エアコンが静止する日
…………。
……ふああぁぁぁ。
あ、あたし、寝ちゃったんだ。今何時だ? 時計を見る。午後5時38分。
1時過ぎに遅い昼食を食べたあたし。テレビをつけ、見るでも無くゴロゴロしてるうちに、眠っちゃったみたい。
う……ん。伸びをする。もう夕方か。今日は7月19日(土)。月曜が海の日なので、3連休の初日。のんびりしてたなぁ。
今日のあたし。10時過ぎに目覚める。昨日コンビニで買っておいたパンと牛乳で朝食。洗濯物を適当に洗濯機に放り込んで回し、レンタルしてきたDVDを見る。見終わった後、洗濯物を干し、適当に昼食を取り、その後、テレビを見ながら昼寝。
……うむ。我ながら充実した一日じゃないか。
あたし、北沢明奈の休日の方針は、ズバリ、家でゴロゴロ。
せっかくの休みを家でゴロゴロしてるなんて、時間の無駄、と、思うかもしれない。実際、周りの人からもよく言われる。でもあたし、時間の無駄だなんて思わない。だって、せっかくの休みに何故わざわざ外に出る? 外に出れば、必然的にお金を使う機会が増える。ショッピングしたりカラオケ行ったり映画見たり……なんやかんやで1万円近く、場合によってはそれ以上使ってしまう。
たった1日でよ?
その点、家でゴロゴロしていれば。
例えば今日のあたし。朝食、パンと牛乳、200円。レンタルDVD、半額の日に借りたので150円。昼食、昨晩の残りなので0円。これから夕食作るけど、それだって500円かかるもんじゃない。電気代とか考えても、今日1日で1000円も使ってない。
家にいるのと外で遊ぶのとじゃ、消費するお金が10分の1以下ってことなのよ。
しかも、夏もそろそろ本番。1歩外に出れば、容赦なく熱線の攻撃にさらされる。
つまり。
この暑い日にわざわざ外に出かけて、無駄にお金と体力を使うよりも、クーラーのきいた部屋でのんびりゴロゴロしてた方が、ずっと充実してると思うわけ。
そりゃ、あたしだって一応友達も恋人もいるから、たまには出かけることもあるけどね。基本的には家ゴロ派。だから、明日の日曜も、あさっての海の日も、この3連休はずっと家にいる。
…………。
ま、自分を正当化するのはこんなトコロでいいか。
さて、夕飯作るにはまだちょっと早いし、少しテレビゲームでもして時間を潰しますか。実はあたし、かなりのゲームマニア。ネットワークの普及で、今では家にいながらにして遠くの人とも対戦プレイができる。わざわざゲームセンターまで足を運ばなくてもいい(実はコレ、あたしが休日に外出しなくなった、最大の理由)。うーん、文明の進歩って、素晴らしい。
ポチッと。ゲームの電源を入れる。
…………。
クーラー、少し下げようかな。
文明の進歩は結構だけど、ゲーム機が新しくなるにつれ、消費電力もどんどん大きくなってるみたい。今じゃ、ゲーム機にファン(換気扇ね)がついてるのなんて当たり前。コレ、思った以上に暖房効果があり、ゲームやってると、部屋の温度、2〜3度上昇するんじゃないかって思う。
と言うわけで、リモコンでクーラーの温度を下げる。ポチ。
……と、悲劇は突然訪れた。
ガラガラガラ、グイーン。
長年使ってるクーラーから、聞きなれぬ音。何だ?
うちのクーラーは、室外機のある一般的なものはなく、窓枠に取り付けるタイプ。何を隠そう、あたしの住んでるアパートは結構古い。まだクーラーなんてものが一般家庭に浸透する前に建てられた物で、取り付ける設備が無いのよ。だから、クーラーがごうごううるさいのは普通なんだけど、さすがに今の音は気になる。
…………。
様子がおかしいな。
風は出てるけど、生暖かい。
そして、見る見る上がっていく室温。
…………。
まずい、壊れたか?
クーラーに近づき、叩いてみる。
…………。
変化なし。
電源を切り、また入れる。
……それでも変化なし。
つまり。
これから夏本番を迎えようという7月19日に、うちのクーラーは、永い眠りについたってわけ。
…………。
なんですとおぉ!
あたしが長い長い夏を戦いぬくための唯一の武器であるクーラーが、使えない?
これはまずい。まずいですぞ、明奈さん!
その後、万が一と言うこともあるので、電源を切り、コンセントを抜いて、1時間ほど放置し、再度電源を入れてみるが、やはり、クーラーから冷たい空気は出てこない。吐き出されるのは、生ぬるい湿った空気。まるで、飢えた獣の吐息のよう。
これは完全に逝っちゃってますね。あたしなんかが適当にいじっても、直りそうもない。
となると、あたしに与えられた選択肢は3つ。
選択肢その1、修理に出す。
最も堅実的な選択。修理内容にもよるだろうけど、1万円前後の出費で収まるだろう。痛い出費ではあるが、これは仕方が無い。
でも、コレにはひとつ、重大な問題があって。
あたしはクーラーを見つめる。
……直るのだろうか?
と、言うのも。
実はこのクーラー、かなり古い。クーラー自体はあたしが買ったものではなく、引っ越してきた時に、部屋についていた。引っ越してきたのが今から8年前。その時でさえ、「古い型のクーラーだなぁ」と、思った。確か、電化製品の部品保有期間は5年〜9年。それ以上は、部品を保有する義務が無い。つまり、9年以上前の電化製品は、修理できる見込みが薄いってこと。しかも、このクーラーに関しては、メーカの名前を聞いたことが無く、今、存在しているのかどうかも判らない。修理できる可能性は低いと思う。
選択肢その2、新しいクーラーを買う。
とにかく古いクーラーなので、買い換えるのは得策だと思う。昔と比べて消費電力は少ないだろうし、騒音も低くなっているはず。メリットは大きい。
でも……ね。これにも問題があって。
実はあたし、この冬、引っ越す予定なのよ。
もちろん、こんなオンボロアパートじゃなく、もっと綺麗な、セキュリティも完備してる、最新のところ。当然、クーラー付き。その為に、休日無駄遣いしないよう、家でゴロゴロして、コツコツお金を貯めたんだから! ま、物件はまだ探してすらないけどね。でも、この決意は固い。必ず実行する。
だから、この夏だけのために新しくクーラーを買うっていうのも、ねえ。さすがに持っていくのも荷物になるし。って言うか2台もいらないと思うし。
ったく、何であと1年くらい、持ちこたえてれないのよ。根性の無いクーラーね。また叩きたくなってきた。
イヤ、我慢我慢。叩いたって直るわけじゃない。手が痛いだけだ。
選択肢その3、耐える。
……コレしかないかな。
どうせこの夏だけだもんね。9月の下旬には涼しくなると思う。せいぜい2ヵ月。それくらいなら、扇風機だけで我慢できるかも。
よし。決めた。
あたし、北沢明奈は、この夏を、扇風機のみで乗り切ることを誓います。
…………。
できるかな?
……いかん、弱気になっちゃダメだ、明奈。
あたし、自分で自分に喝を入れる。
考えてみろ。ほんの100年もさかのぼれば、クーラーなんてこの世には存在しなかったんだ。それでも人は、ちゃんと生活していた。それなのに、クーラーなんてものがあるから、夏でも涼しい、なんて考えが蔓延してしまってる。これは大きな間違いなんだ。夏は暑い、それが当然なんだよ。クーラーなんてものは、この世界には必要ないものなんだ。それなのに見ろ! 世の中にはクーラーが溢れ、そのせいで都市部の気温はどんどん上昇、ヒートアイランド現象、なんて言葉ができてしまった。そして、行き着く先は地球温暖化。南極の氷は溶け、海面が上昇。多くの陸地が海に沈む。生態系にも致命的な変化が起こる。やがて、地球上の生命が絶滅しかねない。
――そう。これは戦いなんだ。あたしは今、地球温暖化と戦っているの。あたしがこの夏クーラーを我慢すれば、それで世界が救われるかもしれない! そうなれば、あたしはこの世界の救世主! 人類はあたしの前に平伏すのよ! なんて素敵なの! さあ愚民ども、あたしを崇めなさい!
…………。
この暑いのに、何ワケわからんことを熱く語ってんだ、あたしは。
アホなことやってると、ますます部屋の温度が上昇しかねん。今日はおとなしくしてよう。時計を見る。まだ8時か……。今日の夕食は中止だね。コンロや炊飯器なんて使おうものなら、この部屋サウナ状態だよ。買いだめのお菓子があるから、それ食べて我慢しよう。もちろん、ゲームも、テレビも、パソコンも、コンポもつけない。ついでに、明かりも消してしまおう。電力を節約すれば、温度はかなり抑えられるはず。もう今日は何もしない。寝る。それが一番だね。
と、いうわけで、あたしは適当にお菓子をパクつき、早々に寝ることにした。
…………。
…………。
…………。
あづい……。
深夜、あまりの暑さに目覚めたあたし。扇風機を回しているものの、寝苦しいことこの上ない。ま、普段よりずっと早い時間に布団に入ったし、お昼寝もしたしで、眠れないのが当然なんだけど。
…………。
なんか、腹立ってきたな。
何でこんなに暑いのよ!
大体扇風機! あんた、さっきから全然役に立ってないの、判ってんの?
あんたが今やってることは、あたしを涼ませてるんじゃなくて、ただ、部屋の中の熱い空気をかき回してるだけなのよ!
こんなよどんだ空気循環させても、気持ち良くないっての! ちょっとはしっかりしなさいよ!
…………。
ゴメンネ、扇風機。キツイこと言って。でも、あたし達、お互いのために、少し、距離を置いた方がいいと思うの。もちろん、あたしには、あなたが必要。これは間違いないの! でも、今だけは、さよなら――。
パチ。役立たずの扇風機に見切りをつけ、スイッチを切った。
しかし、当然それで涼しくなるはずも無い。とたんに全身から噴き出す汗。
窓を開ければ扇風機だけでもそれなりに涼しくなるはずなんだけど、この部屋が1階であることと、か弱い女の1人暮らしであることを考えると、この真夜中に窓を開けるのは、ちょっと危ない。
……こりゃ、ダメだね。
こんなんであと2ヵ月も、とても暮らせないよ、あたし。
よし、決めた。
クーラー、買おう。
この冬引っ越すけど、もう、仕方ない。運命だと思って、あきらめよう。これは必要なことなんだよ。あたしが生きていくためには。
…………。
ごめんなさい。本当にごめんなさい。地球さん。
その代わりあたし、明日から買い物にはエコバック持参します。こまめに電気も消します。クーラーも28度に設定します。だから、今回だけは、クーラーを買うことをお許し下さい。
こうして、あたしと地球温暖化との戦いは、わずか6時間足らずで終了したのだった――。
と、いうわけで。
その夜は根性で眠ったあたし。翌朝、さっそく電器店のチラシを広げる。うん、さすがシーズン真っ盛りと言うこともあり、どこのお店も、クーラー大売出しだね。4〜8畳用のものは、大体4万円から。まあ、安いとは言えないけど、手が出ない値段じゃない。でも、今のあたしにとって重要なのは、値段よりも、いつ取り付けてもらえるか、なのよね。そこであたし、チラシの電器店に片っ端から電話をかけ、最短でいつ取り付けられるか聞いて回った。
…………。
まったく、どこの店もチラシじゃ「即日取付!」と謳っておきながら、いざ電話で聞いてみると、3日後だの、1週間後だの、来月の中旬だの……できないことを書くんじゃない!
……まあ、今シーズン中だから、しょうがないかな。電器屋さんを怒っても仕方ない。あたしは電話をかけた中で、唯一、最短で翌日取り付けができると答えてくれた大型電器店「ラーシキャメラ」で買うことに決め、さっそく出かけていった。
うん、買い物はそつなく終了。ま、今回の場合、クーラーの性能がどうの、値段がどうのなんて、全然こだわりがなく、あるのはただ、少しでも早く取り付けて欲しい、ということだけ。その一点のみこだわった場合、購入する機種は限られていて(メーカーの在庫状態に影響するみたい)、翌日取り付けができるのは1台だけだった。当然それを購入。もちろん、窓枠タイプではなく、室外機のある一般的なタイプ。大家さんに取り付け工事も了解済み。明日の夕方には取り付けてもらえる。うむ、順調順調。それにしても、3連休の初日に壊れてよかった。じゃなきゃ、次の休みまで、1週間も待たなきゃいけないところだったよ。
買い物終了後、家に帰りたくないので適当に店内をウロウロし、閉店後はファミレスに行って、食事とドリンクバーで数時間粘る。24時間営業の店ならそのまま朝……いや、思い切って昼まで粘ってもよかったんだけど、残念ながら深夜2時に閉店。インターネットカフェに行くという選択肢もあったけど、これ以上余計なお金は使いたくないので、仕方なく帰宅。ふう。また地獄の熱帯夜が始まる。でも、それも今夜限り。あと10数時間もすれば、元の生活に戻れる。ああ、楽しみだな。クーラーが壊れるまでは、今までの生活がいかに恵まれていたか、考えたこともなかった。失って初めて気づくこともある。この3連休、予定はめちゃくちゃになったけど、でも、あたしはひとつ成長した。これはきっと、今後生きていくうえでの大きな財産になるはず。
というわけで、明日(正確には今日)は感動のフィナーレ! よし、今夜も気合で眠るぞ!
…………。
うっかりしてたわ。
あたし、部屋を見回し、重大なことに気がつく。
部屋が、あまりにも汚い。
自慢じゃないがあたし、片付けるという行為が、どうにも苦手な性分なのだ。部屋の真ん中には万年布団。その周りには、雑誌、漫画、小説、CD、DVD、ゲーム、その他、さまざまなものが、足の踏み場もないほどに散らかっている。クーラーの取り付け工事って、どう考えても工事の人、部屋の中に入るよね。うら若き乙女の部屋がこれじゃ、さすがにだらしない。……イヤ、どうせクーラー取り付け工事の人なんて、その場限りの関係だ。だらしないと思われたって、別にいいか。なんてことも思わなくもないけど、でもこれ、現実問題として、片付けないと作業自体ができないかもしれない。それは困る。
むう、仕方がない。今から片付けるか。
あたしはまず布団をたたんで押入れにしまい、そして、本と雑誌を集めていく。お、アンアンアンの先月号。特集の服が結構良かったんだよね。どれどれ。あ、これなんかカワイクていいカンジ。ま、高いから買わないけど。おお。これなんか値段も手ごろ。イイかもね。
…………。
いかんいかん。今は掃除だ。集めた雑誌と漫画を本棚に押し込む。
続いてCD、DVD。これも集めては本棚に押し込む。……げっ! このレンタルDVD、まだ返却してなかったんだ。昨日見たやつじゃない、かなり前に借りたやつが出てきた。まずい。期限2日過ぎてるよ。延滞金発生。くっそー。半額レンタルの日に借りても、これじゃ意味ないじゃないか。大体、店も気が利かないわね。期限切れ前日に電話くらいしてくれてもいいじゃないのよ! 文句言ってやろうかな。しかし、このまま返すのも、もったいないわね。せっかく追加料金払うんだから、もう1回くらい見とかないと損かな。結構おもしろかったし。
…………。
だーかーらー。
今はそうじゃなくて、掃除だっつーの!
気を取り直し、CDとDVDを本棚に入れ――ようとする。
…………。
入らん。
本を入れたら、本棚はもういっぱい。どこにも入る隙間がない。まだ、ゲームとかも残ってるっていうのに。
大体この部屋、物が多すぎるのよ。それに対し、収納具が少なすぎる。
やっぱり、新しい棚を買ったほうがいいかなぁ。でも、スペース的にムリがあるのよね。あたしの部屋、そんなに広くないし。
これは、捨てるしかないか。
捨てる――それは、人が生きていく上で、最も勇気を必要とする行為。今まで共に生きてきたモノ達を、無情にも切り捨てる、残酷な行為なのだ。しかし、絶対に乗り越えなくてはいけない壁でもある。
よし。
小さく気合を入れる。あたしはまず、今集めたCDとDVDの中から、もう聞いたり見たりしないと思われるものを何本か選ぶ。同じく、ゲームも。そして、さっき本棚に入れた雑誌と漫画の中から、同じくもう読まないと思われるものを選ぶ。
…………。
さようなら、あたしの青春。今まで一緒にいてくれて、本当に、ありがとう。あたし、あなた達のこと、一生忘れないからね! あ、でも、最後にもう一度だけ……。
あたしは1冊のマンガを手に取り、ページをめくる。
…………。
ダメだ! やっぱり捨てらんないよ!
だって、だって!
このマンガも、雑誌も、CDも、DVDも、ゲームも、全部全部! もう、あたしの一部なんだよ! みんな全部合わせて、北沢明奈なんだよ! 誰が欠けたって、ダメなんだ! 別れられない、別れられないよ!
明奈の意気地なし!(バシ!)あなたはそう言って、現実から逃げてるだけ! ダメよ! 戦わなくちゃ! 確かに彼らは、あなたの一部よ。でもね、例え離れ離れになったとしても、それは変わらない。彼らはいつもあなたのそばにいる。形は失っても心には残る。彼らと共に生きた時間は、永遠にあなたの中に存在し続けるのよ! 大丈夫。本当に捨てるわけじゃない。ただ、リサイクルショップに持っていくだけ。いずれ新しい人のもとへ行き、あなたと同じように、その人の一部になるの。そしてその人も手放し、別の人のもとへ。そうして、それは連鎖し続ける。こんなに素敵なことはないわ! だから、一時の悲しみに流されてはダメ。さあ、勇気を出して――。
わかったわ……。ありがとう明奈。勇気をくれて。ゴメンネ、みんな。みんなのこと、絶対、絶対! 忘れないからね! だから、サヨナラ!
…………。
あ、外が明るい。
何時だ? 時計を見る。5時30分。
むう、あっという間に朝か。でも、全然片付かないね、この部屋。
…………。
腹立ってきたな。
大体なんでこんなクソ暑い夜に、クーラーなしで掃除なんかしなきゃいけないのよ! これは何の試練なの? あたしが何か悪いことした? あたしはただ、休日に無駄遣いをしないように、部屋でおとなしく過ごしただけなのに! 何で神様は、こんなイジワルするのよ!
そんで扇風機! さっきからまた熱い空気かき回してるけど、あんたがしてることは、あたしを涼ませてるんじゃなくて、あたしの汗を乾かして逆に暑くさせてるだけなの! 何でそれがわかんないのよ!
ポチ。扇風機を切る。もちろん、それで涼しくなるわけじゃない。
あー、もう。イヤになってきた。暑いし眠いし、これじゃ効率が上がるわけもない。
よし、寝よう。
まだまだ片付いてないけど、どうせクーラーの工事は夕方だ。お昼まで寝て、それからやった方が効率も上がるでしょ。と、いうわけで、今日はもうおしまい。布団を敷きなおすのも面倒なので、散らばったモノを適当に部屋の隅に避け、横になる。じゃ、おやすみー。
…………。
ポチ。懲りずに扇風機をつけるあたしがいた。
目が覚めると夕方。しまった、寝過ごした! クーラー工事の人、帰っちゃったか?
……なんてこともなく、あたしは昼前には目を覚ました。だって、暑くて寝てらんないんだもん。こんな暑い部屋で12時間近くも眠れたら、クーラーなんて買わなくても大丈夫だよ。
買いだめのお菓子とジュースで適当に朝食。さて、片付けますか。
フッフッフ、今のあたしはかなり本気モード。だってこれは、最後の戦い。これを片付ければ、念願のクーラーが到着する。そう思えば、テンションもあがるってもの。昨日は眠気もあり、ほとんど作業ははかどらなかったけど、今は違う。よーし。
あたし、タオルを頭と首に巻きつける。汗対策。昨日は汗がぽたぽた落ちて、うっとうしくてしょうがなかった。これで完璧。
おっしゃ! やるぞおおおぉぉぉい!
格闘すること数時間。溢れる物をひたすら押入れに押し込んだだけだけど、それでも何とか、人を招きいれても恥ずかしくない程度には片付いた。時計を見ると5時過ぎ。うん、時間もバッチリ!
――やった。あたし、やったよ! やりとげた……やりとげたんだ! 神様は、乗り越えることができる強い人間に、試練を与える。何かのマンガで読んだ言葉だけど、今はそれがよくわかる。あたしは、試練に打ち勝った――。
窓を開ける。いつもは部屋が汚くてとても開けたりできなかったけど、今は違う。この部屋を、あたしは誇りたい。
風が、気持ちいい。
頭と首に巻いたタオルは、もう汗ぐっしょり。でもそれが風にさらされ、すっごく、涼しいの。昨日の生ぬるい扇風機の風とはまったく違う。この、タオルを巻きつけるスタイル、外で働いてる人とかがやってるのを思い出して、見よう見まねでやってみただけなんだけど、こんな効果があったんだね! これ、ほんとに涼しいよ! 扇風機なんてつけたら、寒いくらいじゃないかな? クーラーなんていらないかもね。うん。これは大発見。
部屋を片付けた達成感と、機械に頼らなくとも涼しくなれるということを知った満足感に浸りながら、あたしはしばらく窓の外を眺めていた。
トントン。玄関をノックする音(オンボロアパートのため、チャイムなんてものはついてません)。
きたあああぁぁぁぁぁ!
あたしは玄関にかけていって、ドアを開ける。
「お世話になります。ラージキャメラです」
愛想のいいお兄さんが2人。あたし、笑顔で迎え入れる。あなた達が来るのをどんなに待ちわびたことか! さあ、いざクーラーと御対面!
「取り付けは、こちらの壁でよろしいですか?」
はいはい。涼しければどこでもOKよ! 好きにしてちょうだい。
「コンセントは――え、これですか?」
電器屋さんの表情が曇った。何だ?
「えっと……ブレーカーを見せてもらってもよろしいですか?」
……ヤな予感がするな。あたしは玄関の上にあるブレーカーのスイッチまで案内した。
「あらら……お客さん。これじゃ、取り付けられないですね」
…………。
何言ってんだ、この人。
あたし、しばらく電器屋さんの言ったことが理解できず、ボーゼンとしてる。
…………。
…………。
…………。
なんですとおおおぉぉぉ!
クーラーが、取り付けられない?
「はい、この部屋は20アンペアのブレーカがひとつしかないようなので、これじゃうちとしては、取り付けられません――」
詳しくはよく判らなかったけど、電器屋さんの話をまとめると。
20アンペアのブレーカーひとつでは、クーラーを動作させるのは厳しいらしい。電圧が圧倒的に少ないので、たびたびブレーカーが落ちることが考えられる。それがこの部屋だけならともかく、他の部屋にも影響しかねないし、最悪火事に至る可能性もあるのだそうだ。今まで使っていたものと同じ程度の性能のクーラーならば問題はないかもしれないが、今回買ったクーラーでは、危険なので取り付けるわけにはいかない、とのこと。
と言うわけで、後日返金、もしくは代替品と交換と言うことで、電器屋さんはさっさと帰ってしまった。
…………。
戦いは、まだ終わってない。
何も終わってなんかない。
いつまで続くのだろうか?
どこまで戦えばいいのだろうか?
わからない。わかっているのは、まだまだ戦いは続くと言うことだけ。
何も終わらない。まだ続いてる。
この戦いに、終わりはないのだろうか?
あたしの今までの戦いは、全て無駄だったのだろうか?
――いや。
終わらない戦いなんて、ない。
一時の絶望感がそう思わせてるだけだ。
戦いは、必ず終わる。
だから、立ち上がろう。何度倒れても。
あたしはくじけない。あたしは逃げない。あたしはまだ戦える。
あたしの戦いは、続く――。
そんなことより。
あづいよー。
(終わり)