唇を噛み締めちゃうみたいです
銀狐の報告も気になりますが、今一番しなくてはならないのは安否の確認です。
こうしてる間も爆発音が鳴り響き、夜空を赤く焦がしてます。
耳を覆いたくなるような悲鳴。
苦痛に泣き叫ぶ人々の嘆き。
私の胸中を焦燥が占めていきます。
一緒に祭りに来た、ワキヤ君・クーネちゃん・コタチちゃん。
祭りに出店しているマイスター商店のゴランおじさん・ジャレッドおばさん・ジャランさん。
そしてメイド喫茶を共に盛り立て、支援し、参加してくれた皆さん達。
その人達がこうしてる間に苦しんでいるかもしれないのです。
一刻も早い救助が必要でしょう。
ならば私のやる事なんて既に決まってます。
「銀狐」
「心得ております。
いらぬ世話とは思いますが、お気をつけて」
「ええ。興味深い報告でした。
後程聞き直します。
では今宵はこれにて」
「はい、盟主様」
私は銀狐に背を向けると、浴衣の裾がはだけるのも構わず駆け出します。
惨劇を止める為。
現在進行形で村を襲っている脅威を取り除く為。
今まで磨いた力はこういった事態に立ち向かう為に使うべきなのですから。
夏の茹だる夜気に混じる鉄臭い匂い。
敢えて気が付かない振りをしながら、私は唇を噛み疾走するのでした。
「やれやれ……我等が盟主様は解き放たれた矢の様なお方だ。
まあ、あのように真っ直ぐな生き様が我等には眩しく映るのだが」
村に向け駆け出したユナ。
その後姿が完全に見えなくなるまで深々と一礼をした銀狐は、
顔を上げるなり一人呟く。
仮面に隠されその表情は窺えない。
が、声色には好意的なニュアンスがありありと漂っていた。
ボロ雑巾の様に使い捨てられた自分。
裏切りと絶望の中、差し伸べられた手。
盟主たるユナに対する恩義は限りなく、忠誠を尽くせど返せる自信はない。
しかしこんな事を正直に言えば、照れ屋で無理に悪ぶっている盟主様の事。
全力で否定してくるだろう。
その有様と謝罪する自分の姿が容易に脳裏に浮かび、おかしくなる。
何事にも懸命な少女の姿。
その在り方が、自分達の様な者達にとってどれだけ生きる希望となってるか本人は知らぬだろう。
「甘くなったものだ。
以前なら、決してこんな想いを抱く事はなかったろうに」
苦笑するように述懐する銀狐。
情報を第一とし、闇社会を渡り歩いて来た男のそれが本音だった。
肩を竦め自分に呆れる。
困ったことにそんな自分が嫌じゃない。
だからここに残ったのは必然。
こんな奴の相手を、大事なユナに任せられる訳がない。
「いい加減出てきたらどうだ?」
誰何する銀狐。
その言葉に周囲が、大気が応じる。
闇を照らす様に夜空に浮かぶのは仄かな篝火。
ボッボッボッ
やがてそれは一点に凝縮し、人の姿を形作り始めた。
挑発的な眼差しで扇情的な肢体を晒す赤毛の女性。
小馬鹿にしたような態度で銀狐の姿をねめつける。
「へえ~あたしに気付いていたのかい?
気配は完全に隠したつもりだけど」
「気付きはしない。
だがいるという推測は出来た」
「ふ~ん。そら何でさ?」
「お前達の仲間、パンドゥールを間接的にとはいえ封じた盟主様の事を監視しない筈がないからだ」
「随分鋭いじゃないか!
じゃあ何故警戒しなかったんだい?
アンタなら分かってるだろう、あたしらの力を」
「警戒?
盟主様があの家にいる限り、する訳がない。
お前達こそ手出しが出来なかった、の間違いだろう。
容易に近付けばアレに気取られる」
「……<闘刃>カルティア。
先代勇者と共にあたし達を壊滅寸前まで追い込んだ奴等の一人」
「そうだ。
更に今現在は」
「腐れレカキス一族の娘に厄介な守護者も一緒か。
確かに手出しは出来ないね」
「だからこうして盟主様が外に出る機会を窺っていたのだろう?
隙あれば誅する為に」
「よく理解してるね、アンタ」
「だからこそ自分がここにいる。
お前達から、盟主様を護る盾となる為」
「ほ~流石は王都一の情報屋だった男。
鋭い読みさね」
「……昔の話だ」
「それでも警戒に値するよ。
アンタらが立ち上げたアラクネとやらの組織力も大したもんだしね。
表立って邪魔してくれたアンタらのお蔭で、ここ数年はあたし達も身動きが取れなかった」
「? 今は動ける様になった、と?」
「そうさ」
「隠さないのだな」
「隠してどうなる。
今もこうしてる間にあたしの仲間が辺境に告知して回ってる。
大々的な宣戦布告を。
ここフェイムを任されたのはあたしだがね」
「ほう。何故だ」
「それは……知ってるだろう?」
「……紅蓮の舞踊姫こと<怨焔>のエクダマート。
その身は意志ある限り決して消えぬ炎の現身」
「正解。
炎……様は大気の操作さね。
空気の屈折率を変え擬似的にとはいえ透明化できるあたし。
幾ら高レベル取得者相手とはいえ、機会を待ち続けるのは簡単だからさ。
ここにいるのは半分の力しか持たぬ分身。
とはいえ、アンタを殺しあの娘を追うには充分なくらいさね!」
淫靡に嗤い、灼熱の炎を上げるエクダマートの肢体。
銀狐の指摘通り、その身体は火のエレメントで構成されている。
彼女相手に並半端な物理攻撃は無効化されてしまうのだ。
急激に酸素を失ったから、ビリビリと胎動する大気。
しかし銀狐は自らの仮面に手を掛けるとゆっくり諭す様に語り始める。
「お前は勘違いをしている」
「勘違い?」
「自分は盟主様を護る盾。
だがその反面、
未然に敵を討つ刃でもある」
狐の面が取り外され、銀狐の面差しが露わになる。
銀髪に怜悧で知的な容貌。
しかしその両眼窩から頬に掛け、自らの指で強引に引き裂いたと思わしき傷跡が痛ましく残っていた。
「アンタその顔は……」
「これは娘を護れなかった自分に対する自戒。
醜いこの傷跡を見る度に思い出す。
あの日の絶望を。
傷跡が疼く度に思い出す。
貴様ら命を弄ぶ輩への憎しみを」
囁く銀狐。
その手に持つ狐の面が溶融し、鋭いナニカへと姿を変えていく。
「そのスキル、アンタまさか!?」
「可哀想に……
お前は、『私』に会った」
冷たく言い放たれた言葉に何を感じたのか。
絶叫を上げて襲い掛かるエクダマート。
摂氏1000度に達しようかというその攻勢は、その存在自体が脅威だ。
竜族の吐息並に凶悪なそれはありとあらゆる防御手段を突破する。
辺境の村々を焼き、
無辜の民を焦がし、
冒険者達を燃やし、
固く閉ざされた城塞と屈強な兵隊達さえ蒸し焼きにした。
今までも彼女を止めれたものなどいなかったのだ。
必勝を信じエクダマートは銀狐に突貫した。
身構えるまでもなくただ指をかざし応じる銀狐。
まるで楽団の指揮を振るう指揮者のように。
その瞬間、勝ち誇ったエクダマートの首が、
「あえ?」
何の抵抗もなく宙に舞い、霧散した。
分身体であるとはいえ、何が起きたのか感覚を共有している本体ですら分かりはすまい。
ただ彼女は敗れ、その身体は構成力を失いただの炎として燃え尽きていく。
「こちらは始末しました、盟主様」
再び狐面に戻した仮面をつけながら呟く銀狐。
その容姿に焦りの色は無い。
「貴女ならどう捌くのでしょうか。
配下として興味はありますが……
この程度を対処できない以上、これからの戦いは厳しいでしょう。
良い結果をお待ちしております……対応処理をしながら」
残酷なまでに無慈悲に言い捨て、踵を返す。
その姿は朧と化し消えて行った。
かくして打ち捨てられた寺院には残り火が皓皓と燈り、
再び静寂が舞い戻るのだった。




