撤退<エヴァケーション>3
「時間だ。
退くぞ、ポルテ」
召喚陣を介し響く魔神皇の戦略的撤退指示。
自己の保身を何よりも至上とするポルテが唯一敬愛する魔神皇の言葉とはいえ、今はそれさえ疎ましい。
「ちっ……いくら魔神皇様の御言葉とはいえ、
やっとこのクソ共を追い詰めてきたとこなのによぉ」
愚痴を零すポルテ。
汗で汚れたピンクドレスのフリルが纏わりつき鬱陶しい。
後衛に構えるポルテの前衛であるメグラリウムは小太りだった男と激戦を繰り広げている。
如何なるスキルの恩寵だか知らないが、メグラリウムと拳を交えるだけでも大したものだ。
しかしそこは哀しいかな人間の限界。
この僅かの間に驚くほど痩せ果てている。
致命的な事態を迎えるのもあと少しという所か。
それはいい。
最下位とはいえ魔族と人のスペック差を考えれば当然の結果だ。
だから今一番の問題は自分と対峙してるこの男だ。
スカイラリー・アルケミア。
かつて王都一の技術者だった男。
その腕前は魔導技術を復興させた発明王と同レベルと讃えられるほど。
しかしそれはあくまで知識面の話。
単純な戦闘能力は皆無とされていた。
だが実際問題、自分ほどの召魔師がここで足止めをくらっている。
脅威なのは先程から使ってる妙な業だ。
否、それは本当に業なのか?
スキル?
魔術?
あるいは固有能力?
推測すら出来ぬ秘儀の数々に後手に回ってるのが現状だ。
けど大よその推定は可能だ。
先程から自分の可愛い手下達を防ぐのはあの奇妙な実験道具の数々。
おそらくアレが何らかの媒介なのだろう。
様はアレの発動を防げばいい。
今回は退く。
次はこの情報を活かし確実に仕留めてやる。
「おい、てめえ」
「何や?」
「ここは退いてやる」
「へ~素直やな」
「敬愛する魔神皇様の御言葉だ。
流石のあたしも無視は出来ねえ」
「さよか」
「けどこのあたしを翻弄したてめえの顔は忘れねえ。
次に会う時は必ず殺してやるからな。
覚えておけよ」
「……」
「じゃあな、クソ共!
メグラリウム、後は任せっぞ」
「はっ」
召喚の魔方陣は召還の魔方陣ともなる。
簡易なゲートとして自らの望む場所へ移動も可能だ。
喋りながら魔方陣を開いたポルテはその中へ身を躍らせ転移した。
……筈だった。
「何だこりゃああああああああ!?
何で転移出来ねえ!!?」
「次、ねえ……
果たして次があればいいな」
予想外の事態に動揺するポルテ。
ただ転移を出来ないだけではない。
魔方陣に乗った瞬間から、身動き一つ取れないのだ。
喋る事は出来る。
だが信頼を置く自らの絶対の技能の数々が無効化されてしまう。
こんな事は初めてであった。
狼狽するポルテに対し、スカイはズレた眼鏡を片手で直しながら嗤う。
まるで興味深い事例対象を見たマッドサイエンティストのように。
「な、何をしやがった!?」
「何回も言うたやろ。
君、力の発動を見せ過ぎや。
そんだけ見せられたら返し技ならぬカウンターや妨害の一つや二つ、簡単に思いつく。今は召喚の魔方陣を束縛の魔方陣に書き換え(リライト)したところや」
「だからっておかしいだろうがァァァァ!!
てめえの力は分からねえが、さっきから投げてる道具!
それがないと何も出来ねえ筈だろう!?」
「ああ、これかいな。
こんなん、ただの嘘とハッタリや」
「あ”っ!?」
白衣の内側から取り出した試験管をユラユラ振ってみせる。
それは誰がどう見てもただの試験管にしか見えなかった。
「じゃ、じゃあ……
さっきからやってんのは何なんだよ……」
「ネタバレするのも何やけど……
ほな教えたるわ。
君は目先のものに目を奪われ、本質が視えてない。
本来は君が一番先に気付く筈や。
召魔師として『空間』を介し召喚対象を『支配』する君なら」
「あっ!
まさかてめえは!?」
「正解。
ワイの持つ固有能力は<ラボ>。ラボラトリーという。
展開する領域内全てを支配し、自らの望む様に物理法則を書き換える。
それがワイの力や」
支配者級の能力者が施行する領域展開。
俗に云う固有結界と称されるこれらは短時間とはいえ世界を変容させる。
最早隠す必要もなくなったのか、移り変わっていく大空洞。
そこは様々な器具や妖しげな薬品で満たされた研究室に変わっていた。
「いったいいつから!?」
「君が本部に来る前。
ウチの奴等に『優しく』訊いてる間に」
「なっ!」
「ホンマ大した奴等や……
絶対の危機に保身より本部の事を考え連絡をよこすんやからな。
馬鹿な奴等が多過ぎや。
けどな」
「ひっ!」
「その分のツケはしっかり君に払ってもらう。
6魔将。
更にはミズガルズオルムの構成、情報など知りたい事は沢山あるしな」
「ふざけっ!」
「ほな、また後で」
指をパチンと鳴らすスカイ。
その動きに応じる様に可視化された巨大なビーカーに閉じ込められるポルテ。
溢れ出た薬品により、即効で固められ生きた標本と化す。
「こっちはオッケー、と。
さてもう終わらせて構わんで、セルムス」
「了承した」
「何……だと?」
スカイの声に応じたセルムス。
次の瞬間、メグラリウムは瞬殺されていた。
抵抗する間もなく。
何が起きたのかも理解出来ず灰燼と化していく。
高速を上回る超高速で数百発を瞬時に叩き込まれれば、一撃一撃は軽くとも累積されればその損傷は計り知れない。
「流石。
元AAAクラスの腕前は衰えてないみたいやな」
「まったく……
6魔将を生け捕りにしたいなどという無謀な案を貴様が提案するから。
うまく捌けたから良かったものの、下手をしたらわたし達の方がやられていたのだぞ?」
「そこはほら、結果オーライってやつや」
「まったく貴様は……(はぁ)」
反省の欠片もないスカイの態度に嘆息するセルムス。
本気を出せば勝てなくはない相手とはいえ相手は魔族。
いつどちらに天秤が傾くか分からなかったのだ。
わざと苦戦を装い隙に付け込めたとはいえ、正直ギリギリの綱渡りだった。
「上も……終わったようだな」
「ああ。ユナちゃんの兄貴が頑張ったようや。
ホンマあの身体であの力はおかしい。
物理法則を凌駕し過ぎやろ」
「貴様が言うな、貴様が。
盟主様も御無事の様だし、夜は明けた……
今回は痛み分けというところか」
「こんだけの被害をもたらしてか?
どう考えてもワイらの負けやろ。
後手に回り過ぎた」
「そうだな……」
「ただな」
ビーカーを見るスカイ。
そこには固められ聞く事と話す事以外は何も出来ない状態となったポルテがいた。
「さっきも言ったが……
この落とし前はきちんと払ってもらうつもりや。
手前勝手な悦に浸る馬鹿どもか……
覚悟するんやな」
百戦錬磨の商人であるセルムスすら慄かせる何かをたたえ呟くスカイ。
科学者を地でいく彼にも今回の襲撃には何かしら思うとこがあったのだろう。
「さっ、戦いは終わっけどワイらの仕事は始まったばかりや」
「各機関への情報収集、伝達。
被害状況の確認。
復興支援への手配等々、か。
これからの事を思うと眩暈がするな」
「愚痴っても仕方ないやろ。
そういった事も込みでワイらはユナちゃんに仕えてるんやから」
「違いない」
笑い合う二人。
組織を統べる幹部として死力を尽くした激戦の一夜は明け、
救いを求める者に手を差し伸ばす激動の一日が開幕しようとしていた。
書き足し更新です。




