転生者なんて死んじまえ
四皿目はコントルノ。付け合わせのことですね。
もはや付け合わせと評するのも苦しい展開と内容ですが、一番異世界転生っぽいと言えばぽいので、安心感と一緒にお楽しみください。たくさんの付け合わせで、口の中を少しすっきりさせてくださいね。
「どういうことだよ」
やっとの事で絞り出した一言は、自分でも驚くほどに陳腐だった。
目の前では国内の重要人物たちが、深く頭を下げている。前世の僕なら絶対に想像もできない光景だが、現実としてそれは広がっていた。
「本当にすまない。だが、頼む」
国王がこうべを垂らし、声を絞り出す。
「もうお前しか、頼れんのだ」
あまりに調子のいい言葉に、僕は奥歯を噛み締めた。
事の発端は、僕ではなくもう一人の転生者だ。僕は前世、『坂本宗春』という名前でサラリーマンをしていたが上司のハラスメントに耐えかねてある日いきなり死んだ。そこからの記憶は一切ないが、僕は『ザッカス』というわけのわからん世界の『アイリスク共和国』なんてわけのわからん国へ転生した。チート能力を持った元ニート、月城紅夜のお世話係兼太鼓持ちとして。共和国なのに王がいるのかと戸惑いもしたが、それは遠い昔の話である。
そして現在、僕がはらわた煮え繰り返るような思いをしているのも例のクズ――月城が大いに関係している。
最近、月城の傍若無人ぶりが酷い。前世で大して世間から認められていないせいだろう。大きな力を得て人々から感謝されるようになり、自己顕示欲が手をつけられないほどにぶくぶくと肥えてきている。
岩の魔物が出現すると決まって前線に飛び出し、チート能力で薙ぎ払う。それだけならまだいい。むしろ国民の生活を守っているから褒められるべき偉業だ。
しかし奴は、その拗れた自己顕示欲を自分でもコントロールできなくなりつつあった。
少し前は農村に攻め込みつつある魔物へ魔法を放ち、死者こそいなかったが農作物を全滅させていた。
先日は数カ所で発生した魔物と戦っている際、「この前閃いた見栄えしそうな魔法を試したいから」といった理由で無為に戦線を長引かせ、別戦線で数人の死者を出している。月城がさっさと駆けつけたら生きていたのか、そこまではわからない。しかしそうする気もなくほぼ無駄といっていい犠牲が出ていることは確かだ。
そんな状況を見かねたのだろう。こうして僕が極秘に呼び出され、月城をどうにかしてくれと頼まれたのだ。
そこで、僕は常に疑問視していたことを切り出した。
なぜ、月城紅夜がこの世界に呼ばれたのか。
考えてみればわからないことだらけだ。現在世界は少なく見積もって一万近く存在するらしい。で、各々の神が世界同士の調和やバランスを鑑みて転生者を要請する。しかし今、この世界に転生者が要るようには思えない。寧ろ、月城が転生してから世界は歪み始めて要るんじゃないかとすら思えるほどだ。僕は月城より後にこの世界へきたため、断定はできないが。
だから僕は訊いたのだ。『なぜ彼を願った?』と。よりにもよって、クズ野郎を。
その回答は、「強大な軍事力が欲しかったから」の一言だった。
「我が国は小さく、近隣の国家から圧迫を受けているような状況だ。だから他国に対しても強気に迫れる軍事力として、転生者を遣わすよう神に頼んだ」
要約するとこうなる。
そして僕の血管は、プツンと切れた。
「ふざけんなよ」
冒頭の、息を荒げる僕が唸る。
「結局アンタらは自分の国を強くさせたいがために勝手に転生者招いて、それでどれだけ国民を苦しめてるんだよ」
語調が強くなる。
「あいつが間接的に殺した地図技師の男性には奥さんがいただろう。顔があのクズ好みだからって涙を拭く間も無くあいつのお付きにさせたのはどこのどいつだよ。旦那の写真に毎日泣きながら謝ってる女の人に、お前たちはどうやって申し開きするんだよ。あいつのせいで死んだってこともアンタらは伏せたままだ。技師が不注意で死んだくらいにしか知らせてないことを、こっちは知ってるんだぞ」
王は何も答えない。
「農作物がパアになった農村だって、アンタらちゃんと後始末や世話してないだろ。彼らが文字の読み書きできないから訴えられないことをいいことに、そのまま放っておいたことも忘れないだろ? 生活できなくなった家族が赤ん坊含めて心中したのも、知らないわけがない」
そこで初めて、王がはっと顔を上げた。
「そんな」
「白々しい演技するな」
「待ってくれ! そんなこと聞いた覚えも」
王が露骨に狼狽する。あまりの慌てぶりに、僕も一瞬怒りが霧散しかけた。演技とは到底思えない。
まさかこの件は、どこかで遮断されていたのだろうか。軍や政治のお偉方が、王へ及ぶ前に握り潰したのだろうか。月城の扱いに関して責任追及されることを恐れて。
腐ってやがる。
下唇を噛むと、血の味がした。
「自分の都合で呼び出しておいて難しくなってきたから殺してくれだなんて、調子が良すぎるとは思わないのか。あのクズを願う前に、こうなる未来は予想できなかったのかよ」
「十分思っとる」
王は即答した。
「しかしこれ以上、彼を御することができんのだ」
「さも自分がやってきたみたいな口叩くなよクソが!」
腕を振る。ワイングラスにかすり、赤が飛び散った。同時に、右頬を横合いから強く殴られる。王の御付きが、僕を殴り飛ばしたらしかった。
「不敬者が! 立場を弁えろ!」
「何もやってこなかったお前たちが『頑張って手を尽くしました』みたいな顔するんじゃねえって言ってんだよこっちは!」
僕は上着を脱ぎ捨てる。
「ちょっとでもあいつの思う通りに行かなかったらどうしていたかすら知らないだろ!
クズだろうがなんだろうが、城の中であいつが癇癪起こさなかったことを疑問に思ったこ
とすらないんだろ! おめでたいお前ら政治家様は!」
僕の身体は、無数の殴打痕で埋まっていた。一部のお偉方は息を詰まらせる。あいつの不満は、僕への暴力という形で解消されていた。要するにサンドバックだ。しかし顔だと目立つ。だから服で隠せる体に、奴は好き勝手僕を殴って憂さ晴らしをしていたのだ。
「そんなことも知らなかったアンタらが神妙な顔して結論下すことがすでにゲロ吐くほど汚らしいって言ってんだよ!」
肩で息をして、立ち上がる。部屋が不自然に静まり返った。なにごとかと考えるより早く、背後から声がした。
「すごい白熱ぶりだね。見てて楽しいよ」
振り返ると、見慣れない顔があった。髪は白。服も肌の色も白。漂白されきったように不気味な白は、男子とも女子とも取れない中性的な顔をしていた。最初から部屋にいたとは思えない。いつの間に、ここへ。
「彼だ」
王がそいつを指差す。
「私は彼に、転生者を願った」
「まあ、神様ってやつだよね」
あっけらかんと答える自称神に、僕の熱が収斂する。
「アンタがクズを呼んだばかりに、どれだけの人が苦しんだかわかってんのか!」
「知らない」
即答された。あまりに淡白な回答に、僕の気勢が削がれた。
「僕は神だ。君たち人間の道徳観なんて持ち合わせていないし、欲しいとも思わないんでね」
逆に訊くけど。と、神が指を振る。
「君たちだって、自分の勝手で動物を本来いないはずの場所で繁殖させるじゃん。神である僕にとっては人間だろうが家畜だろうが所詮そんな感じだよ」
その一言で分かった。眼前の自称神は、僕たちとは決定的に在り方が違う。浮世離れした外見のせいか、直観的に察することができた。きっとこの神の前では、僕たち人間を殺そうが蟻を踏み潰そうが同じ感覚に違いない。
あいつに僕たちの基準でも話したところで、ロクな返答が返ってこないことはなんとなくわかった。だから僕は、常々知りたかったことを尋ねる。
「なんで、あいつを転生させたんだ。よりによって、クズみたいなやつを」
「クズだからさ」
即答だった。
「正規のルートじゃこんなしょーもない理由で転生は認められないから、裏ルートを使って僕が転生させた。その際前世で優れた実勢や人格を有した魂はなかなか収穫が厳しくてね。さすがの僕も、他所の世界で干渉できる時間等の上限もあって、渋々あのクズを選んだ。あんなクズの魂ならなくなっても天上界も大して困らないしね。要するにあいつは、どこに行っても価値の低い奴だからこそこんな場末のチンケな世界に転生できたのさ」
「頑張って転生させた貴重な人員だろ。僕たちはあいつを殺す話をしてたのに、そんなにのんびりしてていいのかよ」
「いいよ」
これもまた、即答だった。
「もとは暇潰しで転生させただけだし、殺しちゃっていいよ。これ以上面白そうなもの見れないだろうし」
寧ろ――
「君たちがあの反則ニキビニートをどうやって殺すのか、それ見るほうが面白そうだからどんどん殺しちゃってよ」
じゃあねと告げ、神が消える。
あまりの超展開に頭痛を催したけど、殺していいと言われたんだ。
殺そう。
「いいですよ、殺します」
僕は端的に、それだけ告げて今日は帰った。
チート能力者を殺す。文字にすると簡単だが、実際行動に移すとすれば相当な面倒が付いて回ることが目に見えていた。ひんやりと冷たい床に左頬を押し当てながら、僕はぼんやり考えた。
「畜生が」
月城は僕を見下していた。精神的にも、現にこうして物理的にも。
今日はお気に召した少女がすでに婚約を結んでおり、金も力もある自分に靡かなかったことが許しがたかったらしい。で、僕をこうして心行くまで殴ったというわけだ。
「あんな高慢ビッチ、こっちの方こそお断りだ」
酸っぱいブドウの理論を振りかざし、月城が負け惜しみを吐く。「そりゃ貴方みたいなデブニキビ相手にするくらいなら腹裂く方選びますよ」とは、言えなかった。代わりに、「今日も随分お強いパンチで」と褒め称える。それに気をよくしたのか、鼻を鳴らしてあいつは外へ出た。さしずめ、あのクズの子を孕んでのし上がることを目指す少女たちにちやほやされに行くのだろう。勿論本人は知らない。自分の力と勇敢さに惚れているという、有り難くも物悲しい幻想を抱いている。
腹の痛みが引くのを待ち、僕は場内をふらふら歩く。あいつのお付を初めて二年くらいだろうか。ストレスは身体の節々で見られるようになり、同じ城勤めのメンツからも同情の目を向けられるようになっていた。しかし「俺が代わってやる」と名乗り出てこないあたり、みんながどれだけ僕の仕事を避けたがっているのか推して知るべしだ。
部屋に入る。防音性と秘匿性に優れた、国の中でも存在を知るものが少ない極秘の隠し部屋だ。僕より早く、すでに数人が座って待っていた。皆、軍部や政治でそこそこ偉い人である。
適当にあいさつを交わし、座るや否や僕は早々に切り出した。前置きなんて要らない。
「あのクズを殺すのに、この国としてはどれだけの犠牲を見積もっていますか?」
ざわめく。即答しないことに焦れて、もう一度尋ねる。
「何人までなら、死んでいいと思っていますか?」
「犠牲は少ない方がいい」
「何人までって訊いてんだよ」
曖昧な返事をする中年に、言葉を刺す。
「数は概算でいい。要するにコスト。あのクズを消すために、どれだけの投資ができるのかを僕は聞きたいんです」
沈黙が下りた。チラチラと、大人たちが目線を交錯させる。素早い返答がない当たり、無効としても数を決めかねているらしかった。今提示すれば、僕の希望が通る可能性も高い。
「最大で数千人死ぬかもしれない可能性は考慮してくださいね。もし奴が首都で暴走したら、ですけど」
多分一番偉いであろう男が、口をあんぐりと開けた。
「そんな犠牲を……」
「まだ安い方ですよ」
僕は淡々と答える。
「じゃあこの国が総力を挙げたり、他国と同盟でも組んで月城と徹底的に殺し合いますか? 悔しいですがあいつの能力はまさに反則。規模が違う」
そう、馬力の桁が全く違うのだ。
「威力も大きければ範囲も広い。ここ数年で僕たちは嫌というほど学んできた。タイマン向きではない、明らかに対軍団向きの能力です」
詳しい能力はわからないが、要するに『全五属性を扱える超魔法使い』の認識でいい。一瞬の隙をついたり相手の魔力切れを狙ったりすれば真正面からの殺し合いでも勝てる可能性はあるが、あまりにリスキーと言えた。きっと、国の消滅と奴の死がほぼ同じタイミングになる。この国の腐った面々も嫌いだが、一般国民に罪はない。必要な犠牲以外は、できる限り払いたくない。それが僕の中に残した、最後の、わずかな仏性だった。
「僕の提案に反論がないなら、早速行動に移します。何人か会わせて欲しい人がいるのと、買収のためにまとまった金を用意しておいてください」
未だ踏ん切りがつかない彼らの背を、僕は優しく押した。
「さあやりましょう。ちょっと大きな害虫退治ですよ」
僕がやったことと言えば、そこまで大したことではなかった。寧ろ、あまりに地味なことである。
まず、月城が山を破壊したことが原因で死んだ技師の元妻に会った。今では国からの命令でお付をしているという、国もなかなか畜生な行いを強いている未亡人だ。
その女性に、本当のことを伝えた。事故ではなく、あいつが山を壊さなければこうなることもなかったんですよ。と、ばらした。加えて、「二人っきりになった時に敵討ちをしてもいいですよ」と耳打ちし、小型のナイフを持たせた。彼女に関しては、それだけしかしていない。
その結果、彼女は死んだ。町のはずれで殺そうとしたところ、あいつの魔法で返り討ちに遭った。動転した月城の魔法が見事にヒットし、とある箇所では彼女の血が降ってきたらしい。もとより殺せる見通しはないので、多少胸は痛むがそれまでだ。ご苦労様と、心中で悼んでおく。あの世では、どうかお幸せで。
彼女には悪いけど、まったく期待はしていなかった。寧ろ死んでくれて、僕としては嬉しい。
月城はこの力を手に入れて以来、人を殺したことがない。
ずっと岩の魔物を蹴散らしていなかったため、人間の殺気や他人の命を奪うことにまるで無頓着だったのだ。開き直るかもしれないという僅かな危険性はあったが、前世は高校中退のただの男。殺しの感覚に順応できるほど器用な人間ではない。「人を殺してしまった」という過ちは、僕の予想より心にのしかかっているらしい。以前のように、気軽に前線に出ることはなくなった。
「こんなもんでいいかな」
呟き、新聞の原稿を返す。月城が犯した罪は目撃者も多少いた。今度は彼を、英雄の椅子から引きずり降ろそう。人間であることが災いしたな。僕は内心ほくそ笑んだ。
「あの」
補佐としてついてくれるらしい男が、おずおずと進言する。
「さすがに街の新聞記者を買収して、望んだ記事を書かせるのはまずいかと……」
「大丈夫さ」
軽く答える。
「僕が元居た世界じゃ、こんなこと当たり前だったんだ。特定の機関と仲良くなって、自分たちの有利になるよう情報を捏造することなんてね。そしてこれは捏造じゃない、事実だ」
さて、
「事前に頼んでおいた彼らには、合図があり次第実行するようによろしく頼むよ」
新聞発行から五日後。記者が自殺した。厳密にいうと自殺に見せかけて僕が殺すよう暗部に呼び掛けた。シナリオは、とても分かりやすい。
大袈裟なくらいに、痴話喧嘩が発展した結果月城がカッとなって殺した旨を新聞に載せた。それに対して月城は激怒。実際は反撃を試みた結果の爆殺だ。この部分だけは、彼が正しい。
月城は直接その事件を新聞伝いに否定し、記者の元へ抗議した。それを見計らって、記者が自殺したように偽造する。そのニュースを大々的に流せば、「月城の圧力に耐えかねて記者が自ら命を絶った」と世間に認知させることができる。これであいつは、今までのような英雄ではいられなくなった。
で、お付の女子も引っぺがした。当たり前だ。一人が骨も残らないレベルで殺されている。こっそり国から逃げるよう促し、その後の安定した生活と引き換えに月城の元を離れされた。これで彼の周りには、何もなくなった。かつての名誉も、女も、自信も。
そう、僕を除いて。
「紅夜様、最近ご都合が優れないようですが」
僕は何も知らないふりをして話しかける。ここはよく足を運んでいる、人の入りも多く騒がしい酒飲み場だ。昔は堂々と乗り込んでいたが、今では人殺しの烙印まで押し付けられているためフードを被ってこそこそ通っている。世間からの目を気にするように顔を左右に振る様は、愉悦を誘った。自信も挫かれ、かつてニートだったころに戻っているようだ。
ビールを飲み干し、「黙れ」と月城は吐き捨てる。「うるせえんだよ。理解者ぶるな」
「ですが、目に見えてお疲れの様子ですし」
あえて逆撫でするように、相手のことを思いやっている雰囲気を滲ませる。あなたのことを分かっているのは私ですし、八つ当たりをしても私なら受け止めますよと、暗に示す。
「今日はもう引き上げましょう。少し休養を取って――」
「うるせえって言ってんだろ!」
奴が、僕の肩を突き飛ばした。僕は大げさに吹き飛ばされ、いくつかの椅子を体でなぎ倒す。骨の一本くらい折れたんじゃないかと思えるほどの痛みが、僕の呻きを一層真に迫るものにさせた。
今まで騒がしかった店内が、黙り込んだ。僕の痛みに耐える音だけが、白々しく床に落ちる。
「――あっ」
月城の、しまったという顔が見える。僕が月城の付き人だと知っている客が、状況を察する。そそくさと逃げるように会計を済ませ、店を出た。なぜ帰るのかは、わかりきっている。元英雄現殺人犯が、店にいるから。
「お、おい大丈夫か」
今更、本当に今更。
痛みは本物だったが、手を差し伸べてくる月城を見て腹の底から笑いたい衝動にかられた。今までそんなに優しくしようとしたことがあるか? 一度でも手を差し伸べてくれたことがるか? 今更いい人であろうとするなよ人殺し。
尤も、殺すよう仕向けたは僕たちだけども。
「違うんだ」
月城が、周りの客に言い訳ともつかない言葉を吐き始める。「こいつがよろめいたから手をさし伸ばしたら、うっかり突くようになって……」
目が泳いでいる。英雄様よ、世間はもうアンタの味方じゃないんだ。
月城の弁解を聞き入れようともせず、一人また一人と店を出る。心なしか速足だったのは、見ていて痛快だった。
言い訳が聞かないと悟ったのか、月城は再び僕に手を伸ばす。
「済まなかった。そんなつもりじゃなかったんだ」
手を掴み、僕は如何にも痛々しくもそれに堪える笑みを作る。
「私は問題ありません」
決めセリフだ。しっかり言えよ、僕。
「一番苦しいのは他ならぬ紅夜様です。貴方のことを思えば、これくらい大した傷ではございません」
月城の瞳から、涙が零れる。
「本当に、ありがとう」
謝辞を述べる彼を見ても、何一つ心は揺れなかった。ただ、「そろそろ最終フェーズだな」と、思うくらいだった。
最後だ。そう思うと、不思議と心は軽かった。酒屋での一件から十五日。僕は小瓶を持って、最後の準備に取り掛かっていた。
「ここまで準備する必要、あったんですか?」
補佐の声に、「あったと言えばあったし、ないと言えばないよ」と答える。
「シンプルに殺すだけなら毒殺でいい。でもあいつは僕たちの想像が及ばない化け物さ。毒で苦しむ数秒間、無意識に極大魔法なんてかけられたらこの国終わるよ。城の中でそんなことされたら、王都陥落なんて次元じゃないしね。到達点は、彼自身に死を選ばせることさ」
だからこそここまで面倒や手間暇をかけ、少しずつ奴の心を削ってきた。時には死者も出しながら、確実にあいつの気力を腐らせた。英雄ではなく、ただのニートだったころの、世間の目をしながらも傲岸であった時の彼に戻した。いや、寧ろ人生の絶頂を知っていたからこそ今の状態は相対的に心へ刺さる。
「じゃ、あとよろしくね」
補佐に告げる。最後だと察した補佐が、「あの!」と声を出した。
「本当に、いいんですか?」
いいよ。
僕はさらっと答える。
「最後のお願いさ。あとは君が頑張って、この国をよくしてくれればいい」
別れを告げて、月城が引きこもっている部屋へ。今の彼は、僕以外に頼れる存在がいない。違う国、違う文化、知らない風土、かつて日本にいた時より、相当心細いはずだ。おまけにネット環境もない。広い電子の海で自分より劣っているだろう誰かを見繕って足蹴にすることもできない。まさに生き地獄だ。
「紅夜様、耳寄りな情報が」
ぶつぶつと独り言を垂れ流す月城に、小瓶を手渡す。僕はこの十五日、転生に関して情報を集めていた。勿論嘘だが、月城にはそう見えるように動いていた。
そしてそれを、今日お披露目という茶番を繰り広げる。
小瓶の中身は、強力な睡眠薬。深い眠りにつかせて何もできないところを、緩やかに絞殺する。それだけ。
僕の説明で小瓶の薬を転生できる妙薬だと信じ込んだ月城が、威勢のいい喇叭飲みで空にする。数秒と経たずに、彼は眠りについた。一応確認して、熟睡していることを確信する。
さて。
小さく息をついて、僕は縄を取り出した。
「あの世で会おう。元勇者」
勇者は死んだ。側近の裏切り――要は僕に殺されたことにして、世間は落ち着いた。最後の方は人殺しだった彼だが、強力な魔法は国民にとって明るい燈火だったのだろう。彼の死を悼む声が、あちこちから聞こえる。誰一人として味方してやらなかったくせに、こういうときだけ理解者ぶる人間の汚さは日本もここも同じらしい。醜いなと、唾を吐き捨てる。
で、僕は今死刑の直前だ。救国の英雄を死なせた大罪人として、死刑を言い渡された――尤も、僕が望んで死刑になった。こんな腐った世界も国も、これ以上いるに堪えなかったから。
補佐が涙を堪える中、執行人が重い声で尋ねる。「なにか、最後に言いたいことは?」
公衆の死刑場が静まり返る。今更言いたいことなんてない。強いて言えば、たった一つ。
「転生者なんて死んじまえ」