5 レベル上げと人間的生活の誘惑
目が覚めて最初にしたことは、一緒に寝ていたギンとヤシチをうっかり蹴り落としたり下敷きにしてないか確認することでした。
いや、寝相は悪いほうじゃないとは思うけど、なにぶん寝てる間のことだし!
一人暮らしじゃ自分の寝相なんて確認できないのですよ。一緒のベッドで寝るような関係の相手はいないのか? いなくて悪かったですね!
ここ数年は特に仕事か趣味でしか異性とは縁のない生活送ってますよ!!
ギンの位置は寝る前と変わらず、ヤシチはいつの間にか椅子の背もたれに戻って羽づくろいを始めている。私が起きたのに気づくとピッと鳴いてみせるのは朝の挨拶だろうか。
ギンも横になってはいるけど目は開いている様子で、私が身を起こすと邪魔にならないようにか先んじてベッドを下りてくれる。
「お早う、二人とも!」
私もベッドから下りて、まずパジャマから普段着に変更。部屋中の窓を開けて回る。
洗い場で水を汲んで心ばかりの身支度を済ませ、食料庫(仮)をのぞいて昨日の肉の状態を確認。
常温で一晩放っておいたから心配だったけど、特に変質してる様子はない。今晩あたりまで放っておいても大丈夫だろうか? それとも朝のうちに食べきったほうがいいかな? まだ三分の二は残ってるんだけど。
ちょっと考えて半分ほどをカットし、ギンとヤシチの皿に盛る。
残りは紙に包んで食料庫の中へ。もしこれで夜まで保つようだったら、一切れだけ残して夕食に使おう。最後の一切れは生肉がどれくらい保つかの試験用だ。
夜まで保たなかった時は……もったいないけど廃棄で。私やダンジョンのモンスターがお腹を壊すかどうかはわからないけど、さすがに腐ったお肉は食べさせられないし食べたくない。
と、ここで忘れていた残り時間のチェック。『8:07:18:45』ということは……だいたい十時間くらい寝ていたのか。だいぶ理想の睡眠時間に近づいてきたみたいだ。
まだ寝過ぎには違いないけど! 外を見ると昨日よりも太陽の位置は低く、まだ早朝といった感じ。心なしか空気もひんやりと澄んでいる。
……なんて窓の外を見ていたら、背中に視線が。ふり返ると熱い視線を送る二体とばっちり目が合いました。ヤシチはさっと目を逸らしてばつが悪そうにしていますが、ギンの目は期待いっぱいに輝いています。
ちょ、ちょっと待って! 今私の分を焼くから……ってお肉しまっちゃったよ!
竈の火もおこしてない! 昨日の火はとっくに消えちゃってるし、ええとマッチマッチ!!
慌てて竈に火を入れて、フライパンを温めている間に食料庫から取り出した肉を切る。焼き上がるまでにかかった時間は昨日のタイムをさらに縮めて十分強。
また世界を縮めてしまった……でも、次からは自分のお肉を焼いてからギンたちの準備をすることにしよう。
朝食を摂ったら後片づけをしてギンたちと一緒に小屋を出る。
向かったのは蜘蛛のいるモンスター部屋だ。朝の光を受けて白く輝く部屋は巨大な角砂糖みたいで、草原の景色の中で正直かなり浮いている。
小屋が草原の風景に違和感なく溶け込んでいるだけ余計に。
「さぁ、今日も張り切っていこう!」
ギンとヤシチに元気よく声をかけて小屋の扉を開ける。
声の威勢はいいけどそろそろと慎重な手つきだ。
勢いよく開けていきなり蜘蛛に飛びかかってこられでもしたら、危険がどうこういう前にショックで心臓麻痺を起こしかねない。
扉を細く開けて蜘蛛が離れた場所にいるのを確認してから、ギンが中に入れるだけの隙間を開ける。ギンが入ったら私も部屋に入り、最後にヤシチがひらりと飛び込んでくるのを待って扉を閉める。
うん、完璧なフォーメーション。なんでレベル上げのためのモンスター部屋に入るのに、ここまで緊張しないといけないのかは謎だけど。
部屋に入るとさっそくギンとヤシチが戦闘を始める。朝食も食べて気合いフル充電、やってやるぜと言わんばかりの勢いだ。
レベル差が付いてきているせいか両者とも一分もかからずに蜘蛛を倒せるようになってきてるのだけど、リポップするのを待ちきれない様子で片っ端から駆逐している。
……向こうは放っておいても大丈夫そうだし、私はダンジョンの作成プランでも練ろうか。
閉めた扉の横に座って、ウィンドウを立ち上げて昨日の続きの作業を始める。
ウィンドウの残り時間にさえ気をつけていれば、知らないうちに夜だったなんてことは避けられるだろう。というか、適当に時間を見計らって休憩を入れないと。
ギンやヤシチの様子からして、放っておいたら体力の限界を超えるまで――下手したら体力の限界を超えても戦い続けそうだ。
ああそうだ、日時計の確認も忘れちゃいけない。タイマーとかアラーム機能がちょっと欲しいです。
さすがのウィンドウもそこまで便利にできていない……うん、そこまでの便利機能は付いていないみたい。ちょっとありそうでドキドキしたけど。
時々ギンたちの様子を確認しながら作業を続け、四時間(暫定)が過ぎたところでいったん休憩。物足りなさそうな二体を促して部屋の外へ。まだまだ戦い続けてもらう予定なんだからちゃんと休憩は取りなさいね。
慌てなくたって蜘蛛は逃げない。というか、そろそろ蜘蛛じゃ相手にならなくなってきてる気がするんだけど、もう次のランクのモンスターを作ったほうがいいんだろうか?
草原にギンたちと寝転がってそんなことを考える。
さんさんと降り注ぐ日の光と草原を渡っていく風が気持ちいい。ダンジョンの中なのに風なんて吹くんだなぁ……
気持ちよすぎてうつらうつらしてると、肩先を遠慮がちにつつかれてはっと目覚める。
顔を横に向けるとそこにあったのはヤシチのどアップ。
思わずわっと声をあげて、私だけじゃなくヤシチまで驚いたように飛び退く。ごめん、驚かせて! だけどうたた寝から覚めた瞬間、超強烈な目力の顔が間近にあったら誰でもびっくりするんですよ!
心なしか肩を落とした様子のヤシチをなだめながらウィンドウを確認。
眠っていたのは三十分程だったみたい。なお、私の横には今の騒ぎにぴくりとも動じずぴーぷー寝息を立てている狼の姿が。
なんという大物。狼としてそれでいいのかという気がしないわけじゃないが、ギンにはこのままたくましく大きく育って欲しいと思う。
……ヤシチの意見は違うみたいです。なんか青筋立っていそうな勢いで飛び立ったヤシチのアイアンクロー(文字通り)を受け、ギンが悲鳴とともに飛び起きました。
うわぁ痛そう……あれって蜘蛛の外殻を握り潰しちゃったりするやつだよね? というかストップストップ! 本気で血を見ちゃいそうだから! 投げ込むタオルの用意はございませんか!?
なんとか血を見ることなくその場を収め、蜘蛛の部屋に戻る。蜘蛛式ブートキャンプの再開です。
私はダンジョン作成プランの続き……そろそろ考えるのに飽きてきた。
あともう少しで形になりそうだから、もう一息と思って頑張ります! ああでもコーヒーとか紅茶が欲しい。
ほうじ茶でも玄米茶でも可。お腹は空いてないけれど、心がお茶と甘味を求めてます。
バターたっぷりのショートブレッドとかこっくり濃厚なガトーショコラとか、溢れんばかりの果物とクリームをてんこ盛りに盛ったタルトが食べたい!
うう、想像したらますます欲求が……下手にDPで入手可能なものの中に『異世界の菓子』とかあるのが悪い。詳細を見たら絶対に欲しくなりそうだから見ないけど!
DPもチェックしないよ! 高い数字でも低い数字でも間違いなく目の毒だ!
雑念と戦いながら作業を進めているうちに、カウントダウンの数字が『8:00:00:00』に近づいてきているのに気づく。
そこで作業を中断して、ほとんどモグラ叩きの様相を呈しつつある戦闘中のギンとヤシチに声をかける。
「ギン、ヤシチ、休憩するよ~!」
二体とも作業になりつつある戦闘に飽きてきていたのか、蜘蛛が消えたタイミングで素直に部屋を出る。どちらもまだまだ体力には余裕がありそうだ。
レベルも上がっていて共に8。能力面でもギンが敏捷性A、生命力Bに成長、ヤシチは攻撃力A、生命力Cと順調に成長している。
倒している蜘蛛の数を思うとだんだん成長効率は悪くなってきているみたいだけど、今のところ育成計画は問題なく進んでいるようだ。
うきうきと足を進めるギンと、歩くのと飛ぶのと半分のヤシチをお供に小屋まで戻る。
日時計を確認すると影は印とほぼ重なっており、カウントダウンの数字も間もなく『8:00:00:00』を表示する。
ということはつまり、この世界の時間は二十四時間で間違いないということだ。
あるいは、私の世界の時間とこの世界の時間を同じく感じるように私の認識そのものが調整されているか。
まぁ、どっちにせよ違和感なく時間を認識できるのはありがたい。
これで一日十八時間とか二十七時間とかだったら、時間を認識するだけでずいぶん苦労をする羽目になるところだった。
一つ確認が済んで安心したところで、日時計代わりにしていたフォークを回収して小屋へと戻る。
認識の調整とか正直ぞっとしない話ではあるけど――よく考えたら死んだはずの人間が異世界でダンジョンマスターやってる時点で今更だ。
自分や親しい人の顔も名前も思い出せないことだって、精神に干渉を受けているのだと思えば説明が付く。
というか、今目に見えているこの風景だって、私の頭の中にある風景と実際の風景は違っているのかもしれない。私の頭で理解できる範疇に収まるように、見ているものが『翻訳』されている可能性もあるのだ。
だから今更、だ。
すでに私がここにいる時点で、認識がどうこうとか考えたところで意味はない。
それで不利益を得ているならともかく、むしろ恩恵しか受けていないんだからそういうものと割り切って受け入れたほうがいい。
いいんだけど……それでも可能性として思いついただけで動揺せずにいられないのは、やっぱり精神の問題だからなんだろうなぁ……
打たれ弱い自分のメンタルに少し落ち込みながらフォークを洗って棚にしまう。
ああもう、油断すると余計なことばっかり考えてしまう自分が恨めしい。お茶とかお菓子とかお菓子とかお菓子とかお菓子とかな!
そこまで甘党ってわけでもなかったんだけど、食べられない時に限って食べたくなるのが人の性らしい。友人Cがバット一杯のティラミスを目の前で平らげた時は、むしろ見ているだけで胸焼けしそうな気分だったんだけどなぁ。
でも実際問題、精神衛生のためにも食事とか睡眠を削るのは最小限にしておいたほうがよさそうだ。塩が欲しいけどね、塩! あと布!
布と裁縫セットさえあれば布巾でもシーツでも自分で縫うことができる!
家庭科の授業レベルに毛の生えたような裁縫能力でも、時間さえかければ身の回りのものや簡単なワンピースくらいは縫えるのだ!
食生活の向上と布製品の充実についてぼへっと考えていたら、いつの間にか手の届く位置にすり寄っていたギンが心配そうに見上げておりました。
足下にはヤシチも。ごめんよ心配かけて……側に感じる二体の温かさに、波立っていた心が癒されていきます。アニマルセラピーの効果は絶大です。アニマルじゃなくてモンスターだけど。
ギンの首のあたりをもふもふ撫でて気分転換できたところで、足取りも力強く外へ。ええ、まだまだやることはあるんですよ。
ギンとヤシチのレベル上げも途中だし、ダンジョンの作成プランも完成させないと!
ばさっと羽音がして肩のあたりに重みを感じる。爪を立てないように調整して乗ってくれているヤシチの羽をそっと撫でる。
ありがとうね、気を遣ってくれて。横目に見たヤシチの顔がとても誇らしげに見えたのは、たぶん気のせいではなかったに違いない。
蜘蛛の部屋に入って再びレベル上げを始めるギンとヤシチを見送り、私はさっきまでと同じ場所に腰を下ろす。
二体とももう戦い方に危なげはないので(結局回復薬が必要になることもなかった)ここで見ている必要はないんだけど、自分だけ部屋の外にいるのもなんとなく落ち着かない。
見えない場所で戦っているギンたちが心配というのもあるけど、それ以上にね……ぽつんと一人だけ外で別作業してると寂しいんですよ!
なんの役にも立ってなくても近くにいたいんですよ! むしろ邪魔になってるんじゃないかとさえ思ってても!
ふ、ふふん……いいんですよ、ギンとヤシチの一番の仕事は私の護衛なんだから。敵を私に近寄らせないようにする訓練も兼ねているとか、私が二体の戦い方や得意技を覚えてきちんと指示を出せるようになるとか、そういう目的も……ごめんなさい今考えました。
というか、そろそろ二体に本気で動かれると目が追いつかなくなってきてます。
それは残像だ! をまさかリアルで体験することがあろうとは思わなかった……かかるのは敵じゃなくて私ですが。
ただギンたちが戦っているのを見て気づいたんだけど、私が「ここを攻撃したらいいんじゃないかな」とか「こういう戦い方したら効果的かな」とか思ってることが二体には漠然と伝わっているみたいだ。
必ずしもその通りに動いているわけじゃないけど、攻撃をかける箇所とか二体で攻守を受け持つ戦い方とか、ふとした瞬間に思考と行動がシンクロする。
要するにそれって、私がギンたちにとって敵の弱点を分析したり戦闘方法を提案する、戦術コンピュータみたいな役割を果たしているってことなのかな。
ギンたちは私の思考を参照して効果的だと思った方法を戦いに組み込んでいく。
となると、命令・成長が可能なモンスターっていうのは私が思った以上に大きな戦力になるのかもしれない。単純にレベルアップするというだけでなく、主人の思考をトレースして有効だと思った戦術はどんどん取り込んでいけるのだ。レベル以上にこの差は大きい。
ギンたちが同ランクの蜘蛛相手に全く苦戦する様子がなかったのも、それが理由だったのかもしれない。
なんてことを頭の片端で考えつつ、ウィンドウを何枚も並べてダンジョンのプランニングを続ける私。設計はほとんど完成したんだけど、DPのやりくりが……あっちを削ってこっちに足してのくり返しです。
それでもけっこう足が出てるという。でもどんな相手が侵入者としてやってくるのかわからない以上、できる範囲で最大限の備えをしておきたい。
となるとやはりDPを削るのにも限度があって……仕方ない、情報収集用にプールしておいた分からちょっと融通するか。護衛モンスター用に確保してあるDPはギンたちの育成にも必要だからあんまり使いたくないのです。
気がついたら作業に集中していて、ウィンドウの端っこの数字を確認すると『7:20:12:36』……ってもう四時間近く過ぎてる!
慌てて扉を開けて外を確認すると、まだ日は沈んでいないけれどかなり傾いて地平線に近づいている。ああ、やってしまった! 今日はなるべく早めに小屋に戻ろうと思っていたのに!
ぽこぽこと蜘蛛を殴っている(本当にもうモグラ叩きだ)ギンとヤシチに声をかけ、足早に部屋を出て小屋に向かう。蜘蛛教官、お疲れ様っした! そろそろ次の教官をお招きする予定ですが、本日のところはゆっくりお休みください!
歩きながらギンとヤシチのデータを確認すると、
ウルフ(ランク2:命令可能・復活不可能・成長可能)
個体名:ギン レベル9(1297) M
攻撃力:A 敏捷性:A 耐久性:B 生命力:A 知力:B 精神力:B
スキル〈疾走〉〈招集〉〈鋼牙〉〈剛爪〉〈跳躍〉〈威嚇〉
ホーク(ランク2:命令可能・復活不可能・成長可能)
個体名:ヤシチ レベル9(1305) M
攻撃力:B 敏捷性:A 耐久性:C 生命力:C 知力:A 精神力:A
スキル〈飛行〉〈遠視〉〈鉄爪〉〈剛力〉〈加速〉〈指揮〉
おお、二体ともレベルが9まで上がってる! たった二日(実質一日半)でこんなに上がるとは思ってなかったよ! スキルも増えてる! このまま成長していったらスキル持ちの妖精種をも超える数になるんじゃなかろうか!
手放しで二体を誉めながら小屋に戻り、まず最初に桶に汲んだ水で手を洗う。ついでにうがいも。外から帰ったあとは必要ですよね。
昨日は忘れてたけど、これからは人間らしい生活を目指していきます!
というわけで、まず竈の火をおこしてからウィンドウを起動。ふふふ、ちょっとばかり贅沢しちゃいますよ~ ずらりと画面に表示された作成物リストの中から、一つの文字を見つけ出してタップ。
塩(精製済み・10㎏):1p
ええ正直悩みましたよ、たかが肉を美味しく食べたいがためにDPを使うのはいかがなものだろうって……量の表示を見るまではだけど!
なにそれ10㎏って! 一年かかっても使い切れないよ! 漬け物でも大量に作るならともかく!
なので早々に作成実行。大事に大事に使わせていただきます。ギンたちの育成にも必要なDPから出させていただくわけですし。
ちなみにオブジェクトとして1立方メートルの岩塩の塊を作ることも考えたんだけど、こちらは10ポイント必要だったので断念。
この広くもない小屋の中に、1メートル四方の岩塩の塊を置くのもちょっと……ね。
淡い光が消えてテーブルにドスンと音を立てて落ちたのは、いかにも中身が詰まってます、という感じの焦げ茶色の袋だ。
手触りからして紙製だけどあまり紙の質はよくない。ごわごわしていて丈夫さだけが取り柄といった印象。
はやる気持ちを抑えて袋の口を開けると、中には真っ白な塩が!
塩です塩! 待望の塩がようやく! ねんがんの しおを てにいれたぞ!!
一人テンションを上げていたらちょっと呆れたような視線を感じたので、あえてギンたちのほうは見ないまま食料庫の前へ移動。
ええ、二体の顔をまともに見返す勇気がなかったなんて言いませんとも。
食料庫の中に入れておいた肉をチェックすると、匂いにも見た目にも異常はなかった。指で触ってみても特にぬめりなどはなし。ちょっと迷ってから一切れだけナイフで切って食料庫に戻し、残りの肉はテーブルに持っていく。
手早く切り分けた一人分の肉を、竈にかけて脂をひいたフライパンの上で焼く。仕上げにはもちろん塩。十分火が通ったところでフォークで一切れすくい上げて一口。
うん、味に異常はない……というか美味しい。一日ぶりのきちんと味の付いたご飯だ。
じんわりと広がる塩味と感動を噛み締めながら、残りの肉を適当な大きさに切り分けて皿に盛っていく。朝見たらヤシチが若干残していたので(それを瞬時に平らげていたのはギンだ)ギンの分を多めに、ヤシチの分をやや少なめにする。
ギンのお皿が漫画みたいな山盛り状態になったけど、ギンならこれくらい軽くいけるはずだ。朝も食べ終わったあとで私のお皿に熱い視線を送ってたしね!
最後に私の分の肉を皿に移し、もはや照明専用となった鍋に火を点けた薪を一本入れてギンたちの待っている場所へ行く。
ご飯ですよ~、と声をかけなくてもギンが定位置にスタンバイして、尻尾をビタンビタンと振っているのはご愛敬だ。同じく床で待機しているヤシチとギンの前に肉を盛った皿を置き、ステイの指示を出した上で明かりと自分の皿を取ってくる。
今日のご飯はちょっとリスキーだけど、私の目と鼻と舌を信用して食べておくれ! もしもアウトだった時は私も一緒の運命だから! というかその時こそ回復薬か毒消しの出番だ!
「では、いただきます!」
私が手を合わせるのと同時に、スタートダッシュを切るかのごとき勢いで皿に盛ったお肉にかぶりつくギン。
ああ、よく考えたらギンの嗅覚なら肉が傷んでいるかどうか判定するくらい簡単だったかも……傷んでいても平気で食べそうな予感がして怖いが。
私がフォークを取り上げて食べ始めるのを待って、おもむろに肉をつつき出すのがヤシチ。本当に性格の違う二体だ。どっちも比較なんてしようがないくらい可愛いけどね!
焼いた肉を黙々とものも言わないで食べているうちに、室内は次第に暗くなっていく。床に置いた鍋の明かりだけがオレンジ色の光で私たちを包む。
昨日よりも大分速い速度で肉を平らげると、とっくに空になっていたギンとヤシチの前の皿を取り上げて洗い場へ。桶に汲んだ水で皿を洗おうとしたところで、昨日の同じ場面で感じた不満を思い出す。
「あ~、やっぱり布巾とかあったほうが便利だよね……」
誘惑を感じずにいられないのは、塩のついでに確認した布の作成に必要なDPのためだ。
布(1×100m):1p
100メートルって……100メートルですか!? 走ったりする単位としてしか認識しておりませんが、その量の布を日常生活の中で消費しきることははたして可能なんでしょうか!? 一生かかっても使い切れないような気がするんですが!!
あ、いや服とか作れば意外と早く……三十着は楽に作れそうだけどな!
なんというかDPを消費して作るものって基本的に単位が豪快だ。
まぁ10ポイントでモンスター(ただし最下位)を作れちゃうんだから、当たり前といえば当たり前だけど。
それはそうと、どうしようかなぁ……たった1ポイントとはいえDPを無駄遣いしたくないのは事実。布がなくて不便を感じるとはいっても我慢できないほどじゃない。
ただ、なにかにつけて不便を感じるのが微妙にストレスが溜まるけど。かといって本当に必要な場面でDPがいちたりない、になるのは断じて避けたいわけで。
でもなぁ……お風呂に入れないのは仕方ないけど、せめて布で身体を拭く程度のこととかはしたいんだよなぁ。
お湯は鍋を使って沸かせるし、となると足りないのは布くらいで。いっそ着ている服を脱いで拭いたり洗ったりというのも考えたけど、身体から離れると消えるんですよこの服。チェンジ可能なだけあってまさかのイリュージョン(真)仕様だ。
たっぷり悩むこと十数分(体感)。迷いに迷った末決めました! こんな状況だったらストレスを溜め込むようなことは極力避けたほうがいいよね!
というわけで『布(1×100m):1p』をウィンドウ画面に表示して作成実行! ふははは、実行さえしてしまえばもうリセットできまい!!
ちょっとヤケ気味に内心で悪役笑いする私の前で、集まった光が高さ50センチ近くもある布の固まりになって床に落ちる。うお、なんですかこの大きさ!? というか100メートルもあればこのくらいのサイズになるか!!
おののきながらも布の端っこを手にとって品質を確認。うん、ぶっちゃけ悪いです。織りは荒いし繊維は硬いし染色もされていない生成り色。
だけど布です……布なんです! これさえあれば布巾だってシーツだってギンのマットだって作れるんです! ランチョンマットかラグでも作れば床に直接お皿を置かなくてもよくなるんです! あ、でも裁縫道具がない!!
とりあえず裁縫道具はあとにしておくことにして、ナイフで布を50×50センチくらいの大きさに切り取って食器をわしわしと洗う。道具なしで洗うより断然楽だ。すすいで水を切った食器はもう一枚切り取った別の布で拭いて食器棚へ。フライパンも洗って竈の上に戻す。
布があるというだけで生活は一気に文明的になるんだなぁ……としみじみ思いながら適当な長さで切り取った布をたたんで棚にしまっていく。
ちょっとどころではなく残った布がものすごく存在感を主張しておりますが。これ、使い切るまでずっとこのまま置いておくしかないんだろうか。
まぁ、布の置き場所はまたあとで考えることにして、今日はもう十分働いたから休むことにしましょうかね! 賃金が発生していなくても労働は労働だ。身体を動かして働いていたのはギンとヤシチだけだけど。
レベル上げの作業って労働のうちに入るのだろうか……もしかしてOJT? 実践しつつ訓練してレベルを上げるってOJTに含まれますかこれ? 実践というかむしろ実戦だけど。蜘蛛をぽこすか倒し続ける作業だけど。
そういえば蜘蛛で思い出した。ベッドの前のスペースでくつろいでいるギンとヤシチの側へ行き、床に座って視線を合わせて問いかける。
「ねえギン、ヤシチ。あなたたちの相手をするのにもう蜘蛛は弱すぎると思うんだけど、そろそろ上のランクの相手に切り替えたほうがいい? それとももう少し蜘蛛相手に戦って安全にレベルを上げる?」
こういうことは端から見ているだけの人間じゃなくて、当事者の意見が大事だ。
もちろん無謀すぎるチャレンジは断固として止めるつもりだけど、今のギンとヤシチだったら少々各上の相手であっても十分戦える気がする。
ただ、自分の力量が一番わかっているのは本人(もしくは狼、鷹)だから、次のステップに進むか安全策で行くかは彼らの意思を最優先にして決める。
「どうかな? 今より上のランクのモンスターにする? それとも……」
言い終わるのを待たず、わふっとちょっと気の抜ける声を出したのはギンだ。
きらきら光る目はまっすぐに私を見ており、床についた尻尾がふっさふっさと揺れている。どっちかなんて聞くまでもないようだ。
隣の椅子の背もたれに留まったヤシチに目をやると、クッと一声だけが返される。人間語に訳すのなら「御意」とかそんな感じだろうか? ちょっと名前のイメージに毒されすぎかも。案外「なんだ今更かよ。あいつの相手なんて退屈すぎてとっくにあきあきなんだよ」だったりするのかも……いやないわ、さすがに。あったら泣く。
どちらにせよ、二体ともランクが上のモンスターを相手にすることに異存はないようだ。
むしろ楽しみにしてるくらい? 言葉は伝わらないけど、仕草や雰囲気を見る限り格上相手だろうと倒してやるぜ、的な意気込みしか感じられない。
ここまで来ると気合いが入りすぎて暴走しないかどうかを心配しないといけなさそうだ。特にギン。ぶんぶん振られている尻尾がまるで自動床掃除モップのようです。
「じゃあ、明日からはランクが上のモンスターを相手にすることにするよ! これまでの相手とは断然強さが違ってくるはずだから、絶対に油断したり後先考えずに突っ込むような真似はしないこと! もしあなたたちが怪我したり死んだりするようなことがあったら、私も間違いなく再起不能になるからね! 主に精神的な意味で!」
そんなことになったら魂が抜けた廃人状態になるか、毎日泣き暮らすことになるかのどっちかだ。
20日のカウントダウン終了までに立ち直れなかったら、ダンジョンもろともあの世で二体とご対面することになる。それはそれで悪くない、なんて思ってしまう自分もいるけど、そもそもギンたちがあの世に行くような状況を作らないことが肝心だ。
「というわけで、明日からはもっとハードになるので今日はもう寝ます! ゆっくりしっかり休んで明日に備えましょう!」
頭をよぎった縁起でもない想像を追い出すように声をあげ、立ち上がってベッドに向かう。嫌なことを考えないためには寝るのが一番だ。行きすぎれば逃避になってしまうだろうけど、まだまだ現実に対処する気力はあるから大丈夫。
ぽすぽすとベッドを叩けば素直に乗ってくるギンとヤシチの存在が心の支えになっている。
そう、まだまだ大丈夫。一歩ずつでもちゃんと進んでいっている。
色々な不安に心が揺れることがあっても、カウントダウンの数字に胸が押し潰される思いをしても、ご飯が美味しいとか欲しいものが手に入ったとかそれだけで人はけっこう前を向いて生きていけるものなんです。
ひとまず初回はプロローグ+五話更新で、明日からは章が終わるまで一日一話ずつ更新していく予定。けっこう長くなりそうな予感がしておりますが、ゆったりと気長につきあっていただけると嬉しいです。
ところで、主人公の生活力でダイスを振ってみたら(100D1)『掃除:99』『料理(得意補正+10):104』『洗濯:63』『裁縫(得意補正+30):111』『技術:54』……なんですかこの完璧超人(震え声)。しかも得意補正ついてるところばかり高出目というね。とりあえず、スペックだけは高い残念女子という方向性が固まりました!(爆)