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3.ブルーチーズのグラタンは凶悪

――お兄ちゃん、いつになったら私の自転車、買ってもらえるのかな。

   後ろに乗るだけじゃもう嫌なのか? それとも、嫌いになったかな?

――そうじゃないよ。お兄ちゃんのこと大好きだよ。でも……

  でも、どうした?

――お兄ちゃん、私のこと見てくれなかった…………

 …………っ!

――お兄ちゃん……助けてくれないもん…………

 ちがっ!

――助けてくれなかった。

    ……違うっ!

――違わない……よ……

 助けたかったっ! 助けたかった!



     俺は助けたかったっ!


 ◇◆◇◆◇◆◇


「ごめ…………な」

 ふわりと浮き上がるような感覚にゆっくりと意識が戻ってくる。頬をなでる風に一層意識が戻ってきた。色を取り戻してきた目に飛び込んできたのは茜色の空。

「いって……此処は…………」

 すっかり体調が落ち着いていたのを確かめ体を起こし辺りを見渡し、自分が記憶にある、そして幾度となく見たことがある風景だとぼんやりと思った。

 緩い傾斜の上にある噴水、小さなアスレチック、演劇部やダンス部が練習場代わりに使っているステージ、人口の小川、桜の並木。

「公園だよな」

 確か駅前の駐輪場にいたはずだ。と彼は頭の片隅で思い出していた。

「何だ、目が覚めたのか」

 不意に背後から聞き覚えの無い低い声が聞こえた。彼はその声の人物のほうへと振り返ろうとした瞬間、眼前に差し出されたレモンティーの缶を反射的に受け取った。

 ――暖かい。

 じんわりと冷えた手を暖める缶を手のひらでゴロゴロと転がしながら、ようやく相手の顔をゆっくりと見ることができた。

 首元で纏められた長い黒髪にうんざりとしている光を宿す鋭い黒瞳に大月は見覚えがあった。

「あっ……竜堂……くん……」

「……嵐でいい」

 面倒くさそうに投げやりな言葉と共に、自分のために買った紅茶の缶を開けて大月の隣に座り横目だけでその顔色を伺っていた。

「んじゃあ、嵐……どうして?」

「俺のチャリの前でぶっ倒れてて邪魔だった」

 大月が質問のすべてを聞く前に嵐が答える。さらりと言ってのけられた言葉に大月は思わず苦笑いをもらした。

「そっか、邪魔だったから人を公園に置き去りにする気だったんだな」

「……それはそれで、よかったかもな」

 冗談交じりに問いかけてみると、嵐は少し考え込む仕草をしてからそう答えた。

 大月は「なるほど」と小さく返してから、竜堂嵐という人物の性格を推し量ってみていた。「ぶっきらぼうで愛想はなさそう」にプラスされて「根はいい奴かも……」と言うのが彼の中で付け加えられていた。

 春の暖かさがあるとはいえ日が落ちれば風の冷たさが身に沁みてくるが、手にした温かい缶がじんわりと体に熱を与えてくれていた。

「オレ、何か変なこと言ってなかったか?」

「……いや、別に。ただ少しうなされてはいたがな」

「そっか、ならいいんだ。オレ、そろそろ行くな……ありがとさん、また明日な」

「途中でぶっ倒れるなよ」

 大月は軽く缶を持った手を左右に振ってしっかりとした足取りで再び駐輪場へと向かっていった。

 それを見送った嵐は一人のんびりと残った紅茶をを飲み干してから公園の傍らに止めておいたマウンテンバイクに乗りこんで辺りを散策するようにのんびりと駅前へと向かっていった。

 霞ヶ丘の街は道路に沿って植えられている街路樹や家々のガーデニングが盛んらしく至るところに緑が目に付き、駅前周辺には百貨店や雑貨屋、喫茶店もあり人通りも帰りの学生たちで賑わっていた。

 だが、その傍らの道には空き缶で作られた花瓶に花がいくつか添えられているのが見えた。

 何処にでもあるようでどこか異質な街の空気に嵐は一人確かめるように、

「おかしな街だな……」

 一人ぽつりとこぼした。


 ガヤガヤと賑わうスーパーの中から大きな買い物袋を三つほど手に提げ、その内の一つをカゴの中にそっと入れ残り二つはハンドルの両グリップに掛けた。

「だいぶ遅くなったなぁ、母さんもう帰ってきちまったかもな」

 自転車を漕ぎ出し帰路を急ぐのは大月だった。その途中でパタッパタッ……と冷たい何かが彼の頬に当たった。

「ありゃ、雨か……なおのこと急いで帰らんとなぁ」

 駅前の通りは車の量も多いが一方通行と言うために車と車の間を強行的に通り抜ける人たちが多い。特にこんな雨の日はさっさと近道をしようとする人たちの姿が目に付いていた。

「右よ〜し、左もOK、正面もOKっと」

 彼も他の通行人たちのようにさっさと周囲を見渡すだけで道路を横断し始めていたが、

「えっ……?」

 一瞬の眩暈が襲ってきた。重たい鈍器で側頭部を殴られた感覚に視界が白く歪み全身の力が瞬時に抜けていくのを感じた。

「うわぁあぁぁぁっ!!」

 鋭いクラクションの音とタイヤの上げる悲鳴にかき消された。右側から鈍い衝撃が全身に走り、浮遊感が体を支配したかと思えばすぐさま硬いアスファルトに叩きつけられていた。

 大月が理解できたのは「自分が事故った」と言うこと。それでもその結論に至るまでずいぶんと時間が掛かった。

「大丈夫!」

 通行人の誰かが駆け寄って自分の頬を叩いたのがわかった。黒い視界に色を徐々に差し込むように必死で意識を声に向けていく、そうしなければどこまで落ちていくのかわからない漠然とした不安に抗っていた。

「誰か、救急車! 救急車呼んで!」

 遠くから聞こえる悲鳴混じりの叫び声にようやく大月はその目を開き、全身を支配した激痛に低く呻いた。そして自分を抱えている人物の顔をみて右側の頬だけで引きつる様な笑みを浮かべた。

「れ…… ……」

 掠れた言葉にはっとして再び気を失った大月へと視線を向けた。

「あっちゃん! あっちゃん、おーちゃんは? 平気、平気なのっ?」

 人垣を必死にかき分けながら小柄な少年が転びそうになりながらも、走ってきた。

「修……頼むからでかい声であっちゃん言うな。大月なら平気だ、見た目ほどじゃあない」

 嵐は幾らか煩わしそうに、泣き出しそうな修へ言い放った。周囲から見れば三人とも同じ制服を着ていることから学友だろうと推測を付け、興味を失ったものたちはその場から離れ始め、立ち止まったままの人からは血を流す二人へ買ったばかりだろう真新しいハンカチを差し出す人の姿もあった。

 修はその差し出されたハンカチを何度も頭を下げて受け取り、額を切った大月の傷口へ押し当て開いた片手で大月の頭を支える嵐の腕の怪我の様子も見た。

「よかった……あっちゃんの方は擦り傷だけみたい」

 ほっと安心して胸をなでおろす修へ救急車のサイレンの音が耳にはいった。そして救急隊が到着すると嵐は簡単に状況を説明し、修に全てをゆだねて治療をしようと同乗を勧めた救急隊員の申し出を拒否した。

「さて、と……やるか」

 そのとき初めて、鋭い光が嵐の双眸に宿っていた。

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