1.
冷たい鉄柵に手を掛ける。少し力を加えると、今日出来たばかりの腕の傷が痛んだ。
片方の脚を掛けてみると、昼間に強く蹴られて出来上がった大きな痣が、じくじくとした痛みを訴えてくる。
この柵は、此方と彼方を隔てる境界だ。痛む部分を慣れた動きで庇いながら、ゆっくりと慎重にそれを越えれば──眼下には、僕を吸い寄せようとするコンクリートの地面。あそこに叩き付けられたら、僕は。想像もつかない、でもそこに恐怖よりも救済を感じてしまうほどに、心は憔悴しきっていた。
いつから始まったのか。それを思い出す余力すらない。せめて、僕が苦しかったんだという証を、この学校の敷地内に残そうと思った。いや、本当は。手頃な『境界』を探す気力がなかったんだ。もう、全部終わりにしたい。ただそれだけ。
どれくらいの時間、そうしていただろう。1秒にも、1分にも、1時間にも感じる。僕は──ここを越えに来たのに。後ろ手に掴んだ鉄柵は、僕の体温を吸って温くなっていて。風の音しか聞こえなかった耳に、自分の鼓動がどくどくと響いている。今更怖いのか?何が?戻っても変わらない。変わりたいなら──
「そういうことは、もっと人気の無い場所でやるものだよ」
「ッ!?」
声のする方へ反射的に顔を向けた。僕の、左隣。遠くも近くも無い距離に、彼女は居た。同じように『境界』を越えて。僕とは違って縁に腰を降ろし、足をゆらゆら揺らしている。風に靡く長い黒髪を片手で耳に掛け、僕の方へと顔を向けた。
「キミ、どうしてこんな所で立ち往生してるんだい?迷子なら、帰る道を教えてあげようか」
感情の読めない面持ちで彼女は言う。僕が迷子?学校の屋上で?そもそもこの子は制服でもない、白いワンピース姿。どうやって入ってきたんだろう。そんな疑問が浮かんでは消える。言葉を発することにも疲れている僕には、そんな疑問を解消する必要が感じられなくて──無言で、遠い地面へと視線を戻す。
「こら、返事をしなさい。…もしかして、知らない人から声を掛けられたと思っているのかな?だとすれば、返事をしないのは正解なのかもしれないね」
「っ!」
唐突に顔を覗き込まれて目が合い、思わず仰け反る。近付いてくる音も気配も分からなかったが、単に僕が極限状態なだけなのかも?と、また考えることを放棄した。
「うんうん、お母さんから教えられたことを守っているんだね?とっても偉いぞ。でもボクは知らない人じゃない、口をきいてもお母さんに怒られないから安心して」
「…?」
知らない人じゃない?どこかで会ったことがあるのかな。でも既に働かなくなった頭では、記憶を辿ることも出来なかった。
「…僕に、構わないでください」
なんとか絞り出した声は、自分でも驚くほど掠れていた。ちゃんと聞こえたかな、と彼女へ視線を向ける。先程まで無表情だった顔は、何故か薄く笑っていた。
「やっと口をきいてくれたね。ふふ」




