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秘密組織に入りませんか?   作者: 志賀 健児 (シガ タツル)
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第1話 わはわでわでわ? 2 (4)

 すると、

「その三原則を元に構想されるのが、ソウ力化プロジェクトだよ」

 と、ユーリが力強く言い放つ。

「ソウ力化プロジェクト……」

 クラトは繰り返す。

「ただし――」

 と、秘密を告げようとするかのように声をひそめ、ユーリは重々しく打ち明けた。

「実はまだ、プロジェクトの具体的な内容は決まっていない――」

 ――――――え?

「え? え? そうなの?」

 クラトは驚いて、周囲の顔をきょときょと見回した。

 にやりと笑う威太郎や、指で頭をかくミヤ。肩をすくめる伽耶子にぽやぽやっと笑顔の小春。不動の翼にまじめな顔のままのユーリ。

 と、次の瞬間、ユーリがくしゃっと笑った。他のみんなも笑い出す。

「目指す形は見えてるんだけどなッ」

「大枠だけだけどなー」

「けど、何もやってないワケじゃないじゃない。この後だって――」

「ちょっと待てよッ。それはまだ内緒だって」

「えぇ? そうなのぉ?」

 威太郎にミヤ、伽耶子、小春がわいわいしゃべり出す。

 クラトは、威太郎たちが何を話しているのかわからないままながめていると、

「これまでの話をまとめると、一人ひとりが世界を平和にしようと思うことで、世界を平和にしようと考えることで、世界を平和にできる、ってことだったよね」

 ユーリがクラトに話しかけて来た。

 クラトはユーリにうなずきを返す。草の書の序文に書かれていたのが、その話だった。

「どうしたらそんな風に一人ひとりが思ってくれるか、それを考えて出した結論が『超個人主義』、つまり、人のことを考えることで自分も助かると思えば、人のことを思いやることができるようになるんじゃないか、ってことなんだ」

 クラトはこれにもうなずきを返す。超個人主義についての説明を思い返す。

「人を思いやっていくことで、人と人とが助け合えるし、そうやって助け合っていければ、争わずにすむはずなんだ」

 クラトはうなずく。これは超個人主義、そして和と輪の考えだ。

「それに、意見が対立することがあっても、武力で相手を従わせるんじゃなく、話し合いで解決をさせることができれば、戦争にはならない」

 クラトはうなずく。これは三つ目の「わ」、会話の「話」だ。

「それでももし争いが起きてしまったら? 争いが起きたとき、それを話し合いで解決させるには――そのときは、対立している人たちを『調和』させるんだ」

 ユーリは左右に人差し指を向かい合わせに立て、指先をくっつける。そうすると、右の指先から右腕、身体、左腕、左の指先と、ひと繋ぎの輪ができる。

「片方だけが得をするとか、片方だけがつらい目にあうとか、そんな話し合いしかできなかったら、いつまでたっても争いは終わらない。だけどもし、それぞれに困っていることがあって、それを解決してあげられたなら、戦争じゃなく、話し合いで仲直りすることができるんだ。そのために、なぜ争っているのか、それぞれがどんな事情を抱えているか、そういうことをわかれるだけわかってあげて、どうするのがいいことなのか、考えていく」

 クラトはうなずく。これは、三つ目の話のためには一つ目の和が大切になる、ということ。

 ただ、話し合いで解決しなさいと言ってもそれでそうできるわけではない。

 人のことを思いやりましょう、人と助け合いましょうと言っているだけでは意味がないから、人のことを思いやって助け合えるように超個人主義が考え出された。

 それと同じように、ただ話し合いで解決しましょう、ではなく、和の心で調和させることによって話し合いで問題を解決することができる、ということなのだろう。

「いま話した、世界中の一人ひとりが持つべき力――三つの『わ』をひっくるめた、相手のことを考えて、思いやっていく力――その力のことを、『ソウ力』って言うことにしたんだよ」

 とユーリがまとめる。

 ユーリの説明を受けて、

「もともとは、草の力っていう意味の『草力(そうりょく)』だったんだけどなッ」

「そうそう。世界を平和にするためには、名もなき草一人ひとりの考える力が大事だよな、ってことで、それを草の力って言うようになって、草の力っていちいち言うの言いにくいから、『草力(くさちから)』って書いて『そうりょく』って読めばよくない? って話になって」

「『そう』って言えば、『想像』の『想』も『そう』って読むね。『想像』の『想』って、『想う』っていう字だね。相手を『想う』って大事なことだよね。『想像』できなきゃ、相手を思いやることってできないしね。ってなっていって、『想像』の『想』で『想力(そうりょく)』っていう意味もプラスしちゃおうよ――ってなって」

「草の力と想う力、二つの『そうりょく』をミックスして『ソウ力』っていう言葉を作ったんだよねぇ」

 と、威太郎にミヤ、伽耶子、小春も加わって、「ソウ力」という言葉が作られた過程を披露する。

 ユーリは表情を引き締め、断言する。

「これから時代を創るには――ソウ力戦になる」

 ソウ力せん……?

 クラトは目を見開いた。

 ユーリはまじめな顔で言い募る。

「例えば、仕事がないとか、ごはんを食べられない子供がいるとか……他にも、温暖化や環境汚染、戦争もそうだし、テロもそう。今、国内外には、解決すべきいろんな問題がたくさんある。その、解決すべき問題のほとんどが、実は、ソウ力によって解決できる問題なんだ」

「……ソウ力で?」

 クラトが聞き返すと、ユーリはハッキリとうなずいた。

「ソウ力は、ものすごい可能性を秘めている。――今はまだよくわからないかもしれないけど、気づき始めたら、たくさん見えてくる。この世界の問題は、ソウ力で解決できることだらけだってことに、驚かされると思うよ」

 予言めいたことを言って、ユーリは口元にいたずらっ子のような笑みをのせた。

 気づき始めたら、見えてくる――。

 ソウ力って、どんな力を持っているんだろう……。

 クラトの目には、今はまだよく見通せない。

 すると、今度はミヤが、

「あのさ、宇宙人が地球にやって来て、その宇宙人が、今の地球人じゃ太刀打ちできないくらいすっごく強いとすると、地球人は宇宙人の言うことを聞くしかないワケ。んで、その宇宙人が、『地球人たちは戦争なんかやめて仲良くしなさい。平和な暮らしを乱す地球人はワレワレが排除します』とか言ったら、世界が平和になる。それか、どこかの国が古代文明の遺跡を発見してすごい力を手に入れて、世界統一しちゃって、戦争する必要が無くなるとかすれば、世界が平和になる。後は、クラトが言ってたみたいにさ、超能力者が現れて世界を統一しちゃうとかすれば平和になるよ」

 と次々と非現実的な発想を披露する。

 突然の宇宙人の登場にあっけにとられるクラトの隣では、威太郎がしかつめらしい様子でうなずいている。ユーリはやや苦笑気味だ。

「絶対的な支配者が現れて世界を統一しちゃって、そこでみんなが不満を持たないような統治体制を作り上げれば、戦争って無くなると思うけど、あいにく、それってちょっと無理があるよな?」

 ミヤが言うと、威太郎が堅苦しくうなずいて、

「宇宙人プランは、協力してくれる宇宙人がいないとどうにもなんないし。古代文明の遺跡も、そんな古代遺跡の当てがないし、超能力も、持ってる人はいるかもしれないけど、世界を統一できるクラスの人ってなるとちょっといそうにないしなッ」

 とまじめに語る。

「どれも現実からは遠いから。やっぱり、地道にソウ力を高めていくしかないって思うワケでさ。これまでの話にも出てたけど、世界を平和にするには、一人ひとりが世界を平和にしようと思う。つまり、戦争をしたい勢力にソウ力で対抗するしかないと思うワケ」

「で、どれだけソウ力を人の心に広めていけるか、高めていけるか、そのためにどうすればいいかっつーと。一人ひとりの心に、三つの『わ』を叩きこんでいけばいいんじゃねーかって話になったんだよなッ」

「そうそう。けど、三つの『わ』っていうのは、概念っていうか、抽象的っていうか、大きな『(こころざし)』過ぎて、実生活には反映されにくいんだよ〜」

「誰かと誰かが殴り合いのケンカしてたとして、話し合いで解決しようって言っても、どうやって解決するかは自分たちで考えてくださいッ、って言ったんじゃぁ、ただの突き放しだもんな? そんなんじゃぁ、そんなこと言われた人たちの心に、ソウ力は育たねぇって」

「そうそう。その人たちがどうすればいいかを、一緒に具体的に考えて、その人にもできるソウ力をわわわ会があげるんだよ。『どうやって』の部分を考えて、『こうやって』やったらいいよ、っていうのを、わわわ会で提案して、相手も『そうすればいいな』って思ってやってみて仲直りができたら、『そうすればいいな』って思えた力はソウ力なワケでさ」

「そうすれば、たくさんの人の心にソウ力を増やしていけるぜッ」

 ミヤと威太郎の絶妙なかけ合い。クラトは二人の話を聞き取るのでせいいっぱいだ。

 ただ、聞いていてなんとなく、争いが起きたときに話し合いで解決させるには、対立している人たちを調和させればいいという、ユーリの話に通じる気がした。

「んで、その、こういう問題は、どうしたら解決できっかなーっていうのを考えて、こんなんどう? こうしたらよくねぇ? っつーのを考えていくのが、ソウ力を高める訓練なんだよなッ」

 威太郎が「なッ!」とミヤに同意を求める。

「そうそう。んで、今んとこ、オレたちは、ソウ力を高める訓練をしているワケ。ソウ力化するためのプロジェクトっていうのはまだちゃんと決まってないしさ。――つまり、世の中のいろんな問題をどうやったら解決できるかを話し合ったりしてるんだよなー」

 と、ミヤは、今度はユーリに視線を向ける。

 ユーリはミヤにうなずいて、

「わわわ会で、世界を平和にするために考えたのがソウ力化で、プロジェクトを立ち上げたはいいものの、具体的に何をするかっていうと難しくって。まだ、何をすればいいか、模索中というか、考案中というか――意見を出し合っているところで。世の中の問題をどう解決するか、ぼくたちがソウ力を高める訓練をしているって状態なんだよね」

 ミヤににこっと笑って、ユーリはクラトへ顔を戻すと、

「ソウ力を高める方法を見つけて、ソウ力を世界中の人に持ってもらおう、持ってくれるように働きかけて行こう――全世界の全人類の心をソウ力化して行こう、というのが、ソウ力化プロジェクトなんだ」

 目を細めて誇らしげに打ち出した。

 威太郎はにんまり笑う。

「カッコいいだろー、『ソウ力化プロジェクト』! オレは気に入ってるんだけど、プロジェクト自体はまだ名ばかり状態なんだよなッ」

 ミヤは腕組みして目を閉じ、うんうんとうなずいている。ソウ力化プロジェクトという名前の響きを味わっているらしい。威太郎だけではなく、ミヤもまた、プロジェクト名をカッコいいと気に入っているようだ。

 全世界の全人類の心をソウ力化して行く。それはまるで、見渡す限り緑色の草原が広がり、風がその草の上を吹き渡っていくような――クラトの中に、そんな心象風景が広がる。

 あ。

「ええと、なんとか万里……」

 クラトは頭に浮かんだ言葉を口にしようとするが、最初の部分が思い出せない。

 すると、

「草及万里のことか?」

 と草の書を清書した威太郎が言い当てる。

「そう、ソレ! 草及万里とソウ力化プロジェクト、同じだね」

 とクラトが得心して言うと、威太郎はきょとんとする。すぐにはわからなかったようだが、クラトが抱いたイメージが伝わったのか、次の瞬間には破顔した。

「おうッ!」

 と笑顔で親指を立て、クラトに向けて『グッド』のサインを送る。

 草の心を遠く遠くまで届けよう。それが『草及万里』の意味だ。その草の心――名もなき草と同じ、有名でもなんでもない、なんの権力も持たない人々が持つべき心の力を『ソウ力』と名づけた。そして、世界中の人がソウ力を持てるよう、わわわ会は考えている。

 ユーリはフレームのつるの部分を両手で持って、一度メガネをかけ直す。それからまたクラトの顔へ目をすえた。

「カヤちゃんがチラッと言ってたけど、何もしていないわけじゃないんだよ? けど、何かをすることより、考えてることの方が多くて。……何をすればいいか、何ができるか。できそうなことがないかを考えること、それ自体が、今のわわわ会の活動の一つ、と言えるかな」

 考えることが、活動……?

 野球は野球をするけれど、考えることが活動だったりすることなんて、あるんだ……?

 ミヤは、ソウ力を高める訓練をしている、と言っていた。

 ふーん、とクラトはうなずいた。

 威太郎は「んー!」っと両手の指を頭の上で組んで引っくり返し、手のひらを上に向けて大きく伸びをする。話が続いて身体が固まって来たのだろう。

 威太郎は腕を上に伸ばしたまま身体を左に倒しながら、

「考えることが活動――って言われても、すぐにはピンとこねーよなぁ。なぁ、クラト」

 とクラトに話しかける。そして身体を一度戻し、今度は右に倒した。

 威太郎の言う通りだったので、クラトは少し迷って正直にうなずいた。

 ユーリは軽く目を伏せ、「そうだね……」と考える様子だ。それから少しして、何か思いついたらしく、目を上げた。

「例えば――ぼくたちが生まれる前の話だけれど、湾岸戦争っていう戦争があったんだ。クラトは聞いたことある?」

 ユーリに聞かれ、クラトは記憶の糸を手繰っていくけれど……。

「聞いたことがあるような? ないような?」

 頭をひねる。

 文房具か何かを探していて父親の部屋に入ったときの記憶が引っかかる。護の部屋の本棚には本がたくさんあり、床にもそこここに本が積んである。その中に湾岸戦争について書かれた本を見たような覚えがあった。

 護が家にあまりいないのをいいことに勝手に入ったうしろめたさもあって、あまり長居をせずに部屋を出たのだったか。表紙を見て中をパラパラッとやっただけで、難しそうなのでくわしくは読まなかった。

 そのときのイメージでは、中東とか言われる、石油が取れて砂漠がある国がいっぱいあるあたりの戦争だったような気がする。それっぽい写真が載っていた気がする。いつごろかはわからないけれど、第二次世界大戦の後の戦争で、だけどイスラム軍とかじゃなかったような……?

 そもそも、湾岸戦争というからには湾岸で起こった戦争なのだろうけれど、いったいどこの湾の話なのやら……?

 とにかく、日本とは関係ない、遠い国の戦争で、そんな戦争があったような気がするけれど、それで合っているのか、全く違う戦争なのか、クラトにはわからない。

「じゃあ、その前にちょっとだけ、注意をしてほしいことがあるから言っておくね。これからも『戦争』について話をすることがあると思うけど、戦争って、知れば知るほどどんなものか、説明するのって難しいんだ。どこからが始まりなのか、とか、どことどこがどう戦ったのか、とか、なんでそんなことになったのか、とか――勉強が足りないこともいっぱいあるし、情報がないこともあるし、間違った話が本当のことのように広まっていて、それを信じてしまっていることもあるだろうし……」

 ユーリは丁寧に言葉をつむいでいく。

 クラトにとって戦争は、『戦争』とひとくくりにできるもので、ユーリの言う難しさはわからない。日本が昔やった戦争に関しては、必要なことは学校の平和授業で習うはずだから、それをそのまま覚えるだけだ。外国で今も戦争があっているところがあるみたいだけれど、それはニュースで聞くだけで、外国のことだから日本が何かできるわけでもないし、知りようがない。なのに、勉強が足りないってなんだろう?

 クラトにはユーリが何を心配しているのかわからないけれど、威太郎たちにはわかるらしく、

「戦争が終わりました、ってなって、何十年も経ってから、実はあのときこうだったんだ、とかって、新しい証言が出て来たりするもんなッ」

「手紙とか文書とか、知られていなかった資料がずっと後になって発見されたりとかするわよね」

「個人の日記とか」

「ちゃんと誰かが証言したり、資料があるよッて公開してたりしてても、マスコミに取り上げられてこなかったとか、あったんじゃねーの?」

「昔は言わせてもらえなくて飲みこむしかなかったこととかもあったんだろうし。そうじゃなくても、自分がキツくて言えなかったとか、あったわよね」

「時間が経ってからじゃないと言い出せないこととかもあるのかもなー」

「外国の戦争とか、現地からです、って言ってテレビで生放送してたとしても、その国の兵隊にチェックされてたりして、必ず真実を言っているとは限らねぇってこともあるみてーだし」

「そうなの?」

「あるいはさー、これで正しかったと信じてたことが、時間が経っていく中でいろんなことを見聞きしたり経験したりしていくことで、おかしかったんじゃないか、って疑問に思って、それを打ち明けました、ってことだってあったりするかもよ?」

「この人は戦争のときこうしてたけど、別の人はこうしてた、とか、個人でとった行動が違ってて、日本人がこうだったとか中国人はこうだったとか、くくれないこともあるよなッ」

「個人差はあったわよね」

「この前、地元の新聞に載ってた記事にさ、ほら、日本って台湾統治ってのをやってて、子供のころその台湾に住んでて、周りの日本人の大人たちが台湾の人たちをいじめたりバカにしたりしてたから、自分たち子供も台湾の人たちにいたずらしたりバカにしたりしてたことを、今、思い出すって書いてあってさ」

「うー。そういう人ってやっぱりいたんだな。台湾って親日国って言うけど、それって、ダムの技師の人とか六氏先生とか、台湾の人の生活や教育が豊かになるようにがんばった日本人がいて、その人に感謝して日本大好きって人が多くいるとかだよな。けど、日本が好きって人がいっぱいいる中で、日本人にいじめられたりバカにされたりしてた台湾人は、日本人なんて嫌いだって言えなかっただろうな。日本人のこと好きっていう台湾の人に対しても、複雑だっただろうなぁ」

「マレーシアかどこかの人が、日本に対して本当はいろいろ思うことがあっても、周りから圧力みたいなの感じて言えずにきたことあるよ、って何かの番組のインタビューで答えてるの、見たことあったわ」

 と、威太郎、伽耶子、ミヤが口々にしゃべり出す。

 話が長くなりそうなので、

「戦争って本当に大変なことで、歴史的な背景や、その国が抱えている事情や文化や、個人個人の思惑やなんか、いろんなことがからみ合って起こっているから、本当の姿ってなかなか見えてこないんだ。戦争の一面を見てわかった気になっても、反対から見ると全然ちがうものに見えてくる。いろんなことを知らないと、とんでもないことを見過ごしてしまいかねない。本当に、戦争をわかろうとするのって、難しいことなんだ」

 と、ユーリが話に割って入った。

「だからね、戦争に関することを話すときには、誰が言うことでも、それをそのまま信じ切ってしまうんじゃなくて、戦争に対する一つの見方、として受け止めてほしいんだ」

「え? 信じない?」

 クラトはユーリの言うことに驚いた。

「まったく信じないように、ってことじゃないよ? ただ――そうだな、戦争に関する話に関しては、貪欲であってほしい、かな」

「どんよく?」

「貪欲っていうのは、食べても食べてもお腹がいっぱいにならないみたいに、知っても知ってももっと知りたいって思っていてほしいってこと。何を知っても、これで十分だと思わないで、もっと知らなきゃいけないことがあるんじゃないか、って思っていてほしいんだ」

 ユーリはそういうと、ふっと息をついた。

 ユーリが言うこと自体は理解できる話だったが、その様子から、軽い気持ちで言っているわけではないのだろうとクラトは思った。何か思うところがあるのだろう。ユーリの中にある深いところはクラトにはわからなかったが、とりあえず、言われたことをそのまま受け止め、うなずいた。

「でも、どうして知ろうとしなきゃいけないの?」

 クラトが気になってたずねると、

「知ろう知ろうとしていないと、考えが固定化されてしまうっていうか……一度知ったことがそのまま頭の中に残って、その後に何を聞いても何を知っても、頭の中の知識が修正されなくなってしまうんだ」

 と、考えながらユーリが説明する。

「考えを固定化しないっていうのはさッ、ボールペンじゃなくて鉛筆とかシャーペンでメモを取るカンジ? それなら後から書き直しやすいだろッ」

 ストレッチを終えた威太郎がユーリの説明を補足する。

 ユーリはそれに続けて自分の耳を指差し、

「いろんな話を聞こうとしていると、前に聞いた話と新しく聞いた話とを頭の中で比べて、違うところがあったら、どっちが合っているのかとか、どうして違っているのかとか、考えてしまうから。自分が見聞きして集めた情報を、頭の中で書き換えたり、書き加えたりしやすくなる。そうやって、より真実に近づけるし、より深く物事を考えることができる。だから知ることに貪欲でいてほしいんだ」

 と説明する。

 納得してクラトがうなずいたのを見て、ユーリが話を続ける。

「それじゃあ、さっきの話に戻すけど。湾岸戦争っていうのは、ざっくり言うと、クウェートに侵攻したイラク軍を多国籍軍が追い払った――ってことなんだけど、これじゃちょっとわからないかな。ええと……」

 話していて、あまりに簡単にまとめすぎたと思ったのだろう。ユーリが考えに沈む。

 ミヤが難しい顔でユーリの代わりに説明をする。

「イラクとクウェートっていう国があって、隣同士の国で、まあ、いろいろあったみたいで。イラクの軍がクウェートに侵攻しちゃったんだよ。んで、クウェートはイラク軍を自分たちの国から追い出したいけど自分たちの力だけでは追い出せなくてどうしようってなってたところに、アメリカとか複数の国が軍を出して、連合軍を組織して、クウェートからイラク軍を追っ払ったんだ。確か平成……」

「平成三年。平成になってまだ初めのころの時期だね。戦争自体は七カ月足らずくらいで終わったんだよ、確か」

 と、すかさずユーリが補足した。

 平成の初めということは、第二次世界大戦が終わってずいぶん経ってから、そして、イスラム国が活動を始める前ということで合っていたようだ。

「多国籍軍を作るにあたって、アメリカは諸外国に、一緒に軍を出してクウェートを助けようと呼びかけたんだけどね。日本は戦争はしないって憲法に誓っているから。日本は自衛隊を派遣せずに、金銭的な支援をしたんだ」

 ここからが肝心だと言うように、ユーリの声が重くなる。

 するとここでも、

「って言ってもさー、そのお金の大半はクウェートじゃなくアメリカに渡ったみたいってことみたいなんだよな?」

「連合軍の主力はアメリカ軍だったからじゃないの?」

「日本が出したお金って、どこがどうもらうお金だったワケ? というか、ナニに使ってもらうために日本は用意したワケ?」

 ミヤと伽耶子、威太郎がまた思い思いにしゃべり、それを打ち切るようにユーリが口を開く。

「クウェートは、イラク軍を国外へ追い出してくれた国々に向けて、アメリカの新聞に感謝広告を出したけど、クウェートが感謝していると発表した国のリストに日本は入っていなかった。――それで、軍隊を派遣して兵士が命がけで助けてくれた国には感謝するけど、お金で解決しようとした日本には感謝しないんだろう。日本人に命をかけさせなければ、国際社会では評価されないんだ。だけど憲法で日本は戦争に参加できない。だったら、憲法違反にならないギリギリのところはどこだ、どこかでまた連合国軍が戦争するときは、日本からも自衛隊を派遣するけど、戦闘はせず、食糧を運んだりすることで戦争を支援をするという形をとればいいんじゃないか、それで戦争はしていないということにしよう――そうやって、自衛隊を戦争に参加させるようになったんだよ」

 ユーリの説明に「PKOって言うんだぜ」と威太郎が口をはさむ。

「まあ、このクウェートの感謝国リストこそ、アメリカが用意したものをクウェートはそのまま使っただけだったってことで、そういうことを書いた本が数年前に出版されたりしてたりするんだけどね」

 とユーリがため息をつく。どうやらこれが、ユーリが注意してほしいと言っていた「戦争の難しさ」の一端らしい。

 湾岸戦争は平成の初めころ。数年前に出版されたということは、湾岸戦争が終わってから時間が経ってから出て来た情報、ということになる。

 新しく出て来た情報だから正しい――とは限らないからこそ、何が本当で何が間違っているのか、わからないことだらけになってしまう。それまで言われていたことが正しいのかもしれないし、間違っているのかもしれない。新しいことが正しいのかもしれない。あるいは両方が正しいかもしれないし、両方とも間違った情報なのかもしれない。

 クラトにも少しだけ、ユーリの言う難しさがわかり始めた。

 ユーリは気を取り直すように、一度だけ深呼吸する。

「湾岸戦争が起こったころって、ずっと昔だよね。だから、ぼくたちはよく知らないけど、当時はね、他の国を助けるためにはお金だけやってもダメなんだ――っていう風潮が一気に膨らんで、人々の考えをのみこんでしまったみたいなんだ」

 それで自衛隊を戦争に派遣しようということになってしまった、ということだろう。

 そう言われると、一理ある気はする。

 自衛隊の人たちに危ない場所に行ってほしいとは思わないけれど――昔の戦争のときは、空襲で焼け野原になって、食べ物がなくなって、飢え死にする人がいて、お金より食べ物の方が価値があった。戦争のドラマでそういう場面があった。

 お金より食べ物の方が価値があることがあるように、お金を出してもらうより、追い払ってくれる軍隊を出してくれる方が助かる――ということだってあるかもしれない。

 威太郎だって、他国が攻撃されているときに無関心でいたら、日本が同じ目にあったときによその国から知らんぷりされて、助けてもらえないかもしれないと言っていた。

 なるほど、と納得しかけたとき、ユーリが言った。

「――だけどね、本当にそれでよかったのかな?」

 クラトに問いかける。

 あれ?

 ユーリこそ、よその国が侵略されたときに見て見ぬふりはできないと言っていたのに、自衛隊を参加させるのがいけないと考えているような口ぶりだ。

「よその国から侵略された国を守ってあげるのは、悪いことじゃないよね? だって、侵略された国を助けてあげないのって、それこそ、いじめられてる人がいても知らんぷりしてるのと一緒でしょ? かわいそうだよ」

 クラトが思ったことを口にすると、ユーリもそれには「そうだね、かわいそうだよね」と同意した。けれどそこから、「だけどね」と話が続く。

「他国の侵攻からその国を守るために、人を派遣するか、金銭で解決するか――それを論じることが、そもそも間違っていたんじゃないかな?」

 と、難しいことを言う。

 人を派遣するか、金銭で解決するか――じゃない?

 クラトはユーリが何を言いたいのかわからない。

「どういうこと?」

 クラトが聞くと、ユーリはクラトの目を真っすぐ見た。

「そもそも、お金か軍か、どういう方法で戦争に参加するかを考えるのではなく、戦争そのものを止めさせるにはどうすればいいか、それを考えるべきなんじゃないかな?」

「そ、そのものを止めさせる――?」

「日本は――侵略している国と侵略されている国を和解させるための、仲裁役をやるべきだったんじゃないかと思うんだ」

 チュウサイヤク? 

 クラトはぽかんとなる。

「つまりさ、戦争している国と国とを仲直りさせる役割を果たすべきだったんじゃないかってこと」

 ミヤがそう言って目を輝かせる。

 仲直りをさせる役? それがちゅうさい役?

 だけど――。

 クラトは、うーん……とうなった。

「戦争している国を仲直りさせるなんて、できるの?」

 それができるのなら、この世界から戦争はなくなっているのではないだろうか?

 クラトは世界で起きていることにくわしくないけれど、ミサイルだテロだ難民だと、怖そうなニュースを聞く日は多い。あり過ぎて、むしろ気にならなくなっている気がするくらいだ。

 ユーリは首を緩く振った。

「簡単にはいかないだろうね。――だけど、目指すべき姿としては他にないと思うんだ。できるかできないかじゃなく、そうなれるように努力していくべき、じゃないかな」

 軽く目を伏せ、噛みしめるように口にする。それは誓いのようだ。

 ユーリはまた深呼吸を入れ、強い目と強い声で、自分に言い聞かせるようにクラトに言って聞かせる。

「日本は他国を侵略しないことを憲法に掲げている。――だからこそ、仲裁役になれるはずだよ。他国を侵略しない国になら、侵略されるおそれはないから、戦争をしている国も、日本が言うことに耳を貸そうとしてくれるんじゃないかな?」

 他国を侵略する国であるかどうか。

 確かに、イラクがクウェートに侵攻したように、軍隊で他の国に押し入るような国は、押し入られた国にとっておそろしい脅威となるだろう。

 クラトは日本の憲法についてよく知らないけれど、日本は他国を侵略しないことを憲法で決めているのだろうか?

 というより、それは特別なことなのだろうか? 外国では、他国を侵略していいと決めているのだろうか? いや、どの国も、他国を侵略してはいけないと決めていたなら、世界のどこにも戦争が起きたりはしていないはずだ。ということは、侵略していいと決めているのだろうか?

 わからないことでいっぱいだ。

 算数でわからないとか、漢字がわからないとか、そういうことじゃない。

 わからないこともわからないくらいわからないし、わかってないことがなんなのかもわからない。次から次へとわからないこと、知らないことが出てきて、頭の中に散らばっていく。

 こんなに、この世界にはわからないことがあったのだろうか――?

 クラトは、知らぬ間に詰めていた息をふーっと吐き出す。

「まあ、憲法で戦争しないって決めてても、自衛隊がいるからなー」

「だからッ。地球防衛軍ッ! ――じゃなかった、地球防災軍ッ!」

 と、ミヤと威太郎がごそごそ言っているのを聞いて、ユーリが痛いところを突かれたような顔をして苦笑する。

 気を取り直すように、ユーリは両手でメガネをかけ直し、茶ぶ台の上で手を組んだ。ユーリはすっと背筋が伸びて、座っていても美しい姿勢をしている。

「憲法や自衛隊の話はちょっと難しいんだけどね。――それとは別に、戦争の仲裁役をする上で大切なことがあるよ。戦争をしている国と国とを仲直りさせようとしたら、両方の国を納得させなくちゃいけない。両国が納得できるような収め方を探す――それって『和』の精神だろう?」

 そう言ってにっこりほほ笑む。

 あ。

 クラトはぽかっと口を開いた。そしてユーリを見て瞬きをする。口を閉じた。

 わ――一つ目の「わ」。和を以て貴しとなすの「和」の精神。

 ユーリはクラトに向かって小さくうなずいた。

「仲裁役は、相手の立場に立って、相手のことを自分のことのように親身になって考えなくちゃね。どちらの味方をしたら日本の利益になるか考えたり、どちらかの国から賄賂をもらってその国に有利に働きかけることがあってもダメだよね。そんなことしていたら、仲裁役はできないよね」

 ユーリに言われ、クラトは力強くうなずいた。

「それじゃあ、戦争をしている国を和解させるための仲裁役になるために、他に大切なことって何があると思う?」

 ユーリは微かにいたずらっ子のような色をその目に乗せて、クラトに聞いた。

「え? 他に大切なこと?」

 なんだろう――?

 クラトは視線をユーリから手前の茶ぶ台に落とし、考える。そこに答えが書いてあるわけではないけれど、つややかな光沢を放つ天板を触っていると、心なしか気持ちが落ち着いてくる。

 もしもクマとウサギが一個のりんごを取り合っていたら、半分こにしようと二人に呼びかける――けれど、それで聞いてくれなかったら? りんごを取り上げて半分こに分けてそれぞれに渡せばいいのだろうか? どうやってりんごを取り上げる? ――いいや、きっとそんなんじゃダメだ。

 りんごがもう一個あればいいのかな? ぼくが持っていればいいけど――。

 あれ? もしもぼくもお腹が空いていたら、どうするのかな?

 そのりんご、ぼくにも少し分けてって言うのかな? 分けて……くれないよね?

 あれ? あれ? あれ?

 仲裁役って、難しくない?

 半ば無意識に木目をなぞりながら考えをめぐらせていると、

「仲直りさせようとしてうまく調整できなくて、いざとなったら言うことを聞かせるために武力に訴えるような国じゃ、信用が得られないと思うわ」

 伽耶子がハキハキと意見を述べる。

 言うことを聞かせるために武力に訴えるような国も、ダメ――やっぱり、りんごを取り上げて半分こに分けて渡すんじゃダメだ。

 クラトは意識を引き締める。

「信用って大事だよなッ。信用されるには、信用を積み重ねていくしかないんだよなッ」

 威太郎もキッパリ、言い切った。

 ユーリは大きくうなずいて、

「カヤちゃんとイタの言う通り。仲裁役をするためには信用されることがものすごく大切だと思う」

 と、穏やかな声で肯定する。

 ユーリに認められて、伽耶子も威太郎も「そうでしょう」「だよなッ」と嬉しそうな顔になる。

「たっくんが言ってたソロモンの王さまのお話はぁ? しなくていいのぉ?」

 小春がのんびりと言う。

 ソロモン王? まさか、秘宝? ……たっくん?

 突然の話題の転換に驚きつつも、ソロモン王に対して持っていた秘宝のイメージに、胸がときめく。クラトはそよ子の影響で、エジプトやアステカなど、古代文明やふしぎミステリーに憧れを持っている。

 ところが、小春が言うソロモンの話が秘宝とは関係がないことは、すぐに判明した。

「王様じゃなくて部族の族長の娘と結婚した人の話だってばッ」

 と威太郎がすかさず訂正。「王様カンケイねーし」と両手を後ろ手にラグの上について、両足を茶ぶ台の下に伸ばす。ちょっとお行儀の悪いかっこうだ。

「あ、あれか。ソロモン諸島の。首狩り族」

 とミヤがぽんと茶ぶ台を軽くはたく。小春たちが話題にしている話を思い出したらしい。

「く、首狩り族っ?」

 クラトが素っ頓狂な声を上げる。

「あ、首狩り族はもう廃業してるから」

 大丈夫大丈夫とミヤがにこっと笑うけれど、クラトはうまく笑えない。

 クラトが一同の顔を見回すと、みんなは首狩り族にビビった様子もなく、何の話かわかっているようだ。

 威太郎が後ろに軽く倒していた身体を起こし、茶ぶ台に両手の前腕を乗せる。隣にいるクラトの顔をのぞくように身体をひねり、

「あのなッ、あのなッ。ソロモン諸島にはいくつかの部族が住んでいて、その部族の間で内戦が勃発したらしいんだ。クラト、知ってたか?」

 と勢いよくクラトに話しかける。

 クラトはソロモン諸島のことなど知らなくて、ぶんぶん頭を左右に振る。

「その部族のうちの一つの部族の族長の娘、と、日本人の男の人が結婚して、ソロモン諸島に住んでたらしいんだ。そしたらさー、ソロモン政府が、ソロモンのどの部族の出身でもない日本人なら、中立の立場で仲裁役になれるんじゃないか、ってことで、その人に、政府と敵対している反乱軍との仲裁役をやってくれないか、って頼んだらしいんだ」

 ミヤがサクサク話をする。聞いてほしい、早く伝えたい、そんな気持ちが伝わるような言い方だ。

 クラトは勢いに押されながらも、聞き逃すまいと意識を集中する。

「戦争を止めるためには、戦争をおしまいにしようって話し合いをしなくちゃいけないけど、その話し合いをしようにも、反乱軍の人は、話し合いの場には絶対に出てこようとしなかったんですって。今みたいにSNSとかなかったし、そういうことってやっぱり会って直接、話をしないと、まとまるものもまとまらないでしょ? なのに、肝心の話し合いが出来ない状態だったらしいのよね。それで政府が困って、その人に仲裁役を頼んだらしいの」

 伽耶子が悲痛な顔で当時の状況を話す。

「それでそれでッ、クラト、その人、どうなったと思う?」

 威太郎も身を乗り出すように、クラトに聞いてくる。

「どうなった、って?」

 クラトは威太郎が何を聞いているのかピンとこずに聞き返す。

「その人なッ、出てこないんなら、こっちから行くしかない、って、反乱軍のアジトにたった一人で乗りこんだんだッ!」

 威太郎は両のこぶしを握りしめ、表情もぐっと険しいものに変わる。

「え? 一人で?」

 敵の中に一人で乗りこむ?

 それって……危なくないの?

 クラトはチラリとそう思ったけれど、仲裁役ってことは話し合いをするだけなんだから大丈夫だろうと、その考えを頭から追いやった。

「ええと、話し合いに行っただけだったんだから、その人、相手のところへ行って、安全に、ちゃんと話し合うことができたってことだよね?」

 と、クラトが自分の考えを伝えると、

「そうはいかないって。戦争していたんだから。最初に反乱軍の本拠地を偵察に行った人は皆殺しになってたんだぞッ」

 威太郎は人差し指を左右に動かし「チッチッチッ」と舌打ちをする。

「み、皆殺し?」

 クラトの背筋に緊張が走る。

 すると今度はミヤが、

「その人はさ、アジトについたとたん銃で威嚇されて、反乱軍の人から、『武器を隠し持っているかもしれないから服を脱いで丸裸になれ』って言われて素っ裸にされてリーダーのとこに連れて行かれたんだ」

 と、自分の身体を抱きしめるような仕草で語る。

「え、ええっ?」

 クラトは驚いて声を上げた。

「そ、その人、それでどうなったの?」

 クラトは心配になって急き立てられるように安否をたずねた。

「その人さー、反乱軍のリーダーに『オレのこと、怖くないのか?』って聞かれたけど、『怖いけど、会わなきゃいけないから来たんだよ。あなたの立場になって聞くから話をしよう』って、たった一人で停戦を呼び掛けたんだって!」

 ミヤがまるで自分が見て来たかのように誇り顔で語る。

 その人が体験した状況を想像して、クラトの心は縮み上がった。

「それって、もしかしたら殺されてたかもしれないんじゃ……?」

 ミヤは威太郎と「すごいよなー」「すげぇなぁ」とその人のことを(たた)え合っていたが、クラトがこぼしたつぶやきを聞きつけ、

「だよな? クラトもそう思うよな」

 熱っぽく盛り上がる。

「怖かったわよね、きっと」

 伽耶子も重い息を吐く。

「それでなッ、それでなッ、その後どうなったかっつーと、話し合いは一度じゃすまなくて、何度もその人は話に行って、『あなたたちの命は保障しますから』って相手のことをちゃんと考えてあげて、その人が勇気を出して命がけで仲裁したことがきっかけで、反乱軍が武装を解除して和平が成立したんだって! 内戦を一人で終わらせちゃったんだ!」

 威太郎はそう言うと、自分の胸の前で右と左の手のひらを上下にがっちり組んで、目をキラキラさせた。組んだ手は、握手を表現しているのだろう。

 一安心の結末に、ほゎぁ……と、ため息ともつかない声を出し、クラトは感心する。

「危険なところに無防備に飛びこめばいい、ってことじゃないよね。同じ状況や立場に置かれたからって、絶対にそうしなきゃいけない、ってことでもない。そういうんじゃなくて、その人が無事だったのも、和平を成立させることができたのも、信じてもらうためにまず自分が相手を信じる、その『心』が、通じたんじゃないかな」

 それまで黙って聞いていたユーリが口を開いた。

「別にさ、オレが手柄を立てたワケじゃあ、全然ないし。その人とはなんの関係もなくって、ただ日本人っていうとこがオレと同じっていうだけのことなんだけど、そんなすごいことした人がいるんだって知ったとき、なんかすっごい嬉しかった」

 ミヤが素直な気持ちを告げると、威太郎と伽耶子が「オレも」「私も」と同調する。

 話を聞いていて、

「日本人に、仲裁役ってできるのかな?」

 クラトはその可能性に、いや、可能性が「ある」ことに、気がついた。

 ユーリはにっこり笑った。

「その人に仲裁役ができたから、同じ日本人なら誰でも仲裁役ができるよ、ってことじゃ、もちろんないよ? そうじゃなくて、日本人なら相手の立場で考えられる――和の心を持っている人が多いと思うんだ。そういう和の心に、人は動かされる。だから、日本人には仲裁役になれる素質がある人が多いと思う。日本人だから信用できる。そう言ってもらえるような、その信用に応えられる和の国になれば、きっとなれると思う」

 力強い声。

「信用……」

 信用と聞いて、二つ目の輪のときに出て来たお釣りの話が頭に浮かぶ。

 お店で買い物をしたとき、お釣りが合っているか数えて確かめなくていいのは、信用があるから。もしもお店の人がお釣りを間違えて、少なく渡されたことがあったら、また同じように間違えられていないか、買い物をするたびに確かめるようになるかもしれない。間違えられた店だけでなく、どこの店でも確かめるようになるかもしれない。

 そんなことしなくても大丈夫だ、っていう安心――それが『信用』で、信用がないってことは、「この人の言うとおりにして、この人のやる通りにして、それで大丈夫かな?」って「疑われる」ということ。

 大丈夫かな、って疑われていて、仲裁役なんてできるはずがない。

 信用って大切なこと――。

 あれ? けど、どうやったら信用してもらえるようになるんだろう?

 と、クラトの心に疑問が浮かぶのを見計らったかのように、

「それじゃあ、信用されるにはどうしたらいいと思う?」

 ユーリがクラトに質問した。

 どきりとなる。

 なんだろう? どうしたらいい? 信用してもらうには……。

 信用してもらうにはとりあえず、お釣りをごまかしちゃダメだ。それはつまり――。

「――ウソをついたり、人をだましたりしない」

 クラトの口からするりとこぼれた。

「コロコロ意見を変えないッ!」

「いい加減なことはしない」

「人の大切なものを踏みにじらない」

「人を傷つけるようなことを言わない」

「人をさげすんだりしないのぉ」

 威太郎、ユーリ、ミヤ、伽耶子、小春が、それぞれ意見を出して行く。ロウソクに順繰りに火を灯していくキャンドルリレーのように、言葉が灯っていく。輪になっていく。

「信用してもらうためには、誠実であること。誠意をもって相手に対すること――それが大切なことだと思う」

 ユーリがまとめると、威太郎たちも目を見交わしてうなずいた。

「失うのはあっという間なんだろうけどなー」

「信用って一度でも裏切れば、回復することは難しいんだぜッ」

 ミヤと威太郎が口々に言う。

 ユーリは軽くうつむき、一つ呼吸をすると顔を上げた。

「百人中九十九人が誠実でも、残りの一人が何かひどいことをしたら、信用を失うのはその一人だけじゃない。百人全員が信用を失ってしまうんだ。だから、日本の信用を守るためには日本の国民一人ひとりが誠実であることを心がけることが必要だよ」

 一人ひとりが誠実であること。一人ひとりが。

 クラトはユーリの言ったことを心の中で繰り返す。

 一人ひとりが――? それって草の――ソウ力だ。

 カチリと、クラトの頭の中で噛み合った。

 ユーリはなんと言っていた? 

 ソウ力の可能性。気づき始めたら、たくさん見えてくる。そう言っていたはずだ。

 クラトはひゅっと息を吸いこむ。

 ユーリの目をまっすぐ見つめる。

 レンズの奥の目が始まりを告げていた。

「仲裁役になるために大切なことは、他にもあるよぉ」

 と言いながら、小春が自分の髪を指でからめて遊んでいる。

 他に? 他にもなにかあるの?

 小春はそれ以上話す気はないらしく、髪をくるくるしている。

 小春の代わりに、クラトの目が訴える疑問に答えたのは、ユーリだ。

「そうだね。他に大切なもの――それは、『発言力』だよ。実のところ、仲裁役をやろうとしたら、発言力が無かったらお話にならないからね」

「はつげんりょく?」

 耳慣れない言葉を問い返すと、

「例えばさ、意見を言ったときに、もめている当事者やそれを周りで見ている人たちから、なんでお前にそんなこと言われなきゃなんないんだ、って言われちゃうようじゃダメだってこと」

 とミヤが言い、伽耶子が、

「スクールカーストとか考えるとわかるかも?」

 と提案する。

「すくーるかーすと?」

「知ってる?」

「クラスの誰かが言ってたような気もするけど……意味はちょっと」

 よくわからないと、クラトは正直に首を傾げる。

「カースト制度って、本来は、インドとかネパールとかの宗教関係の身分制度のことなのよね?」

 と伽耶子がユーリをうかがうと、ユーリは理知的な顔を軽くしかめた。

「ネパールのはジャートって言うのかな? インドのとは少し違うみたいだし、バングラとか他の国にもカーストっぽいのがあったりするみたいなんだよね。そういう宗教とか歴史とか文化とかも、戦争とかと同じで個人差や地域差とか、立場によって言うことが違っていたり、誰にとっての何が真実なのか、っていうのは、判別するの難しくて、よくわからないんだよね」

 と、深く息を吐く。それからメガネのレンズとレンズをつなぐブリッジのところを押し上げるように、目と目の間の部分を親指と人差し指で押さえる。その姿は、「頭が痛い問題だ」と訴えているようだ。

 あれ? ……ばんぐら?

「大元はいいから、スクールカーストの話でいいって。要するに、学校のクラスの中で階級社会ができちゃったりするヤツのことだよなッ?」

 威太郎が首をコキコキさせながら話を戻す。

「そうそう。自然とグループが分かれて行って、なんとなく他のグループの言うことを聞かなきゃいけなくなるグループと、逆に言うことを聞かせることのできるグループとに分かれていくんじゃないっけ? オレは教室の隅っこ系だから、カーストでいくと下層の方だな」

 ミヤが何気に自己評価を披露する。

「教室の隅っこ系? ミヤが?」

 教室の隅っこ系というと、目立たないし、控えめでクラスで意見をはっきり言わない存在ということだろう。

 けれどミヤは目立つ外見をしているし、意見もしっかり持っていて、隅っこ系のイメージは持ちにくい。

「ぼくは隅っこ系だけど、ミヤは目立つんじゃない?」

 クラトが自分の考えを吐露(とろ)すると、その場にいた六人の顔がクラトに集中する。翼の顔も、フードで隠れていてやはりはっきりしないが、うつむき気味だった顔の位置が上がっている。翼は一言も言葉を発しないけれど、話は聞いていたようだ。

「クラト、その身長で隅っこ……?」

 代表するように、威太郎がいぶかしげな声を出す。背の高いクラトは、イヤでもクラスメイトの中に埋没することはないだろう。

 とはいうものの、それは周囲から見てのこと。クラト自身は自分を目立たない人間だと思っている。

 クラトは学級委員をやったことなど一度もないし、推薦されたこともない。班長をやったこともなく、運動神経もいい方ではないので、運動会のリレーの代表選手になったこともない。勉強や図工もよくも悪くもないタイプで、おもしろいモノマネができるようなセンスもない。情報にもうといので、クラスの中心からは遠いところにいると思っている。

 クラトが周囲の反応にとまどいを覚えてみんなの顔をきょときょと見回すと、ぷっとミヤが吹き出した。

「確かにさ、お互いに見た目とかは目立つ方かもしんないけど、外見が目立つかどうかでクラスの中での立ち位置って決まらないワケでさー。目立つ見た目をしてたら自己主張してがんがん行くかっていうと、そうでもないよな? 人間、性に合う合わないってあるんだよ〜」

「ミヤはマイペースなだけだよね」

「けど、クラスの女子からは残念って言われる。オレからすれば、そんなこと言う女子の方こそ、残念だけどなー」

 ミヤとユーリの会話から、教室にいるミヤと教室にいるときの自分に近いものを感じてクラトの気が緩む。

「ミヤの見た目って女子が好きそうだもんなッ。王子さまっぽいっつーか」

「見た目が王子キャラなのに中身が王子さましてないところが残念だって言われる」

 ミヤが威太郎にうんざり顔をする。

「……見た目がダメで中身が王子でも文句言うんだぜッ、きっと」

「けどさー、姉ちゃんに言わせると、この世界に王子さまなんて皇太子さまくらいしかいないんだってよ?」

「え? 皇太子さま? 皇太子さまって日本の皇太子さま?」

「そうそう」

「それは確かに、日本で王子さまって言ったら皇太子さまはそうだろうけど、それ、意味が違うくねぇ?」

「生まれじゃなくて、中身がさー。なんか、皇太子さまって、雅子さまに『ぼくがあなたを全力で守ります』みたいなことを言ったことがあるらしくてさー。そんときの雅子さまの笑顔がとにかくキレイで嬉しそうだったんだってさー」

「あ、それ、私も聞いたことあるわ。うちのお店に来るお客さんで、親子二代で皇室ファンっていうおばあちゃんとおばさんがいて、毎年、二人の結婚記念日、じゃない、ご成婚記念日のころになると、その話をしていくの。すーっごくステキよね」

 王子さまの話がいつの間にか日本の皇太子殿下の話に移っていた。威太郎とミヤに伽耶子も加わり、王子さま論はまだ続くらしい。

「やっぱそうなんかー。姉ちゃん的にはさ、『全力で守ります』とか王子さまっぽいことを言う男はいっぱいいるだろうけど、それを実際に実践できる人ってなると、皇太子さまくらいしかいないでしょ、ってことでさ。それで、そこが『理想の王子さま』ってことらしい」

「わかるー。雅子さまがご病気でなかなかご公務をできずにいられるの、人からいろいろ言われてそうだけど。雅子さまがお休みになれるよう、皇太子さまお一人でご公務をされてあることあるものね。ニュースで見かけるけど、いつも凛として」

「そうそう。そこ。雅子さまがお休みされていいように、一人で凛と公務をこなされてあるところがカッコいいんだってさー。姉ちゃん的に」

「そうなのよねー。……けど、天皇陛下が退位されたら雅子さま、大丈夫かな? 皇太子さまが天皇になったら、雅子さまが皇后になるわけでしょ?」

 伽耶子が心配そうな顔をすると、少し不満気な顔で、

「大丈夫かって、どういう意味? 皇后の仕事をされないんじゃないかってこと?」

 と威太郎が口を聞く。

 すると間髪入れず、

「違うわよっ。その逆。皇后の位についたから公務を絶対にしなくちゃいけないってなったらかわいそうでしょ? 皇后になられても、調子が悪いときは無理をせずにお休みになれればいいけど、大丈夫かな、ってこと」

 伽耶子が胸をそらし、わかってない人に言い聞かせるように強く言う。言葉を発するのに合わせて、長い黒髪のしっぽが揺れる。

 威太郎は納得したらしく、「ああ、わかったわかった」と小さく雑にうなずく。伽耶子に非難がましい目を向けたことでバツが悪いらしい。

 クラトは、そう言えば皇太子妃の雅子さまが精神的な問題が原因で体調を崩されていることを思い出す。皇族には「公務」と呼ばれる仕事があり、雅子さまも立場上、いろいろな公務があるのだろうが、体調次第では公務を休まれることがあるのだとか。

 クラトはあまり気にしたことはないが、そよ子がときどき天皇陛下や皇室に関する番組をテレビで見ていることがある。クラトもなんとなく見て、なんとなくはわかっているが、なんとなくでしかないほど、なんとなくだ。

 と、

「そうだね、心はいきものだから」

 謎めいたことをユーリが言う。

「心はいきもの?」

 話についていけずにそれまで黙っていたクラトだったが、これは気になって聞き返す。

 ユーリはクラトにうなずいて、

「心って、自分の中にあるものだけど、自分から独立した、『自分とは別個のいきもの』みたいなところがあって。自分でコントロールしようとしても、なかなかできなかったりすることがあるんだよ」

 と、自分の胸に手を当てた。

 ユーリの声はどことなく憂いを帯びている。薄くほほ笑む顔が、クラトには少し悲し気に見えた。雅子さまを心配しているのだろう、とクラトは思った。

「『心』ってね、心臓のことだ、臓器っていう『モノ』のことだ、って思ってる人、いると思うんだ。あるいは、そうじゃない人は、脳の中の意志とか思考とか、そういうものを『心』だと思ってるんじゃないかと思うけど。実はそうじゃないと思うんだよね」

 心……?

 心の正体……?

 クラトはそんなこと、考えたことはない。

 心臓でも脳でもないとするなら、心ってなんだろう? 自分とは別のいきもの……?

「心ってときどき、自分の中にある自分の一部じゃないみたいに、言うことを聞かないことがあるんだよ。こうしなきゃいけない、って頭では思ってても、心が動かない、とか。心が動かないせいで、身体が動かない、とか……」

 ユーリは自分の中にあるものをうまくつかみ出せないのか、少しもどかしげに、胸に当てた手でシャツをぎゅっと握る。それから手を放し、茶ぶ台の上で両手を重ねた。

 「これも、ぼくの個人的なイメージなんだけどね」とユーリは前置きして話し始める。

「ぼくの場合は、自分の中に『自分の世界』、みたいな空間があって、そこに一本の木が生えている感じなんだ」

「き? ええと木? 緑の木のこと?」

「そう。――ぼくの場合、『負けた方がいい』っていう話のイメージがあるから、木のイメージになっちゃったんだと思うけど」

「負けた方がいい?」

 クラトが首を傾げると、ユーリは言おうかどうしようか少しの逡巡を見せ、迷った末やめることにしたのだろう。「その話はまた今度ね」と断って、ユーリは自分のイメージする心の話に戻す。

「とりあえず、ぼくのイメージでは、生まれたときは『心』は種で、『自分の世界』の土の中に包まれているんだよ。心の種はそこから発芽して、人と関わっていく中で成長して木になっていく。そういう『心の木』が『自分の世界』の中に育っていく感じなんだよね」

「心の木……」

「自分の中にある『自分の世界』は、外の世界と切り離され、守られた世界なんだ。自分の内と外を切り離す壁があって――境界壁って言えばいいのかな――その壁に囲まれた中に、『心の木』が育っていく。――そういうイメージなんだ」

 自分の中にある「自分の世界」?

 自分の中と外?

 クラトの頭の中には、アニメの心象風景のような、空と大地が広がるだけの空間に、葉を茂らせた大きな木が一本、生えているイメージが浮かぶ。見渡す限りの空は、実はドーム状で、木の生えている空間が透明の殻のようなものに覆われていることに気がつく。ユーリが言う境界壁を、クラトはなんとなく、卵の殻のようなものに想像していた。

「『自分の世界』は境界壁に守られている世界なんだけど。外の世界で嵐が吹き荒れると、その壁に穴が開いて、外の世界の嵐の風が吹きこんでくることがある。それは例えばいじめにあっている人が、誰かから『生きる価値なんかない』とか『死ね』とか『役立たず』とか、ひどいことを言われたら。それが強く鋭い風になって外の世界から『自分の世界』の中に吹きこんで、『自分の世界』を吹き荒れる風になるんだ。そうなっても、少しくらいなら耐えられる。だけど、風がどんどん強くなって嵐になったら。そうなってしまったら、『自分の世界』に生えている『心の木』が、その嵐になぎ倒されてしまう。――それが、心が折れた状態、なんじゃないかな、って思っているんだよね」

 ユーリは手振りを交えて自分のイメージを伝えようとする。

 心が折れる、という表現は、クラトもたまに耳にする。なんとなく、心に生えた翼が折れて心が軽く飛び立てない、というイメージでいたけれど、心の木が折れる、というのもイメージできなくもない。

 卵の殻の世界の中で根本からぽっきり折れた木が想像されて、クラトはさみしく哀れな気持ちになる。

「現実の世界では、本物の木が、台風で倒れたり曲がったりしてしまうことがあるけど、倒れたり曲がったりした木は、そこからまた太陽の光を目指して上へ上へ伸びて育っていくことがあるんだよね。それか、誰か、人が木に縄をかけてその縄を引いて倒れた木を立ててまた根づかせるとか……そういうことがあるんだけど。――『心の木』もね、現実世界の本物の木みたいに、嵐に倒されることがあっても、枯れたり腐ったりしないで、そこからまた、上へ上へ伸びていける。根元や幹が曲がったりゆがんだりすることはあっても、立ち上がって、立派に天へ向かう木に戻っていくことができるって思うんだ」

 嵐で倒れてもまた復活して天に向かって伸びていき、立派な木になっていく――心の木。

 ユーリのイメージする『心』は、そういうもの?

 クラトはユーリの話に耳を傾ける。

「例え『自分の世界』の中に嵐が吹き荒れて、『心の木』が倒されることがあっても、その木は、多少、時間はかかるかもしれないけど、また元のようにその世界に根を生やして立ち上がることができるはずなんだ。――だけどね、倒れた木がそこから上へ向かって伸びようとしても、少し戻ったらまた嵐になぎ倒されて、そこからまた立ち上がろうとしても、また嵐に吹き荒れて倒されて……それを繰り返していたら、いつまで経っても木は倒れたままで、上へ上へ伸びることができないんだ」

 ユーリは悲しそうな顔で首を振る。

「それじゃあ、倒れた『心の木』が立ち戻るためには、どうすればいい? 『心の木』を守るためにはどうすればいい? ――そのためには、まずは外の嵐の風が『自分の世界』の中へ吹きこんでこないように、外の世界の嵐に近づかないようにすることが大切なんだと思う」

 沈んだ重い声で、ユーリは語り続ける。

「もしもすでに風が入りこんで『自分の世界』の中に嵐が吹き荒れているとしたら、その嵐を『自分の世界』から追い出すことが大切で。嵐をなだめたり追い出したりせずに、そのまま、風が吹きこみ続けて『自分の世界』の中を暴風が荒れ狂う状態がずーっと続いてしまったら――それこそ、その人の『心の木』は倒れたまま、荒れ狂う風によって木っ端みじんに砕かれてしまう」

 そんなことになったら取り返しがつかない、とユーリは目を閉じ、またぎゅっとシャツの胸のところを握る。それから手を放し、目を開ける。

「『自分の世界』を守る境界壁は、外の世界の嵐に打ち破られて、一度、中へ風を入れてしまうと、その後、風が入って来ないように境界壁をふさいでも、壁がもろくなってて、また何度でも風が入って来やすくなってしまう。そうならないように、壁の穴をしっかりふさいで、嵐の風が入って来ないようにしてあげなくちゃいけないと思うんだ」

 ユーリは、言葉を区切りながら、ゆっくりゆっくり話す。

「『心の木』が嵐になぎ倒されずにのびのび育つようにしてあげないと。根をしっかり張って、多少ゆがんだり曲がったりしても、木が伸びていけるように。――じゃないと、『心の木』がちゃんと立っていないと、『心の木』の上に乗っかっている『脳』がぐらぐら不安定になってしまうし、身体のバランスも崩れて、うまく息をしたり歩いたりできなくなってしまう。――そういうことなんじゃないかと思うんだ」

 ユーリはどこかぼんやりした顔で言うと、一息ついて、メガネを直した。それから、落ち着いた声に切り替えて話を続ける。

「今はいわゆる『心の病気』っていうものが、すごく多くなってるみたいで――もしかしたら、昔はそういうものがあっても気にされてこなかっただけかもしれないけど」

 と、話の途中で威太郎が割りこむ。

「オレたちみたいな子供でも、自殺したりする子がいるって言うもんなッ」

 と、怒っているのか、悲しんでいるのか、悔しがっているのか、わからない顔で口を一文字に引き結ぶ。

「芸能人でも心の病気になる人、いるよな。まあ、なる人がいるっていうより、なったことを公表する人がいる、かな? こないだ、クラスの女子が悲鳴上げてた。好きなアイドルがパニック障害で芸能活動をしばらく休むことになったとかでさー」

 と、ミヤはそのときの様子を思い浮かべているのか、なんとも言えない顔だ。

「コンサートとかテレビとかで見られなくなるのもつらいけど、本人がつらい思いをしてると思うとかわいそうで、何かしてあげたいけど、何もせずに心の中でなんとかくんの気持ちが少しでも早く落ち着きますようにって祈ることしかできないとかなんとか――最後は隣のクラスの女子とかも混ざってみんなで号泣してた」

 なんで女子はみんなで集まって泣くんだろうな? とミヤが腕組みする。伽耶子は自分の目を覆い隠すように両手で押さえて「わかるー。それしかできないよねー」と、ミヤのクラスの女子に共感している様子だ。

「がんばってくださぁいとか、復帰するのを待ってまぁすとか、そういうこと言うのもプレッシャーになりそうだもんねぇ」

 と、小春もしゅんとなる。

 パニック障害というのも、いわゆる心の病気だったはず。おそらくそのなんとかくんというアイドルのことだろう。クラトも同じクラスの女の子たちが、パニック障害がどうのと騒いでいたのを思い出す。

「心の病気の厄介なところは、『心の木』が嵐になぎ倒されていても、それが人の目には見えないところ、だよね。――だからこそ、カヤちゃんが心配するの、わかるよ。『心の木』の状態って他の人には見えなくて、自分でだってきっとよくはわからなくて。それじゃあ、『心の木』が倒れていたとしても、あるいは、ある程度回復していたとしても、また嵐にさらされてなぎ倒されるかもしれないよね」

「心の病気って、本人の意志と関係なく、ふつうならできるって思われることができないんだってこと、今は昔より理解されるようになってきたんだろうけどッ。それでもまだ、自分の意志をしっかり持てばちゃんとできるはずだッ! って思う人が多いみてーだもんな?」

「だけどぉ、だからこそそういう『理解されなさ』加減やその苦しさを知ってある方が、天皇陛下や皇后陛下になられるのって、日本の希望になるよねって、たっくんが言ってたよぉ」「そうだった! 確か、傷ついた人たちの痛みと向き合ってこられた今の陛下たちの『痛みを受け止める時代』から、一歩進んで、『みんなでいたわり合う時代』になる気がする、って言ってたよね! ホント、そうなるといいな!」

「紗智子さんの話じゃないけど、心の調子が悪い人が休めるように家族や周囲がフォローして休ませてあげるって、なかなか簡単にはできないでいるかもしれないよね。けど、家族でいたわり合うとかそういうことって、これから、日本だけじゃなく世界でも、大切になっていくことじゃないかな、って思うよ」

 ユーリと威太郎が心の病気について語ると、小春と共感状態から抜けた伽耶子が加わり、ユーリがまた自分の考えを話す。すると、

「さっきの、心はいきものの話だけどさー」

 ミヤが話を引き戻した。みんな「ん?」とミヤに注目する。

「ほら、ユウ兄は『木』のイメージだって言ってたけど。オレの『心』の『いきもの』の形のイメージって、なんかもっとこう……ナマコ?」

「ナマコ?」

 ミヤの発言に、ユーリたちが思わず声を上げた。クラトもだ。

 ユーリの『心の木』と、ミヤの『心がナマコ』では、『心』に対するイメージが違い過ぎる。ミヤ以外は「ナマコ?」「ナマコ?」としきりに首をひねっていた。

「なんか、ぐにゃーっとして丸みがあってもぞもぞ動く感じのイメージなんだけどなー」

「それ、せめてウミウシにしとけよッ」

「そっかー。ウミウシかー」

「海牛? 海に牛なんているの? なんで海に牛?」

 両手でナマコであろう形を作るミヤに、威太郎がツッコミを入れると、ミヤはなるほどとうなずくけれど、今度はクラトの疑問が威太郎に向く。

「ウミウシっつーのはなッ、ナマコと、カタツムリの殻はずしたのをミックスしたような海のいきものなんだッ」

「すんげーバリエーションがあってカラフルなんだよなー」

 やっぱりキレイな色のの方がいいよなーと、威太郎とミヤはうなずき合う。どうやらミヤの心のイメージは、ナマコではなくウミウシで落ち着きそうだ。

「なんで? なんでナマコとかウミウシとかなの? ウサギとか、もっと『もこふわ』なのでいいじゃない……?」

「ウミウシは意外とかわいいよぉ」

 と、女子二人の意見は割れた。

 すると、「あれ?」とミヤが声を上げる。

「なんの話してたんだっけ?」

 サラリとした髪をわしゃわしゃかき混ぜながら、ミヤが首を傾げる。

 いろいろな話があった気がするが、ナマコで吹き飛んだような気がするのはクラトだけではないようだ。「あれ?」「なんだったっけ?」と言い合い、クラトも記憶をたどる。

 クラトが答えにたどり着く前に、威太郎が、

「発言力の話だったよなッ」

 と、ぽんと手を打つ。

 そして左の手のひらの上に、右のこぶしを乗せたポーズのまま、

「んで、要するに、発言力が強いのって、クラスの中心になってる人とかでさッ。そういう人って、スクールカーストでいくと、カーストの上層に位置してる人とかってこと!」

 と威太郎が「どうだ!」と書いた顔で話の筋を戻すと、「そう言えば、その話だった」とミヤがハッとする。

「ずいぶん脱線しちゃったね」

 と、少し恥ずかしそうなユーリ。

「国とか世界情勢とか言っても、規模が大きすぎてイメージしにくいと思うから、学校の教室の中の人間関係とかを考えるとわかりやすいかな、と思ったんだけど――小学校ではスクールカーストってほどグループが分かれてることってないかな? だとしても、クラスの中でクラスメイトの意見を左右させるような、影響力を持った子っているよね」

 とユーリに言われ、クラトは考える。

 『スクールカースト』という言葉にされると少し怖い気がするけれど、限られた空間に人が集まったら、仲良くなる子や反りが合わない子、ミヤが言ってたような、言うことを聞く方と聞かせる方、自然と別れていく。そういうのは何がどうということではなく、暗黙の何かで決まっていくようにクラトは感じている。

「力が強そうな子だったり、頭がよかったり、おもしろかったり……いろいろだけど、言ってみるなら『存在感』があるかどうか、かな?」

 ユーリが付け加える。

 存在感――その人のことを無視できないような、目が、意識が引きつけられるような……教室の隅っこにいるタイプの逆のタイプだ。

「リーダーシップのあるタイプとか、何か特技があるヤツとか、よくも悪くもクラスで目立つタイプだよなッ」

「無口でなんにも言わないのに存在感があるタイプとかもいるよなー。がんがん主張するワケじゃないのに周りに人が集まってるとかさー」

「目立つって言っても悪ふざけばっかりしてるお調子者に発言力があるかっていうとそうでもないのよね」

「クラスを盛り上げる人でもぉ、人気者になる場合もあるけどぉ、逆に軽くあしらわれちゃうようになっちゃう場合もあるよねぇ」

 威太郎、ミヤ、伽耶子、小春が、存在感のある子について意見を出し合う。

「一口に存在感がある、って言っても、いろんなタイプの子がいると思うけど。ただ、どんな子であっても、クラスメイトたちを何らかの力で押さえつけて言うことを聞かせるようだと、ダメだよね。周囲は表面的には従ってくれても、いつかどこかでほころびが出て来てしまうと思う」

 ユーリがまとめると、威太郎たちがうなずく。

 発言力も存在感も、確かに、自分の教室やそこにいるクラスメイトを想像すると、わかりやすいかもしれない。これまで自分がいた教室やクラスメイトがクラトの頭の中に浮かんでは消えていく。

「教室の人間関係で考えた方がわかりやすいんじゃないかって思ったのは、前にね、日本が関わった戦争について考えていたときに、そうやって考えた方がぼくはわかりやすかったからなんだよね」

「え? 戦争?」

 ユーリの発言にクラトは驚いたものの、ユーリがいじめと戦争を結びつけて教えてくれたことを思い出す。

「戦争が起こった流れ、って、日本や世界の歴史を勉強していないとわからないし、前にも言ったけど、戦争ってすごく複雑で難しくてわからないことがたくさんあるから、こんな風に考えて間違いないんだよ、とは言えないんだけど……」

 慎重な口ぶりで注意をうながし、ユーリが説明をする。

「例えば、江戸時代って、日本は『鎖国』と言って、海外との貿易を長崎の出島とか、限定した場所でしかしていなかった。今みたいに海外と日本各地で貿易したり外国の人が日本のあちこちにいるようなことはなかったんだよね」

 長崎の出島は小牟田の小学校では、まず修学旅行コースに入っている。クラトはまだ行ったことはないが、馴染みのある土地だ。有名なクイズ番組でも取り上げられたことがあり、自分の地元ではないのに、どこか誇らしく感じたほどだ。

「でも、アメリカの船――いわゆる『黒船』がやって来て開国を求めた。それを受けた江戸幕府は開国することを決めた。つまり、出島以外の場所でも外国と貿易をしたり国際交流をすることになったんだ」

 「知ってる?」とユーリに聞かれ、クラトは少し自信なさげにうなずいた。

「日曜日はおばあちゃんが大河ドラマを見るから一緒に見るんだけど、幕末のころのとかやってるから、くわしいことはわからないけど、雰囲気くらいはわかると思う」

 クラトが言うのを聞いて、ユーリが少しほっとした顔をする。けれどその後、思い直したように表情を引き締めた。

「開国するに当たっては、アメリカの軍艦の武力に威圧されて、つまり、圧倒されて脅えた幕府が、アメリカの言いなりになった――という見方をする人が多いと思うけど、そうじゃなくて、戦争をしないため、日本の国土を戦場にしないための平和外交だったんじゃないか、という考え方をしている人もいるんだよね」

 ユーリが言うと、伽耶子、小春、ミヤ、威太郎が意見を出し合う。

「徳川幕府は一度も外国と戦争をしていないのよね?」

「ええと……してない、のかなぁ? 不平等条約はぁ、小栗さんが交渉でやり返したって誰か言ってたよねぇ……?」

「琉球国を属国にしたのは江戸時代じゃないっけ? 薩摩藩が琉球に侵攻したって話じゃないっけ?」

「っつか、それ、薩摩藩に琉球が借金してたっていうのは? あ、そもそも薩摩藩と幕府は違うか?」

 と、話しているうちに話が迷子になっていく。

 ええと、と、ユーリが苦笑しながら、

「いろんな見方があるんだけど、そのあたりはまた追い追いということで――話を戻すけど、日本が開国したころって、アメリカとかイギリスとか、欧米諸国がアジアやアフリカなんかの国を植民地化していってたんだよね。日本がずっと昔、古来から、文化を学び、影響を受けて来た中国でさえ――当時は清っていう国だったんだけど、その清でさえ、イギリスとの戦争に敗けて無理を通される。そういう情報が入って来ていて、その中で、日本は開国したんだ」

 と、幕末の日本を取り巻く状況をざっと語る。

「開国した後、江戸幕府から明治政府に政権が移り、政府は『富国強兵』を打ち出したんだけど」

「ふこくきょうへい?」

「富国は『大富豪』とかの『ふ』だね。『富む』つまり、財産があって豊かな感じ。『こく』は『くに』のことで、『富国』っていうのは、簡単に言うと、産業の発展に力を入れて経済力をアップさせよう、ってことかな」

「ええと……日本をお金持ちな国にしよう、ってこと?」

 ユーリの説明を聞いて、クラトが自分で自分がわかるように噛み砕くと、ユーリが嬉しそうに「そういうことだね」とうなずいた。

「『強兵』は、兵を強くする、つまり、兵力、軍事力を強化する、ってこと。富国強兵は、日本が欧米列強の植民地にされないように、国の力を強くすること――ということだったんだけど、産業を発展させても、利益は国が吸い上げて軍備を強化するのに使われた――とか、これもいろんな見方があるんだけど」

 と、ユーリが肩をすくめる。

 と、

「富岡製糸場って労働環境が激悪だったって言うものね」

「外国人技能実習生は? アレもヤバいんじゃないっけ?」

「騙し方が731部隊っぽいよなー」

「悪徳ブローカーのやり方が、でしょ?」

「日本の政府が技能実習生制度やってますって公言してやってるんじゃないっけ?」

「それを悪徳ブローカーが悪用して外国の人を騙してたとしても、日本がそもそもそんなことやってなかったら、被害にあってない人いるんじゃねーの?」

 伽耶子、ミヤ、威太郎が脱線し、「ちゃんと外国の人に技術を教えて、教わって、仲良くやってるとこもあるんじゃなぁい?」と小春が加わる。

「あれ? そう言えば、技能実習に来たのに、初めからずっとそこで働く気がなくて、すぐに逃げ出された、って話、なかったっけ?」

「う? っつーと、話が違ってくっけど……」

「マスコミの取材でどうにでもなっちゃうのかも?」

「個人差だよぉ。個人差ぁ。きっと、どっちもあるんだよぉ」

「技能実習生を受け入れる日本の介護施設とか企業とかも、負担が大きくて大変、とかじゃなかったっけ?」

「つまり、まだまだ練れてないってことだろッ? 日本にとっても外国にとっても安全で意味のあるやり方を考えなきゃダメってことじゃねぇの?」

「これまでに出て来た問題を踏まえてどうするか、考えなきゃいけないんじゃない?」

「でもぉ、時間がないよぉ? 騙される人が増えちゃかわいそうだよぉ」

「けど、実態がわからないのに注意喚起はできないよなー? ダメとも大丈夫とも言えないよなー?」

「っつか、受け入れる日本人側が外国の言葉を勉強するとか、通訳アプリを使うとかして、外国の人が外国語で働けるようにできたら、外国の人の負担が減るんじゃねーの?」

「介護施設で働いてもらう場合は、難しいんじゃないの? ほら、お世話をするお年寄りとコミュニケーションがとれないと仕事にならないんじゃないかな?」

「心が通じれば言葉ってそんなに関係ないんじゃなぁい?」

「それ以前に、外国人の技能実習っていうのが、そもそも意味があんのかどうなんかわからんくない?」

「やべぇ。そっからかー。……確かに、日本の人手不足の問題はロボットとか機械化とか、あ、馬乗り型の電動車イスが開発されてたし……定年を伸ばして高齢者が現役で働き続けるとか……外国の人の技能は、その国に技能実習の学校を作るとかでもいいのか……? うー。わからん」

「介護の問題は?」

(うば)捨て村とかあればいいんじゃなぁい?」

「え? 姥捨て山……じゃない、姥捨て村?」

「姥捨てちゃダメだろッ!」

「お年寄りを集めた村を作るってこと?」

「そうだよぉ。姥捨て村は知恵の宝庫だよぉ。経験豊富なお年寄りが助け合って、仕事をするのぉ。姥捨てって言ってもぉ、若い人がいてもいいんだよぉ。だけどぉ、医療設備とかが充実してて、お年寄りが安心してけるところがいいと思ってぇ」

「ソレ、この前の話? 介護施設じゃなくてお年寄りが共同生活するとこ作ったがよくない? のヤツだよな? だったら、温泉地がよくない? 足湯に毎日浸かれるから、健康長寿しやすいと思う」

「どんな仕事があるワケ? 農業? それか、なんかの工場で働くとかか?」

「工場で働くって、お年寄りには厳しくない?」

「ペースをゆっくりにしてぇ、AIに検品してもらうようにするのぉ。それなら安心していろんな仕事ができるんじゃないのぉ?」

 と、ゴホンッ。ユーリが咳をする。

 ミヤたちが「あ」という顔で固まった。

「まあ、こうやって話が脱線していくのは、わわわ会の名物みたくなっちゃってるけどね。ちょっと脱線しすぎだよ」

 と、ユーリがふうとため息をつく。

 ミヤたちは気まずげにそろそろーっとユーリから目をそらす。ユーリの表情は穏やかだけれど、それ以上なにも言われずとも黙って話を聞かなくちゃ、という気にさせられる。

 『存在感』『発言力』という言葉がクラトの脳裏に浮かんで消えた。

「ええと、欧米諸国の植民地にされないように、明治政府は戦力を強化して、日清戦争や日露戦争をして……その後、韓国や中国や、他の国を日本の植民地にしようと満州国を作ったり――今、韓国って言ったけど、当時はまだ北朝鮮と大韓民国に分断されていなくて、李氏朝鮮とか朝鮮とか言われていたんだけどね。まあ、その辺もいろいろあるみたいなんだけど」

 とユーリが言うと、「あ! 黒文書(くろぶんしょ)!」と威太郎が声を上げて、あわてて両手で口をふさいで「何も言ってません!」と目でユーリに訴える。ミヤたちは「やっちゃった〜」という目で威太郎を生温かく見守っている。ユーリはしょうがないなと苦笑いだ。

 ユーリがまじめな顔に切り替えて、話の続きに戻る。

「ここまで話したことをざっとまとめると、欧米列強の植民地にされないように、富国強兵政策をとって外国と戦争をし、植民地を持つようになった。――それって、力の強い国に支配されないように、力の強い国の仲間入りをしようと、他の国と戦争をしたり、日本より弱い国を日本の支配下に置いたりしていた、ってことだと思うんだ」

 と、そこで一度、話を区切る。一呼吸おいて、口を開く。ユーリの目は、ここからだ大事なことだと告げている。

「これってね、学校でいじめが起きるのと同じなんじゃないかと思うんだ」

「え……?」

 ここまでの間にも、ユーリが戦争といじめを引き比べることはあったけれど、今の話といじめがどう重なるのだろう?

 クラトは知らず、前のめりになってユーリの話に集中する。

「学校の教室の中を一つの世界として考えるとね。欧米列強が弱い国を植民地化していたのって、スクールカーストの上位のグループ、つまり、教室の中でも中心的な子供たちのグループがあって、そのトップグループが弱い子をいじめていた状態、ってことじゃないかと思うんだ」

「え……? えと、植民地にするのが、いじめと一緒?」

「ぼくは似てると思う。いじめっていうか、例えば、中心グループの子たちが、自分たちがやりたくない係を弱い子にやらせたり、給食でプリンが出たら、弱い子の分は『これ、嫌いだろ、オレが食べてやるよ』って取り上げて食べちゃうとか。相手が言い返せないのをいいことに言うこと聞かせちゃう。植民地にするっていうのは、教室の中のことでいうなら、そんな状態に近かったんじゃないかって思うんだ」

「プリン……」

「まあ、プリンが好きだったら、の話だけど。――ええと、要するに、トップグループが弱いグループの子たちを自分たちの言いなりにさせているのを見て、あんな風にトップグループの言いなりになりたくない。あんな風に言いなりになるより、あのトップグループに入りたい。そんな風に思ったのが、日本だったんじゃないか、って思うんだ」

「トップグループに入りたい……」

「そう。そこからの日本は、トップグループに入ろうとして、トップグループの子が持っているものと同じものを持って、同じようにふるまって……そうしていくうちに、トップグループから、日本ってなかなかやるじゃないかと認められて、仲間に入れてもらったような状態、っていうのが、日本が日清・日露戦争に勝った後のころと重なる気がするんだよね」

 と口にする。

 日清・日露戦争のことがよくわからないクラトには、ユーリの言うことはイメージしにくい。クラトはとりあえず、トップグループに入ろうとトップグループのマネをしたのが、さっきユーリが言っていた『富国強兵』なんだろう、とだけ理解した。

 ユーリは「でも」と、ちょっと苦い顔をする。

「トップグループに入れてもらえた、と日本は思っていたけど、実のところ、トップグループのパシリ状態だったんじゃないかと思うんだけど……」

 とまゆ根を寄せ、何かをふり払うように軽く頭を振った。それからすぅーっと息を吸って肩を落とすのと一緒に息を吐き出す。顔を上げて、

「日本は、自分がトップグループからいじめられないように、自分たちがいじめられる相手を探していじめてみせて、自分たちもトップグループになったような気になって――それが、日本が中国や朝鮮や、他の国を支配していくことになった、ということじゃないかと思うんだよね」

 と、日本の植民地政策について個人的な見解を述べる。

 けれどこれには補足があり、ユーリは言うか言うまいか少し迷った様子の後、ためらう口調で話を続ける。

「ただ、日本がアジアから感謝されている、って見方もあったりしてね。カンボジアは、日本が敗戦国になった後、日本への賠償請求を放棄してくれたり、……他の国でも、敗戦した日本を応援してくれる国もあったりしたみたいなんだけど……」

「そうなの?」

「日本を恨んだりしていない、そもそも日本に侵略されていない、日本は白人たちから自分たちの国を解放してくれた、日本軍が自分たちの国のために戦って大勢の犠牲者も出たんだ、って言ってくれる国もあるみたいで。そういう話もあるんだけど……これは、個人差が大きいんじゃないかと思う。個人差というか、『人』じゃなくて『国』なんだから、『個人』の差じゃなくて個別の国によって差があるってことで『個国差』というか」

「ここくさ……個国差?」

 クラトは最初は「ん?」と思ったが、すぐがユーリの言う「ここくさ」が「個国差」だと気づいてパッと顔を輝かせる。それを見てユーリがうなずき、話を続ける。

「日本が侵略したのか、解放してくれたのか、相手の国の感じ方によって違う――という意味じゃなくて。受け止め方に個国差がある、ってことじゃなくて、カンボジアに行った日本軍と、朝鮮に行った日本軍、中国に行った日本軍、サイパンに行った日本軍、台湾に行った日本軍、それだけじゃない、沖縄に行った日本軍……各国、各地で活動した日本の軍の、現地の人への接し方や、現地で行ったこと、そこに違いがあったんじゃないか、って思う」

 と言って、ユーリはチラリとミヤに視線を送る。

「それだけじゃなくて、同じ国に行った日本軍や移り住んだ日本人の中でも、個人個人によって、現地の人への接し方は違っていたんじゃないかって思うし」

 とユーリが言うと、ミヤはうんうんとうなずき、「台湾がそうだもんな」と小さくつぶやいた。それを聞いて、そう言えば新聞に台湾にいた人がどうのこうの書かれていたと、ミヤが威太郎たちと話していたのをクラトは思い出した。

 威太郎とミヤは口を止められないらしく、

「捕虜への扱いとかもいろいろあったみてーだしなッ」

「けどそれはさ、カミカシイの問題じゃないっけ?」

「そっかぁ、そうだなぁ」

 と言い合う。クラトにはわからない話だが、二人の間では通じたようだ。

 ユーリはどことなく(かげ)りを帯びた声で話を戻す。

「戦争当時の日本に好意的な国とは逆に、今だに日本への恨みを表立って訴える中国や韓国にしたって、そこでものすごく酷く、残虐な、非道なことをした日本人もいたし、真実に満州国っていう五つの民族が尊敬しあえる国を造ろうとしてた人もいたと思う。それは今の日本でも、外国の人をだます日本人も、助ける日本人もいるように」

 ユーリの口ぶりからクラトは、ユーリが中国や韓国に対して、日本はよくないことをしたという思いが強い印象を抱いた。

「大切なことはね。――戦争当時の日本を好意的に思ってくれる国があるからと言って、日本が何もひどいことをしてこなかったということではなくて。感謝してもらえるようなことをして来た日本人もいれば、恨まれるようなことをしてきた日本人もいる。そういうことだと思う。だからね、すべて悪かったと思うのも、何も悪くないと思うのも、どちらもダメで、何が悪かったかを見極めていくことが大切なんじゃないかな、って思うんだ」

 と、ユーリは難しい顔をする。

「日本がひどいことしたっていうのは大事なことだからなッ」

「そうそう。順番が大事だから。悪いことしたってことをしっかり心に刻んでからでないと、いいとこもあったって思うのは危険なんだよなー」

 と、「な!」「な!」 と威太郎とミヤが顔を見合わせ、うなずき合う。

 危険? 何がなんで危険なの?

 クラトは疑問に思ったけれど、ユーリの真剣な視線に気づき、そちらに注意を向ける。

「日本がどうして戦争をしたのか。それがもし、さっきぼくが言ったようなことなんだとしたら。――だとしたら、日本はどうすればよかったと思う?」

「どうすれば……?」

 スクールカーストみたいに、世界にトップグループとそうでないグループの違いがあって、言うことを聞かされる国にならないように、トップグループの仲間に入ろうとした――その結果、他の国を傷つけた。それって、自分が傷つけられないためには、他の人を傷つければいいと考えたってこと――?

 そんなのダメだ。クラトは思った。だけど、それじゃあどうすればいいかなんて思いつくこともなく――。

「あ」

 クラトは一つ、思いついた。

「いじめはやめようってみんなで言えばいいんだよね? だったらトップグループに入っていない、他の小さな国が集まってみんなで、植民地にするのやめてって、トップグループの国に言えばよかったんじゃない?」

 クラトは思いついたことを口にした。

 「おお!」と威太郎たちが感心した声を出す。

 ユーリはにっこり笑って「そうだね。そうすることができていたら、また違っていたかもしれないね」と言い、「だけど」と首を振る。

「当時は、日本と交流のない国が多かったんだ。今みたいにSNSもなかったし、電話が通じない国だってたくさんあった。日本に飛行機はあったし、船の航路も開拓されていたけど、それにしたって自由に行き来できるほど技術は発達していなかっただろうし、交流のない国からは受け入れてもらえるだけの信頼関係を築けていなかったと思うんだ」

 と、クラトが気づかなかったことを指摘した。

 世界は広い。学校の教室の中と、そこは違う。

 いや、教室の中だって、端と端の席の人の距離は遠くて、席替えや遠足や体育の授業や、そういったときに近づくことがなければ、話をすることだってままならない。女子だったら授業中に手紙を回す、なんてことをしている子もいるかもしれないけど――そんなことしちゃいけない! と思う――同じ教室の中にいるからって、誰とでも自由に簡単に話せるわけじゃない。

「植民地とか戦争とか、そういうのが世界の各地で起きる前に、いろんな国と仲良くなれていて、力を合わせることができていたらよかったよなッ」

 と威太郎は言ったが、ミヤは顔をしかめて首を傾げる。

「でもさー、日本や他のアジアやアフリカとか植民地にされていた国が力を合わせたとしても、当時の欧米列強の国に対抗できるだけの力はなかったと思う」

「うッ」

 と、威太郎がミヤの指摘に言葉を詰まらせる。

 クラトはユーリやミヤの言ったことを聞いて、自分の考えでは無理があるのだとしゅんとなる。

「どうすればよかったのかな……?」

 クラトがつぶやく。

「ぼくは、ぼくたちは、欧米が植民地政策を進めていたとき、日本がトップグループの仲間に入れてもらおうと思ったのがよくなかったと思ってる」

 と、ユーリが言う。

「だけどそれは、何も戦争とか植民地政策とかだけの話じゃないんじゃないかな?」

 と、さらに言う。

「ん? どういうこと?」

 クラトがユーリに問いかける。

「それはね、この世界にはスクールカーストみたいな力関係があって、上位の階層、つまりカーストの上に位置する国の発言力が強くて、下位の階層、カーストの下の方に位置する国は、上位の階層の言うことに逆らいにくい――それは昔のことだけじゃなくて、今もその仕組みってそんなに変わってないように思えるんだ」

「変わってない……?」

「力の強い国、弱い国――それは、核兵器や戦闘機みたいな強力な武器を持っているかどうかっていうこともあるし、今だったらIT産業が発展しているか、貿易が盛んで、他の国が欲しがるような技術や物を持っているか、石油のような資源やお金を持っているか――そういうことで、国際的に強い発言力を持ってる国と、強いことを言えない国とがあると思う。それがスクールカーストっぽくなってるんじゃないかと思うんだ」

 ユーリは言う。

「タカ兄は沖縄と日本のことも気にしてるよなー」

「アメリカが日本に、日本政府が沖縄に、言うこと聞かせるの図式、ってヤツな」

 と、ミヤと威太郎がぼそぼそっと言う。

 ユーリは軽くうつむくと、

「今も戦争をしている国や地域はあるけど、どこかの国がどこかの国を植民地にするということはなくなった――イスラム国はどうなるんだっけ? 植民地にしてるわけじゃないか。ええと、それはまた別に扱うとして――武力でよその国を従えようとすることは昔よりずっと少ない状態になっていると思うんだけど。まあ、戦争をしていなくても核兵器を持っているから、いざとなったら核兵器を使えるんだぞっていう国と核兵器を持ってない国っていう違いがあったりはするけど………………」

 誰に言うともなく、考え考えしながら口早に言い、黙考する。それから少しして言いたいことがまとまったのか、「ええとね」とクラトの方へ顔を向けた。

「便宜上、つまり、話をするのに都合がいいから、『上位』とか『下位』って言葉を使うけど――」

 と前置きしてから、

「昔は『世界カースト』の中で、上位の国が下位の国を植民地にすることが横行していて、その果てに第二次世界大戦が起こって多くの国が大きなダメージを負ってしまうことになったけど、今は、昔みたいな、上位のグループが好き勝手する、ということではなくなってるかな、って思う。『先進国』は、『発展途上国』を(しいた)げるんじゃなく、むしろ――少なくとも表向きは――援助していこうっていう風潮に変わって来たみたいだな、って思う」

 とユーリが言うと、

「『先進国』って言われるのは経済的に発展した国のことで、植民地の話に出てた欧米列強諸国とかが多いよな。んで『発展途上国』はあんまり経済が発展していない国のことで、アフリカとかアジアとか南米とか? の、貧困国とかが多いと思う」

 とミヤが言い添える。

 ユーリはミヤにうなずき、クラトに向かって話を続ける。

「昔と違って来ているところはあるけど、『世界カースト』の中で日本がやっていることって、今も変わりがないって気がするんだよ。なんていうか、結局、カーストのトップグループの仲間に入れてもらおうと、マネしてるだけじゃないかって」

「今も、トップグループに入れてもらおうとマネしてるだけ?」

 クラトはよくわからずオウム返しに聞き返す。

 ユーリは慎重な顔つきで「そんな気がする」とうなずく。

「だけどね、例えそうだとしても、今は昔と違って、トップグループの『意識が高い』っていうか――世界で協調して、つまり仲良くして、自分たちがリーダーシップをとって他の国を引っ張って、世界をよりよくしていこう、みたいな感じで、それって――それはそれで問題がないこともないだろうけど――トップグループはいいことしてるんだからマネしてもいいじゃないか、トップグループに入れてもらえるようにがんばっていけばいいじゃないか、って思わないでもないんだけど……」

 ユーリの迷いながらの話に、

「『表と裏』なヤツだよなッ。あえて戦争の話をしないのは軍国主義を叫んでたのと裏返しなだけでやってることはおんなじだろッ、ってヤツ」

 すかさず威太郎が反応する。と、

「イタ〜、また脱線するから〜」

 ミヤに小声で制止され、威太郎はやってしまったという顔で「そうだったぁ」とこぼす。自分の口を閉じるジェスチャーをして、上目づかいにユーリをうかがうと、ユーリは目で大丈夫だと笑う。

「イタの言う通りなんだけどね。えと、イタが言った話はまた改めてするけど、何が引っかかっているかっていうと――トップグループがやることに従うだけでいたら、トップグループが今みたいにいいことをしていればいいけど、昔みたいによくないことをしたときにまで、トップグループがそうしているんだからそうするしかない、ってなってしまうと――それじゃダメじゃないかな?」

 と、ユーリはクラトに問いかけ、一息おいてから、結論を告げた。

「だからね、トップグループのマネをして、トップグループに入れてもらおう、同じになろう、とするんじゃなくて――一匹狼を目指すべきじゃないかな、って」

「え? イ、イッピキオオカミ?」

 突然、思いもしなかった単語を聞かされ、クラトは動揺する。

 最初は「オオカミ」という音に、動物の狼を想像したが、すぐに「一匹狼」という言葉だと気がついた。

 「一匹狼」は、一匹の狼、ということではなく、基本的に群れで生活する狼の中で、群れを離れて一匹で暮らす狼のことだ。そこから転じて、集団の中で単独で行動する人を『一匹狼』と言うことがある。そこには、「集団でないと何もできない人間じゃなく、誰ともつるまず、一人で行動できる人」というようなイメージをクラトは持っている。それはクラトが読んだマンガの中で、そういうキャラがいたからだ。

「名づけて、『日本一匹狼作戦』!」

 ジャジャーン、と効果音を自分で口にしながら、威太郎が元気に作戦名を告げる――が、「いつそんな名前になったのよ」と伽耶子があっけにとられた顔をしているので、どうやらこれは威太郎のアドリブのようだ。

 「今ですー。今決めましたー」「勝手に決めないでよ」「別にいいだろッ。わかりやすいしッ」「どうせカッコいいからこの名前にするーとか言うんでしょ」「そりゃ言うだろッ」と二人がやり合い始める。

 ミヤも二人にかまうことなく、

「一匹狼って言っても、他の国とは協調しない孤高の存在でいよう、ってことじゃなくてさー、どこのグループにも所属しないことで、どこのグループとも親交を持つ、つまり、仲良くしていければいいな、ってことなんだー」

 と説明し、それでいいか確認するようにユーリに目を向ける。

「そうだね。だから、一匹狼っていうのは語弊(ごへい)があるかも、ええと、ぴったりした言い方じゃないかもしれないとこなんだけどね」

 とユーリはミヤに顔を向けうなずき、『語弊』という言葉がクラトには難しいかもしれないと、クラトに顔を向けて言い直した。

 一匹狼というと、誰とも馴れ合うことなく、自分の信念を貫く、カッコいい存在……だけど、近寄りがたい。そういうイメージをクラトは持っていたが、それは少し違うらしい。

 ユーリは一度メガネをかけ直すと、クラトの目を見る。その顔は穏やかだけれど、強さや厳しさも感じられ、クラトは身が引き締まるのを感じた。

「ぼくたちが考えているのはね、教室の中で、どこかのグループに入ってそのグループの人とだけ仲良くするんじゃなくて。クラスのみんなから一緒にやろうよ、って誘ってもらえるような存在。どのグループとも、ううん、グループに関係なく、一緒にごはんを食べたり、一緒に遊んだり、一緒に勉強したりして、トップグループからは一目置かれ、下位のグループからは頼りにされる。だから、もしもどこかとどこかのグループが、あるいは誰かと誰かがケンカしたときは、どうしたんだ、って仲裁に入って仲直りさせることができる。――世界の中で、そんな存在になることができないかな、って思ってるんだ」

 ユーリの声は大きなものではなかったが、静かな熱を持っていた。いい加減な気持ちで言っているのではない。本気でそう思っているのだと、クラトには信じられた。

 クラトは想像する。

 教室の中にはクマやライオンやゾウがいて、ウサギやアヒルやブタがいて、ヘビやトカゲやコウモリがいて、カマキリやトンボやアリがいる。クマとアリでは力が違いすぎるし、食べるエサの量も、飲む水の量も違う。排泄物の量も違うし、走ったり歩いたりする速度も違う。持っている能力も違う。声の大きさも違う。

 考えてみれば、それだけ違うものたちが一緒にいたら、どんなトラブルが起こってもおかしくない。むしろ、トラブルが起こらないなんて思えない。どの動物たちとも仲良くやっていけるか、クラトは不安になる。

 その不安を見透かしたのか、ユーリは優しく語りかける。

「一匹狼って言っても、日本って、狼って感じ……じゃないよね?」

 狼、なんて図鑑のイラストでしか見たことがなく、今となっては伝説級の動物だ。昔のサムライ、なら狼のイメージに合う日本人もいるかもしれないけれど、今の日本が狼かというと……少なくともクラト自身と狼ではイメージが合わなさすぎて遠すぎる。

「日本は狼じゃなくて……」

 クラトは考えをめぐらすけれど、今一つピンとくる動物に行きあたらない。

 ユーリはまじめに考えこむクラトにほほ笑んで、

「日本を動物に例えると、大型の怖そうで強そうな動物じゃないな、って思う。核兵器は持っていないから、それって、動物にとっては鋭い牙や爪を持っていないってことだとすると、大きくなくてたいして強くもない動物」

 と自分の見解を述べる。クラトも同じように考えて、うんとうなずいた。

 大きくなくてたいして強くもない、と言いながら、ユーリはそんな日本のことをカッコ悪いとか情けないとは思っていないようだ。その声には、自信のようなものを感じられる。

「そんな動物が一匹で周りの動物たちから一目置かれ、頼ってもらえる存在になろうとしたら――尊敬される存在になるしかないと思う」

「え……?」

 尊敬される存在になる……?

 それがどの動物たちとも仲良くやっていける秘訣、なのだろうか?

 クラトはユーリの顔をまじまじと見つめた。

「信用を積み重ねて、この国なら信じてもいいと思ってもらえる国になる。そして世界の国々、世界各国の人々から尊敬され、世界の国が無視できない存在になることができれば、仲裁役としての発言力も強まるはずだよ」

 ユーリは確信を持った声で、そう告げた。

「それからぁ、愛される存在になるのも大切だと思うよぉ」

 小春がのほほんと笑う。

「そうだね。それがいちばん大切かも」

 ユーリも笑ってうなずいた。

「世界の国が無視できない存在かぁ。……あ! ミヤがめちゃくちゃおいしい和菓子作ればいいんじゃねぇ? ミヤ、世界進出狙ってんだよなッ? どこの国の人間だって、甘いものがあったら、無視できないと思わねぇ?」

 威太郎がいいことを思いついたと、にやりと笑う。

「え? 世界進出って、よその国にお店出すの? もりみ屋の二号店?」

 クラトは驚いてミヤを見る。

「今すぐにじゃないぞ? 将来さ、和菓子職人になって和菓子を世界中に広めるのが夢なんだ」

 ミヤは少し照れくさそうに打ち明けた。

「和菓子ならどの国の人にも受けると思うわ。あんこって、私、日本の生クリームのケーキより甘く感じるのよね。外国のお菓子ってすっごく甘いのが多いから、あんこの甘さって、外国の甘いお菓子が好きな人たちには受けるんじゃないかな? コーヒーや紅茶に合わせてもおいしいしね」

「牛乳に合わせてもうまいッ」

 伽耶子と威太郎のかけ合いに、ミヤも笑顔を見せる。

「それにぃ、見た目もすっごくキレイでカワイイのがいっぱいだよぉ。和菓子は世界中の人から愛されると思うよぉ」

 また髪をくるくる指に巻きながら、小春も話に加わる。

 小春のにこにこ顔を見ながら、クマもウサギもヘビもカマキリも、きっとみんな和菓子は好きだろうな、とクラトは思った。

「和菓子の美しさや和菓子にこめられたこまやかな心遣いは海外の人に感動してもらえると思うし、和菓子に使われている技術や知恵は、海外の人の尊敬を得られるものだと思うし。甘いものって、苦手な人ももちろんいるけど、幸せを感じてくれる人もたくさんいるものだと思う。日本は食材の安全も、世界的にみて低くないんじゃないかって、そういうところって――信用を絶対に裏切らないようにしていかなくちゃいけないよね――ええと、信用してもらえるんじゃないかって思うし。それに、和菓子ってお菓子類の中では健康にいい方じゃないかな、って思うし。――だから、おいしい和菓子を世界の人に味わってもらうのって、日本の存在感や発言力を強める力になると思う」

 ユーリはそう評価した。

「つまりね、何か特別なものすごーいことをしなくちゃいけない、ってことじゃないんだ」

 ユーリは「ものすごーい」を強調して言う。それを否定するということは、ちっぽけなことでかまわない、ということだ。

「和菓子が好きで、将来は和菓子の職人になりたい。職人になったら、世界の人においしい和菓子を食べてもらいたい――ある意味、一般的な『将来の夢』、それが、ぼくたちからすると、世界を平和にするための活動になっちゃう、ってことなんだ。他の国から尊敬されるため、信用されるため、好きになってもらえるためにどんなことができるかな、って言うと、すごく難しいことをしなくちゃいけないのかと構えちゃうけど、実はそんなことなくて。意外とどんなことでも、世界の人から日本ってすごいなー、日本っていいなー、って認めてもらえる『何か』に繋がっていくって思うんだよ」

 ユーリは熱っぽく語る。

 ミヤも生き生きと話をする。

「世界進出って言ったって、今はSNSに和菓子の写真や動画をアップするだけでも世界進出できるしさ。SNSで見て興味を持ってもらえれば、日本に食べに来てくれるかもしれない。そしたら日本にいながらにして世界の人に食べてもらうことだってできるし。どの和菓子でもってワケにはいかないけど、輸送手段とか保存の技術とかも上がってるから、日本にいながら、世界の人に自分が作った和菓子を送ることだってできるワケでさ。ホント、いろんなやり方があっていろんな可能性があるんだよなー」

 世界進出と言っても、日本にいたまま日本で作ることだってできる――となると、本当にできることっていっぱいある――?

 クラトは二人の言うことを意外な思いで聞いた。

「マーヤもフィギュアで世界一になるって言ってるもんね」

「夢っていうか、野望レベル。世界中を私の演技で魅了して、日本人を好きにさせてみせるわ! って豪語してるもんなー。あのパワーはどっから出てくんの?」

 伽耶子は夢を見るような目で、ミヤはしょっぱい顔で言う。

 と、ユーリが小春に向かい、

「さっき、ミヤたちが話していた話。姥捨て村、だったっけ?」

 「姥捨て村」のところでまゆをひそめながら確認をとる。

「そうだよぉ」

「まあ、ネーミングはちょっとあんまりだけど、お年寄りが集まる場所について、この間ちょっとみんなで話していたことがあるんだよね」

 ユーリは何気なく話を始める。

「小牟田も高齢者が多いって言われてるけど、これからますます高齢化社会になって行く中で、介護にたずさわる人がたくさん必要になるとか、介護の援助をするために税金をたくさん使うとかだと、人もお金もいくらあっても足りないし。働く人の人手不足が社会的な問題になってるみたいだし、介護施設でお年寄りが虐待されたり、殺されたりした事件もあるし。いろんなことが問題になると思うんだけど、医療が発達していく中で、高齢者の問題は日本だけでなく、他の国でもこれから問題になってくること、あるいは、もう問題になっていることだと思うんだ」

 ユーリはよどみなく、スラスラと話をする。

「それでね、高齢者が居心地よく、安心して暮らせるような社会作りを日本が実現することができれば、世界中の高齢者の問題を解決することができるかもしれないよね? それって日本だけじゃなくて、世界の人から喜ばれると思うんだよね。――だから、どうするのがいいのか考えてみていたんだけど、今はまだ日本の方が外国に遅れているっていうか。それでこの前、この話をしていたときに、介護施設は本当に介護が必要な人たちが利用できるようにして、介護施設より、お年寄りが自立して暮らせるような環境を増やしていく方がいいんじゃないか、って話になったんだよね」

「太宰府だったと思うけど、普通の看護師さんが、お年寄りが集まってそれぞれ自立しながら暮らせるとこを作ったってテレビで見てさー。介護施設は介護施設で大切な場所だけど、自立して暮らしていける人は自立して、そんでお年寄りに友達がたくさんできるような、友達が集まっておしゃべりできるような――オレたちのこの部屋みたいな――そういう寄り合い場所とかある村とか町とかみたいなとこもいいのかもなーって」

「もっと本格的にお年寄りだけの町、みたいなの作ってるとこもあるみたいなのよね。ちょっとどこだったか忘れちゃったんだけど」

「鹿児島に病院が経営? 運営? してる、お年寄りだけじゃなくて、子供のいる家族とかもいる、マンションがあって、管理人さんがいて、マンションのみんなで料理を持ち寄って食事会やったりイベントやったりしてます、ってとこもあるらしいんだよなッ。ご近所さんが仲良さそうで、マンションの形してるけど、中身は江戸時代とかの長屋っぽいっつーかさ。そこなんか、めっちゃ楽しそうじゃねぇ?」

「仮設住宅のお年寄りがひとりぼっちでさみしいとかも言われてるしぃ。お友達がいっぱいできるような環境がいいと思うのぉ」

 ユーリに続き、ミヤ、伽耶子、威太郎、小春も、クラトに聞いてもらおう聞いてもらおうと次から次へ矢継ぎ早に話を繰り出す。

「とまあ、こんな感じで考えていくと、いろんなことが見えて来ない? ――仲裁役になれればいいんじゃないかとか、信用されるためにはどうすればいいか、発言力を持つためにはどうすればいいか、尊敬されるためにはどうすればいいか、愛されるためにはどうすればいいかとか……こうやって掘り下げたり広げたりして、これから何をしていけばいいか、どんなことならできるだろうか、どういうことをしていくべきか、そんなことをここでみんなで話し合っているんだよ」

 ユーリは左右のメンバーたちの顔を見ながらそう言って、最後にクラトに笑いかけた。ミヤたちもクラトに笑いかける。

 ユーリはそれからクラトを見つめ、弓を引き絞るように表情を厳しいものに変えていく。

「戦争の責任は、反対しなかった人みんなにあるって言ったけど。それってね、戦場で、ちょっと前まで一緒に笑ってた仲間がバタバタ殺されて、したくないのに人殺しを強要されて人を殺すしかなくなった人や、戦場には行ってなくても、人殺しの兵器を作らされた人や、空襲で家族も家もみんな燃やされた人……つらい思いをたくさんした人たちのことを、責めろって言ってるわけじゃないんだよ」

 ユーリの目の力が増していく。

「実際に戦争を体験した人たちには、自分たちが反対すればよかったとか、そんな風に思うことなんてできるはずがない。だってそんなことできる状態じゃなかっただろうから。つらい思いをたくさんしたから。――それがわかるからこそ、当時の天皇陛下や、その後を継がれた今の天皇陛下も、戦争の責任をその身に受け止めてこられたんだと思うんだ。天皇の名のもとにたくさんの人が死んでいった――そのことと向き合い、逃げ出さずに、背負ってこられた。そしてそれはこれからも、皇太子さまが引き継いでいかれると思う」

 ユーリは言う。

 戦争の責任を天皇陛下が受け止めて来られたというのはよくわからなかったが、今の天皇陛下が沖縄やどこか海外の南の方の島を訪れて戦争で亡くなった人に祈りを捧げたというようなニュースを、クラトは見たことがあった気がした。

 「だけど」と、ユーリは話を続ける。

「そうやって背負ってくださるから、全部を背負ってもらい続けようっていうのは、甘えじゃないのかな? いつまでも天皇陛下にだけ責任があったみたいに思っていていいのかな? それは違うんじゃないのかな、って思うんだ。――何度も言うけど、戦争を経験した人たちを責めるべきだと言っているわけじゃない。そうじゃなくて、『直に戦争を知らない世代』だからこそ、戦争でつらい思いをしたことのないぼくたちだからこそ、戦争をするかしないかっていうことに対して一人ひとりが責任を持つことができるんじゃないか、って思うし、そうすべきなんじゃないか、って思うんだ」

 そう語るユーリの目の強さに圧倒されそうになりながら、クラトはユーリの言うことを必死に受け止めようとする。

「そのためのわわわ会で、そのための『草及万里』なんだよ。戦争のことを考えるのは苦しいけど、これからの未来、ぼくたちが世界を平和にすることができたら――そう思うと、わくわくしない?」

 ユーリが表情を緩めると、クラトはふっと空気が軽くなった気がした。

 真剣な顔になっていたミヤの肩からも、力が抜ける。

「平和にする方法っていうと、こうしようああしようっていうのはあれこれ思いつかなくてもさ。愛されるためにはどうしたらいいかを考えてみたらいろんなアイディアが出て来るし、尊敬してもらうために日本のいいところを探そう、って考えていくと、コレよくない? とか、こういうのもあるよ、とかいう発見だって増えていくしさー。そゆコトをあれこれここでしゃべってるんだよなー」

「しゃべるっつーか、だべる、ってカンジ? だらだらーっとしゃべりたくってるよなッ」

 威太郎は「だらだらーっと」などと表現しているが、楽しくて仕方がないという感じだ。

 伽耶子は茶ぶ台にほおづえをついて、

「ここだって、今日は新メンバーが来るからキレイにするぞってイタが張り切って片づけたからさっぱりしてるけど、いつもはこのテーブル、辞書とかノートとか乗っかってるし、みんなで話すのも、お菓子食べたり飲み物のんだりしながらだったりするもんね」

 いつもはもっとごちゃごちゃしてるのよ、とクラトに告げ口をする。

「宿題してるときもあるよねぇ」

 とのーんびり言うのは小春だ。

 ここから彼らの会話のペースが上がっていく。

「それで、さっきミヤが言ってた、お年寄りが自立しながら暮らせるような場所を作るのは温泉がよさそうだって話なんだけど」

 とユーリが言う。ユーリはミヤたちの話に参加していなかったけれど、どうやらちゃんと話を聞いていたようだ。

「温泉ってお年寄りだけじゃなくて病気……というか、療養が必要な人にもいいんじゃないかと思って。それで、さっきミヤが温泉のあるとこがいいって言うのを聞いて、ベトナムで枯葉剤の被害にあった人で、今も後遺症に苦しんでいる人やその家族が住めるような場所を、温泉のあるところに作ったらどうかと思ったんだよね」

「温泉って日本の?」

「ベトナムにも温泉ってあるかな、と思ったんだけど」

「あ! あったわ! ママがベトナムにお友達と旅行に行こうっていろいろ調べてて、温泉もあるって言ってたの。結局、ママのお友達の都合でベトナムじゃなくて古湯温泉になったんだけど」

「古湯温泉って佐賀じゃねーっけ? ベトナムに比べて、近場すぎねぇ?」

「遠くに行けるだけのお休みが取れなかったらしいの!」

「ベトナムの枯葉剤って、ベトナム戦争でアメリカが空から撒いたってヤツだよね? 枯葉剤を吸ったり浴びたりしたベトナムの人に被害が出たっていうのは知ってたけどさー、手術とか治療とかして、もうよくなったと思ってたんだけど、違うの?」

「枯葉剤は浴びた本人だけじゃなく、枯葉剤を浴びた人の子供に影響が出たんでしょ?」

「奇形って言い方するのよくないかもしんねーけどッ、枯葉剤を浴びた人の子供って、身体の一部が欠けたり、異常な形で生まれて来たって言われてたやん? そういう子供の映像、見たことあるけど、小さい子供のころの映像だけしか放送されないよな? 今も苦しんでいる人たちの様子って、見ない気がする」

「小さいころの様子だけだったからさー、なんとなく、大きくなっていくうちに治ってそうな気がしてたけど……そういうことじゃない……んだよな?」

「っつーか、悪化して亡くなった人とかもいるってこと?」

「いるみたいだよ」

「奇形、になって生まれてきたら、それだけ――それだけって言い方はないけど――それ以外に悪いことは起きないのかと思ってたけどさ、そうでもないの? 時間をかけて身体のあちこちに異常が出て、いろんな病気になっていったりするの?」

「枯葉剤って葉っぱを枯らす薬剤よね? そんなの体内に入れたら、身体の内臓とかに影響が出るとかありそうだけど……?」

「脳に障害が出た人とかもいるみたいなんだけど、ひどい人になると、魂が抜けたような人もいるみたいなんだよね。枯葉剤をたくさん浴びた人から生まれた人で、もう四十歳くらいになってる大人の人なんだけど、自分で呼吸できるしごはんも食べられるけど、泣いたり怒ったりしなくて、感情そのものがあるかどうかもわからない、っていう人がいるらしくて」

「知的障害? がある人でも、怒ったり泣いたり笑ったりするよな? ものを考えたりするのが難しいとかはあってもさ、感情を持ってることはわかるよな?」

「感情があるように見えないってぇ、感情がないから表情が変わったりしないのかなぁ? 感情はあるけど表に出てこないだけなのかなぁ?」

「ないって、空っぽってこと? それって心を奪われたかもしれないの?」

「子供のうちは身体も小さいし、親もまだ若いから、面倒を見ていられたかもしれないけど、もう親も年とってるし、自分が死んだ後どうしようって、心配になるみたい。その魂が抜けたみたいな人って、ごはんを食べることはできても、食べようって意思もなさそうだったんだよ? ほら、食べようって思えるなら、自分で食べ物探そうとしたり、這ってでも誰かに助けを求めようとしたりするかもしれないけど、食べようという意欲がないと、そういうこともできないよね?」

「親が死んじゃったら、野垂れ死に、しちゃうんじゃないのぉ?」

「野垂れ死に……」

「ダメじゃない。そんなの」

「ダメだろッ! 絶対ッ!」

「だから、枯葉剤の犠牲になった人たちが安心して暮らせるような場所が必要なんじゃないかと思って。親子で、家族で、一緒に暮らせたらいいんじゃないかな?」

「親も枯葉剤の影響あるだろうしなー。医療機関や医療設備を備えた施設を作ってさー、働ける人は働きながら暮らせたらいいかも」

「身体が動く人が畑を作って、自分たちで栽培して食べる、とかできたらよくねぇ?」

「だったら、土壌もキレイなとこに施設を作らなきゃダメよね?」

「枯葉剤のダイオキシンは、日本の企業がダイオキシンを除去? できる装置を開発して、その装置を使ってキレイにしてるらしいよ」

「おおー」

「温泉で療養しながら暮らせるのは身体によさそうな気がするけどさ、枯葉剤のせいで身体にどんな影響が出てて、どうするとその人の身体にいいのかがわかんないからなー。温泉の泉質とかも合う合わないがあるかもよー?」

「症状が同じ人たちもいると思うから、誰かが、こうすると身体が楽になるよ、っていうのを見つけたら教え合ったりして、身体を楽にできるかもしれないわ」

「同じ症状の人にいろんな治療法を試してぇ、マッドサイエンティストの人体実験の場になっちゃうかもよぉ」

「日本に原爆が落とされた後も、調査委員会が調査のためって言って、被爆者をあえて治療させずに経過観察したっていう話もあるもんね。枯葉剤が長い時間を経て人体にどういう影響を及ぼすか、観察してみよう、なんてことになったら怖いよね」

「エグいッ! エグいってェッ!」

「人体実験はSNSが発達した今の社会じゃ、さすがに無理くない? それよりさー、早く身を寄せられる場所を作らないと、どんどん体調が悪化していく人、増えていくんじゃないの? というか、今、どれくらいいるんかな?」

「原爆で被爆した人とか被爆二世の人とか、どうしてきたのかな?」

「枯葉剤とか、原爆とかさー、本当に厄介だよなー。マジでさー、そんなん使わなかったらよかったのになー。というか、これからは使わないようにしないとなー」

「核兵器って、もう無くなるんじゃねーかって、オレは思うけどッ」

「イタは『核兵器はこれから無くなる派』だもんなー」

「だって、実用向きじゃなくねぇ? 考えれば考えるほどあり得ないんだよなッ。もしもマジでどこかの国に核ミサイルを撃ちこんだら、それって逆に、自分の国にも核ミサイルを撃ちこんでいいですよ、って言ってるようなもんじゃねぇ?」

「ああ、自分の国に核ミサイルを撃ちこまれる口実を作っちゃうことになりかねない、かもしれないよね」

「でも、それにしては核って無くならないじゃない」

「持ってると安心、とかさー」

「使えないもん持ってたって、安全と金のムダじゃねーかと思うけど。誤爆とかしたら最悪じゃねぇ?」

「徹底管理してるだろうから、さすがに自分の国で誤爆しちゃうってことはないんじゃないかな?」

「核兵器を棄てらんないのはアレだよアレ、拳銃持ったらカミカシイになる警察官とおんなじパターン」

「うぅッ。まぁなー。それはありえるなぁ……」

「だとしたらさー、核って無くならなくない?」

「っつーかさ、だからこそ、もしも核兵器を全部棄てたら、その決断をした人ってマジでレジェンドじゃねぇ? これ以上の偉業って、後にも先にも、あり得ないんじゃねーかって思ってるんだけどッ」

「……それはそうだけど……」

「だろだろッ! 人類史上、最も偉大な人、って後世に名を残すことになるって思うんだよなッ。だからさ、オレ、争奪戦になってもおかしくないって思う」

「争奪戦? ……いや、『争奪』はしないよね……」

「二番手以降じゃカッコ悪ィからなッ。いっちゃん最初に核を棄てんのがカッコいいんだってッ! 最初にどこが核を棄てるか、オレの予想一位は北朝鮮ッ」

「ソレも聞いたー。なんでかイタ、自信満々だよなー」

「アメリカは世界で唯一、実戦で核兵器を使った国だから、簡単には棄てそうにないだろッ? んで、アメリカの他に核保有してるとこはよく知らねぇし」

「消去法……? 消去法で北朝鮮だって言ってるの……?」

「北朝鮮が世界で初めて核兵器を全部廃棄したら新聞になんて見出しを書かれるかはもう決めてあんのッ。『東洋の巨神・金総書記、核兵器を廃絶!』――カッコよくねぇ? 『巨大な神』と書いて『きょしん』って読むの」

「そうね、核の全廃が実現したらねー」

「なんだよ。やる気ねーなぁ。どうなるかはわかんねーだろッ」

「……核ならすでにウクライナとかが放棄してるけど……」

「えッ? マジッ? すでに偉人済みかよッ?」

「偉人済みって……いや、まあ、それでもなんでも、北朝鮮の核廃棄が実現したらいいとは思うよね。ね、カヤちゃん」

「それはそう思うけど」

「でも北朝鮮が核を放棄しようとしたら、放棄することでどういう影響が出るかを考えなくちゃいけないよね。核を持たずに、国際社会の中で自分たちの国を維持することができるか――自分たちの国の未来を信じることができなかったら、核を放棄するなんてできないんじゃないかな?」

「それはユウ兄たちが言ってるみたいに、農業支援すればいいんじゃねーの? 北朝鮮が核だのミサイルだので威嚇攻撃するときって、日本って、なんかよくわからん兵器をアメリカから買って武力を強化するか、経済制裁するかじゃねぇ? んで、そういうことしてても根本的な解決にはなんねーって、ユウ兄たち、何度も言ってるやん」

「日本が太平洋戦争を始めるきっかけになったのは経済制裁されて追い詰められせいもあるんでしょう?」

「んー。……歴史は連綿と途絶えることなく続いてるっていうか、その中でどう区切るか、どこを切り取るかではじまりが変わってくるから。経済制裁が戦争のきっかけだったかっていうと、そうとは断定できないかな? なぜ経済制裁されたのか、ってことが問題になってくると思うから……ただ、経済制裁をされて追い詰められた相手が武力行使に踏み切るのは、心情的にわからなくもないな、って思うんだよね」

「経済制裁ってさ、貿易しないとか、そういうのなワケでさ。それって結局、苦しむのは北朝鮮の国民なワケで。北朝鮮の国民ってただでさえ貧困にあえいでるって聞くし。かわいそうなことするよなー」

「北朝鮮って、日本から拉致された人やその家族もいるんだろッ? その人たちって、どうしてるんやろ?」

「世界中で飢えや貧困は大きな問題なのよね? 日本でも子供の貧困が問題になってるけど、北朝鮮ではたくさんの人が飢えに苦しんでて、餓死者も多いってテレビで言ってたけど、本当かな? 本当ならかわいそう」

「そうなんだよね。そんなことにならないように、農業支援でなんとかできないかな、って思うんだよね。――日本で作った食糧を北朝鮮に届けるっていうのじゃ一時しのぎにしかならないから、そうじゃなくて、北朝鮮の人たちが自分たちで収穫量を増やせるように、北朝鮮の国土に合った品種を作ったり、土壌改良を手伝ったり……。北朝鮮の生産力を上げて、北朝鮮の国力が増強すれば、他国を威圧する必要がなくなるはずだし。将来、韓国と統一できることになったときにも、韓国側の負担を減らすことができると思うし……」

「でもねでもね、日本人が北朝鮮に農業支援に行っても、スパイしに来たんじゃないかって疑われて、どこかに閉じこめられちゃうかもしれないよねぇ」

「コパル……。おまえって、たまーにおそろしいこと言うよなぁ」

「そぉかなぁ? たっくんは、今度、天皇陛下が退位されたり、皇太子殿下が即位されたりするときに、お祝いムードのどさくさに紛れて、国民から非難されるようなことを日本の政府がやらかさないかなぁ、って心配してたよぉ。小春が考えすぎじゃないのぉって言ったら、たっくん、いろんなリスクを予測するのは大切なことだって言ってたよぉ」

「そうだね、危険予測は大事だよね。――スパイか……。そこまで考えなかったな。だけどそれも、信頼関係を築けるかどうか、日本が信頼される存在になれるかどうかにかかってるってことだよね」

「スパイはともかく、農業支援で北朝鮮とイイ感じに仲良くなれたらいいよなッ。拉致被害者も自由に日本に帰って来られるかもしれねーし」

「経済制裁や武装強化するよりさー、断然いいよ。兵器や戦闘機ってものすごく高いワケでさ。武力を持つってことは、それだけお金がかかるってことだからなー」

「日本の武力って半端じゃねぇ? そんなの持つより、違う方法で国防力を高める方が賢いよなッ」

「武力を無くせば、そのぶん、兵器の購入費や維持費がかからなくなるから、そのお金を国内外の復興費用や支援に当てられるわよね。その方が、日本を守ることになるし、世界での日本の発言力を強めることに繋がると思うわ」

「リヒテンシュタインの武装解除なんか、かっこいいよなッ」

「リヒテンシュタインは国土面積が小さい国だったからうまくいったんじゃないかと思うけど。……思い切ったことをしたよね。勇気のある決断」

「それこそ、『西洋の巨神』?」

「核にしろそれ以外の兵器にしろ、武力を棄てるってぼくたちが思うよりずっと難しいんじゃないかな。日本が兵器を買わなくなったら、日本に兵器を売って稼いでいたところにお金が入らなくなるわけだし……相手からしたら、是が非でも日本に買わせなくちゃ、ってなっちゃうんじゃないかな? その人たちが他にお金を稼げるよう代替案を見つけないと……」

 話しているうちに熱が入り、クラトを置き去りにしてユーリたちは口々に自分たちの考えを語り合う。話題は宇宙開発や復興事業など、戦争とは関わりのなさそうな話にも移っていくけれど、クラトは彼らの話のほとんどを理解できない。圧倒されて口を閉ざす。

 時間にすれば十分足らずの間だっただろうか。クラトがついていけずに黙りこんでいることに、威太郎が気がついた。

「あッ! やべぇッ! クラトのこと、置いてけぼりにしてたッ!」

 声を上げて、威太郎は頭をかきながら、のぞきこむようにクラトの顔をうかがう。

「ご、ごめんね。つい夢中になっちゃって」

 冷静だったユーリが、動揺した様子を見せる。

 クラトはゆっくり頭を横に振った。

「ううん、ごめんなさいはぼくの方。ぼく、みんなの話にちっともついていけなくて。……ぼくにはわからないことばっかりだったけど、みんなはいろんなことわかってるんだね。テレビのニュースとかで言ってるような、難しいことをいっぱい知ってるんだね。すごく立派なこと考えてるんだね」

 クラトにはちんぷんかんぷんなことを、みんなペラペラと話し合っていた。

 わわわ会のメンバーになるということは、今みたいな難しい話に加わらなくてはいけないということだろうか?

 こんな人たちの仲間になれるのだろうか?

 にわかにクラトは不安になる。

「オレだって、最初はユウ兄とテンペイの言うことなんてちんぷんかんぷんだったぜ?」

 威太郎が反っくり返って、堂々と言ってのける。

「――クラトはこれまで、戦争とか平和について誰かと話をしてきたことなかったんじゃない? 戦争だけじゃなくて、ニュースになっているような問題についても」

 ユーリに言われ、クラトはうなずく。

 クラスメイトや家族、チームメイトと話していたのは、もっと別のこと。給食のおかずがおいしかったとか、先生に怒られたとか、きのう発売されたマンガがおもしろかったとか、そんな話だ。クラトの周りで、戦争の話をする人もいなかった。

 平和授業で戦争の話を聞くことはあっても、それ以外に戦争について考えることなんてなかったし、それどころか、なんとなく、戦争の話は気安くできないような……してはいけないような気がしている。クラトは戦争から目をそらしてきた。

 テロなどニュースになるような問題も、自分には関係のない世界だと思ってきた。

「それじゃあ、わからないことがいっぱいでもしょうがないって。ユウ兄も言ってたけど、戦争関係は特に難しくって、勉強すればするほどわけわからんくなっていくからなッ」

 威太郎はクラトの肩を軽く叩く。ユーリもうなずいて、

「今でこそ、こんなのどうだ、あんなのはどうだって考えが出てくるけど。ぼくたちだって、はじめは何も出てこなかったよ? 政治も経済も世界情勢も、自分からは遠かった。――でもね、これまで気にかけてこなかったことにも興味を持って、人から話を聞いたり、テレビや新聞や本で気になったものを持ち寄ったり、お互いに情報を教え合ったりしながら、少しずつ学び合い、大切なことがなんなのか話し合ってきたんだ」

 と言う。それから左右を見遣ると、他のメンバーがうなずき合う。

「でも……ユーリくんたちが話してたのって、大人が考えることじゃないの?」

 クラトは、これまで話を聞いている中で膨らんでいた疑問をぶつけた。ユーリたちが話していた内容は、子供が考えるには難しすぎるようにクラトには思えた。

 でも、他のメンバーは違うらしい。ユーリはクラトに問いかける。

「ぼくたちはまだ子供で、世間では、子供は『守られるべき存在』だと思われているよね。――でもね、本当にそうなのかな? ぼくたちは守られるべき存在なのかな?」

「どういう意味?」

 クラトは聞き返す。

「――子供ってさ、『これから大人になっていく存在』なんだよ? それって『人を守る側』になっていくってことじゃないかな? ぼくたちは『守られるべき存在』じゃなくて『人を守る人間に成長すべき存在』だと思うんだ」

 守られる存在じゃなく、守る側の人間に……。

 クラトの心の中がざわついた。ユーリが話したこととクラトの心の中の何かが、反応した。それがいったい何なのか。一瞬のひらめきのようなものだから、つかもうとしてもするりとクラトの意識をすり抜け、霧散した。

「ぼくたちはまだ子供だけど、言葉がわからないような幼子じゃない。考える力だって持っている。――だから、ぼくたちは考える。将来のことを考えれば、大人たちが抱えている問題にだって無関心ではいられないし、気になってしまうし、考えてしまうようになるんだよ。そうして知っていく。知らないことを知っていくんだ」

 ユーリの熱を帯びた声がクラトの耳に入っていく。

「今、大人たちが問題にしていることって、いずれは私たちが引き継がなくちゃいけない課題になるんだから、他人事じゃないのよね」

「この国を、この世界を、そう遠くない未来に背負うことになるのは、オレたち子供なんだもんなッ」

 伽耶子も威太郎も、当たり前のように、クラトが大人が考えるべきだと思っていた問題を自分の問題として考えている。二人だけではない。賛同するように、ミヤは「にっ!」と、小春はにっこりと、笑っている。翼はうつむいていて表情はわからないけれど、小さくうなずいた。

「子供のころから、この国や他の国で起こっている問題を考えていくことって大切なことだと思う。そうすることで、将来に備えていける。どんな未来がいいか、将来どんな世界を生きていきたいか、思い描くことができる。――そして一つ一つの問題を解決していくことで、きっと世界は平和になるし、どんな問題であっても、そのほとんどをソウ力で解決できるはずなんだ」

 ユーリは目を伏せ、自分に言い聞かせるように静かに語る。顔を上げると、おどけたように、軽く首をすくめた。

「口であれこれ言うのは簡単だけど、実際に実行するとなると何をどうしていいか、わからないことだらけなんだけどね。北朝鮮に農業支援したらどうか、なんて言ってみたけど、ぼくには品種改良や土地改良の知識も経験もないし、北朝鮮の言葉だって話せないし」

 ユーリはそう言うと、ひと呼吸おいてまた口を開いた。

「だけど、そうやって考えると、例えば、北朝鮮に農業支援をしようと思ったら、農業や北朝鮮の言葉を学ばなくちゃいけないな、って思う。ベトナムに枯葉剤の被害者の療養施設を作ろうと思ったら、被害者がどこにいてどんな容態なのかを知らなくちゃいけないけど、どうやって調査することができるのか、その方法も学ばなきゃいけないと思う。高齢者の問題だって、実際に何がどう問題なのかを勉強しないとわからない」

 ふぅ、とユーリがため息をつく。

「ハッキリしているのは、何をするにしても、知らないことが多すぎるってこと。もっと勉強しなくちゃいけないってこと――クラトだけじゃないよ? わからないことだらけなのは」

 ユーリはそう言ってやさしい顔でほほ笑む。

「クラトは、自分は何もわかってないって思ったかもしれないけど、自分が何もかもわかっていないことがわかったんだとしたら、それだけでもいいと思うよ? わかってないことがわかったら、知りたいって『欲』が生まれる。知らないことばかりの中で、あれがわからないからあれを知りたい、これがわからなからこれを学びたい、って、知りたいこと、学びたいことが自分の中に積もっていくから」

 とユーリはやさしくクラトに語りかけ、そこから明るい口調に変えた。

「そうしたら、後はこっちのものだよ。自分が知りたいこと、学びたいことを学んでいけばいいんだよ。だって、ぼくたちはこれから学生として本格的に勉強を始めるんだから」

 「そうよね!」と伽耶子が同意する。

「勉強って一生できるけど、社会人になったら思いっきり勉強するのは難しいみたいだもの。それより、学生でいられる間に学べるだけ学んでおきたいわよね」

「これからどんなことができるか、自分には何が適しているか、自分が何に興味を持つのか、これからどうなっていくか、何者になるか、自分をどういう大人にしていくか……そういうこと、考えながら学んでいかねーともったいないってッ」

 威太郎がクラトの背をばんばん叩く。

 クラトは横を向いて威太郎の顔を見る。それから、その向こうの翼、ユーリ、ミヤ、伽耶子、そして隣にいる小春の顔に目を移していく。

 ここにいるのは、学びたいと思っている子供たちなんだ。

 クラトはこれまで、学校で勉強を教えているから勉強するんだ、学校の勉強についていくために勉強しなくちゃいけないんだと思っていた。

 けれど、勉強とはそういうものじゃない。

 ぼくたちはまだ子供で、知らないことが多いから、自分で自分を育てるためにするものなのかもしれない。

 クラトは目が覚めるように、頭の中の意識が揺り起こされるのを感じた。

「あのねあのねぇ、お勉強したり、考えたりするときにはコツがあるんだよぉ」

 と、小春はうふふっと笑う。

「コツ?」

 クラトが聞き返すと、

「そうだぞッ! 『逆サイドの原則』とか、『ギモンのナンデとヒテイのナンデ』とかなッ」

 威太郎が小春の言いたいことをすぐにくみ取る。威太郎の言ったことに、

「そういうのとはちょっと違うけど、『人は楽な方に流れるの法則』とかも、知っておくと世の中のことを読み解きやすくなるよなー」

 とミヤが言い添える。

 後はなんだっけ? と話し合い出す威太郎たち。クラトは目を白黒させる。

 原則? 法則? ナンデがナンデでナンデ……?

 クラトの頭の中はぐるぐるだ。

「クラト、大丈夫?」

 時が止まったように動かないクラトを心配して、そーっと声をかけたのはユーリだ。

「んあ? クラト、どした?」

 威太郎もクラトの様子がおかしいことに気づき、心配そうな声を出す。

「ええと、なんの原則なんだっけ? 三つの『わ』の原則とは違う原則、なんだよね?」

 クラトは混乱する頭でそれだけ問う。

 「ああ、それはな、『逆サイドの原則』っつって――」と、威太郎が説明を始めようとすると、ミヤが「イタ」と短く名前を呼ぶ。威太郎はミヤに止められる形で口をつぐんだ。

「クラト、頭ん中、ぐるぐるのごしゃごしゃになってない? オレの経験からすると、いっぺんにあれこれ頭ん中に詰めこむと、入り切らずにあふれ出ちゃって、結局、空っぽになっちゃうからさー。これ以上は、またにしたら?」

 と、ミヤは気づかわしげな顔でクラトを見る。

 威太郎もハッとし、クラトへ心配げな目を向ける。

「そうだなッ。これくらいにしとけよッ」

 威太郎はクラトにそう言うと、他のメンバーの顔を見回しながら、

「オレたちだっていっぺんにいろいろ覚えたワケじゃねーし。みんなで話していくうちにいろんな考えが出てきたんだもんなッ」

 とクラトに言って聞かせる。

「そうそう。それにさ、なんていうか、別に、世界平和のためにあらゆることを勉強しなくてはいけません、とか、自分が興味を持てないことを無理して勉強しなくちゃいけません、とか、大人が話しているようなことだけ勉強して、子供らしいことを考えちゃいけません、とか、そんなんじゃなくてさー。マンガとかゲームとか遊びとか、他愛のないこととかもガンガンッ! 話していいワケだからな?」

 ミヤの声にクラトはハッとする。

「そうだぞ? 難しいことばっかり考えたり、話したりしてたらしんどいからなッ」

 と、威太郎がニカッと笑う。

「そうだねぇ。みんなでここでトランプしたりぃ、お外で遊んだりしてるもんねぇ」

「リフレッシュも大切よね」

 小春はぽやっとした顔で言い、伽耶子はすました顔をする。

「――ってみんなは言ってるけど」

 と、ユーリは真剣な顔をする。メガネのレンズが電灯の光を反射し、キラリと光る。穏やかな物言いのユーリはやさしげだけれど、表情を引き締めると、整った顔立ちは冷たくも見える。クラトはユーリが何か厳しいことを言おうとしているのだと身構えた。

 けれど――。

 次の瞬間、一転、ユーリが笑顔を見せる。

「みんなで話す他愛のない話だってソウ力になる。ゆったりした時間を持つことだってソウ力には必要だよ。ソウ力をつけていくには、いろんな人の心に寄り添うことが大事なんだ。いろんな人の心に寄り添うためには、力を抜くことだって覚えなきゃ。人とコミュニケーション取れないよ? 遊びも学びの一つ。遊びだって失敗だって後悔だってなんだって、どんな経験も『学び』になるのが、わわわ会流――だよ」

 わざと厳しい顔を見せ緊張を誘っておきながら、クラトを安心させることを言い、ユーリは意外な茶目っ気を見せる。

 自分にかけられた言葉と笑顔に、クラトの肩からふっと力が抜ける。

「そっか……そうなんだ」

 クラトがふふっと笑うと、ユーリたちも嬉しそうに笑った。

 ソウ力は、草の力。名もなき人々が持てる力。それは特別な大きなことを成し遂げるような力でなくていい。

 ソウ力は、想う力。人のことをわかってあげるためには、いろんな経験が必要だ。失敗だって経験しなくちゃ、人の心に寄り添うことはできないだろう。自分の中の醜い心だって、人の心の醜さを理解する土台になる。だらーっとすることや、人の話を理解できずについていけないことだって、きっと何かの役に立つ……はずだ。

 あれ?

 あれれ?

「……ソウ力って、もしかしてすごく簡単なのかも?」

 考えを頭の中でまとめるより先に、クラトの口からこぼれ出る。

「まーなッ!」

 威太郎が胸を張って威張るように言うと、すかさず伽耶子から「なんであんたが偉そうなのよ」とツッコミが入る。

「簡単っていうより、お手軽? お手軽っていうより、幅が広い?」

 ミヤがしっくりくるところを探る。それを受けて、

「幅が広いというより、なんでもない経験も、ソウ力に変換することができるかどうか、だと思う。同じものを見ても、同じ経験をしても、ソウ力に変換できる子もいれば、変換できない子もいる。そういうことじゃないかな?」

 ユーリがしっかりした声でまとめる。

「そっか。ソウ力に変換していくんだ……」

 クラトのつぶやきに、ユーリはうなずき、

「自分の知識や経験をソウ力に変えるのは、三つの『わ』の原則が助けてくれるよ」

 と告げた。ユーリからクラトへのアドバイスだ。

 ユーリはそれから室内を見渡す。

 クラトもつられて見渡すと、ネコたちがいないことに気がついた。

 いつの間に、どこへ行ったのだろう?

 本当にクラトをこの部屋に案内しに来ただけだったのか……ふしぎなネコたちだと、クラトは思った。

 クラトは正面のホワイトボードに目を留める。

 今日のところは、ここに書かれたことを頭に入れるだけで精いっぱいだ。

 と、ユーリがクラトの名を呼ぶ。

「ぼくたちはたいてい、ここでこうやって情報や意見を交換したり、話し合ったりしてる。そうすることで、自分に足りてないことや学びたいことが見えてくる。話していて気になったことは自分で調べたり、人から教わったり、考えてもわからないことや情報が集まらないことは『保留』にしたり。まずは考える、そして、学ぶところからしか始めることができないから」

 そこまでは、今までの話のまとめだった。クラトはうなずく。それを見て、ユーリが話を先へ続ける。

「けどね、それだけがわわわ会の活動じゃない。実践できることがあれば実際に活動もしているんだよ」

「え?」

 実践できること? そんなこと、あるんだろうか?

 クラトには思いつかない。

「実はね、これから世界平和を実現するための実践活動として、特別ミッションをやる予定なんだけど。よかったらクラトも参加してみない?」

 ユーリが少し人の悪そうな笑顔を浮かべ、クラトの背に緊張が走る。

「クラト――キミの初任務だよ」



 お読みいただいてありがとうございます。

 これからもよろしくお願いします。

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