病気の幼馴染を優先する婚約者は世論に支持される
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10月11日
[日間] 総合-短編 11位
[日間] 異世界(恋愛)-短編 8位
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厚くお礼申し上げます。
「すまないカトリーヌ、アニスがまた咳が止まらないらしいんだ。使いの者がやってきた。この埋め合わせは必ずするから、今日は帰らせてもらうよ」
そう言って、カトリーヌの婚約者のモンフェラート伯爵家の嫡男マクシミリアンは、ファーストダンスが始まろうとした夜会の広間に、エスコートしていたカトリーヌを置いて、一人帰っていった。
この夜会は小規模なもので、カトリーヌの家族は誰も来ていない。
モンフェラート伯爵家の馬車でこの夜会にやってきたので、帰りの馬車の心配もある。
知り合いがいないかと周りを見るが、夜会の主人は所謂伝統と格式のある、由緒正しき貴族の一人ガウディ伯爵、カトリーヌの父メデト子爵のような新興貴族とは別派閥なので、知った顔はなかなかいない。
やっと貴族学院の同級生マリアンヌ伯爵令嬢を見つけた時はホッとした。
「この夜会で一人でいるなんて、またあの婚約者に置いてきぼりにされたの」
「アニス嬢がまた咳で苦しんでいるのですって、マクシミリアン様は優しい方だからほっておけないんです」
「優しい方なら、派閥が違う夜会で心細くなっている婚約者には、配慮しないのかしら」
「私の様な、世情に詳しい商売をしている様な貴族の娘は、どんな所でも図太くしていられるだろうから、大丈夫だと思っておられるのですよ」
「ふふ、確かに貴女ならこの場位どうとでも乗り切れるでしょう」
「まあ、子羊の様に震えながら、知り合いを探しておりましたのよ。マリアンヌを見つけた時は砂漠で泉を見つけた気持ちになりましたわ」
「私の家は伝統派とも新興派とも付き合いをしていますからね、カトリーヌを一人ぼっちになんかさせないわ」
二人は扇子を広げ顔を隠して笑いあった。
マリアンヌのコートナー伯爵家も、この夜会の派閥を形成する領地経営で財を作る貴族だが、小麦や鉱物という昔ながらの物ではなく、綿花という平民向けの作物で財を築く新興派の様な領地経営をしていた。
メデト子爵家は薬で財を成した、カトリーヌの曽祖父が男爵に叙せられ、その後も新薬を開発し子爵となったが、「薬屋の娘」と陰で言われているのをカトリーヌは承知している。
「アニス嬢って、モンフェラート伯爵家の寄子の男爵家の娘だったわね。マクシミリアン様とは幼馴染らしいけれど、田舎の領地からわざわざ出てきて、病気の面倒まで見させるのは何か企みがありそうね」
「王都の方が医療が進んでいるからと聞きましたわ。それに寄子の面倒をみるのは貴族としての義務だとマクシミリアン様に怒られましたわ。何しろ私は、貴族の何たるかを知らない薬屋の娘ですから」
二人はまた笑う。
「でも丁度良かったわ、カトリーヌが一人なら紹介したい方々がいるのよ。マクシミリアン様がいなくて良かった」
マリアンヌは意味深に言った。
新興貴族のメデト子爵と伝統派のモンフェラート伯爵家の縁談は、上位のモンフェラート伯爵家からの申し込みだった。
建国由来の伯爵家と、先々代が平民の薬屋の縁組は、5年前の社交界に波紋をもたらした。
伝統と格式では食っていけなくなってと、陰口をたたかれながらモンフェラート伯爵家が新興貴族を求めたのは、広大ではあるが肥沃ではない領地で、メデト子爵家が開発した薬の材料となる植物を植えて稼ごうと考えたからだ。
メデト子爵家も商家は持ってはいるものの、土地は持ってなかったので、薬草を生産してもらえるのはありがたかったのでお互いに益ありと承諾した。
嫡男マクシミリアンは当時15歳、カトリーヌは13歳でカトリーヌが貴族学院を卒業したら結婚すると決まっていた。
カトリーヌは初めてマクシミリアンに会った時、その姿に感動した。美しい金髪、深い碧い目、均整の取れた長身と立ち居振る舞いの優雅さ。一緒に挨拶した母と共に頬を染めた。
メデト子爵家は貴族になってからも商家出身の貴族や豪商と縁組していたので、所謂本物の貴族との縁談は初めてだったのだ。
モンフェラート伯爵家の屋敷に招かれた時も驚いた。古色蒼然とした本館と幾つかの別邸、大樹が生い茂る広大な庭。近代的に建てられて、居心地を優先させた小ぶりなメデト子爵家と違い、その無駄に思える程の大きさや広さに圧倒された。
この屋敷の女主人になる。カトリーヌはその未来がとても神々しい様に感じていた。
それからは、伝統のある貴族としてのマナーを身に付けねばと努力した。
伝統に詳しい家庭教師も新たに雇った。マクシミリアンの好みを知り、それを自分に合わせた。
彼は流行にかぶれたドレスよりも、伝統的な物を好んだ。
薄い茶の髪で、目も茶色いカトリーヌは、淡い色が似あったのだが、伝統的に見える濃紺やグレーを着るようにした。
髪も流行の縦ロールよりも、ストレートにして背にかけていた。
この夜会でも、紺色の堅苦しいドレスに念入りにブラッシングしたストレートの髪できていたのに、マクシミリアンからその姿を褒められる事なく、幼馴染で病弱な保護しなければいけない寄子のアニス嬢の所へと去っていったのだ。
これが伝統を持つ貴族としての行動だと、アニス嬢の所に行くときは、上位者が下位の者に教える様にマクシミリアンは言った。
お茶会に誘われた時、お芝居を見に行った時、舞踏会。この数か月、アニス嬢がモンフェラート伯爵家にやってきてから、まともにマクシミリアンと過ごす時間は無くなった。
一人の時間が増えるにつれて、カトリーヌも自分の今の姿を考える様になった。
姿見の大きな鏡に映る、流行遅れのドレス。色も似あわない、髪型も貧相に見える。私はこれでいいのかと。
メデト一族は行動が早い。商人はチャンスを逃さない様に、ピンチに飲み込まれない様に、早く行動しなければいけない。父から教えられた教訓をカトリーヌは身に付けている。
「まずは状況の整理と情報の収集ね」
カトリーヌは父にマクシミリアンとアニスの事を相談した。
「いやはや、伝統ある貴族の常識と、我々商人上がりの人間の常識とは大分違う様だな。婚約者よりも、寄子の一族の娘の方が大事とは。モンフェラート伯爵にお伺いしたいが、伯爵夫妻はこの所ずっと領地に行ってるそうだ。それを良い事にマクシミリアン殿が好き勝手にしているのか、それとも伯爵夫妻も息子共々、我が家を侮っているのか」
メデト子爵は眉根を寄せて考えこんだが、すぐにニヤリと笑い、
「すぐに情報を集める。それから対策を考えよう。カトリーヌ、お前も一緒に考えるんだ。何よりもお前の人生が一番大事なんだからな」
力強い父の声に、カトリーヌは不安が消えていくのを感じた。
3日後、アニスとモンフェラート家の様子が報告された。
メイドや従僕、出入りの商人から情報を聞き出すのは簡単だった。
アニスは本当に病気で、しかも水肺病というやっかいな病だった。
この病は、肺に水が溜まったような重い咳が続き、微熱と咳で体力が奪われ、最悪死に至る。
けれども、滋養のある物を食べて、空気のきれいな場所で安静にしていれば、数年かければ回復し、元の生活に戻れる。
何故かこの病にかかるのは、貴族の令嬢が多く、身体を動かさない若い娘がよく発症すると言われている。
アニスの病状はそれ程重くはなく、田舎の領地で静養する方が早くなおるんじゃないかと陰口を言うメイドもいた。
この病気のやっかいなのは、令嬢の婚期を遅らせ、最悪オールドミスにしてしまうところだ。
若い花の時期のこの病にかかり、地方で療養して完治させて社交界へ戻ってきたら、20歳を過ぎてしまい、有望な子息はとっくに相手が決まっていて、条件の悪い話しかなくなっている「令嬢殺しの病」そう呼ばれているのだ。
アニスはそれで焦って王都にやってきたのかもしれない。
病室での様子も露わになった。
アニスの夜着はかなり薄い生地で光の加減で中が見える程、しかも咳で苦しいと言ってマクシミリアンの前ではよく前のボタンをはずしているらしい。
メイドが一度見たのだが、カトリーヌの元へ行こうとするマクシミリアンを引き留めようと、アニスはベッドから落ちたそうだ。
夜着がめくれて素足があらわになった。マクシミリアンはすぐにアニスを抱き上げてベッドに戻したが、マクシミリアンは赤い顔をして、扉の前のメイドをにらみつけたので、思わずメイドは部屋を出た。マクシミリアンが病室から出てくるまでしばらく時間がかかったらしい。
その話を聞くと、カトリーヌはたまらない嫌悪感を感じた。
伝統ある伯爵家の寄子なのだから、クバード男爵家もそれなりの貴族だろうに、令嬢が家族でもない男性にそれ程接近を許すのを、恥ずかしいと思わないのだろうか。
マクシミリアンも貴族の令嬢相手にそんなに接触する事を正しいと思っているのか。
「これが伝統ある貴族が、寄子の面倒を見るという事なのでしょうか」
カトリーヌに対して、上から物をいうように貴族のあり方を説教していたが、実態は破廉恥な話だ。
「伝統ある貴族と付き合うのは我々には難しい様だな」
父親は渋い顔をしたが、
「水肺病か、丁度いい物がある。これは上手く使えるかもしれない。カトリーヌや、いい考えがあるよ」メデト子爵はにこにこと頷いた。
カトリーヌはモンフェラート家にやってきた。
そしてアニスを見舞った。
アニスは厚手の生地の夜着を着てその上からショールを纏っていた。ボタンも上まで留められている。「お加減はいかがですか。もっと早くお見舞いに来たかったのですが」
「病人のアニスに健康な君を見せるのは残酷だろう。そういう貴族的な気遣いを知るべきだよ」
マクシミリアンは機嫌が悪い。カトリーヌが押し掛けてきたからだ。
アニスに会わせたくはなかったのだ、アニスはさらさらとした金髪で薄い水色の瞳の美しい少女だった。
年は学院には通ってないが、カトリーヌよりも一つ下だ。
水肺病特有の咳を時折するが、肉付は良さそうなのでそれ程深刻な病状でないと、薬の知識があるカトリーヌは病人を観察した事もあるのでわかった。
「今日は、我がメデト家の研究所で出来上がった新薬をお持ちしましたのよ。水肺病の研究はもう何年も続けていて、やっと特効薬になるかもしれない薬ができましたの。きっとこの薬でアニス様も元気になられるわ」
取り出したのは黒い丸薬だった。
マクシミリアンはそれを胡散臭そうに見た
「それは本当に薬なのか。水肺病に効くという証拠はあるのか」
アニスも不安そうに丸薬を見ている。
「大丈夫ですわ、もう何人かの患者に試して皆さん快方に向かってますのよ」
「まだ正式に販売されていないんだろう。それまでは無理だ」
「この薬は正式に販売されるとかなり高価な物になります、希少な薬草から作られてますから」
「なんだ、身内からも金をとるのか。まったく貴族というものがわかってないな」
「ですから治験という立場なので、今は無償でお渡しできるんです。それにこの薬が正式に販売される事になりましたら、この薬草はモンフェラート領で栽培していただけたらと、父が申しておりました」
マクシミリアンの目の色が変わった。
モンフェラート領での薬草栽培は二人が結婚してから始めると契約されていた。
もう婚約しているのだから始めてもいいだろうと、モンフェラート伯爵からも責められたが、メデト子爵は応じなかった。
薬草は穀物や野菜の様に、多く作ればよいというものではない。希少な病気に効果のある薬草を多く作っても余るだけ。また、どんな薬草が使われているかは秘密として管理しなければいけない場合もあり、人を遠ざけて隔離して栽培をする必要もある。
細かい取り決めと、正確な管理が必要だと、メデト子爵は交渉するのだが、カトリーヌが最終学年になり、あと1年で結婚となって、モンフェラート伯爵は待ちきれず、勝手に銀行から金を借りて農地拡大を始めていた。
伯爵夫妻が王都にいないのも領地に張り付いているからだ。
「そうか、君の家の為にもなるなら協力してやるのも貴族としては仕方あるまい。アニスすまない、この薬の為に協力してくれるか」
「マクシミリアン様がそうおっしゃるなら私は従いますわ」
アニスは不安そうに頷いた。
「ところでカトリーヌ、そのブレスレットは派手すぎないか。最近の流行りの様だがチャラチャラしすぎていないか」
カトリーヌは、今貴族女性の間でとても流行っている、アンクリのブレスレットをしていた。
5枚の花弁を模した金色の台に、貝や色石が嵌められた物で、中々手に入らず、貴族女性の憧れになっている。
裕福なメデト家ならば手に入れられるのだろうが、今のモンフェラート伯爵家では困難だろう。アニスもそれが気になるのか視線がカトリーヌの手を追っていた。
「あら、ごめんなさい。はずしてくるのを忘れていましたわ」
カトリーヌは何食わぬ顔で返事をし、マクシミリアンのこめかみに青筋がたったのを見ても、そのまま帰っていった。
婚約者同志の交流は、今までマクシミリアンの方からの誘いで行われてきていた。
直前でアニスの事で中止になったり、置いていかれたりたりしたが、男の方から誘うが当たり前とされたのだ。
カトリーヌは自分からマクシミリアンを誘う事にした。
日時を指定し、場所は新鮮な果物を使ったケーキが有名な、カフェ ラ・ペシェだった。
予約を取らないと、大貴族でも入れない店だ。
マクシミリアンはその日は都合が悪いと変更させ、自分の都合に合わさせたが、席に座り紅茶が運ばれ、ケーキを選ぼうとした時に、モンフェラート家の使用人がやってきてマクシミリアンに耳打ちした
「まあ、アニス嬢が具合悪くなられましたの。薬はきいてないのかしら」
カトリーヌの残念そうな顔を見ながら、マクシミリアンは立ち上がった。
「咳は随分収まっているんだが、気分が悪くなる時があるんだ。すまない、また今度埋め合わせをするよ」
「それからカトリーヌ、その髪型はあまり貴族らしくないな。商家の娘と間違えられるぞ」
いつものストレートに垂らした髪でなく、縦ロールに大きなリボンで、華やかな髪型のカトリーヌをにらみつける。
「こちらの方が可愛いと思いましたのに残念ですわ」
涼しい顔で答えるのを、マクシミリアンは言葉を続けようとしたが、アニスがベッドで待っているのを思い出したかそそくさと帰っていった。
一人取り残されたカトリーヌは店の奥へと進んだ。この店は貴族も多く来るので個室もいくつかある。その内の一つのドアをノックした。
「予定通りよ、女子会をいたしましょう」
部屋の中には、マリアンヌと幾人かの令嬢がいた。みなカトリーヌの友人達だ。
「意外に早く帰ったのね。彼、ラ・ペシェのケーキ食べたくなかったのかしら」
「モンフェラート家は流行りに疎いから、ここの価値を知らないんじゃないの」
「アニス嬢もせっかくラ・ペシェに行ったのにケーキの一つも持ち帰らないのは残念だったでしょうね」
色とりどりのフルーツで飾られたケーキがテーブルに並んでいる。カトリーヌはマクシミリアンが早々に帰るのを見越して、友人達を呼んで女子会を開く予定にしていたのだ。
「さすがメデト家ね、この店の個室まで予約がとれるなんて」
「この店で使われているハーブはメデト商会が卸しているの。それにまだ店を始めた頃からこのケーキが家族に好評で、手土産によく使っていたのよ」
店が有名になったのはメデト家のおかげなのだ。だからマクシミリアンの急な日時変更にも応じてくれた。
「ところでアニス嬢の病気は良くならなかったの?呼び戻すくらい具合の悪い時もあるのかしら」
「医者は完治していると言ってたわ。でも本人はまだ気分が悪いと言って、ベッドから出ないんですって。その上、からだが火照るからと、もっと薄い夜着を着ているらしいわ」
モンフェラート家の医者も、使用人も、情報をこちらに教えてくれる。
本来使用人達は、お家事情を洩らしてはいけないのだが、金をちらつかせると簡単に話す様になっていた。
「治ってしまったら領地に帰されるから、それまでに一線を越えようとしているのかしら」
顔を赤くしながら令嬢の一人が言うと、皆頬を染めてしまった。
「マクシミリアン様はどういうおつもりなのかしら。その女を愛人にして、カトリーヌと結婚するなんて、随分図々しいじゃない」
「マクシミリアン様はそんなお方じゃないわ。彼は寄子の家族の面倒を見る、伝統ある貴族の見本の様な方なのよ」
カトリーヌのこの言葉に、他の令嬢達は眉をしかめるが、マリアンヌだけは違った。
「マクシミリアン様はとても貴族的な素晴らしい方よ。だからこそ、新しいタイプの貴族とは上手くいかないんじゃないかと私は思うの。皆さんもそう思わない?」
ここに集まった令嬢たちは、メデト家の様な新興貴族ばかりだったので、この言葉は良くわかる。
「マクシミリアン様は格式や伝統を重んじる世界に生きる方があの方らしい。その方が幸せなんだと、私は思いますのよ」
カトリーヌは目を伏せて言うと、令嬢たちは事情を察して笑顔で同意した。
しばらくして、カトリーヌはマクシミリアンを観劇に誘った。
この前にマクシミリアンから誘われた観劇は、モンフェラート家の桟敷だったので、置いてきぼりにされたカトリーヌは桟敷で一人芝居を最後まで見るしかなかったのだが、今回はメデト家の桟敷で二人で観るはずだったが、幕が上がる前に見慣れた使いがやってきて、マクシミリアンは帰っていった。
その直後に、メデト家の桟敷に華やかに着飾る令嬢たちが入ってきた。マリアンヌを始めとする友人達だ。
「せっかくの初日なのに帰ってしまったのね。『セブリアの美容師』は社交界でも話題のオペラで、平土間も満員になる程の話題作なのにもったいないわ」
「でもおかげでこんないい桟敷で見られるのよ。さすがメデト家ね、舞台も良く見えるし、平土間の紳士達にもこちらの姿を見せられるわ」
「マリアンヌ嬢、婚約者の私が側にいるのだから君はあまり平土間の奴らから見えないようにしてもらいたいな」
今回は令嬢たちはだけでなく、マリアンヌの婚約者ハリアー侯爵令息も一緒だった。
「今日のカトリーヌのドレスは素敵ね。いつもの地味なドレスはやめたの?」
「さっきマクシミリアン様から派手だと怒られましたわ」カトリーヌは水色のふわりとしたドレスを着ていた。ふくらんだ袖にリボンが可愛く飾られ、前身ごろのレースも美しくカトリーヌの愛らしい顔に似合っている。手にはブレスレットとおそろいのリングが光っている。
カトリーヌの友人は新興貴族派が多いので、ドレスは最新流行を着こなし、個性に合った髪型、アクセサリーととても華やかだ。
幕が開いても平土間の青年たちは、舞台よりも桟敷に目を奪われ、女優の一人がカトリーヌ達を睨む程だった。
幕間にハリアー侯爵令息の友人達が、次々とメデト家の桟敷にやってきた。
「こんな可憐な婚約者を置いて寄子の娘の所に行くなど、マクシミリアン殿の気が知れんな」
令息たちは口々にマクシミリアンを非難するが、
「いえ、あれこそが伝統ある貴族の行動なのだと私学びましたわ」
「そうよ、目指してもとてもまねできない行動だわ」
令嬢たちはマクシミリアンの行動を支持するので、令息たちは戸惑うが、
「だから、マクシミリアン様とアニス嬢はお似合いなのよ」
マリアンヌが扇子で口元を隠してそういうと
「成程確かにお似合いだ」
令息の一人が気が付いたように同意した。
彼は侯爵家の嫡男だが婚約者はいない、伝統と領地はあるが現金収入の少ない貴族だ。
桟敷にやってきた青年たちも同様な貴族が多い。
「モンフェラート家の伝統あるやり方を我々も支持すべきだな」
「俺には真似できんからなおさらだ」
メデト家の桟敷はその話で盛り上がった。
それからしばらくして、モンフェラート家の関係者から、遂にマクシミリアンとアニスが一線を越えたと知らせがあった。
病気が治ってきたアニスは、このままでは領地に帰されてしまうと考え、薄い夜着で迫ったのだ。
「これでもう彼女は愛人になるしかできなくなりましたね」
「結婚前から愛人を囲うとは古き貴族の傲慢そのものだな」
「我が家も馬鹿にされたものですね」
メデト子爵夫妻、カトリーヌ、そして嫡男の兄が対策を話しあった。
仕込みは十分できている。世間の風もこちらに向いている。
「来月バルバロイ公爵家の夜会がある。国王陛下もお見えになる、王都中の貴族が集まる盛大な夜会だ。そこが一番よい舞台なるだろう。カトリーヌ、あともう一仕事だ」
カトリーヌは再びモンフェラート家を訪れた。
マクシミリアンは訪問を断りたかったし、アニスにも合わせたくなかったが、
「アニス嬢にとっても、モンフェラート家にとってもいい知らせです」
と強引にアニスの部屋に入ってきた。
アニスはベッドに入っていたが、顔色も良く肌艶も良かった。
ただカトリーヌと目を合わせるのを避けるようにしていたが、カトリーヌは気づかぬふりをしていた。
「具合はいかがですか。もしよろしければご提案があるのです。来月のバルバロイ公爵家の夜会に出席されませんか。この病気があの薬によって完治したというのを皆さんの前で示したいのです。あなたが美しく着飾ってマクシミリアン様とともに夜会に出席していただければ、とてもこの薬の宣伝になると思うのです。もしもこの薬がうまく販売されれば、高価な薬になると思いますので、莫大な利益が得られることになるでしょう」
「まるで薬の宣伝の様ではないか。これだから……」
マクシミリアンのいつもの説教を抑えて、カトリーヌはアニスを説得する。
「ドレスもお貸ししますわ。私が仕立ててまだ着ていないドレスがございますの。今から合わせれば多少の縫い直しで仕上がるはずです。伝統的なデザインですから、アニス様によく似合いましてよ」
着飾って新しいドレスでマクシミリアンと共に社交界に出れる。その光景を思い浮かべアニスの頬は紅潮した。
「しかし、婚約者以外をエスコートするのはまずいんじゃないか」
「マクシミリアン様が寄子の面倒を献身的に見ておられる事は皆さまご存じで、とても褒めていただいてますのよ」
自分ではやましい行動をしている自覚はあったが、どうやら世間はいい風に誤解してくれているらしい。アニスも夜会に出たいのか目を輝かせている。それに莫大な利益のでる薬ならば、薬草代も高額になりモンフェラート家に利益をもたらすだろう。マクシミリアンは夜会の件を了承した。
バルバロイ公爵家の夜会は、王家主催の次に大きな夜会で、王都中の貴族が招待され、国王夫妻も臨席する特別なものだ。
アニスは、カトリーヌから借りた紺色の生地に銀糸で刺繍された、少し重苦しいドレスを着ている。
この色は金髪のアニスに良く似合っていて、伝統的な堅苦しいタキシードのマクシミリアンと並ぶと古き良き貴族の出で立ちだと、老貴族達には好評のようだ。
好意的な言葉がマクシミリアン達を迎えてくれる。
「アニス嬢はすっかり回復されましたのね、画期的な新薬ですわ」
「モンフェラート家の寄子に対する献身は、今の時代には珍しい素晴らしいものだ」
「本当にお似合いですわ、私の若い頃を思い出します」
婚約者をエスコートしていないと、批判する者はいない。
大貴族のバルバロイ公爵夫妻も、アニスの回復を喜び、田舎の男爵令嬢にすぎないアニスに声をかけてくれる。
アニスは今まで王都に来てから社交界に出たのはこれが初めてで、着た事もない高そうなドレスを身に付け、雲の上の様なきらびやかな貴族から親し気に声をかけられて舞い上がっていた。
マクシミリアンも周りの好意的な雰囲気にのまれて、気分が高揚していた。
だからカトリーヌが、しっかりと会場に届く様な声でこう宣言した時もその言葉が自分にとっていい事のように聞こえたくらいだ。
カトリーヌは大きめの縦ロールに髪を結い上げ、金の台に緑の貴石をのせた髪飾りを付けている。ピンクの花模様のドレスに白いオーガンジーのチュールが重ねられ、髪飾りとお揃いのネックレスが胸元に輝いている。少し頬を紅潮させているカトリーヌはより可愛らしく見えた。
「マクシミリアン様、私との婚約は解消してくださいまし。お二人の素晴らしいご関係を見て、私はマクシミリアン様には到底似つかわしくないと確信しました。5年の婚約期間、少しでも貴男様に近づこうと努力いたしましたが、この様にお似合いのお二人を見て努力では無理だと悟りました。アニス様との末長いお幸せをお祈りいたしますわ」
言葉と同時に会場中に拍手が始まり広がっていく。
「素晴らしい決断だ、カトリーヌ嬢の優しさには感動するよ」
「モンフェラート家にはこの様な縁組が最良だよ」
「寄子を支えるマクシミリアン様も、その幸せの為に新薬を開発するカトリーヌ嬢も、共に尊敬すべきだ」
祝福の拍手の中で事態が呑み込めていないマクシミリアンよりも、アニスの方が理解していた。
「うれしいわ、これで私達結婚できるのね」
涙を浮かべマクシミリアンの顔を覗き込む。
アニスは純粋にマクシミリアンと結婚出来ると思っていた。
モンフェラート家の浮沈が、メデト子爵家に関わっているとは知らなかったのだ。
男爵家の隣領地のモンフェラート伯爵家で、大規模な農地造成が始まったので、モンフェラート家は経営が上手くいっていて裕福なのだと領地では話題になっていた。
幼馴染であるマクシミリアンに近づけば、チャンスはあるかもしれないと、王都にやってきたのだ。
「結婚だと?何を言ってるんだ、結婚はカトリーヌとするんだ。間違えるな」
「でもカトリーヌ様が今おっしゃいましたわ、婚約を解消すると」
「婚約は家同士の契約だ。彼女の一存でできるものではない」
マクシミリアンはメデト子爵の姿を探した。しかし、メデト子爵はカトリーヌの隣でにこにこと同意の表情を浮かべている。
マクシミリアンは、ここで声を上げて、婚約解消を否定しないと、なし崩しに認める事になる。
絡みつくアニスの腕を振りほどこうとした時、
「国王陛下並びに妃殿下の御到着にございます」
と高らかな声が響いた。
会場は静まり返った。
少し足早に会場に入ってきた国王夫妻は、出迎えのバルバロイ公爵夫妻に尋ねる。
「何かあったのか。賑やかな拍手が聞こえたのだが」
バルバロイ公爵夫人がそれに答えた。
「先ほどメデト子爵令嬢が、モンフェラート伯爵令息に、婚約の解消を申し出たのです。水肺病の寄子の娘の為に、献身的に尽くす令息の姿に感動して、その娘との結婚を希望されましたの」
国王は眉根を寄せた。
モンフェラート家とメデト家の婚姻は、国王の政策の一環でもあったのだ。
守旧の貴族と、新興貴族を結びつけて、貴族社会を活性化させる。
経済が大きくなった社会で、頑迷な領地経営をする貴族を没落から救う為と、批判を浴びながらも推し進めた政策だった。
国王の眉を見ながら、バルバロイ公爵夫人は扇子で口元を隠し、
「陛下、これは世論に支持されておりますわ。美談ですもの。我が家も、縁のある侯爵家も伯爵家もよろしい話と思っております。何しろ水肺病の特効薬を開発したメデト家ですわ、その上令嬢もとても頭が切れますし」
国王は事態を理解した。
世論に従うべきだと、政策をもっと進めるべきだと。
「モンフェラート伯爵家の新しい縁組は結構な事だ。一族を、寄子を守るその姿を称賛する」
音楽が奏でられダンスが始まった。
真っ青なマクシミリアンは動こうとしなかったが、アニスは当然ファーストダンスを踊るものとマクシミリアンの前に立った。
マクシミリアンは元婚約者に群がる青年達の姿を見ていた。
水肺病の特効薬を開発した功績で、メデト子爵は伯爵に叙せられた。
カトリーヌは広大な領地と、古い歴史を持つ侯爵家の嫡男と結婚した。
夫人になってからもカトリーヌは、社交界のファッションリーダーとして活躍した。
モンフェラート家は、国王の了承がある結婚を結ぶしかなく、借金までして広げた農地に植える物はなく、王都の屋敷も手放し社交界から姿を消した。
この話は多くの貴族たちに語られた。
喜劇としてではなく、悲劇としてではなく、美談として貴族らしく語られた。




