きらわれものパラドクス
「小学生の頃、助けてくれた男の子がいました」
秋姫は、その時のことを、ひとつひとつ確かめるようにゆっくりと話しだす。
「全く面識のないその子は、他人のわたしを助けてくれて。でも、わたしは、その男の子にお礼を言うことが出来ませんでした。その男の子は少し怖かったですけど、困っていたわたしを助けてくれた。そんな男の子に、わたしはちゃんとお礼が言いたかった。でも、その時のわたしには、お礼を言う勇気もなくて。そうして、お礼を言えないまま、わたしは両親の仕事の都合で別の学校に転校して、結局その子にはお礼が言えずじまいでした」
秋姫の話を聞き、孝介が少し考えてから言った。
「…そいつは、礼なんていらなかったんじゃねえかな」
孝介の言葉に、秋姫は少しだけ悲しそうに微笑む。
「はい。多分、その通りだと思います」
「それに、よ」
頭をかきながら孝介は暗くなってしまった雰囲気を戻せないかと少しだけいたずらっぽく言ってみる。
「そいつ、小学生のガキだろ。ただ女の前でかっこつけたかっただけなんだと思うぞ。その歳だと、そんなことしたくなるもんだ。ひょっとしたら、実は相当痛いヤツだったのかも」
「あなたなんです」
「…は?」
驚いた孝介が秋姫を見る。今にも泣きだしそうな真剣な顔で、秋姫が孝介をただ真っ直ぐに見つめていた。
「その男の子は、十日町君、あなたなんです」
「いや、…え? マジで?」
「はい」
俺って痛いヤツだったのか。
いや待て。それは無い。
新城よりは、うん、余裕で大丈夫なはずだ。
「…悪い。全然覚えてない」
「いえ、覚えていないのも当然だと思います。その後すぐにわたしは転校してしまいましたし」
秋姫の顔がさっきよりも強張った表情になっていた。このまま話させていいのか孝介は考えたが、もう止められないのだと秋姫の様子を見て悟る。
「助けられた後、その男の子が十日町孝介という名前なのを知りました。そして高校生になって、あなたが同じ高校で同じクラスになったのを知りました。そこで何度も声をかけようとしたけれど、わたしにそんな勇気はなくて。まして、覚えてもいないはずのことを言われても困ると思って、なかなか声をかけられませんでした」
確かに。
突然小学生のことを持ち出されて話しかけられたりなんかされたら、壺でも売りつけようとしてるマルチか宗教キメてる女か電波な女だと思ってどん引きしてたかもしれないな。
「あなたは不良のようで近づき難いけど、実は誰よりも優しくて。でも、優等生なんて思われてるわたしなんかとの接点なんて、どこにもなくて」
俯いた秋姫の手が固く握られる。その手はかすかに震えていた。
孝介は、高校に入ってから秋姫とどれくらい話したのだろうかと思い返す。ゴキブリの真似をする前の秋姫とは、朝一言挨拶を交わすぐらいしか話したことは無かったのではないか。
「だから、友達にもなれないのなら、せめて、嫌われようと思ったんです」
かすれた、しかし、透き通った秋姫の声が響く。
部屋に置かれた水槽の中で、祭りの金魚が飼い主のことなど気にした風でもなく、悠々と泳いでいた。
「偶然にもその練習を十日町君に見られてしまったので、ならこれは良い機会だろうと、嫌われてもいいから、あなたにわたしを知ってもらおうと、あなたに付きまとって」
言いながら、俯き肩を震わせる秋姫。エアコンの口から発せられる生活音が、やけに孝介には遠く聞こえた。
「じゃあ、あんたは…」
孝介の問いに、秋姫が俯いていた顔を上げる。上げた瞬間、その潤んだ瞳からこぼれた涙が、宙に浮かんで弾けた。
「誰でもいいわけじゃないんです! わたしはっ! 十日町君だからっ! あなたにだから、きらわれたかった!!」
鬼気迫る秋姫の様子に気圧されながら、孝介はありふれた疑問を秋姫にぶつけるしかなかった。
「んな馬鹿なこと…」
秋姫が、震える唇を真一文字に結んで、振り絞るようにして言葉を紡ぎだす。
「はい、馬鹿です。でもずっと、あの時あなたに助けられた時からずっと、この言葉だけを言いたくて。『助けていただいて、ありがとうございました』」
孝介に向けてくしゃっと笑顔を歪ませた秋姫は、言い切ると床に座り込み泣き始める。そんな秋姫に何も言えずに頭をかいていた孝介だったが、自然と秋姫の頭に手を伸ばした。自然に出たその仕草に一瞬驚き迷った孝介だったが、そのまま、手で秋姫の頭を撫でる。
「ぐすっ…。ごめんなさい、これまで十日町君に散々変なことしてきてごめんなさい。もうお礼も言えたので大丈夫です。もう、十日町君を困らせたりしません。クラスでも話しかけません」
頭を撫でながら、孝介は自分に出来る限界と思われる優しい声で秋姫に語りかけた。
「小学生の時のことは正直覚えてないし、あんたがどうしてあんなにきらわれたかったのかも、よくわかった」
「…迷惑、でしたよね。もう、しませんから。だから、嫌いにならないで下さい…」
泣きながら呟くように言葉をこぼす秋姫に、孝介は一度大きくため息をつくと、うなだれたままの秋姫の顔を両手で自分の方に向かせると、その額を指で軽く弾く。
「あいでっ!?」
涙で顔が酷いことになっている秋姫が眼を瞑って両手で額を抑える。
「嫌いになんてなんねーよ、バーカ」
「!? ば、馬鹿じゃないです!」
反論する秋姫に構わず孝介はもう一度おでこにデコピンを撃ちこむ。
「あいでっ!?」
「あんたは馬鹿だが、少なくとも嫌いなヤツじゃない。だから、もう話しかけないとか悲しいこと言うな」
眼を見開き、驚く秋姫。
「あ、あの…。それって―」
「一つだけ、何でもいうこと聞くって、言ったよな?」
言いながら、孝介がいたずらっぽそうに秋姫に笑いかける。
「え…? あ、はいっ、もちろんですっ!」
「その、あんたとつるむのは、まあ、なんだ、案外楽しかったしな」
「え? ええと、その、わたしも、十日町君のこと、が…」
「だからさ」
「!? は、はいっ!!」
孝介はいつかのように手を差し出し、恥ずかしそうに眼を逸らしながら秋姫に告げた。
「俺と、『友達』にでもならないか?」
「……へ?」
………。
……。
…。
秋姫は、今、孝介の口から出た言葉とその意味について頭の中で入念に反芻してみる。
ト・モ・ダ・チ。
友達。
とも‐だち【友達】
互いに心を許し合って、対等に交わっている人。一緒に遊んだりしゃべったりする親しい人。友人。朋友。友。「―になる」「遊び―」「飲み―」
「あ、あの…。十日町君、もう一度、言ってもらっても良いですか?」
「悪い、聞こえなかったか。俺と、友達になろう」
秋姫の頭は緊急会議でフリーズした。
そして一瞬で結論の出た会議は、はい解散!と終わりを告げ、つい数分前の自分を思い出し顔が赤くなったり青くなったりした。
そんな秋姫に、差し出した手の行き場所に困り始めた孝介は、確認のため秋姫に聞いてみた。
「えーと。新城は、俺と友達になりたかったんだよな? …もしかして、本音は話しかけても欲しくない、とかだったりするのか?」
どうしてそっちだと思うの!?と思いつつも、秋姫にとって、新たに孝介の中に芽生え始めたその疑問はちょっと本気でお断りしたいものだったので、飛びつくような勢いで孝介の言葉に首をぶんぶんと横に振って否定する。
「そ、そうか。なら、ほら」
そう言って秋姫に手を差し出す孝介。
その手を見ながら、秋姫は少し迷っていたが、
「と、友達からでも…」
と小さく呟いた後、一度大きく息を吐き、
「よろしくお願いします」
少しだけ強張った笑みで、その手を取った。
「あんまり、変なことするなよ」
「保証は出来かねます」
「やっぱり無しにするか」
「ふふ、十日町君。女は平気で嘘がつけるんですよ?」
「どこからが嘘なんだよ」
握ったままの手を少し強く握り、秋姫は明るく笑う。
「でも、十日町君も、結構青臭いんですね」
「さっきまでぴーぴー泣いてた女に言われたくない」
「『俺と、友達にでもならないか?』」
「額、真っ赤にしてやろうか?」
「あうっ…。それは嫌です」
「茶化してくるあんたは嫌い」
「ふふ。ありがとうございます」
そこでふっと孝介は笑い、秋姫から手を離す。
「明日はちゃんと学校来いよ」
荷物を持ち、秋姫の部屋の鍵を開けて出ていく孝介。
玄関まで見送った秋姫に、孝介は振り向かずに手を振った。
姿が小さくなり、街並みの中に消えた孝介。その後姿を思い返しながら、さっきまで繋いでいた手を愛おしいものを触れるように秋姫は胸に抱きしめる。
「友達、かあ…」
寂しそうに撫でた手には、まだ夏の暑さが残っているような気がした。
聞かれそうなことを先にここに書いてしまいます(その2)
Q、今回の、どういうこと?(怒)
A、そのお気持ちはよくわかります
Q、なんでくっつかなかったの?(怒)
A、初期の構想では、今回で秋姫と孝介がくっついてめでたしめでたしで終わる予定でした。ただ、書いているうちに孝介が秋姫に対してあまりにも(○その気 ×恋愛脳)にならなくて、この状態で秋姫と結ばれるのはどうかと思い、今回の結末となりました(登場人物に責任を押し付けていく作者の屑)
Q、今回の話で大きな伏線というかテーマ回収しちゃったけど、この後どうするの?
A、(あとは砂糖吐く展開しか残って)ないです。
大丈夫、ラスト付近に全年齢でもギリギリOKなシーンを今から書く予定だから(震え声)
あともう少しで完結いたします。よろしければお付き合いください。




