1.初授業で嫌がらせは中々ありえない
――お兄ちゃん、待って。
うっ……
――お兄ちゃん……痛いよぅ……
ぅあっ……
――お兄ちゃん、助けて……
っ……
――お兄ちゃん……どうして……助けてくれなかったの。
ちがっ……!
――ねぇ、どうして?
……やめてくれっ!
あの日からずっと見続けている悪夢にガバッと飛び起きた。体中に冷や汗をかいているわけでもなくただ、体の中に熱をもっていて肌は氷のように冷たく感じてゾッとした。
自然と自分の両肩を抱きしめて一息つく。胸が締め付けられるように痛いがゆっくりと深呼吸をすることが唯一、それを緩和させる事が出来る行為だった。
正直……忘れたいよ。もう……
◇◆◇◆◇◆◇
霞ヶ丘の町を包み込むように淡い青色の空があった。風も温かく多少の強すぎる勢いを除けばとても気持ちの良い日和だ。季節は春で元旦を除いたもうひとつの一年の始まる季節。
「さて、今年は無事に全員高校二年になれたようだな。最もいくらこの嶺徳学園がエスカレーター式と言っても油断していると足元をすくわれるからな。みんな、これから先、一層力を入れて勉強に励むようにな」
一言一句に力を込めて伝えられる教師のありがたい話も生徒たちにとっては「早く終わってほしい」と願われるものでしかなく、ほんの十分程度の説教でも終われば全員が一斉に思い思いの話に花を咲かせ始める始末だった。
しかし、教師が再び両手を叩き生徒たちの注目を前に向け、静かになったのを確認するとドアの方へと向き直った。
春には新たに訪れるものがある。
「入ってきなさい」
教師の呼び声に合せてドアが開いた。一瞬、教室内に緊迫した空気が流れ生徒たちの中には期待の面持ちを隠せないものが居た。
自分たちのクラスに転入生が入ってくる噂は先日の始業式の時からすでにあったが、生憎とその転入生を始業式当日に拝めることはなかった。
だからこそ、期待してしまう。男か女か、美人系か可愛い系かそれともハズレか……と。
一歩……黒のスニーカーに長めの足を覆い隠すのは制服の青いズボン。男だ。ここでクラスの男どもの緊張した空気は失せ去った。
女子生徒の視線が上へと戻っていく。長い黒髪が首元で無造作ながらもしっかりと纏められているうえに、やや面長だが顔立ちもスッキリとしていてそこそこに男前ではあるが、一つ問題があるとしたら切れ長の瞳に宿るうんざりとした光が、何かを期待していた者たちにがっかりさせていた。
「竜堂嵐です」
そっけない低い声で彼は名乗り、更に「それだけでいいのか?」と問いかけた教師に首を振り、指示の下に空いている窓側の席へと着いた。
「よし、それじゃ初日の授業ということで軽く漢字のテストで春休み中の学力低下を調べてやるか」
間を置かずして手早く配られ始めたテストに生徒たちの文句の声が盛大に上がったのは言うまでもない。そして、授業終了のチャイムとともに再び生徒たちの声で教室が埋め尽くされるまで時間はかからなかった。
「ったく、嫌になるよな。三島の奴、初日くらいテスト無しにしろって言うんだよなぁ」
ぶつぶつと文句を言いながら転入生の前の席の人物から椅子を奪い取り、細い目を更に細めて人懐っこい笑みを浮かべる男子生徒がどっかりと座り込んだ。
「大月洋ってんだ、よろしくな。あの先生、毎週水曜の授業のときにテスト出すから気をつけろよ。竜堂君♪」
「……覚えておく」
嵐は軽く目線を合わせ淡々と台詞を紡いだ。
「ま、何かわかんない事があったら遠慮なく聞いてくれや。人に優しくが俺のモットーだからな」
妙に自信に満ち溢れた笑顔を向けられ一瞬だけ驚いたが、それ以上に驚いた顔をしたのは笑顔を向けた大月自身だった。
「ぐはぁっ! 何すんだ、あ、だだだだっ!!」
「洋、お前のどこをどう見たら“人に優しく”なんつー台詞が出てくるんだよ」
大月の後ろにいた生徒が一瞬の隙を突いて、力一杯に両拳で大月のこめかみをグイグイといじりまわし始めた。
「コイツの言うこと真に受けすぎると痛い目見るからな、気をつけろよ!」
「なんだとぉ、一年の期末で俺がどんだけ貢献したかもう忘れたのかっ」
「じゃかしいっ! 結局お前の仕入れてきた情報は違ったじゃねぇか! おかげで進級危うかったんだぞっ」
「人に頼りすぎたと言う痛い教訓だな……いでででっ、ロープッロープッ!」
賑やかさは嵐にとっては煩わしものにしか映らなかったようで終始、ぼうっと外の風景を眺めていた。
彼らの教室から見える風景は学園の中庭を一望できる三階にあり、満開の桜が見下ろせる位置にあった。そして、僅かに開けられた窓からは時折、桜の花びらが室内へと入り込んでくるのだった。
「そういや、竜堂君は部活とかって前の学校でやってたのか?」
「いや」
「そっか。てっきりスポーツ特待生って奴だと思ったからさ。高校で編入って言うのが珍しいけど」
「……そうだな」
「君って無口なのね。さてと、次の授業が始まるかな。次は隣のB組だから移動だぜ」
大月はガタッと音を立てて椅子から立ち上がると、自分の席から教科書を抜き取り足早に廊下へと先に出て行き、嵐もまた同じように教科書を片手に隣のクラスへと足を運んだのだった。
お目通しありがとうございます。
中編程度を目安にさくっと目を通せる長さで挑戦していこうと思ってますので、お付き合いをよろしくお願いします。
サブタイはその瞬間の気分でよくつけます……(タイトルと内容が一致しない原因)