きらわれかたのアプローチ
木曜日。
さあ、今日こそは迅速かつ冷静に秋姫に対処し一刻も早く平和な高校生ライフに返り咲くんだと意気込みながら登校する孝介。
ここ最近の秋姫の奇怪すぎる行動にいい加減孝介も耐性がついてきた。しかし、その斜め上をいつも行こうと目論む秋姫のことである。瞬時の油断も出来はしないと、周りを必要以上に警戒し周囲にガンを飛ばしているように見られ人に避けられながらも、孝介はその心の構えを崩すことは無かった。
校門。
玄関。
廊下。
教室。
自分の席に座り、ほっと息をつくとともに、何かがおかしいと気づく。いつもなら、教室に向かうどこかのタイミングで、草むらに入る主人公を止めるどこかの博士のような勢いでいきなり秋姫が飛びだしてくるのだ。
そうだ、警戒を怠ってはいけない。教室こそ彼女の世界だ。いきなり天井から彼女が降ってきても何らおかしくはない。
そこまで疑心暗鬼にかられながら、孝介は朝のホームルームの時間を過ごす。しかし、彼の叶えて欲しくない願いはそのまま叶えられることはなく、無事朝のホールルームは終了し、一限目の予鈴が鳴り、語尾をやたら伸ばす英語の教師が二日酔いの顔で教室に入り教壇に教科書を広げながら英語でおはようのあいさつをした。
「…?」
事ここに至り、ようやく孝介は異変に気づく。平穏であるという異変にだ。考えながら、また孝介は頭が痛くなるのを感じた。
もうわけがわからん。
一限目が終わり、そのまま何事も無く二限目が始まる。合間の休憩時間も後ろから声をかけられるようなことは無かった。
いつもは睡眠時間にするはずの現国の授業を、孝介は一限目から感じている違和感について考える時間にした。
なるほど。
そして孝介は理解した。
これは、秋姫の新手の戦略だ。つまり、嫌われたくて俺から避けているのだ。
いやしかし、と孝介はまた考える。
無視されて嫌われるということは、嫌われる達成感が面と向かって嫌われるよりも少ない。
果たして秋姫がそういった戦略を取るだろうか。ゴキブリの真似のような奇行をしても、秋姫の学力は高い。賢い彼女が、自ら達成感の薄い方法を取るだろうか?
「…」
まあいいか。
そこで孝介は考えることを放棄した。考えてみると、彼にとっては良いことだらけなのだ。秋姫が自分から距離を取ることで嫌われようとしているのなら、孝介は秋姫の奇行に振り回されることもなく、平穏な学校生活を送ることが出来る。秋姫にとっても嫌われた達成感は薄いものの、嫌われることが出来る。
二人それぞれにとって良いことだらけだ。
さすが優等生。考えたな。
そう思い、それ以上孝介は考えるのを止め、眠気に身を任せた。
三限目、体育。
真夏のクソ暑い太陽の下、グラウンドで男子はマラソン。女子は短距離走。
すでにゴールしていた孝介に、息を切らせて今まさにゴールしたドミンゴが息を切らせながら話しかけてくる。
「はぁ…はぁ…、なあ、孝介」
「何だ?」
ふらふらと倒れるように孝介に近づきながらドミンゴは孝介の肩をぽんと叩く。
「そう気を落とすなよ。何も女は一人だけじゃないんだぜ?」
「は?」
この野郎ついに暑さで元からおかしい頭がさらにおかしくなったのかよしボコボコに殴って保健室に連れていってやろうと拳を振り上げる孝介に、後ずさりながらドミンゴが言葉を続ける。
「タンマタンマ! そうだよな、辛いよな、誰かに当たりたくもなるよな! いいんだぜ? オレはお前の友達だ。お前の暴力なら喜んで受けてやるのが友達ってもんーごぶぅぅ!!」
ドミンゴが言い切る前に、今一番弱っているであろう脚を足で思いきり踏みつける。
「良いからさっさと言いたいことを言えこのクソ虫」
追い打ちで足を蹴りながら孝介が聞く。ドミンゴが息も絶え絶えにその質問と言うか拷問に答えた。
「いだいっ!? 止めて、さすがに止めて!? …いやほら、お前、新城さんにフラれたんだろ? オレにはお前のその悲しい気持ちが、まるで自分のことのようによおぉーーくわかるッ! 同じ同志としてオレはお前を歓迎するぜッ! ようこそ、我が失恋同盟にッ! ごふゥ!?」
抗議の意味も込めて腹に蹴りを入れてやる。
今のドミンゴの証言をまとめると、月曜に秋姫が教室で言ったあの告白めいた発言に尾ひれ足ひれ胸びれその他もろもろがつき、俺と秋姫がいつの間にか付き合い始めたということになっていて、今朝から秋姫が静かにしているのを目の当たりにした周りの連中が、俺が秋姫からフラれたと勝手に思いこんでいるらしい。
孝介は真夏の太陽が照り返すグラウンドのど真ん中で頭を抱える。彼にはもうこれ以上の誤解というか不本意というものは無い。事実無根だが、世の中はもうそれを事実として今も現在進行形で忙しく回っている。
頭を抱えている孝介に、早くも復活したドミンゴが孝介の肩に手を置いて白い歯を見せながら笑った。
「まあ、そう気を落とすなよ孝介。なに、失恋なぞすぐ慣れる。オレを見習えよ。何度もフラれ、生まれてこの方、まだ彼女の一人さえ出来たことのないこのオレを。それに比べて、お前は数日でもあんな可愛い子と付き合えて幸せだったじゃねえか、クソ羨ましい」
その手を乱雑に払いながら、孝介はこの間違ったゴシップを正すために精一杯の抗議の言葉を叫んだ。
「誰があんな変な女好きになるか! 付き合ってもいないし、何より、俺はああいうめんどくせえ女は大嫌いなんだよッ!!」
「お、おい…」
孝介がドミンゴを睨みつけながら言うと、ドミンゴが何やら青い顔をして孝介の背後に視線を漂わせている。
「あ? なんだってんだ―」
いぶかしんだ孝介が背後を振り返ると―
「十日町、君…?」
そこに、話題の少女が立っていた。どうやら女子の方は短距離走を終えたところらしい。汗で顔に張り付いた髪を取ろうとしていたところだったのだろう。長い髪に指を這わせたまま、幽霊でも見てしまったような驚いた表情で秋姫が孝介の顔を見ていた。
「!? …ちっ」
孝介は秋姫から顔を逸らした。今更、他にどんな言葉を続けたところで無様になるだけだ。それに、秋姫は嫌われたいのだ。これは秋姫が望んでいる言葉なのだ。そう孝介は心の中で自分に言い聞かせる。
一瞬驚いていた秋姫だったが、すぐ笑顔になり孝介に向けて一度お辞儀をすると、また女子の輪の中に戻っていった。
「おい、見たか孝介。新城さん、笑ってたぞ。良かったな、これで後腐れなく別れられたぞ」
「…」
もはや孝介に、ドミンゴを殴る気力は無かった。
孝介は気づいていた。
そして、あの場でそれに気づいていたのは孝介だけだった。
秋姫は、確かに『自分を嫌ってくれ』と言った。
なのに。
なのにどうして。
「あんなに悲しそうに笑うんだよ…」