赤と白
「というわけで、俺は、本気であんたを嫌いになろうと決意した」
昼休みの屋上。焼けたコンクリートの照り返しから逃げるように、日陰に秋姫が持ってきたレジャーシートを敷き、その上で秋姫の作ってきた二人分の弁当を間に置きながら、孝介が高らかに秋姫に宣言する。
「やっと本気になってくれたんですねっ!」
告げられた秋姫は、眼を輝かせて喜ぶ。それを見て孝介は、ここ数日で気づいたことがあった。
「あんた、教室にいる時となんか印象違うよな」
「そうですか? 十日町君は、どっちのわたしがきらいですか?」
「断然こっち」
「やりましたぁ! なら、このままでいますっ!」
ホント残念なヤツだよあんたは。そう言うとまた秋姫が喜びかねないので孝介は口をつぐんで彼我の間に陣取る二つの弁当箱を見た。青と赤の弁当箱。見る限り、同じサイズで同じ材質だ。
「なあ、この弁当箱って…」
「はい、父のです!」
「お父さん今驚きと共に泣いてる頃だよ」
すごく食べづらいが、眼を輝かせて期待している秋姫の顔を曇らせるのもどうかと思い、心の中で彼女の父に謝罪の念を抱きながら手を合わせる。
「…いただきます」
「はい、どうぞ」
秋姫から箸を受け取り、弁当の前で静止する。
「? どうしました?」
そんな孝介の様子に気づき、秋姫が首を傾げて聞いた。
「あのさ」
「はい?」
「今更思ったことなんだが、何であんたは俺に弁当作って、そして何で俺はそれを食べようとしてるんだ?」
「わたしの我儘に付き合ってもらっているお礼です。十日町君が貰いうる、当然の権利だと思います!」
「そうか?」
「はい、そうです!」
秋姫の返しに何か釈然としないものを感じながらも、おかずの中で一番初めに目についた出し巻卵を箸に取る。
「これ、あんたの手作りなのか?」
「はい! さすがに、土から作るとかはしてないですけど」
どこのアイドルグループだよ。いちいち突っ込んでると昼休みの内に完食できない可能性が、たまに天気予報士が予報する50%の降水予想ぐらいに不確定なのでさっさと食べることにした。
箸でつまんだ出し巻き卵を口の中に入れる。
「ふむ…」
幾重にも重ねられた卵のしっかりとした歯ごたえと、ダシと醤油の味付けがまず舌に押し寄せ、次に砂糖の甘さが心地いい後味を口の中に響かせる。
平たく言うとめちゃくちゃ美味い。
「ど、どうですか?」
息を飲むような緊張した面持ちでこちらを見て聞いてくる秋姫。
少しでも不味いところがあれば、嫌うということにかこつけて手ひどく言ってやろうと考えていた孝介だったが、完璧に近い出し撒き卵の出来にぐうの音も出ず、ただ口の中で咀嚼を繰り返す。
その沈黙を否定ととらえたのか、秋姫の顔が100%の降水予想のようにみるみると曇った。
「美味しく、ないですか?」
そういう顔をされると困る。実に困る。孝介は別に無遠慮な悪意を他人に振るえるほど汚れた心を持ち合わせてはいないのだ。
「美味い。少なくとも、俺が作るよりか何十倍も美味い」
「そ、そうですか!? 良かったぁ!」
まるで雨に濡れたつぼみが太陽の光で花開くように、秋姫の顔に笑顔の花が咲く。よくそんなくるくると表情を変えられるもんだと孝介は素直に感心しながら、喜ぶ秋姫の様子を見て、孝介はちょっと日頃のうっぷんの腹いせの意味を込めて少しいたずらしてやることに決めた。
「本当に美味いな。やっぱ優等生ってすげえな。なんつーか、もう完璧すぎる出来だよ。店でも開けるんじゃねえか?」
「そんな、褒め過ぎです」
「いやいやそんなことはないぜ。これならいつでも嫁にいけるよな。いいなあ、新城の旦那になるヤツは。こんな可愛い奥さんからこんな美味いものを毎日作ってもらえるんだからなあ。ほんと、羨ましいよ」
「あ、あう…」
真っ赤になった秋姫を見て、我が事成れりと心の奥で握り拳を握る孝介。普段秋姫から振り回されている彼からすれば、立場が変わりこちらが攻めているというこの状況はひどく楽しいものだった。
もちろん、オチをつけることも忘れない。
「ま、ゴキブリの真似しちゃうような女だけどな」
「まんまと上げて落とされたっ!?」
真っ赤なまま衝撃を受けている秋姫に和みながら、弁当を食べる。その他の料理の出来も特に文句の付けどころもない。味が若干薄いが、家それぞれの味があるのだろうし、たまにはこんな味付けも良いと思えた。
「でも、昨日の今日で弁当だなんて、大変だっただろ? 新城は、毎日自分で弁当作ってきてるのか?」
「え? いや、うんと…はい」
切れの悪い返事に、両手を合わせて自信なさげに答える秋姫。
その手。右の甲に赤いやけどのような痕があるのを孝介は見逃さなかった。
「なあ、新城」
「? 何ですか?」
「…いや、やっぱ弁当うめえよ。ありがとな」
わざわざ言うのも無粋だよなと、孝介は秋姫に微笑みかける。
「!? い、いえ、こちらこそ、ありがとうございます…。量は多くないですか?」
「いや、ちょうどいい。美味いからいくらでも食える」
エビフライを尻尾から食べながら、孝介は何故か照れている様子の秋姫に答えた。
「あ、あの、明日もお弁当作ってきても良いですか?」
「いやいらな…新城がしたいなら、どうぞ」
言葉の途中で明らかに悲しみの表情を浮かべた秋姫に、急にボールが来たサッカー選手のように孝介は的確な言葉をトラップする。
「はい! 頑張って作ってきますねっ!」
「ま、怪我もほどほどにな」
「!?」
結局言ってるんじゃねえかと自分自身にツッコミを入れつつ、赤くなった秋姫を見ないようにして残りのおかずをかきこむ孝介だった。
放課後。
一日の授業が終わり、部活に所属していない孝介にとって、ようやく決められた日々の反復から逃れられる時間が来た。めんどくさがり屋の孝介にとって、時間とカロリーを消費してまで行う部活動というヤツにどうしても意味を見いだせないのだ。そうは言うが、下校時にコンビニやゲーセンに行く孝介も大概ではある。
「十日町くーん!」
校門をくぐった孝介の耳に、最近よく聞く少女の声が軽やかなリズムを刻む足音と共に聞こえた。
孝介の前方。長い髪を走るたびに揺らしながら笑顔の秋姫が走ってくる。ボルトもかくやという見事なランニングフォームと可憐な顔の落差に、孝介は一瞬吹きだしそうになるのを何とかこらえた。
秋姫の駆けてくる姿を見て予定調和的に逃げようと思った孝介だったが、秋姫の方が一枚か二枚上手だった。彼女は孝介の下校方向からわざわざ学校に向けて駆けてきているのである。これでは孝介には逃げようがない。遠回りして帰るなどという、彼が嫌いな部活動に一歩足を突っ込みかけている行為を、孝介が選ぶわけがない。
「あっ!?」
孝介の目の前まで駆けてきた秋姫が何かにつまずいて体勢を崩す。素早く孝介が抱き留めると、秋姫は照れたような顔を浮かべゆっくりと孝介から離れた。
「ありがとうございます」
お辞儀をした秋姫に孝介は軽く手を上げて答え、彼女の脇を歩いていく。
「あの、一緒に帰っても良いですか?」
歩く孝介の横を、秋姫が同じ歩調で歩きながら聞いてくる。もう帰ってるだろと言うのを孝介は諦めた。何だかここ最近、さらに自分の惰性が増している気がするのを孝介は自覚せざるを得なかった。
「迷惑ですか?」
「別に。新城はこっちだったか?」
「おおむね」
「何だよおおむねって。近道して帰れよ」
「本気できらいになってくれると言ってくれました」
そういえば昼に言ったな。秋姫の弁当が思いのほか美味くて他に言うことなんてなんも思い浮かばなかったけど。ということは、嫌われたくて一緒に帰ってるわけか。そう思い、さっさとこのふざけた遊びを終わらせるために秋姫の嫌いなところを孝介は真剣に考えてみる。
「そうだな…」
考える孝介に眼を輝かせる秋姫。そんな二人を下校中の他の生徒たちは何事かと思って見ていた。
「パンツ見せてくる女は嫌いだな」
「へ?」
「いやだからパンツ。スカート短いんじゃないか? さっき見事なフォームで全力疾走してきた時、ちらちら白いのが見えたんだが」
「!? あ、あ、あ…」
秋姫が真っ赤になってぱくぱくと口を開いては閉じしている。
「今度はスパッツでも下に―」
「十日町君のばかぁー!!」
秋姫が叫びながら見事なフォームで駆け去っていく。
「いや、だから見えてるんだが」
いや、見せているのだろうか。ゴキブリの真似を見られた時も喜んでたしな。
秋姫には露出癖がある。孝介は勝手にそう判断した。よしこれなら自分も嫌いになれそうだと、心の中で確かな自信を掴んだ孝介だった。
だったのだが。