父親がこういう感じだからあたしは夕凪ができて困った時に両親に言い出すことができたのかもしれない。
ただ……さすがにあの時は父親も我を失い怒っていた。
でもそれは当たり前の話ではある。
父親だって完璧ではないのだから。
あたしがぼんやりと自分の時のことを考えていると父親は口を開いて落ち着いた口調で言った。
『ただ……あまり人様の家のことに首を突っ込まない方がいいとも思う』
なるほど……と思った。
実はあたし自身も懸念していたことなのだ。
本当に親友というなら話は変わってくるが、そこまで付き合いもない。
なんであんたが一緒にくる? という顔をされるのは目に見えて分かる。
『でも……春海が自分の体験をご両親に話して、赤山さんのご両親と赤山さん自身の参考になるならそれはいいことだと思うよ。お母さんが言っているとおり、嫌な思いもするかもしれないけど』
あたしは父親のこの言葉で腹が決まった。
あたしが夕凪を産もうと思ったのはなぜだ?
それは……お腹にいる赤ちゃんには何も罪がないと思ったから。
もちろん決めるのは美織だしご両親だと思う。
子供を産んで育てる大変さは何を隠そうあたし自身が一番痛感している。
進路も決まっているだろうからそれらのものもすべて犠牲にしなければいけないだろう。
でも……できるなら赤ちゃんを一番大事に思ってほしい。
あんなことがあったけど今はなんとかやっていて幸せです……だなんて軽いことを言うつもりはない。
あたしは……やってはいけないことをした。だから若いうちにできたはずの楽しいことをすべて犠牲にして夕凪に尽くしている。
それでも今の生活が不幸なわけではない。
ありがたいことに幸せだと思えることの方が多い。
だけど……
本当に幸せになりたいのなら、十代のうちに子供を作るようなことをしてはいけないと思う。
『行こうか……』
あたしは表情をこわばらせて言った。
『え……』
美織は二の足を踏んでいる。それもそうだ。
今から自分の両親に子供ができたことを報告しにいくのだ。
未婚の母になってしまったことを話すのだ。
予想される両親の反応が分かるだけに二の足を踏むのは分かる気がする。
何せ……関係のないあたしだって緊張しているのだから…。
でも……一歩踏み出さないと。
『いつまでもここにいるわけにいかないし、こういうことは早めに相談した方がいいよ』
あたしは他人事だからこんなことが言える。
『……う……うん』
『自分一人じゃ抱えきれないよ。あたしもそうだったし』
そう……
こんな大事件は一人では抱えきれない。
あたしだって紙一重だったのだ。
もし誰にも言わずにいたら、あたしは自ら死を選択したかもしれない。
それぐらいの絶望に打ちひしがれる。
おかしな話だ。
本来なら新しい命を授かったなら喜ぶべきことなのに……。
足取り重く……美織は歩き出した。
あたしたちは美織の両親に会うためにマンションのエレベーターに乗りこんだ。




