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新城秋姫はきらわれたいっ!!  作者: 達花雅人
俺のクラスの優等生がちょっとおかしい件について
16/25

友達のキス

 月曜日、放課後。


 日中の蒸し暑さ残るアスファルトの熱を、夕方の風が攫っていく。

 そんな校舎の屋上に、秋姫は一人佇み、ある人物を待っていた。


 水曜日に孝介を家から見送った後、秋姫は木曜に学校に復帰した。そして、嫌われるでもなく好かれるでもなく、彼女なりの友達という距離感で孝介と木・金・土と接した。そして、日曜日に一日中考えた彼女は、はっきりと自覚してしまった自己の恋心のため、とある人物を呼び出していた。


 ゆっくりと、屋上の扉が開く。その軋んだ音に、髪を風になびかせながら秋姫が振り返る。


「新城さん、こ、こここ、こんにちは~!!」


 同じ電車に乗っていたら絶対に痴漢に間違われて即通報されそうな満面の笑みを浮かべたドミンゴが姿を現す。


「す、すいません、呼び出してしまって」


 その顔に若干引いてしまった秋姫だったが、呼び出した手前、そんな雰囲気を微塵も感じさせないようにしながらドミンゴにあいさつした。


「いやいや、全然、もう全ッ然ウェルカム!! ノーラブ・ノーライフ!! ノーブラ・ノーライフ!!」


 もはや緊張しすぎてよくわからないセクハラ発言をかましているドミンゴの言葉に構わず、秋姫は何故この誰も呼んでいないような男を呼び出したのか、その用件を言おうと口を開く。


「あのっ―!」

「タンマッ!!」


 その宣言をドミンゴが遮り、無駄に作った凛々しい顔で応じる。


「新城さんの言いたいことは、もう、全部わかってるから」

「え!? いつから、ですか…?」

「ふっ…、出会った、その時からさ」

「!?」


 顎に手を当てなにやら決めポーズのようなものを取るドミンゴ。ここに孝介がいたら彼の尻は軽く二倍以上には膨れ上がっていることだろう。

 だが今ここに孝介という天敵はいない。もはや止める者のいなくなった彼の動きというか妄想はさらに加速する。


「でも、はっきりその可愛らしい口から、その言葉を聞きたい。オレの、我儘かな?」


 そうしてドミンゴはもうノリノリで秋姫に続きを促す。

 そんなドミンゴに戸惑いながらも、秋姫は話し出した。


「あの、その…」

「焦らなくもいいよ。オレ、新城さんが言うまで、ちゃんと待ってるから」

「ありがとうございます。その…」

「うん、カモンっ! カモンッ! バラ色の人生カモンッ!!」


 緊張した秋姫が一度大きく息を吸い、叫ぶように告げた。


「好きなんですっ!!」

「いやったあああああーッ!! キター!! オレの春が、キィタアアアッー!!」

「『十日町君のことが』好きなんですっ!!」

「もちろんオレもオレもっ!! って、………へっ?」


 呆然とするドミンゴに、聞こえなかったのかと秋姫がダメ押しの言葉をドミンゴに突き刺す。


「わたし、十日町君のことが、好きなんです!!」


 一瞬、火サスのクライマックスで崖から飛び降りた犯人の最後に浮かべた安らかな顔のような表情になったドミンゴだが、そこはゴキブリ以上のメンタルの持ち主である彼のことである。自分の役割に瞬時に気づき、まあ美少女に自分一人が呼び出され告白チックなことをされ、その間のときめきに一瞬でも浸れたからもう満足と心を切り替え、秋姫に向き直り、現状確認のためにこんな言葉を口から出してみた。


「もう付き合ってると思ってた」

「!? ま、まだ付き合ってないです!!」

「…『まだ』、なんだ?」

「え? ~~~ッ//////!?」


 真っ赤になって俯く秋姫に苦笑いしながら、どうしたものかとドミンゴは考える。


「それで、新城さんはもう孝介に言ったの? 好きとか、それに近いようなこと」

「ええと…」


 秋姫は、水曜までのことをドミンゴに話す。

 何故、秋姫が今日ドミンゴを呼び出してまで相談するのかといえば、彼が孝介に一番近いというかいつも接触事故を起こしてその賠償にパシらされている存在であり、誠に遺憾ながら彼以外に孝介のことで相談できる人物はいないと考えたからであった。


「…と、いうわけなんです」

「あー、なるほど…」


 これまでの諸々の事情を理解したドミンゴが困ったような溜め息をつく。


「すいません、こんなこと…」

「いや、新城さんは全然悪くないと思うよ。話を聞いてると、なんつーか、孝介らしいっつーか」


 多少、げんなりした表情でドミンゴが愚痴をこぼす。


「それで、今現在、新城さんは孝介の友達ってポジションなのね」

「はい」

「で、新城さんはそれじゃあ嫌だと」

「はい…。好き、なんです。彼女に、なりたいです」


 もじもじしている秋姫に、父親の気分になった孝介の気持ちを一瞬だけ理解しかけたドミンゴは、しかし頭の痛い課題だなあとも思う。


「でも話を聞いてる限りじゃ、新城さんにベタベタされても孝介は大して嫌がってなかったみたいだし、新城さんが泣いた時も友達になろうとか言ってきたんでしょ? それなら、あの『女? なんだそのめんどくさい生き物は?』とか思ってる孝介でも、全然脈はあるような気はするけどなあ」

「ほ、ほんとですかっ!?」

「あ、でも、新城さんには『友達になろう』なんて言ったんだよね? ということは、新城さんにも孝介自身にも、ヘタレた予防線張ったとも言えるか」


 その言葉に驚きながらも感心する秋姫。そして、自然にその疑問が口から飛び出す。


「ドミンゴ君、どうしてモテないんですか?」

「その変な仇名のせいだよッ!! …新城さんは、孝介のどんなとこが好きなの?」


 秋姫は恥ずかしそうに指を胸の前でくっつけながらドミンゴの問いに答える。


「え? ええと、ぶっきらぼうだけど本当はとても優しいところとか、料理がうまいところとか、普段は怖い顔だけどたまに見せる子供みたいな笑った顔とか、たまに少し強引なところとか、家族思いのところとか、家族になったら大事にしてくれそうなところとか…」


「そうだよね! オレがしつこく絡んでもなんだかんだいじってくれるとことか、いつも尻を蹴ってくれるとことか、たまにジュースおごってくれるとことか、友達を大事にしてるとことか良いよね!」


 何故か乗っかってきたドミンゴの言葉に、秋姫は警戒心をむき出しにしたまま、数歩後ずさる。


「ホ、ホモさんは嫌いですっ!?」

「ち、違う!? 断じて違うからッ!?」


 必死に否定するドミンゴに、秋姫が何かを察し、わなわなと敵対心をむき出しにしながら立ち向かう。


「と、十日町君は渡しませんからっ!!」

「いやいらないからッ!? そして本当にホモじゃないから!!」


 夕暮れの屋上ではあはあと肩で息をつく二人。

 その呼吸が落ち着いた頃、ドミンゴが言った。


「よし、それじゃ、こうしよう…」






 火曜日、放課後。


 鞄に荷物を詰め、早く家事をしに家に帰らなくてはと席を立つ孝介。

 その耳に、前の席のご学友かどうかは彼自身ちょっと疑いのある友人の声が、カラオケボックスで熱唱していると注文されたドリンク類を届けるために素人の下手な歌なんて聞いていられるかよといった感想しか浮かべていないような真顔の店員のごとく入ってきた。


「あー、やべーわ。もうすぐ期末テストだわー。やべー、オレ、勉強の勉の字もよくわからないわー」


 明らかに棒じみた声に孝介は一瞥もくれずに帰ろうとしたが、素早い動きでその進行方向に回り込んだドミンゴが棒の声を続ける。


「どこかに誰かにィー、勉強教えてくれる人いないかなー。チラッ、チラッ」


 横目の流し目で孝介をたまに見て眼を逸らすドミンゴ。無性に殴りたい気分を孝介は我慢し、我関せずと横を通り抜けようとする。


「孝介ぇ~」

「お前に教えることは何もねえ」


 第一教えられるほど頭もよくないしな。


 孝介は授業はサボらず課題もきちんとこなす。

 だがそれは赤点追試というめんどくさいイベントを回避するためだけの努力であり、それさえ回避できれば正直成績などさして気にする方ではない。

 よって孝介の成績は平均より少し良い程度でしかなかった。


 それゆえ、万年赤点常習生のドミンゴの腐った頭に自分の教え方が通用するのかはなはだ疑問を感じ、そしてそんな無駄なことに彼の貴重な放課後と言う時間を割くのは、よくある戦隊モノの敵に近代兵器で立ち向かうほど無駄なことだと孝介は思っていた。


「なら、新城さんに教えてもらおっかなあ」

「…は?」

「だって新城さん、いつも学年上位らしいぜ。新城さんに教えてもらったら、オレの学力もレベルアップ! ついでに恋までレベルアップ? ごがっ!?」


 調子に乗っているドミンゴの尻を孝介は真っ赤に染まるように蹴りつける。


「アホか」

「別に、良いですよ」

「!?」


 後ろからの聞きなれた声に孝介が振り向くと、秋姫が笑顔で立っていた。


「いや、新城、良いのか? コイツだぞ」


 孝介は目の前で尻を両手抑えている級友を指さす。


「え、ええと、大丈夫、です」

「…」


 孝介が何やら渋柿でも食べたような顔をしていると、復活したノリノリのドミンゴが言う。


「わ、わーい。なら、お願いしよっかなー。あ、新城さんの家でいいかな?」

「あ? お前調子に乗ってるんじゃ…」

「はい、良いですよ」

「ほ、ほんとに!? やったー!!」

「…」


 一度舌打ちをした孝介がそのまま二人を無視して帰ろうとする。

 その様子に慌ててドミンゴが声をかけた。


「こ、孝介も来いよ!」

「俺は間に合ってる」

「い、一緒に勉強した方が、もっと理解できると思います!!」


 秋姫が孝介の袖を掴むと、こめかみを抑えたまま孝介が返事する。


「…じゃ、その猿が暴走しないように監視しに行く」

「やった!!」

「やりましたぁ!!」


 ドミンゴと秋姫が笑顔でハイタッチを交す。


「…何が『やった』なんだ?」

「な、ななな、なんでもないですっ!!」

「そ、そうそう、早く行こうぜ! いやー新城さんの家、楽しみだなあー、あははは」

「…?」


 訝しい目を向けながらも、孝介はわけがわからないまま、二人の後をついていくのだった。






 秋姫の部屋に通されたドミンゴが、感動しながら開口一番、叫びをあげる。


「こ、これが新城さんの部屋…。くんくん…。空気、うめえーッ!!」

「止めろ」

「おぐぅ!!」


 尻を蹴られ床に倒れ伏したドミンゴを見ながら、孝介は秋姫の部屋を見回す。


「今日は前より綺麗だな」

「!? ちゃ、ちゃんと、片付けましたから!」

「え? 新城さんって部屋汚いの?」

「んなわけねーだろ馬鹿死ね」


 倒れ伏したまま聞いてきたドミンゴの尻に足で体重をかけつつ踏みつける孝介。 とりあえず落ち着いたドミンゴと秋姫と共にテーブルにノートや参考書を広げ勉強し始める。

 わからないところを秋姫に聞くものの、教える秋姫の顔しか見ていないドミンゴに、次のテストも絶対赤点なんだろうなと確信しつつ、孝介も問題集を適当に解く。


「そういえばさー」


 勉強に飽き始めたドミンゴが二人に問いかけるように言った。


「孝介って好きな子とかっていねえの?」

「いるか、んなもん」


 不機嫌になりながら言い放つ孝介を見て、秋姫が少しだけ悲しそうな顔をして俯くが、孝介は気づかずにノートにシャーペンを走らせる。


「じゃ、気になる子は?」

「…」


『誰でもいいわけじゃないんです! わたしはっ! 十日町君だからっ! あなたにだから、きらわれたかった!!』


 ドミンゴの言葉に、孝介は何故か先週の水曜に大泣きして叫んだ秋姫を思い出したが、あんなの気にしない方がおかしいと自分を丸め込みドミンゴの問いに答える。


「…そんなもんもいねえ」

「ふ~ん、ほうほう…」


 そんな様子の孝介にドミンゴは何故かニヤニヤと笑いながら頷く。

 イラッとなって逆に同じことを聞いてやろうと思った孝介だったが、そういえばこいつはついていなければ誰でも良い人間で絶対に百人と数匹以上の名前を出してくると思い、聞くのをぐっとこらえ殴ろうとする自らの心をじっと抑え込んだ。

 

「新城さんは? 気になる男とかいたりする?」

「え、ええと…はい」


 秋姫が素直に答えるのを孝介は少し驚きつつも、これまでの色々で全然男をそんな対象に見てはいないだろうと思っていた秋姫にそんな相手がいるのかと、年頃の娘に突然彼氏を紹介された父親のようなショックを受けながら、続く秋姫の言葉を聞く。


「どんなヤツ? 格好良い?」


 ドミンゴが秋姫にそんな質問をぶつける。


「はい、とても。その人は、ちょっと怖いんですけど、でも、本当は優しくて。迷惑を沢山かけてしまったんですけど、いつも困っているわたしを助けてくれて。なんというか、ヒーローみたいな、そんなきらきらしている人で…」

「新城、こう言っちゃ悪いが、その男、かなり気持ち悪くないか」


 孝介の言葉にドミンゴのツッコミが喉まで出かけた。


(お前のことだよ!? なんで気づかねえんだよ!?)


 孝介が生来の世話焼き故からか、秋姫に言葉を続ける。


「そいつに告白しなくて良いのか?」

「今は、まだいいです。今、告白しても、何か、簡単にフラれてしまいそうで」

「そうか。あんたって、意外としたたかなんだな」


(お前が感心してどうするッ!?)


「新城が不安なら、告白する時は俺も立ち合おうか? また、この前みたいにその場で襲われるかもしれないしな。ちゃんと、見張っててやる」


(だからお前だよ!! お前何人いるんだよ!?)


「あ、あはは…。ありがとうございます」


 秋姫は孝介の言葉に少しだけ引きつった笑みを浮かべた。


(くっ、仕方ない。こうなったら…!!)


 ドミンゴは秋姫に目配せする。その合図に秋姫が気づき、こくんと首を縦に振ると、ドミンゴがわざとらしい大声で言い放つ。


「あーッ! そういや今日、オレのカオリちゃんフィギュアの発売日だった! こうしちゃいられない、早くいかないと数量限定カオリちゃんフィギュアが売り切れちまう!! すまんが二人とも! オレはこの辺でお暇するぜ! 新城さん、勉強教えてくれてありがとう!!」


 ねっとりしたさわやかな笑みを浮かべたドミンゴが立ち上がる。


「なら俺も帰るか」

「え? いやいやいやいや、孝介はもう少し新城さんに勉強教えてもらっとけって!! こんな機会めったに無いんだからさ!!」

「俺もまだ家事とか残ってるしな。それに、あんまり長くいると新城にも迷惑だろう」

「いやいや、んなことないって! な、新城さん!!」

「は、はいっ! 遅くなったら、泊まっていってもらっても!!」

「絶対嫌」

「がーん!?」

「と、ともかく、お前はもうちょっとここにいろ、な?」


 孝介は疑問たっぷりな視線で二人を見る。


「二人とも、何か企んでないか?」

「!? あ、あはは、な、ナンノコトカナー」

「もう全然!! 何も企んでなんかないですよ!!」


 そんな様子の二人にため息をつきつつ、孝介はその場に座り直す。


「ならもう少し勉強してく、それでいいんだろ」


 そんな様子の孝介を見たドミンゴが秋姫に小声で話しかける。


「じゃ、新城さん、あとは頑張れ」

「はいっ!!」


 満面の笑顔を浮かべる秋姫に、眩しいものを見るように苦笑しながら、ドミンゴは秋姫の部屋を後にした。






「…」


 孝介は、どうしてこんな状況になってしまったのかを、うまく働いてくれない頭に血を必死に集めながら考えた。


「…」


 初めはドミンゴが新城と勉強することになって。

 そんなことになると新城の貞操がマッハで危険なことは確定的に明らかだったので、それを見張るために俺は二人と一緒に勉強することになった。

 そこまではいい。

 そこからドミンゴが用事を思い出して帰り、そして。


「…」


 今、俺の肩と新城の肩が触れている。


「え、ええと、ここはですね…」

「…」


 最初、孝介は秋姫にわからない問いを聞いた。口頭で説明を受けたがいまいちよく理解できずにいると、対面でテーブルに座っていた秋姫が孝介の隣に座り、肩を寄せて参考書やノートで解説してきたのだ。


「…」

 

 別段、普通のことだ。よくある光景であるとも言える。


 しかし、孝介は何故か緊張していた。


 それと言うのも、ここは秋姫の部屋であり、この空間には秋姫の気配というものが色濃く存在している。女性特有の甘い香りがしており、そしてそれは隣にいる秋姫から一番強く感じられる。肩を密着した状態で、隣で透き通ったソプラノが先ほどから問題をわかりやすく解説してくれているが、孝介の耳と脳にはこれっぽっちもその情報が入ってくるということは無かった。


「…」


 おかしい。

 前もよくひっつかれたり手を繋いだりしていたのに。

 なんで俺はこうも。

 新城相手に落ち着いていられないんだ。


『誰でもいいわけじゃないんです! わたしはっ! 十日町君だからっ! あなたにだから、きらわれたかった!!』


 孝介は再び秋姫の言った言葉を思い出す。


 いや、アレは、ただ自分に眼を向けて欲しいってことだから。

 俺に気づいて欲しいっていうのも友達としてだろうし。


「…ということになります。この応用として…」

「…」


 くそっ。

 こういうのはめんどくせえだけなのに。

 なんで俺はこんなに緊張してるんだ。


 そう思いながら、孝介は隣で教えてくれている秋姫を見る。

 その眼は目の前の参考書の一点を何も見ていないかのように凝視していて。


「…ッ!?」


 そして何故か顔がゆだる寸前の蛸のように赤かった。


「…」


 これは、どういうことなんだ?

 何で新城が緊張してるんだよ。

 よくクラスで勉強教えてるのも見かけたし、こういうのは慣れてるはずだ。


「…」


 まさか。

 新城が気になる相手ってのは。

 告白したい相手っていうのは。

 

 いや。

 いやいやいや。

 自信過剰過ぎだろ。

 馬鹿が過ぎるにも程があるだろ。


 俺、あんな気持ち悪くねえし。


「…」


 よし。

 とりあえず今は集中だ。

 

 そう思い、秋姫の説明を聞いて、確か説明されていたところはノートに取っていたなと孝介がノートをめくるが、


「痛ッて!?」

 

 動揺してめくってしまったからだろう。指がかなり広範囲で紙で綺麗に切れ、血がうっすらと遅れて滲み始めていた。


「と、十日町君ッ!? 大丈夫ですか!」


 慌てる秋姫に孝介は冷静に返す。


「大丈夫だ、舐めときゃ治る」


 そう言って血のついた指を舐めようとする孝介。その指を秋姫が抑え留めた。


「ならわたしが舐めますっ!!」

「!? あんたは何を言ってるんだ!?」


 赤い顔をしたままの秋姫が言葉を続ける。


「十日町君が舐めたら傷口から十日町君菌が入っちゃいます!!」

「ならあんたが舐めたら新城菌が入るだろうが!? ええいっ、薬箱はどこだッ!!」


 秋姫が部屋にあった薬箱からガーゼと消毒液を出し、孝介の血の出た指を処置し、その後、絆創膏を取り出し、まだ少しだけ出血している孝介の指にゆっくりと巻く。


「悪い。迷惑かけた」

「いえ、こんなの、全然」


 絆創膏を撒き終わった秋姫の指が、孝介の怪我した指に触れていく。


「!? ほ、他にも、怪我してるとこなんて、あったか?」

「い、今、取り調べ中です!!」


 指相手にか。


 秋姫が無言で、孝介の指を触れていく。やけにゆっくりとしたその動きに、もどかしくも妙な気持ちになりそうになる自分を、孝介は禅問答で悩みそのおかげで性欲なんて全くなくなった禅寺の僧侶のような気持ちでこらえていた。


「お祭りの時も思いましたけど、大きいですよね」

「別に。普通だと思う」

「あ、ここ、少し火傷してます」

「料理の時のだな」

「痛く、ないですか?」

「全然。慣れてる」

「ふふ。少し、熱いような気がします」

「気のせいだ」

「また、手、繋いでも良いですか?」

「あんた、それ好きだな」

「はい。あの時から、こうして手を繋いでいると、とても落ち着くんです」

「…勝手にしてくれ」

「ふふ。ありがとうございます」


 秋姫が孝介の手を握る。少しぎゅっぎゅっと握ってきた秋姫に照れくさくなって、孝介は握り返すことも出来ずにただされるがままでいた。


 しばらく無言でいた二人だったが、やがて、秋姫がその濡れた唇を開いた。


「あの、十日町君…」

「何だよ」

「わたし、その、十日町君のことが―」


 そこで秋姫は後悔した。

 部屋の鍵をあらかじめ閉めていなかったことに、である。


「あらあら~、孝介さん、いらしてたのね。ごめんなさい、私、さっきまで買い出しに行っていて…って、あら?」

「…」

「…」


 お菓子と麦茶をお盆に載せた舞子の登場に、一瞬で孝介と手を繋いだままでいる秋姫の顔がさらにもう一段階赤くなった。


「ば」

「? 秋姫?」

「ば、ばばばば…」

「ば? 馬刺し? ごめんなさいね、今日の夕飯は馬刺しじゃなくてフグ刺しー」

「ママのばかぁーッ!!」


 叫び声を上げながら部屋を飛び出し階段を駆け下りる秋姫。

 途中階段を踏み外し驚きの声と共に豪快な着地の音が聞こえたのを孝介は気のせいだと思うことにした。


「あらあら~、もしかして私、今、とってもお邪魔だったかしら?」


 孝介は何も返せず、ただ赤い顔で仏頂面をするしかなかった。

 そんな様子の孝介に、前回とは違うものを敏感に感じ取った舞子は、いたづらっ子の笑みで孝介に詰め寄る。


「あらあら~。ふふ、その様子だと、私の娘にもとうとう春が来たのかしら?」

「おたくの娘さんなら、いつも頭の中に春が来てる気がする」


 そんな孝介の言葉を聞こえなかったように舞子が言葉を続けた。


「あの子、先週からずっと、いつも孝介さんのことばかり話すのよ。あんな様子の秋姫、初めて見たわ」

「男友達なんて珍しいからじゃないですかね」

「それで―」


 ホント人の話を聞かねえのなこの人。


「私の娘とはどこまでいったの?」

「話聞いてたか?」


 舞子が孝介に身を乗り出すように迫る。


「やっちゃった!? もうやっちゃったの!?」

「やってねえ!!」

「そう…」


 明らかに悲しそうと言うかつまらないという顔を浮かべた舞子だったが思い出したような顔をし、微笑みながら言う。


「そうね、やっぱり苗字を変える方が先よね!! もうっ、孝介さんたら、見かけによらず意外に紳士かつヘタレさん♪」

「うるせえ。そんなつもりは毛頭ない。おたくの娘さんとは良い友達だ」


 そんな孝介の言葉に、舞子はゆったりとした笑みを浮かべ、お辞儀をした。


「あの子、ずっと貴方に何か言いたかったみたい。友達とか彼女とか、そんな関係性なんて気にしないから、娘と仲良くしてあげて下さいね」


 急に真面目に母親をやり出した舞子に、孝介はなんと答えたらいいかわからなかったが、自分の中にある感情に忠実になって答えた。


「悲しませない。それぐらいしか、約束できない」


 たおやかに微笑んだ舞子は孝介にウインクする。


「私の苗字を貴方が変えてもいいのよ?」

「だからあんた人妻だろうが!?」






 自宅トイレに籠城し、ようやく自分を取り戻した秋姫は、リビングで何故か夕方に昼ドラを見ている母を頬を膨らませて睨みながら、二階の階段を自分の部屋に戻るためゆっくりと駆け上がる。


 さっき告白しようとしたら舞子が直前に乱入してきたため、孝介に告白できなかった。


 ため息をつきながら、さっきのことを聞かれたらどうしようと秋姫は思う。

 

「…ううん」


 むしろ聞いて欲しい。

 聞いてくれて、そのまま自然な流れでまた告白を。

 うん。

 とりあえず、真っ先に鍵はちゃんと閉めておかないと。


 よし、と秋姫は気持ちを入れ替え、自分の部屋のドアの前に立つ。そしてゆっくりと中を伺うように扉を開けた。

 すると―


「ZZZ…」


 孝介が自分の腕を枕代わりにしながらテーブルに突っ伏して眠っていた。


「…こ、これは!?」


 何故かなるべく物音を立てないように、無言かつ静かに部屋の鍵をカチャリと閉める秋姫。

 そして、孝介を起こさないようにそろりそろりと彼に近づく。

 その気配に、連日の家事でくたくたになっていた孝介の五感は、オールグリーンでその接近を許した。


「ね、眠って、ますよね?」


 顔を横にして突っ伏したように眠る孝介のすぐ傍に座る秋姫。


「ほ、ほんとに、眠ってますかー?」


 ちょんとちょんと孝介の脇腹を指でつつくが、孝介は少しだけみじろきをしただけで、全く起きる気配はない。


「ほ、本当に眠ってますね…」


 感心しながら寝ている孝介の頭を撫でる秋姫。そのさらさらとした髪の感触を確かめながら頭を撫でるが、孝介は何の反応も示さない。


「こ、これでも、起きないんだ…」


 そう思い、秋姫は指で孝介の頬をつんつんと突く。意外と弾力のある孝介の肌に、ついつい秋姫は指を連打する。


「ん、んん、新城…」

「!?」


 孝介が秋姫の名前を呼びながら身じろぎをする。


 もしかして、起こしちゃった!?


 そう思いつつ、秋姫は孝介の様子を見守る。

 身じろぎながら、少しかすれた声で孝介が寝言を言った。

 

「んん…、だから、抱き着くな…。き…、キスとか…、出来るわけねえだろ。ん…」

「!?」


 夢の中のわたし羨まし過ぎるッ!?


 そう突っ込みそうになった秋姫だったが、ぐっとこらえ、夢の中の自分に負けるものかと、このちょっとどうかと思うおさわりミッションを継続することを決意する。


「よ、よし。今度は、手を…」


 秋姫が孝介の手を握る。

 これまで、いつも普通に手を繋いだその繋ぎ方を、秋姫はそのしなやかな指を孝介の指に絡め恋人繋ぎにして繋いだ。


「え、えへへ、恋人」


 そこで秋姫が気づく。


「何やってるんだろう、わたし…」


 孝介と手を繋いだまま、沈んだように俯く秋姫。


 彼女でも何でもないのに。

 ただの友達なのに。


 でも。

 それでも。


「触れたい、です。触れて、欲しい」


 そう思うのは、欲張りなのだろうか。

 

「ん、んん…、新城。駄目、だ…」


 夢の中のわたしは、まだ十日町君とお楽しみ中。

 なら、わたしだって。


「夢になんて、負けませんから…!」


 手を繋いだまま、寝ている孝介の頬に秋姫は顔を寄せる。

 駄目だと自分に言い聞かせるも、もうその行為を秋姫自身で止めることは出来なかった。

 

「これは『友達のキス』ですから…」


 そう言うと、寝ているままの孝介の頬に優しく口づけをする秋姫。


「ちゅ…」


 触れるような軽いキスで、孝介から顔を離した秋姫は、指で唇をそっとなぞりながら呟く。 


「…本当は、あなたからして欲しいのに」


 そう言うと、秋姫は握っていた手を離し、近くにあったタオルケットを孝介にかけ、孝介が起きるまでずっとその頭を撫で続けていた。

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