白したたる赤
うちに来てもいいよと話したはずなのに、その人は玄関のドアの前で足を止めた。車のままマンションに入って、エレベーターで最上階へ上がって、形だけの門も過ぎてきたのに、いけないのか。
「入っていいよ」
「うん!」
あらためて告げると、その人は無垢に笑みを見せてうなずいた。ずきりと胸に何か刺さる。
「あの、血、のこと。処女じゃないけど問題ない?」
「もんだいある?」
「ああ、うん。ないよね」
明かりの下で見ても、その人の年齢は掴めなかった。紺色のような、藍色のような、丈の長い細身のワンピースが似合う。ショートブーツのかかとに揺れる金色のチャームがきれい。その人の瞳は、七月の朝焼けの色だった。
「いえひろい。かぞく?」
「ううん。一人暮らし」
「おかねもち」
「違うよ。そんなんじゃない」
与えられただけ。要らないものばかりもらって、捨てられもせずに引きずっているだけ。
「お風呂入る? あたたまるの、こたつのほうがいい?」
「ち。よごれていいところ。かたづけやりやすいところ」
「ああ、ごめん。おなかすいてたんだったね。お風呂でいいか」
荷物を置いて早速、お風呂場へ。腕まくりしてカッターナイフを右手に持つ。左腕には過去の名残があり、今から傷が増えたところで誰に隠す必要もない。
「ところで、私がやっちゃっていいの? いつものスタイルがあったり、やりやすい方法があるなら、そっちに合わせるけど」
「いつも……」
「うん」
「まえ、ち、くれたひと……ちゅうしゃでこっぷにいれた」
「おお……何か、野蛮な方法でごめんね。うち注射器ないしな。傷口からぽたぽた落としてたら時間かかるよね。どうしよう」
その人をうかがってはみたものの、案を挙げてくれる様子はない。汚れる、汚れても構わない場所と指定したのだから、方法がないわけではないだろうが、遠慮しているのかもしれない。
少し待ってもその人が何も言わなかったので、コップを取りに行って、お風呂場に戻った。
ざっくり傷を作って、もう一度ざっくり傷を作って、コップに血を落とす。むわりと血のにおいが溢れだす。ぐうとおなかの鳴るような音がして、見れば、その人は食い入るように赤を見ていた。
「どうぞ」
中身のわずかなコップと、血を流し続ける左腕を差し出す。
「いただきます」
その人はコップの中身を一気に飲み干し、口の端に血をしたたらせ、私の左腕に口をつけた。
舌が肌を撫でる。冷たい舌が、浅い傷の奥へ進もうと、肌を割るように舐める。痛い。はじめからもう少し深く切ればよかった。ちゅっと肌が、いや、血が、吸われる。もっともっとと貪るように。お風呂場の床のタイルに血が落ちて、水に滲む。コップが割れる音がした。血が減っていく。