白丁花
メルシー。サリュ。
軽いことのように言ってミシェルは灰すら残さずに消えた。
私に残ったのは、彼女の微笑みの残像と、絆であったはずの凶器。あとは胸のつまるような、少しの、いつかは忘れてしまうのかもしれない、何か。それだけ。
「息をしろよ」
ブランカが言った。
「わかってる」
答えはかすかな音量にしかならなかった。医者は、まるでミシェルが風とともに去ったかのように、窓の外、風が流れていくほうを見つめていた。
「光のように、消えるんだね。彼らは。……ブランカ、あなたの大切な誰かも、そうだった?」
「ああ。これで、お前は私と同じになった。それはアクセサリーにでも変えて身につけていろ」
それ。ミシェルを殺した凶器。彼女がくれた十字架。
これから、どうしよう。
どうしよう。
わからない。
ミシェルが魔法みたいに消えてしまったから、死んだとも、この世界に存在しないとも、思えない。手品の種明かしをするようにイリュージョンとでも言って、この部屋へ廊下から入ってくるかもしれないとさえ考えられる。
ブランカのように、死にたがりの彼らに終止符を打つための世界旅行にでも出るか。元より、ミシェルと旅に出ようとしていた身だ。道連れがブランカになっても、あるいは誰もいない旅路でも。
「これから、どうするか……あんた、何か考えてるのか?」
医者が問うた。
「特には、何も。たぶん、旅に出ます。旅行に、どこか、たぶん、フランスとか?」
「そうか。……だったら、ストラスブールは。ミシェルの出身地だと聞いたことがある」
当たり障りないことを。
「そう、ですか。美味しいワインでも飲みに行こうかな。でも、私、言葉が分からなくて。ミシェルが話せると思っていたから」
沈黙。
人一人死んで、それがとても大切な人で、それを殺したのが自分で。そんな中で旅行の計画など楽しく話せるはずもなかった。
医者は何か言いたいことでもあるらしく、ミシェルの消えた何もない跡と、私の口あたりと、視線をいったりきたりさせている。ブランカは察することがあるようで、じっと身動ぎもせずにいる。
「あんたは……その。不老不死に、なったのか」
「正確には不死かどうか未だに定かではないが」
医者の問いにブランカがただしをつける。ヴァンパイアやハンターの生態に関しては、私に尋ねるより、ブランカに聞いたほうが一日の長以上のものがあるはずだ。
医者は、ミシェルを、ミシェルのような存在を殺せば、不老不死になると、知っていたのか。その顔は、知っていたのだろう。
「今はよくても、いつか、困ることがあると思う。その時は、頼ってくれ。必ず、必ず、絶対に力になる、なります」
「この姿のまま戸籍上百歳になったら困るかもしれませんが、その時、あなたはいないでしょう」
「それは……」
「いえ、責めたわけではなくて。……そうですね。私、ミシェルと旅に出るのに家を引き払ったんです。仕事も辞めて。だから、もしかしたら、そのうち、あなたにお金をせびりに来るかもしれません。連絡先を聞いても?」
医者はかたい表情で頷く。
「ああ」
ありがとう。それじゃあ。
さようなら。
きっともう会わないだろう人。さようなら、さようならの相手。いつか忘れてしまうのだろうか。彼を、ミシェルを? まさか。私が死ねない限り、その元凶でもあるミシェルを忘れることなどあり得ない。あってはならない。




