初恋は風と共に
夏が好きです(´^ω^`)
風が彼女の夏服のスカートを揺らした。
同時に僕の寝癖付きの髪が揺れる。
僕の好きな季節だ。
七月十二日。
夏休みまであと十日。
薄っぺらい檸檬色のカーテンがふわりと膨らんで、教室の中に風が入ってくる。
先生の話は右から左で、カーテンの隙間から窓の外をボンヤリと眺めていた。
こんな天気の日には縁側で風鈴の音を聴きながら読書なんてしたら最高だろうな。よし、今日は縁側で読書だ。学校が終わったら直ぐに図書館に行こう。自転車をかっ飛ばして。自転車を思いっきりこいで風を切るときの気持ち良さも、僕がこの季節を好きな理由の一つだ。
うちの縁側は小さいながらもなかなか居心地が良いので、家族みんなのお気に入りだ。その分競争率は高いが、今日僕は午前授業のみで帰れるので、家族で一番帰りが早いのだ。なので誰かに縁側を取られる心配もない。僕の計画は完璧だ。・・・あ、ゴロウさんは家に居るか。ゴロウさんは暑いのは苦手なようなので、こんな日には大抵うちに居る。ゴロウさんというのは飼い猫で、名前は祖父が付けた。由来はよく知らないが・・・。まぁゴロウさんは縁側に居ても昼寝をしているだろうから問題ないか。
そんなことを考えていたら、先生に当てられてしまった。
「岩瀬、この問題わかるか」
話を聞いていなかった僕は、もちろんわからなかったので、正直に「わかりません」と答えた。
先生は僕に何か言っていたが、それすらも聞かなかった。
聞かずに、彼女を見ていた。
彼女が、僕を見ていたように思ったからだ(僕が当てられたのだから僕の方を向いているのは当たり前なんだが)。
別にこんな理由がなくても、僕はいつも彼女を見ている。
何故か聞かれると、僕は彼女のことが好きかも知れないからだ。
自分のことなのに「かも」と使うのはおかしいと思うが、僕はこんな感情は初めてだからこれが何なのか、わからないのだ。
多分、きっと、これは恋なのだろう。
彼女は高校二年生とは思えないほど小さくて、僕は百六十八センチと別段背の高い方ではないのだが、その僕と多分二十センチくらい差がある。彼女に訊いたわけではなく、僕の大体な感じで言っているので、「多分」で「くらい」なのだが。そんなわけで彼女は黒板の一番上まで手が届かない。だから今日みたいに日直だと、休み時間の度に黒板を消さなくてはならないので大変なのだろう。手伝ってあげられたら・・・そう思いつつも僕はまた、この休み時間も、友達と話しながら、さりげなく彼女の様子を見ているだけだ。
何故かというと、そんなの、恥ずかしいじゃないか。
これでも僕は初心な方で、彼女のことを見ているだけで精一杯。彼女と話すときなんか僕のポーカーフェイスが本領を発揮する。そんな僕が、人前でそんなこと出来るわけがない。
それに、彼女の友達が、彼女のことをからかいながらも手伝ってくれているようなので、僕の出る幕ではない。
でも、勇気を出して手伝うことができたら、と思うことがある。
思うだけなのだが。
授業がすべて終わり、やっと帰れる。
僕は授業中に立てた計画を実行するべく、早速図書館に向かう。腹が減っていたので、早く家に帰りたくて、自然と足早になる。
ところが、靴箱に着いたところで僕は気が付いた。
「あ、無い」
自転車の鍵が、無い。いつも制服のズボンのポケットに入れているのだが、入っていないのだ。
どうしたっけ。思い出せない。・・・仕方ない、教室に戻ってみるか。
僕は渋々今通った教室からの道のりを引き返した。だが、この状況から恋愛小説なんかでよくありそうなことを連想した。期待に胸をふくらませる。
そう、僕は、戻った教室には彼女が一人でいてそこに僕が――という状況を連想し、期待したのだ。
期待に満ち溢れた顔で教室のドアを開けようとし、いきなりこの顔で入って行ったら彼女だって驚いて(引いて)しまうだろう、と思い、呼吸を整え、緩む顔をキュッと引き締めた。そしてゆっくりとドアを開けた。
そこには。
そこには誰一人いなかった。
大ダメージだった。
僕としたことが。
恋愛小説の読み過ぎだろうか。特に恋愛小説が好きという訳ではないのだが、僕は本なら幅広く読むので、恋愛小説を読むことだってある。だが、僕は暫く恋愛小説を読めないだろう。きっと読む度にこれを思い出してしまうだろうから。
恥ずかしさと虚しさが脳内を占拠して、一瞬僕は目的を忘れてしまった。
そうだ、鍵を探していたんだ。
探し物は直ぐに見つかった。机の奥に入ってしまっていたのだ。僕はそれを右手で摘むように取り上げた。
そして入ってきたのとは違う方のドアに左手をかけた。
ドアを開くと、そこには彼女が居た。
「あ・・・」
廊下に響き渡りそうなほど鼓動が大きくなったと感じると同時に、頬が熱くなった。
いきなりだから、心の準備も何も出来ていなかった。
「岩瀬君?どうしたの?」
不意に声をかけられてしまった。
「え!?あ、いや、鍵、を、探してました」
敬語になってしまった。そして無駄に多い読点。
すると彼女は笑顔で、
「見つかったのね。良かったわね」
と、僕にそう言った。
「橘さんは、何、してたの」
「私は、職員室に行っていたの。松岡先生に、日誌を届けに」
「そ、うなんだ」
会話が途切れてしまった。僕は軽いパニック状態に陥ってしまい、何を言えば、何をすればいいのかわからなかった。
何か話題になるものはないだろうかと後ろを振り向くと、四時限目のまま消されていない黒板に目が行った。
僕の視線の先に目をやった彼女が、忘れていたというように「あ、黒板」と声を出した。
「・・・橘さん、黒板消すの、手伝うよ」
僕がそういうと、彼女はまたしても笑顔で
「ありがとう。じゃあ上の方お願いできるかな?」
といった。
二人とも何も言わないので、沈黙したまま、黒板を消す音だけがする教室。
何か言わなくては、とは思うものの、僕にはこの沈黙は嫌なものではなく、寧ろ心地よかったので僕はそのまま黙って続けた。
黒板を消すのなんか時間がかかる作業ではないのだから、直ぐに終わってしまった。
彼女がもう一度僕に「ありがとう」というので僕は「どう致しまして」と返した。
もう教室に用は無いので、僕も彼女も靴箱へ向かって歩き出した。
僕は廊下の窓から外を見た。空には雲一つ無かった。
彼女も外を見ていた様で、「良い天気ね。お出かけしたくなっちゃう」と呟いていた。
「そうだね」僕はあまり考えずにそう返す。
僕はこんな日には縁側で読書をしたいと思う程のインドア派なので出かけたいなんて思ってはいなかったが、彼女の嬉しそうな横顔が見られたので良いことにする。
またも心地よい沈黙が流れる。
彼女もそう思ってくれているのだろうか。
僕は考えたが、答えは出なかった。
だから、そのまま黙って歩き続けていた。
ふと、彼女が口を開いた。
「ねぇ、岩瀬君?」
僕はいきなりなので少し驚いてしまったが、それを彼女に覚られたくなくて、ひと呼吸置いてから、ゆっくりと返事をした。
「何?橘さん」
少しの沈黙。
この沈黙は先程までとは違い、僕にとっては息が詰まるようなものだった。
早く、早く続きを言って橘さん・・・そう心の中で唱えていたら、僕は思いがけない言葉を彼女の口から聞くことになった。
「今日、一緒に映画でもどう?」
僕は余計に息が苦しくなる思いをする羽目になった。
理解するのに数秒かかった。
これは・・・!
おおっと、いけない。先程恋愛小説的展開など期待してはいけないと学んだ筈だ。
でも、顔の緩みが抑えきれない。
僕はにやける顔を右手で隠しながら、「もちろん」そう返事をした。
窓から入ってくる風が、汗ばんだ僕のシャツを揺らす。
君のポニーテールも揺れて、ふわりと薫るシャンプーの匂い。
彼女はもう何も言わない。
だけど、
これから来る長い夏休みに、君のほんのり赤く染まる頬に、
少しだけ、少しだけ期待してみても、いいだろうか。
岩瀬は眼鏡男子です。