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新城秋姫はきらわれたいっ!!  作者: 達花雅人
俺のクラスの優等生がちょっとおかしい件について
14/25

追憶の夢

 授業開始の予鈴が鳴ると共に、石でも投げられて食事を邪魔された不機嫌な白いハトの一群が空に一斉に飛び立つように、真っ白なプリントが狭い廊下の空に舞い上がった。


「あっ…」


 転んで床に座り込んだ少女。

 舞い散る無数の白片を見つめながら、自分に何が起こったのか分からず呆然としている。

 小学生になったばかりの少女が持つには、重すぎるプリントの量だった。

 生真面目なクラス委員の彼女は、誰の助けも借りずに一人、職員室から授業で使うプリントを教室に運ぶ途中だったのだ。


「うう、…どうしよう」


 予鈴は鳴り終わり、廊下には少女と散らばった無数のプリントしかない。もう授業に間に合わないという絶望と、自分以外誰もいなくなったかような非日常の空間を見て、少女の瞳から自然と涙がこぼれてくる。


「おい」

「ひっ…!?」


 後ろから聞こえてきた声に少女は身をこわばらせる。


 怒られるだろうか。

 邪魔だと言われるだろうか。


 そんな不安から、少女は声の方に顔を向けられないでいた。


「…」


 少女が何も答えないのを見て、少年が舌打ちし、背後でガサゴソと音を立てた。


 そうして、どのくらい経っただろうか。

 

「ほら」


 不意に、少女の前に手が突き出されてくる。

 突き出された先を見ると、少年が愛想なんて言葉は母親の子宮に置いてきたというような仏頂面で少女に手を差し出していた。


「え?」

「早く立てよ」

「あ、あの…」


 少女が混乱し答えられないでいると、目の前の少年は何かを悟ったような様子でぶっきらぼうに言った。


「トイレか? それとも保健室にでも行くか? 大きい方なら、パンツの替えもいるな。パンツの替えなら、職員室か…?」

「も、ももも、漏らしてないっ!!」

「!? じゃあ、お前…」

「何?」

「お前、小さいくせに、早いん、だな…」

「? 何のこと?」

「違うのかよ」


 少年が大きくため息をつき、脇に抱えたプリントの束の体勢を一度整えてから、また少女に手を差し出す。


「ん」

「あの…」

「ん!」


 明らかに元から怖い顔をさらに般若の面のようにしながら、少年が少女に手を突き出した。


「う、うん」


 差し出された手。

 その手は、とても。

 とても、温かくて。






「ん…」


 起きて時計を確認。

 十二時。


「あーっ!?」


 一瞬寝坊したと慌てる秋姫だったが、そういえば今日は学校を休んだんだとパジャマを半分脱ぎ掛けながら気づく。

 気が抜け、ベッドに倒れ込み、ぼんやりと自分の右手を左手で撫でる。


「大きかったなあ…」


 お祭りの時も。

 あの時も。


 お祭りの時は、迷子にならないようにって意味以上のことなんて何も無かったんだろうけど。

 それでも十日町君の手は大きくて温かくて。


 嬉しい気持ちになる秋姫だったが、同時に悲しいことを思いだしてしまう。


「昨日、ちゃんとお礼を言えませんでした…」


 秋姫は許せなかった。

 罵り、襲ってきた男子を、ではない。

 孝介に助けてもらっても、何も言えずにいた自分を、何より秋姫は許せなかった。


「でも、今日、休んじゃいました」


 次に孝介に会う時に、どんな顔をして会えばいいのか。


 悩む秋姫だったが、そんな当人のことなど全くのお構いなしに、秋姫の小さなお腹が抗議の声をあげる。


「…何か、食べよう」


 バジャマのまま、秋姫は二階の自室から階段を降り、台所に行くと―


「あらあら~孝介さんお上手~」

「薄く切っとかないと玉ねぎ独特の辛みが出て味にエグミが出ちまう。もちろん、そのエグミが好きってヤツもいるが、病人に出すならエグミは無い方が良い」


 まな板に乗った玉ねぎを包丁の小気味いい音を響かせながら切っている孝介と、その横で眼を輝かせながらその光景を見ている秋姫の母、新城舞子の姿があった。


「と、十日町君っ!?」

「ん? よう新城、元気そうだな」


 手元を全く見ずに孝介が秋姫の方を見ながら答えた。その間も、まな板の玉ねぎは透き通るほど薄く裁断されていく。


「あらあら~孝介さんやっぱりお上手ね~。勇気を出して頼んでみてよかったわ~」

「繊維を切る方向に切る。切った玉ねぎは砂糖をかけて少し置いておく。そのあとはじっくりと炒める。オニオンスープにおける辛くならない玉ねぎの下処理のコツは、まあ、これぐらいだな」


 まな板の上の破片となった玉ねぎを一度握り、切れていることを確認してから、孝介が手を洗いエプロンをダイニングの椅子に掛ける。その流れるような動作に、舞子は拍手しながら微笑んだ。


 そんな様子に呆然としていた秋姫だったが、はっと気づき、孝介に今更な疑問を投げかける。


「ど、どどど、どうして十日町君がわたしの家に!?」

「あらあら~そんな聞き方は孝介さんに失礼よ~秋姫~」

「というかマ、…お母さんがなんで十日町君を下の名前で呼んでるの!?」

「? いけない?」

「いけませんっ! もうっ、もうっ!」


 親子二人のほのぼのとした触れ合いを遠目で一生見ていたいと思いながら、孝介は仕方なく秋姫の質問に答えることにした。


「見舞いに来てみたんだが、新城は寝てると言われてな。土産だけ置いて帰ろうとしたら、舞子さんに止められて、手持ち無沙汰だったから頼まれて料理作ってたんだ」

「十日町君まで下の名前で!? マ…、お母さんっ!!」

「だって~まだ女を捨てたくないもの~」

「実の娘の前で何言ってるのこの人!?」


 真っ赤になって怒る秋姫を微笑みながら見た舞子が、何気ない調子で言った。


「秋姫、さすがにその格好は、ママはしたないと思うわ~」

「!?」


 秋姫は驚くと同時に何かを悟り、錆びついたロボットのようにギギギと軋んだ音を立てそうな動きで目線を自分の全身に移す。


 起き上がりで乱れた髪。

 ピンク色の生地に白地のレースとリボンが施されたパジャマ。さっき半分脱ぎかけたせいで見える鎖骨。致命的なのは、夏用の薄い生地のせいか体の線がはっきり出てしまっていることだった。


「は、は、は…」

「は? 歯痛むの~? それなら今から歯医者に…」

「うわああああああん!! そういうことは早く言ってよー!!」


 体育会系の宅配業者のような勢いで階段を駆けあがる音が聞こえ、直後バタンと言う音がし、明らかにドタバタと形容される音が孝介の頭上から聞こえた。


「あらあら~うふふ」

「俺、もう帰っていいですか?」


 普段あまり見ない秋姫やその母親の舞子を見てもうお腹一杯だと思った孝介だったが、舞子は無言で孝介の袖を引き留めた。


 だからそれ流行ってんのか。


 舞子は柔らかな笑みを浮かべながら、孝介に終戦寸前の東京も真っ青な爆弾を投下する。


「そういえば、秋姫が男のお友達を連れてくるなんて初めてのことよね~。孝介さん良い人だし、秋姫をもらってくださらないかしら~」

「絶対嫌」

「あらあら~」


 本人の知らぬところですでに告白が終わっていようとは当の秋姫が知る由もない。今、秋姫はボサボサの髪の毛と絶賛格闘中である。


「なら私をもらってくれる~?」

「あんた人妻だろうが!?」

「ママー、服が見つからない~!!」

「あらあら~。孝介さんごめんなさい~少しおまちくださいね~」


 そう言うと、舞子が秋姫よりも素早い動きで階段を駆けあがっていく。


「…血って、繋がるんだな」


 さっきのやりとりで乱れた心を落ち着かせるため、とりあえず切った玉ねぎの下処理を続けようと決意した孝介だった。






「ど、どうぞ…」


 着替え、身なりを整えた秋姫に案内され、孝介は秋姫の部屋に入る。オニオンスープの調理もあるしキッチンで構わないと言った孝介に、秋姫は捨てられ拾ってもらおうと頑張るチワワのような眼をした。なぜキッチンにそんなトラウマがあるのか考えたが、わからないものはわからないと自分を納得させ、秋姫の言葉に従って部屋に通される。


「へー」


 失礼だという常識は無論わかっていつつも、孝介は秋姫の部屋を見回さずにいられなかった。普段女性の部屋と言えば妹の部屋しか知らない孝介に、同級生の少女、特に特定危険外来種に指定している秋姫の部屋への興味は少なからずあった。


「あ、あんまり、見ないで下さい」

「悪い。そうだよな…」


 そう言いつつも部屋を見まわず孝介。全体的にピンク色の小物が多い部屋だが、しっかりと整頓されあまり浮ついた印象は受けない。年相応の女性らしさを感じる部屋だった。


「結構、片付いてるな」

「え? も、ももも、もちろんです!」

「片付けに何分かかったんだ?」

「じゅ、十分…って、か、かかってませんから! ぜ、全ッ然、かかってませんから!」


 まあいいかと思いつつ床に座った孝介は、片付けに使ってしまい忘れたのであろうガムテープを見つけ、ベリベリと引き伸ばして千切り、それでフローリングの床をポンポンと数回叩く。


「や、やめて下さい~!!」


 裏についたゴミを点検しギリギリ合格と判断する孝介。妹の部屋をたまにこうしてチェックするのが孝介の体に染みついた習慣だった。


「ん?」


 そこで孝介は床に広げられたままの女性誌に気づいた。見開きで『好きな男の子を振り向かせるためのテクニック四十八手』というタイトルがどぎついピンク色の文字でデカデカと誌面を飾っている。孝介は床からそれを拾い上げ、読み上げてみる。


「なになに…、『好きな人の髪の毛を百本集めて念仏を唱えながら髪人形を作れば意中の彼も貴方にゾッコン!』」

「!? 十日町君それはっ!」

「『百キロマラソンをビデオに取って好きな子に送ればフォーリンラブ待ったなし!』」

「…」

「『キョウトゴキブリの真似をしながら愛されるより愛したいと百回唱えれば万事うまくいくヨ! ヤマトゴキブリの真似だと効果はゼロだから注意!』 …やたら百押しだな。新城、これは?」

「…母のです」

「新城?」

「…母のです」


 死んだ魚の眼をする秋姫に、これ以上は聞かない方が秋姫のためだと瞬時の判断をした孝介は、とりあえず確認の意味を込めて今日一番聞きたかったことを口に出してみることにした。


「昨日あんなことがあって、それで今日あんたが休んじまって気になってたんだが、その様子だともう大丈夫そうだな」

「ごめんなさい。昨日、十日町君が助けてくれたのに、わたし、十日町君に何も言えなくて」


 昨日悲しげに俯いていた秋姫の頭を撫でようとしてしまったことを思い出し、ホントにそんなことはしなくて良かったと思いながら、なるべくなんでもないことのように孝介は言った。


「無理もない。ま、あんたが元気そうで良かったよ。明日は学校、来れそうか?」

「はい、行きます。皆に心配、かけたくないですから」

「そうか。なら、用事は全部済んだし、俺はもうこれで帰る。また明日な」


 立ち上がり帰ろうとする孝介。


「待って。待って、下さい」


 その制服の裾を掴み、秋姫がとどめた。


「?」


 孝介が疑問の表情を浮かべたその時、


「秋姫、孝介さん、スープ出来たわよ~」

「え? マ、ママ!?」


 ドアが勢いよく開け放たれ、お盆を持った舞子が別れ話で男に追いすがるような格好になってしまっている秋姫を見て困ったように微笑んだ。


「あらあら~ごめんなさいね~お邪魔だったかしら~」

「? いや、全然」


 孝介にはもう慣れた秋姫の行動なので特にどうということはない。少しの気恥ずかしさのようなものはあるが、この状況よりおかしな状況を秋姫によって体験してきた孝介にとって、ヘリウムガスを吸って声が変わるぐらいの驚きしかなかった。


「ふふふ、孝介さんにもらったおみやげと作ったスープ、ここに置いておくから二人で食べてね~」

「は、早く! 早く出てって!」

「はいはい~ごゆっくり~」


 終始にこやかな笑顔のままだった舞子がドアを閉めた。


「え、えっと、ですね。十日町君」

「あ、ああ。どうした?」

「はい。わたし―」


 絶対これ狙ってるだろというような絶妙なタイミングでまた秋姫の部屋のドアが開く。


「ああそうそう~。ママ買い出し行くから~最低でも三時間は絶対帰ってこないからね~」

「マ、ママっ!? な、何言ってるのっ!?」

「ふふふ、それじゃ孝介さん、ゆっくりしていってらしてね~」


 そう言い残して舞子は部屋のドアを閉めた。秋姫は無言でもう絶対に舞子が入ってこれないようにドアの鍵を内側からかける。


「マ…、お母さんも、ホントに変なコト言いますよね。あ、あはは…」

「? そうか? 買い出しに三時間とか、普通だと思うが」


 孝介はわけがわからないと言った顔をする。その様子に、秋姫の顔が一瞬で赤くなるが孝介はそれに気づくこと無く途中まで自分が調理したオニオンスープと持って来たお土産を食べ始める。


「このスープ、美味いな。舞子さん、料理、美味いんだな」

「十日町ほどじゃないと思います!」

「新城? なに怒ってるんだ?」

「なんでもないです!」


 八つ当たりするような勢いでお土産とオニオンスープを食べる秋姫。


「ふふ」


 食べながら、怒っていたはずの秋姫が笑う。


「どうした新城?」

「おいしいです。このスープも、お土産も。全部、十日町君がわたしにくれたもの、ですよね」

「…別に。そんな大層なもんじゃない」

「ふふ。やっぱり、十日町君は、素直じゃないです」






 食べ終わり、さてそろそろお暇するかと孝介が立ち上がった時だった。


「あのっ!」


 秋姫が立ち上がり孝介を呼び止める。

 孝介は秋姫に向かい合い、なるべく焦らせないように言葉を紡ぐ。


「何か、言いたいことがあるんだよな?」

「は、はい…」


 そう言った秋姫は口を開く。

 だが、言葉は出てくることはなかった。

 やがて、口が閉じられ、唇が噛みしめられる。

 何度か口が開いては閉じられるが、一向に秋姫の口から言葉は出てはこない。


 それでも、孝介はじっとただ秋姫が言う言葉を待った。

 孝介は秋姫の様子に何か普段と違うものを感じていたからだ。


「大丈夫か?」


 肩で息をする秋姫に問いかける孝介。止めろなんて言えない。眼の前で必死で何かを自分に伝えようとしている秋姫に、気遣いからだとしてもそんな言葉はかけてはいけないだろうと、秋姫と過ごしたこの少ない期間で孝介にはわかっていた。


 一度、秋姫が息を吸い込み吐く。もう一度息を吸い込み、今度は吐くことなく、伝えたい言葉をその口から紡ぎだす。


「もう、嫌なんです」

「…」


 何が?

 嫌われることが?


 多分、そういうんじゃない。

 新城が伝えたいことは、そういうことじゃない。


 孝介は何も言わずに、ただ秋姫から発せられる次の言葉を待った。


「またお礼の言葉も言えないままのわたしなんて、本当にきらいなんです」

簡単に登場人物紹介その3。


新城舞子(しんじょうまいこ):秋姫の母親。よく秋姫の姉に間違われる美魔女的容姿を持つ経産婦。優雅で癒し系な雰囲気を漂わせている。空気はあえて読まない人。

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