七日間の終わり
孝介は賽銭箱に五円玉を投げ入れ、二度手を叩き、眼を閉じた。
早く平穏な生活が戻りますように。
そして、祈り終えた孝介は、傍らで同じように手を合わせて祈っている秋姫を見た。真剣な様子で何かを祈っており、ああこういう風にいつも大人しくしてたらホント助かるんだけどななどと思いながら、秋姫が祈り終わるのを待つ。
「…」
すっかり忘れてたけど、今日が新城と約束した期間の最後の日なんだよな。
結局、新城が何をやりたかったのかわからなかったな。
嫌われたがってたが、避けられたり嫌われたら悲しんでいたし。
最初は言うこと為すこと色々おかしなヤツだと思ったし、散々振り回されたが、少しは楽しかったし、新城の方は新城の方で満足してたらいいんだが。
眼を開けた秋姫に孝介はとりあえず聞いてみる。
「随分熱心に祈ってたが、何をお願いしたんだ?」
秋姫は少しだけ笑う。
「秘密です」
言えないことか。
ま、色々あるよな。
「じゃ、帰るか」
いつまでもここにいるとまた知り合いに見つかりそうだ。
「あ、あの」
「ん? まだ寄りたい屋台とかあったか?」
「ええと、そういうのではないんですけど、もう少しだけ、付き合ってくれませんか?」
「? 別に、いいけど」
今日いっぱいは秋姫の我儘に付き合うのも悪くない。そう思って、秋姫に連れられるまま、また待ち合わせた公園に着き、ベンチに座る。
「いつも、終わりに、花火上がるんですよ」
孝介が秋姫のその言葉に返答するより早く、夜空に赤い菊の花が咲き、少し朱に染められた秋姫が微笑んだ。
「…」
それ以上何も言わず見入っている秋姫に声をかけるのも無粋だと思い、孝介も夜空に散らされた無数の光の明滅をただ見ていた。
「…綺麗だな」
ひときわ大きなしゃくなげを思わせる花火が最後の軌跡を残しながら消え、また夜空は星と月が自分が主役だと言わんばかりに鈍く輝いている。夏の虫がもう残り少ない季節を惜しむかのように囁き鳴き、辺りに他の音は何も無かった。
「…悪い」
秋姫の方に軽く頭を下げながら、孝介は静かに言った。
「…十日町君?」
秋姫はよくわからないという顔で孝介を見る。
「なんていうか、あんたにひどいこと言っちまった。それに、強引に迫っちまったこともあったし、色々と嫌な思いさせちまって、すまん」
「そんな、十日町君が謝ることじゃないです。元々、嫌われたくて言って欲しかったというところもありますし、金曜日のことだって、わたしが悪いと思いますし。それに…」
「嫌じゃなかった?」
「な、なな、なんでそう思ったんですか!?」
「だってあんた、ドMなんだろ?」
「だ、だからわたしはどMなんかじゃ…!? …十日町君は、どMが好きなんですか?」
「黙秘だ」
ここで下手なことを言ってしまうと、必ず秋姫は暴走する。
例えば、好きと答えれば、真逆の秋姫流なんちゃってドSを繰り出してくるだろうし、嫌いと言えばそれはそれで秋姫流なんちゃってドMで来るに決まっている。
沈黙は金なりというか沈黙は安全という言葉の意味を孝介はこの瞬間悟った。悟りながら、孝介もいい加減秋姫の扱いに慣れてきたというのもあった。
「む、むぅ~」
「で、用事は花火を見るだけか? それだけなら、後はあんたの家まで送って帰るが」
「ま、待って下さい!」
立ち上がった孝介の手を、秋姫が押しとどめるように握る。その仕草に、孝介は軽く頭をかく。
「…待つ、待ちます。待つから、ちょっと落ち着け」
手を繋いだまま、孝介はまたベンチに腰を降ろす。近くの電灯が繰り返し明滅するのをぼんやりと眺めながら、孝介は秋姫の次の言葉を待った。
「その、どうしてわたしが、十日町君を避けるようなことをしたのか、話したくて」
「ああ、それか」
気にはなっていたが今日の秋姫があまりにいつも通りおかしかったので気にしていなかったが、今更言われると確かに気にはなってくる。
「言いたくなかったら、別に言わなくていいんだぞ?」
「でも、言わないのは、何か、フェアじゃないです」
真面目だよな、あんたって。
目の前の真剣な秋姫にそんな言葉を掛けるわけにもいかず、孝介は秋姫に次の言葉を促した。
「あの、えと、わたし、十日町君に嫌って欲しくて」
「知ってる」
「それで、もっと嫌ってもらうにはどうしたらいいか色々考えて」
「なんとなく知ってる」
「考えていたら、よくわからなくなってしまって」
「? わからなくなったって、どういうことだ?」
「その、十日町君と距離を取ればもっと嫌ってもらえるのかなと思ったんですが、十日町君を避ければ避けるほど、何故だか悲しい気持ちになってしまって」
その割に本気で避けてたように見えたんだが。
「だから、十日町君には、面と向かって嫌って欲しいんです!!」
何かこれ以上ないような真剣な表情を孝介に向けてくる秋姫に、孝介はとりあえず今思い浮かんだ台詞を、空港の検疫官が親しい友人だからと白い粉を持った渡航者を顔パスで通すような様子で言ってみた。
「そんなめんどくさいあんたが嫌い」
「それ! それですっ!! もっと言って下さいっ!!」
「ほんっと、めんどくせえぇ…!」
頭を抱え呟く孝介に座りながら秋姫が近づき、
「十日町君…」
「な、なんだよ…?」
座りながら秋姫から離れる孝介に秋姫がまた近づく。
「一週間、ありがとうございました」
「あ、ああ。どーいたしまして」
ベンチの端に追いつめられる孝介。
逃げれば良いのだが、目の前の秋姫は一応はまともなことを言っているので無下にも出来ず、引きつった顔のまま、孝介は秋姫の次の言葉を待った。
「お礼するって、言いました」
「いらねっつっただろ」
孝介の声に答えず、秋姫が孝介の目の前まで顔を寄せて眼を閉じた。
「…」
「…」
目の前に、街灯に照らされ、微かに上気した同級生の顔がある。
それを視界に入れながら、孝介は回転しながら静止しているヨーヨーのような頭で考えてみることにした。
なんだこれ?
これ、どういう状況だ。
眼なんて瞑って、無防備なヤツだな。
あ、思ったより睫毛長いんだな。
というか、改まって見てみると、やっぱり可愛いな。
外見だけな。
中身は混じりっ気無し、純度100%の変人だけど。
こういうの、ギャップ萌え、とかなんとか言うんだっけ?
でもクラスの男は優等生の新城のイメージが強いから、変人の新城は多分どんびきだよな。
そして変人指数が観測機械で測れなくなった新城は、うっかり人前で変人行為をしてしまって。
それで変人だってバレて、新城は一人隔離施設に入れられて一生寂しい思いを―。
「…」
よし落ち着いた。
やっぱり、こいつを変人にするわけにはいかない。
孝介は、目の前に無防備にさらされている秋姫のおでこを思い切り弾いた。
「あふんっ…!?」
驚いた秋姫が眼を開く。そんな秋姫を真正面に見据えながら孝介はなるべく声に抑揚をつけないようにしながら言った。
「何のつもりか知らねえけど、そういうのは嫌いになってもらうヤツにしてもらうんじゃなくて、好きになってもらうヤツにしてもらうもんだ。んなことしてたら、軽い女に見られて男からひどいことされるぞ? 軽々しくやるんじゃねえ」
「あっ…。すいません…」
俯く秋姫を見ながら孝介は立ち上がり、一度頭をかいて秋姫に手を差し出す。
「ほら」
「えっ…?」
差し出した手で秋姫の手を掴むとベンチから秋姫を立ち上がらせる。
「送る。家、この辺なんだろ?」
「あっ…。ありがとうございます」
俯いたままの秋姫に孝介はその表情がわからなかったが、握った手に軽く力が籠められ、軽く握り返すとまた握ってきた秋姫に、少なくとも避けるような意思はないと思って安堵した。
その手の感触を感じながら、さっき一瞬でも秋姫に流されそうになった自分に、孝介はひどく罪悪感を感じながら、この一週間のことを振り返ってみる。
ゴキブリの真似をしている秋姫との出会いはそれはもう忘れられないくらい印象的だった。これまで品行方正な優等生だと思っていた秋姫があんなに変なヤツだったとは思いもしなかったし、いつも奇怪な行動をする秋姫に振り回されてばかりで慌ただしい一週間だった。それでも、無邪気に笑う秋姫はいつもクラスで見せる笑顔とは違って生き生きとしていて。
「…」
なんだかんだ、楽しかったんだろうか。
手を繋いだまま秋姫の横を歩きながら、秋姫はどうだったのだろうと孝介は考える。
「あの…」
「ん?」
「ありがとうございます」
「ああ、気にすんな。こういうのは、慣れてる」
妹を友達の家まで迎えに行った帰りとか、よくやってたしな。
「!? 女の子と手を繋ぐの、慣れてるんですね…」
「? ああ、妹の迎えとかでな。さすがに、大きくなった今はもうやらねえけど」
「あ、ああ。妹さん、妹さん、ですよね。なんだ、良かったぁ」
「? 何が良かったんだ?」
手の固さとかだろうか。
手の固さフェチ…。
また秋姫を嫌えそうな要素を見つけたと思う孝介だったが、そう言えばもう終わりなのだと気づいて歩きながら頭をかく。
「いえ、気にしないで下さい!」
「? 変なヤツだな」
元々そうだけどとか言うと泣かれそうなのは確定的に明らかなので孝介は何も言わない。世の中、言わない方が良いことなんて星の数以上にたくさんある。
「~♪」
鼻歌を口ずさむ秋姫に、秋姫も満足したのだろうと孝介は思う。
頼りない街灯に照らされた夜道を二人で歩きながら、孝介は少しだけ胸に湧き出た物悲しい想いを、祭りの後の余韻のせいなのだと思うことにした。
あいぞめ「いつから、『七日間』で終わると錯覚していた?」
15「なん…だと!?」
というわけで続きます。




