石
みんなが石を持っている。
自分のは、小さくて、ザラザラした、色のない石。
僕の掌の中の小さな世界で、それはまばゆく光っていた。
宝物だと思っていたんだ。
でも、そんなのは嘘だった。
街中でふとすれ違った人が持っていた石は、ある人のは輝いていて、洗練されていて、可愛らしくて、精巧で、派手で、大きくて。
隣の席の人の石は、小さいけれどお花の形。ハートの形。暖かいミルキーな色。
シンプルだから僕の方が良いなんて、言い逃れができないような。
およそ、自分の理想を鏡で映し出したような石たちが、世間には溢れていた。
なんでこんなものを、唯一無二の宝物だと思っていたんだろう。
しばらく部屋にこもっていれば忘れていられるけれど。見ないで済むけれど。
それでもあの輝きが目に焼き付いて離れない。
石が、石が、石が。
どうして僕の石は、これなんだ。ずるいじゃないか。卑怯じゃないか。
あの石が欲しいと言ったら、そんなことを言うのはみっともないと言われた。
自分の石があの石みたいにならないかなぁと言ったら、そんなことを望むのはダメだと言われた。
自分の石を改造しようとしたら、そのままを愛すべきと言われた。
ありのままこそすべてと、さも正しいように。誰もが口にする。
何かの基準に縛られること、何かの評価に従わされることは自由ではない、美しくないと、人々は当然のように言う。
そう言ってるあなたたちの持つ石だってクズ石じゃないか。
クズ石を抱きしめて、一生懸命自分を納得させてるじゃないか。
たまに自分と他の人の石を比べては、虚ろな表情をしているじゃないか。
他の人の華やかな石が傷ついた話を、興味深く聞いているじゃないか。
評価に従わされることが正しくないというのなら、なぜあなたたちは評価を口にするんだ。尺度を生み出してしまうんだ。これは良いものだと。素晴らしいものだと。
口先ではありのあまを推奨しながらも、実際は比べさせるようなことを言うんだ。
欲しいんだろう。みんな欲しいんだろう。本当はあの石がほしいんだ。
自分より良く見える人の石が、羨ましくて憎らしくて仕方がないんだ。
いびつなクズ石など、自分が価値観を変えて、細々と愛するしかないじゃないか。
だって所詮、僕が抱いて生まれてきたのはこの何の魅力もない小さくて無彩色の面白みのない石なのだから。
僕は選ばれなかったのだから。
そんなクズ石をどうして愛せようか。
良さを探そうとすればするほど、惨めになるばかりだ。
欠けた石を持った人間を見ては、「あいつよりはマシ」だと蔑んで、自分よりいい石を持つ奴らへの溜飲を下げる。
自分より小さな石を持った人間を見つけては、「各々の石を愛するべきなんだよ」と、自分が言われて散々嫌だった言葉で、その価値観を押し付ける。
憎しみに駆られていた僕に、ある人が声をかけてくる。
いくらでも払うから、その石をくれと。
僕は言った。
「残念だが、こいつは金では売買できないらしい。こんなくだらないものなんて、人と比べてみじめにさせるものなんて、持ってたくなどないんだがね」
その人は言った。
「愚かな」
その人は石を持っていなかった。
「醜くても汚くても小粒でも欠けていても、何でもいい。誰か私に石をくれ」
その人は叫んで居なくなった。
そういえば、これまで石を持っていない人とは会ったことがなかった。
石は僕に人を憎ませた。
石は僕に人と比べさせた。
石はあるだけで僕を苦しめる。
でも、自分の石とは離れられない。そういうものだから。
人と交換もできないし、要らないからって、大金を積まれたからって譲ることもかなわない。
ずっと石を見ていた。人と会う時も、その人の持つ石を見ていた。
何を話してるかなんて関係ない、石を見てれば大体のことは分かる。
ずっと石を見ていた。
あんなにいい石を持っている連中が、不幸を気取るな。
自分のいかに当たり前のように恩恵を受けているか知り、それが色んな要因が重なり合った賜物であると知れ。
ずっと石を見ていた。
ずっと石を見ていたんだ。
ずっと石を見ていた。
だから僕は、不幸になった。
見上げれば空が青い。
そよ風が頬を撫でてきもちいい。
でも、僕の石はみすぼらしいんだよ。
空が青かろうが、風が気持ち良かろうが。
僕の持たなければならない石はみじめだ。
木々が葉を揺らして、さざ波のような音を立てる。
温かい日差しが全身を照らす。
でも、僕の石は。
僕は空を見ても、葉のそよぐ音を聞いても、自分の石のことしか考えていなかった。
その空間に自分しかいなくても、他の人の石のことばかりを考えていた。
認めよう、確かに空は青いよ。素晴らしい。美しい。吸い込まれそうだ。心の中を爽やかな空気が吹き抜けるよう。
こんなにきれいな空を一生見られない人だっているんだ。
でも。
石が。
――ねえ、石のことをどうして考え続けないといけないの?
考え続けたくて考えてるわけじゃない。自分の石が人より劣っているから、考えざるをえないんだ。
――考えざるをえないって、なんで?
だから、嫌でも何でも、勝手に考えてしまうんだ。
――おかしな人ね。別にあなたは手足を縛り付けられて、ヘッドフォンをさせられて音楽を聴かされてるるわけじゃないのよ? 聞きたくない音楽なら、ヘッドフォンのスイッチを切っちゃうか、外しちゃえばいいじゃない。
は?
――だからね。目の前ですごく見たくない映画が流れてるとしたら、あなたどうする? 席から立ち上がって映画館を出るでしょ? 座席に縛り付けられてたら、目をつぶって耳をふさげばいい。それも叶わないのなら、白目剥いて大声で歌を歌ってやりゃいいわ。
突然、白目をむいて大声で歌を歌うなんて言われて、悔しいけれど少し可笑しく思ってしまった。
――私から見たらあなたは、聞きたくない音楽を毎日自分で流して、見たくない映画を毎日上映して、嫌だ嫌だ言いながら見続けてるのと一緒よ?
でも……。
――あなたは、あなたの心の中のことなのに、BGMを決める権利も、放送する映画を管理する権利もないっていうの?
勝手に流されるんだ!
――じゃあ止めましょう。放送室に駆け込むの。機材を全部壊しちゃえ。
それでも止まらないなら?
――その時は、白目を剥いて歌を歌いましょ。放送が終わるまで。
……。
――そんなバカみたいなことしてたら、上映映画もコメディに変わっちゃうかも。あ、しかも、一生懸命歌を歌ってたら、歌が上達しちゃうかもね。お得だね。
僕がぽつぽつと歌を歌い出すと、あの声も聞こえなくなっていた。
あの声は本当に聞こえていたのだろうか。
頭の中に文章があって、それが脳内で再生されていただけのような気もする。
何と言われようと、僕は石について考えることを、石について人と比べてしまう思考をやめられそうにない。
だから、これからはあの声の言ったこと従って、考え始めたら心の中で歌を歌うことにした。
所詮は気を逸らしてるだけなのは分かっている。
現実は何にも変わっちゃいない。
相変わらず自分の石はみじめだし、相変わらず他人の石を羨ましく思い、悔しく思い、憎らしく思う。
それでも石を放り捨てることはできない。
でも、全身で思考の痛みを、疲労を受け止めたって、僕は疲弊してボロボロになっていくだけ。
だから今は、この麻酔を利かせているような時間を、一秒でも長く伸ばしていくほかない。
青空が青いと思える時間を、そよ風が気持ちいいと思える時間を一秒ずつ伸ばしていくしかない。
僕が石について考えなくなるまで。
僕が石を人と比べても辛くならなくなるまで。
僕が石なんて持っていることを忘れるくらいになるまで。