真夏の冷気
水曜日。
昨日より多少軽くなった足取りで校門を孝介が潜り、高校生活の一日の始まりを気も新たに登校しているところだった。
「おはようございますっ!」
「はいオハヨウゴザイマス」
聞き慣れてしまった声が孝介の右腕に漬物石よりだいぶ軽い重量を乗せる。
何かもう慣れた。うん、嫌な慣れだと思いながら、引っ付いてきた秋姫を見る。しかし、今朝の秋姫は昨日と一味違っていた。
「なッ!? あんた、なんなんだそれ!?」
「ふふん、十日町君はこういうのが嫌いだと言うので」
そう言って孝介から離れた秋姫はその場で一回転する、彼女に身に着けられた極限まで短くされたスカートは回転の風圧によって思い切りめくりあがり、ややもするとお腹まで見えるくらいにその異質な存在を主張した。すでに全開で見えている彼女の下半身にはスパッツが健康的な彼女の太ももの素肌を半分隠しながら存在をアピールしている。
「さっさと丈直せ! 人に見られてるじゃねえか!」
「スパッツだから平気です!」
「うるせえこの努力の方向音痴が!」
孝介は秋姫の優等生と言う肩書が痴女に変わる前に、非常事態だ構いやしないと秋姫のスカートを丈に合うように無理やり下げようとする。
「や、止めて下さい、通報しますよ!」
「してえのはこっちだ馬鹿、さっさと元の丈に戻せ馬鹿!」
「ば、馬鹿じゃないですーっ!!」
数分の格闘の後、ようやく秋姫のスカート丈を元に戻した孝介だったが、下手なことを言うとまたこんなことになると恐怖し、同時に頭を抱えながら自分の教室の席に着くのだった。
昼休み。
昨日約束のようなものをしたがまあいないだろうと一応確認のために孝介が屋上に行くと、すでに食事の準備を終えた秋姫がレジャーシートに座って待っていた。
「へい、らっしゃいですっ!」
「どこの八百屋だよ」
「ここで装備していきますか?」
「いきません。…今日も弁当作ってくれたのか?」
「はいっ! どうぞ」
孝介は秋姫に差し出された弁当を受け取り、同時に秋姫の手を取る。
「!? と、十日町君!?」
「…怪我は、増えてないな」
「え!? あ、はい」
「なら良し。じゃ、いただきます」
秋姫から手を離し弁当を食べ始める孝介。しばしその様子を見ながら、秋姫も弁当を食べ始める。
しばし二人は無言で弁当を食べる。これが美味いとかは言いたいが、言いだすと秋姫が喜んでしまい、かと言って逆にこれが不味いなどというおかずも見当たらない孝介にとって、秋姫の弁当に対して評価を下す以前に何を言っても墓穴を掘るだろうと考え、何も言わずにただ秋姫の弁当を平らげた。
「ごちそうさま。美味かった」
「お粗末様です」
笑顔を浮かべている秋姫にすごく今更過ぎる疑問を孝介は聞いてみた。
「…なあ」
「? どうかしました?」
「嫌われたいんなら、俺の嫌いな味付けしたり、嫌いな物入れるべきなんじゃないか?」
「!?」
「…いや、『その手があったか!』みたいな顔してんじゃねえよ」
「その手がありましたかっ!」
「うるせえ。…ああ、あと、これやる」
そう言うと、孝介は巾着袋の中からラップに包まれた物を秋姫に差し出した。
「これ、パイ、ですか?」
受け取りながら秋姫は包まれているラップを開けて中身をまじまじと見てみる。
「パンプキンパイだ」
「妹さんの手作りですね。美味しそうです」
「いや、俺が作ったんだが。…そんで、何で俺に妹がいるって知ってるんだ?」
「ええーっ!? 十日町君料理出来ないって言ってたじゃないですか!?」
「いや言ってねえよ」
「だ、だって、『俺が作るよりか何十倍も美味い』って!」
「出し巻卵の話な。形を整えるのは苦手だ」
「まさか、お母さんが早くに亡くなられて忙しいお父さんの代わりに中学生にあがったばかりの妹さんのために、小さい頃から毎日朝食や夕食を作っているうちに家事スキルがそれはもう兼業主婦なんて目じゃないレベルまで上がってしまって、実はもうそれ以上上がらないレベルだったりするんですか!?」
「…ちょっと待て。なんで俺の家の家庭事情があんたに駄々漏れなんだ?」
「きらいになってもらう人の家族構成を知っておくことなんて、基本のきの字の三画目ですっ!」
「真昼間から堂々とストーカー発言してんじゃねえよ!?」
「ふふふ、今十日町君、結構引きましたよね?」
「うるせえ」
「あいでっ!?」
ドヤ顔の秋姫のおでこに一発デコピンをお見舞いし、孝介は立ち上がる。
「あっ」
「ゆっくり食ってろ。食い終わったから、俺はもう教室で寝る」
「パイ、ありがとうございます」
「毒が入ってるぞ?」
「それでも食べます!」
「…口に合わなかったら遠慮なく捨てろ。じゃあな」
孝介が屋上から去り、秋姫が弁当を食べ終わった後、パイを一口食べてみる。
「ん…。ふふ、美味しい」
放課後。昨日と同じように、帰る孝介を校門で待つ秋姫に背中から声がかけられる。
「君、一年生だよね? 一人?」
秋姫が振り返ると上級生だろう、知らない男子高校生が二人、秋姫を値踏みするように立っていた。
「いえ、わたしは―」
待ち合わせしている。
そう答えようとして秋姫は口を閉じた。別に待ち合わせしているわけではない。そんな約束なんてさらさらない。自分がただここで待っているだけだ。それでも待ち合わせだと言ってしまえばいいが、秋姫は嘘をつきたくは無かった。
「君可愛いね。俺達暇だからさ、一人なら俺達を遊ばない? きっと楽しいと思うからさ」
そう言うと二人のうち茶髪をしたいかにもヘリウムガスより軽そうな男が秋姫の肩に手を回す。突然のボディタッチに秋姫は戸惑いすぐに反応出来ないでいた。それを肯定と受け取ったもう一人の背の高い黒髪の男が彼女の手を取ろうと手を伸ばす。
「はいえんがちょ」
その手が手刀で叩き落とされる。男が睨むとその剣幕を何倍も凌ぐような目つきで男を睨むガラの悪い高校生が立っていた。
「な、なんだお前は!」
「そこの可愛いが頭イっちゃってる女のクラスメイトだ。あんたら、良いのか? そいつと関わるとクスリで廃人になるぜ? そいつからもらったクスリで、気が狂ってゴキブリの真似して捕まったヤツを俺は何人も知ってる」
嘘だった。嘘ではあるが、なまじ関わりたくない雰囲気を持つ孝介の言うことである。妙な真実味がそこにはあった。
孝介が秋姫の顔を指差しながら言うと「マジかよ」「やばいな」と秋姫に畏怖の視線を向けながら男達がひいたように去っていく。
「大丈夫か? あと、クスリ止めたいならちゃんと専門医のカウンセリング受けよう。な?」
何やら呆然としている秋姫の肩を叩きながら孝介が微笑んだ。
「クスリなんてやってませんからぁ! う、うう~っ!!」
「ちょ!? おい、やめろ!」
秋姫が安堵したのか孝介に抱き着いてくる。胸の中で泣き始めた秋姫に困惑した孝介だが、舌打ちしながらとりあえず秋姫のしたいようにさせてやろうと思った。 校門の前で抱き合っている二人を見ながら「ヤバい薬!?」「別れ話よ」「男のDV」と囁く周りの声を孝介は睨みながら黙らせ、知り合いが自分を発見しないようにただただ祈った。
数分後、泣き止んだ秋姫から静かに離れ帰ろうとする孝介に、秋姫がはっとした顔で孝介に言葉をぶつける。
「あ、ありがとうございましたっ! …その、泣いてしまって、ごめんなさい」
背中越しに孝介は秋姫に答えた。
「ああいうのはちゃんと断れよな。あんた、外見だけは可愛いんだからよ。それに、手ひどく断ってやれば、嫌われるかもしれないぜ」
「い、嫌ですっ!」
「…は?」
秋姫の言葉に孝介は思わず振り向く。
「そういう嫌われ方は、嫌なんです」
そう言って俯き、また涙を流し始める秋姫。舌打ちしながら頭をかきむしった孝介は秋姫の手を取り中庭まで歩いてベンチに座らせると、どこかに去っていった。
「う、…ぐす」
流れた涙を拭いながら、秋姫は考える。
我ながら面倒くさい女だ。こんなんだから、十日町君もどこかに行ってしまったのだ。
きっと、嫌いになったに決まっている。さっきも、めんどくさそうな眼でわたしを見ていた。
ん?
嫌い?
わたしは、確かに十日町君に―
「ほれ」
「あひゃいっ!?」
突然頬に伝わってきた冷たさに秋姫が飛び上がる勢いで驚いた。見ると、孝介が自販機から今さっき搬出されたばかりの冷えたアルミ缶を秋姫の頬に当てていた。思わず奇声を上げてしまった秋姫を見ながら、いたづらっぽそうな笑顔を見せる。
あ。
「くくっ、驚きすぎだろ。あひゃいってなんだよ」
この時秋姫は。
「あ、ありがとうございます…」
自分の中に芽吹き始めた感情に、確かに気づいた―