覚醒<アウェイク>
「せめて――安らかに眠るがいい」
崩れるように倒れ込み、身動き一つしないユナ。
僅かに上下する胸に満足したように魔神皇はマントを翻し、背を向ける。
言霊使いたる魔神皇がユナに使用したのは言葉通り<永遠の眠り>だ。
ただのスリープ系魔術ではない。
何にも侵されず、永遠に変わらぬ姿で眠り続ける。
そう、百年でも千年でも。
思考を司る頭脳や行動を司る肉体ではない。
言うなればユナという本質自体を縛り戒める頸木。
それは事象の停止にも近い疑似魔法。
神々の御業に匹敵しようかという特上の呪い。
個々の抵抗値は関係ない。
生命構成素に枷られた霊的本質そのものを対象とし、意のままに操れる。
言霊を用いた完全催眠――とでもいうべきか。
存在に対する絶対優先権を魔神皇は有していた。
「さて、急がねばなるまい。
我に残された時間はあまりにも少ない」
他の者は預かり知らぬ魔神皇だけが知る火急を有する案件。
さらには駆け付けてくるであろう決闘の勝者達を迎えねばならない。
彼は早急に対処すべく歩を進め――
驚きに足が止まる。
「何故……
立ち上がれる?」
身動きする気配に振り返った魔神皇は驚いた。
そこには顔を俯かせ表情が窺えないものの、ゆっくり立ち上がるユナの姿があったから。
ほどけた髪が脱力した全身へと絡みつき、まるで幽鬼のようだ。
(――効果が浅かった?
否、ユナの本質は確かに掌握した筈――)
胸中を過る疑問と憶測。
確かにこういう事態を想定し得なかった訳ではない。
ユナは自分と同じ異界転生を経た召喚者。
同質の根源を有する。
故に効果が薄いという可能性もあった。
しかし対処すべき結論は至ってシンプル。
「我が契約により――
覚めぬ永遠へと誘い眠れ」
再度施行される言霊。
先程よりも、より強い意を込めて。
声――文字通り音速で発動するそれは瞬く間にユナへ集約されていき――
弾け飛んだ。
構成を霧散させられて。
「!!」
「出会い頭に……
随分と失礼な対応じゃないかな?」
ユナの口元に浮かぶ微笑。
鷹揚に満ちた事態を楽しむような口調。
思わず身構えた魔神皇は――
「初めまして」
顔を上げ、一礼するユナのその言葉に――
本能的な危機感を感じ、後方へと飛び下がり距離を取る。
一瞬にしてユナは変貌していた。
元より長い黒髪はそのままだ。
だが、紫水晶のような双眸は深淵を窺わせるような漆黒の瞳に。
何よりその可愛らしい顔は美しいもどこか大人びた女性のものへ。
しかも放たれるのは皆を優しく包む慈愛に満ちたユナの気ではない。
周囲を平伏し従える、圧倒的で絶対的な鬼気。
ユナと似通うも異なる、同一にして異質のナニカ。
黒髪黒瞳、魔神皇にとって見慣れた人種系骨格。
それは即ち――
「まさかお前は――」
「お初にお目に掛かりますね。
――裏賀田悠奈です」
蠱惑的で小悪魔的なその笑顔。
見る者を魅了してやまない大輪のような笑みだというのに――
魔神皇は勇者との戦いでも感じなかった戦慄に震えた。




